《ヴァロア・オルレアン朝》
●フィリップ6世1)―――――――――+―●ジャンヌ2世"善良王"1)―――――+
[1293-1350] | [1319-1364] |
メーヌ伯(1313/1315-1328) | ノルマンディー公 |
ヴァロア・アンジュー伯(1325-1328) | アンジュー・メーヌ伯 |
フランス王(1328) | (1332-1350) |
| ギュイエンヌ公 |
| (1345-1350) |
| フランス王(1350-1364) |
| 《(第1)ヴァロア・オルレアン家》 |
+―◆フィリップ1)―――――――――+|
[1336-1375] ||
ヴァロア伯(1336/1344) ||
オルレアン公(1344-1375) ||
配:ブランシュ(フランス王 ||
シャルル4世の娘) ||
+―――――――――――――――――+|
| |
+―ルイ |
[?-1397]ボーヴェ司教 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―●シャルル5世"賢明王"1)―――+―●シャルル6世――→ヴァロア朝
[1338-1380] | "最愛王"
王太子(1349-1364)、 | [1368-1422]
ノルマンディー公(1355-1364) | 王太子(1368-1380)
国王代理(1356-1358)、 | フランス王(1380)
王国摂政(1358-1360)、 | 《(第2)ヴァロア・オルレアン家》
フランス王(1364) +―◆ルイ1世―――――――――――+
| [1372-1407] |
| ヴァロア伯(1375/92-1406) |
| ヴァロア公(1406-1406) |
| トゥレーヌ公(1386-1392) |
| オルレアン公(1392) |
| ブロア・デュノア伯(1391/1397) |
| アングレーヌ伯(1394) |
| ペリゴール伯(1400) |
| ドリュー伯(1401) |
| ソワソン伯(1404) |
| ルクセンブルク公(1402) |
| 配:ヴァレンティーナ |
| ・ヴィスコンティ |
| (ミラノ公ジャン・ガレアッツ|
| ォの娘、ヴェルトゥス女伯)|
+―ジャン→ヴァロア・モンテージュ家|
[1363-1409] |
庶子、母はビエット・カシネル |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―◆シャルル1世―――――――――――+―ジャンヌ1)
| [1391-1465] | [1409-1432]
| アングレーム伯(称号)(1400頃-1407) | 配:アランソン公ジャン2世
| オルレアン公(1407) +―マリー3)
| ヴァロア公(1406) | 配:ナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワ
| ブロア伯(1407-1465)他 | 《ヴァロア・オルレアン朝》
| 配1)イザベル(フランス王シャルル +―◆ルイ12世3)―――――――+
| 6世の娘) | ●[1462-1515] |
| 2)ボンヌ(アルマニャック伯ベル | オルレアン公"ルイ2世"、|
| ナール7世の娘) | ヴァロア公、ブロア伯他 |
| 3)マリー(クレーフェ公アドルフ | (1465-1498) |
| ・ド・ラ=マルクの娘) | フランス王(1498) |
+―フィリップ | ミラノ公(1499-1500/ |
| [1396-1420] | 1500-1512) |
| ヴェルトゥス伯(1408) | ナポリ王位要求者 |
+―ジャン"善良伯"→ヴァロア | 配1)ジャンヌ(フランス王|
| [1404-1467] ・アングレーム家 | ルイ11世の娘) |
| アングレーム伯(1407) | 2)ブルターニュ女公アンヌ|
+―マルグリット | (フランス王シャルル8|
| [1406-1466] | 世の寡婦) |
| ヴェルトゥス女伯(1423) | 3)マリー(イギリス王ヘン|
| 配:エタンプ伯リシャール | リー7世の娘) |
+―ジャン――→ヴァロア・ロングヴィル家+―アンヌ3) |
[1402-1468]庶子 [1464-1491] |
ヴァルボネ領主(1421-1439) フォントヴロール女子修道|
デュノワ伯(1439) 院長(1478) |
ロングヴィル伯(1443) サン=クロワ・ド・ポワテ|
ィエ女子修道院長(1485) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―クロード2)
| [1499-1524]
| ブルターニュ女公
| ・ブロア女伯(1514)
| 配:アングレーム伯フランソワ
| のちフランス王フランソワ1世
+―フランソワ2)
| [1503-1503]
| 王太子
+―ルネ2)
| [1510-1575]
| シャルトル女公(1528)
| 配:フェララ・モデナ・ルッジオ公
| エルコーレ2世・デステ
+―ミシェル・ブスィ
[1489-1511]
※ ●はフランス王、◆はオルレアン公、配は配偶者、1) 2) 3)は結婚順ですです。
1498年、直系ヴァロア家最後の王シャルル8世が没すると王位を継いだのは、分家ヴァロア・オルレアン家の当主ルイ2世(のちのルイ12世)でした。
ヴァロア・オルレアン家はフィリップ6世の子フィリップがオルレアン公に叙されたのがはじまりですが、この時はフィリップに嫡子が無くすぐ断絶してしまいました。その後、シャルル5世の子ルイ1世がオルレアン公に叙され、第2のヴァロア・オルレアン家を開きます。1392年に兄である国王シャルル6世が発狂した後、ルイ1世は従兄であるブルゴーニュ公ジャンと実権をめぐって争い、1407年に暗殺されてしまいます。
ルイの後を継いだシャルルはアルマニャック伯の娘をめとってブルゴーニュ公に対抗し、その党派は「アルマニャック派」と呼ばれました。しかし、その対立抗争が影響し、1415年フランス軍はイングランド軍に大敗し、シャルル自身も捕虜となりイングランドに連行されました。
25年間の幽囚生活の後、帰国した彼はシャルル6世と大諸侯たちの間にたち、調停者たろうとしましたが、やがてブロアに隠棲し詩歌の道に専念しました。
シャルルの没後、3歳でオルレアン公位を継いだルイ2世は、国王シャルル8世の没後即位し、国王ルイ12世となりました。彼は、シャルル8世が始めたイタリア戦争を継続し、ミラノを占領しナポリを征服しましたが、イタリア諸都市やイギリス、スペインなどの連合軍に敗れ、イタリア征服の夢は挫折しました。また租税を軽減するなど内政にも意をもちい、〈人民の父〉と呼ばれました。
しかしとうとう後嗣に恵まれず、一族であるヴァロア・アングレーム家のフランソワ1世に王位を継承させ、ヴァロア・オルレアン朝は断絶しました。
《はじめに戻る》