《ヴァロア・サン=レミー家》

アンリ2世1)――――――――――+―フランソワ2世
 [1519-1559]          |  [1544-1560]
 オルレアン公(1519-1536)    |  王太子(1547-1559)
 王太子・ブルターニュ公    |  フランス王(1559)
 (1536-1547)          +―シャルル9世・マクシミリア
 フランス王(1547)       |  [1550-1574]
 ナポリ王位・ミラノ公位要求者 |  アングレーム公、オルレアン公
                |  (1550-1560)、フランス王(1560)
                +―アンリ3世・エドワール・アレクサンドル
                |  [1551-1589]《ヴァロア朝断絶》
                |  アングレーム公(1551-1560)
                |  オルレアン公(1560-1566)
                |  アンジュー・ブルボネ公(1566-1574)
                |  ポーランド王ヘンリク・ヴァレジューシュ
                |  (1573.5/1574.2-6)
                |  フランス王(1574)
                +―フランソワ・エルキュール
                |  [1555-1584]
                |  アランソン公(1566)
                |  アンジュー・トゥレーヌ・ベリー公
                |  (1576)
                +―アンリ・ダングレーム
                |  [1551-1586]庶子
                |  母マリー・フレミング
                | 《ヴァロア・サン=レミー家》
                +―アンリ・ド・サン=レミー―――――+
                   [1557-1621]庶子         |
                   母ニコル・ド・ソーヴィニ    |
                   配:クリスティーヌ・ド・リューズ
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―フランソワ1世
|  [1595-1648]
|  配:シャルロット・ド・モーレオン
+―ジャック
|  [1599-?]
+―ルネ1世―――――――――――――+
   [1606-1663]           |
   配:ジャクリーヌ・ド・ブレヴォ |
+――――――――――――――――――+

+―ルネ2世
|  [1636-1674]
|  配:マリー・ド・ラ=マルク
+―アンリ
|  [1637-1692]
|  配:マリー・ド・ミュロ
+―レミ・セバスティアン――――――――ルイ・ルネ――――――――――+
|  [1639-1674]             [1702-1695]         |
|  配1)?・ド・コルム         配:フランソワーズ     |
|   2)クレフィーユ・ダングリュール      ・ド・バンネロ   |
+―シャルル                             |
|  [1646-?]                            |
|+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
||
|+―アンヌ・テレーズ
|   [1692-1754]
|   配:フェラリス伯ルイ
+―ピエール―――――――――――トマ――――――――――――――――+
|  [1648-1694]          [1668-?]             |
|  配:ジャンヌ・フェリックス  配1)ジャンヌ・ド・ラ=ヴィク   |
|                  2)フランソワーズ・ボーグラン  |
|+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
||
|+―ピエール――――――――――+―マリー
||  [1689-1741]        |  [1711-?]
||  配1)カトリーヌ・シャプロン|  配:マシュー・ガルニエ
||   2)ジャンヌ・ヴァンサン +―ジャン・ジェロー――――――――+
|+―ピエール          |  [1734-1795]          |
|   [1703-1752]        |  配:ブリジット・フォアグノ  |
|                +―ニコラ・アンリ――――――――+|
|                   [1740-1815]         ||
|                   リュクレク・イセラン    ||
|+――――――――――――――――――――――――――――――――+|
||                                 |
|+―ニコラ・ピエール                        |
|   [1775-1823]                          |
|   配:テレーズ・テヴノ                     |
|+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
||
|+―シャルル―――――――――――――+―エドム・アンリ
||  [1760-1830]           |  [1786-1836]
||  配:マリー・クロード・ミシュラン|  エドメ・オデニク
|+―ニコラ・ジェロー         +―アデレイド
||  [1763-1834]           |  [1791-1870]
|+―エドメ・ヴィクトワール      +―エリザベト
|   [1769-1816]           |  [1791-1831]
|   配:リオレ伯?・ド・ギセイ   +―シャルル・アルマン
|                   |  [1793-1862]
|                   +―マリー
|                   |  [1797-1870]
|                   +―エティエンヌ・メルシオ――+
|                      [1801-1867]       |
|                      配:ルイーズ・ダンドレ |
|                           ・ド・ブルイユ
|+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
||
|+―エミール
||  [1840-1843]
|+―カロリーヌ
||  [1842-1897]
||  配:ポール・ソカル
|+―ルイーズ
||  [1844-1925]
|+―ギュスターヴ
|   [1848-1880]
+―ピエール・ジャン――――――ニコラ・ルネ―――――――――――――+
   [1649-1714]         [1678-1759]             |
   配1)ルネ・ド・クルテル   配:マリー・エリザベト       |
    2)マリー・ド・ミュロー       ・ド・ヴィエンヌ     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―ピエール・ニコラ   +―ジャック2世
|  [1716-1744]     |  [1751-1785]
+―ジャック1世―――――+―ジャンヌ・ド・サン=レミー
|  [1718-1762]        [1756-1791]
|  配:マリー・ジョセル   配:ラ=モット伯マルク
+―シャルル―――――――+―マテュー――――――――――――――――+
   [1720-?]      |  [1745-1787]              |
   配:マルグリット  |  配:フランソワーズ・コルド      |
    ・ド・クレルモン +―エティエンヌ              |
                [1747-1793]              |
                配:シャルル・ルイ・ド・ヴィエンヌ  |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―マテュー――――――――――――――ルイ
   [1786-1857]             [1815-1877]
   配:ヴィルヘルミネ・キンゼルバハ  配:フリーデリケ・デル



 ※ 配は配偶者、1)2)は結婚の順序です。


 この系統はヴァロア朝最後の王アンリ3世の庶弟アンリ・ド・サン=レミーを祖としますが、詳しい情報はほとんどなく上記の系図が主な情報です。ルネ1世の子の代でレミ・セバスティアン系、ピエール系、ピエール・ジャン系の三系統に別れており、ピエール系は19世紀末まで続いていたようです。
 唯一の有名人がピエール・ジャン系のラ=モット伯爵夫人ジャンヌ・ド・ヴァロアで、彼女は「王妃の首飾り事件」で有名ですね。彼女のことは映画などにもなっていますので詳細は省きますが、有罪とされ投獄されるも、民衆からの同情を集め、いつしか監獄から逃亡してイギリスに渡り、「回想録」を出版しマリー・アントワネットの名誉を大いに傷つけました。
 しかしフランス革命下の1791年、精神錯乱の発作で窓から転落死したとのことです。

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