《スペイン・ブルボン朝》
《スペイン・ハプスブルク家》
●フェリペ4世――――+―――――――――――――――――――――――+
[1605-1665] | |
オーストリア大公 +―●カルロス2世 |
アストゥリアス公 [1661-1700] |
スペイン・ナポリ オーストリア大公、アストゥリアス公 |
・シチリア王(1621) スペイン・ナポリ・シチリア王(1665) |
ネーデルラント公(1665) |
《スペイン・ハプスブルク家断絶》 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―マリー・テレーズ
[1638-1683]
‖――――――――――――――――ルイ"グラン・ドーファン"―――+
ルイ14世"大王""太陽王""神授王" [1661-1711] |
[1638-1715]王太子 王太子 |
フランス・ナヴァール王(1643) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―ルイ"プチ・ドーファン"――→ブルボン朝
| [1682-1712]
| ブルゴーニュ公、王太子(1711)
|《スペイン・ブルボン朝》
+―●フェリペ5世――――――――――――――――――――――――――+
| [1683-1746] |
| アンジュー公フィリップ(1683-1700) |
| スペイン王(1700-1724/1724-1746) |
| ナポリ・シチリア王(1700-1713) |
| 配1)マリア・ルイーサ |
| (サルディニア王ヴィットリオ・アメデオ2世の娘) |
| 2)エリザベッタ・マリア・ファルネーゼ |
| (パルマ公オドアルド2世の娘) |
+―シャルル |
[1686-1714]ベリー公 |
アランソン・アングレーム公(1710) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―●ルイス1世1)
| [1707-1724]
| アストゥリアス公
| スペイン王(1724.1-8)
| 配:ルイーサ・イザベラ
| (オルレアン公フィリップ2世の娘)
+―●フェルナンド6世1)
| [1713-1759]
| アストゥリアス公(1724-1746)
| スペイン王(1746)
| 配:マリーア・マグダレナ
| (ポルトガル王ジョアン5世の娘)
+―●カルロス3世2)―――――――――――――――――――――――――+
| [1716-1788] |
| パルマ・ピアチェンツァ公"カルロ1世"(1731-1737) |
| ナポリ王"カルロ4世"(1735-38-59) |
| スペイン王(1759) |
| 配:マリア・アメリア |
| (ザクセン選帝侯・ポーランド王フリードリヒ・アウグスト2世の娘)|
+―マリア・アンナ・ヴィットリア2) |
| [1718-1781] |
| 配:ポルトガル王ジョーゼ1世 |
+―ドン・フェリペ2)――→ブルボン・パルマ家 |
| [1720-1765] |
| パルマ・ピアチェンツァ公、グアスタラ公(1748) |
+―マリーア・テレーサ2) |
| [1726-1746] |
| 配:フランス王太子ルイ・ド・ブルボン(ルイ15世の長男) |
+―ルイス・アントニオ――――――+―ルイス |
| [1727-1785] | [1777-1823] |
| チンチョン伯 +―マリア・テレーサ |
| 配:マリア・テレーサ | [1779-1828] |
| ・デ・ヴィリャブリガ | 配:アルクディア公 |
+―マリア・アントニア | マヌエル・デ・ゴドイ |
[1729-1785] +―ルイーサ |
配:サルディニア王 [1780-1846] |
ヴィットリオ・アメデオ3世 配:ホアキム・デ・メルハヘロ |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―マリア・ホセフィーナ
| [1744-1801]
+―マリア・ルイーサ
| [1745-1792]
| 配:ローマ皇帝レオポルト2世
+―フェリペ・パスカル・アントニオ
| [1747-1777]
| カラブリア公
+―●カルロス4世――――――――――――――――――――――――――+
| [1748-1819] |
| タラント公のちアストゥリアス公(1759-1788) |
| スペイン王(1788-1808) |
| 配:マリア・ルイーサ(パルマ公フィリッポの娘) |
+―フェルディナンド1世――→ブルボン・ナポリ家 |
| [1751-1825] (ブルボン・アンジュー・シチリア家) |
| ナポリ王"フェルディナンド4世"(1759-1799/1799-1806/1815-1816) |
| シチリア王"フェルディナンド3世"(1759-1816) |
| 両シチリア王(1816) |
+―ガブリエル――→マルチェナ・ドゥルカル・アンソラ・エルナニ公爵家 |
| [1752-1788] |
| マルチェナ・ドゥルカル・アンソラ・エルナニ公 |
+―アントニオ・パスカル |
| [1755-1817] |
| 配:姪マリア・アメリア(スペイン王カルロス4世の娘) |
+―フランシスコ・ハビエル |
[1757-1771] |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―カルロッタ・ホアキマ
| [1775-1830]
| 配:ポルトガル王ジョアン6世
+―マリア・アメリア
| [1779-1798]
| 配:叔父スペイン王子アントニオ・パスカル
+―マリア・ルイーサ
| [1782-1824]
| 配:エトルリア王ルドヴィコ1世
+―●フェルナンド7世――――――――――――――――――――――――+
| [1784-1833] |
| アストゥリアス公(1788-1808) |
| スペイン王(1808,1813-1833) |
| 配1)従妹マリア・アントニア(両シチリア王フェルディナンド1世の娘)|
| 2)姪マリア・イザベル(ポルトガル王ジョアン6世の娘) |
| 3)マリア・ホセフィーナ(ザクセン公マクシミリアンの娘) |
| 4)姪マリア・クリスティーナ(両シチリア王フランチェスコ1世の娘,|
| 摂政[1833-1840]) |
+―▼ドン・カルロス1世(5世)――→王位要求者カルリスタ家 |
| [1788-1855]ドン・カルロス・マリア・デ・ロス・ドロレス・ファン・ |
| イシドロ・ホセ・フランシスコ・クイリノ・ミゲル・ガブリエル・ラフ|
| ァエル・デ・ボルボン |
| スペイン王位要求者"カルロス5世"(1833-1845)、モリナ伯(1845) |
+―マリア・イザベル |
| [1789-1848] |
| 配1)従兄両シチリア王フランチェスコ1世 |
| 2)バルザノ伯フランシスコ |
+―フランシスコ・デ・パウラ・アントニオ――→セヴィリア公爵家 |
[1794-1865] |
カディス公 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―●イザベル2世4)―――――――――――――――――――――――――+
| [1830-1904]マリア・イザベル・ルイーサ |
| スペイン女王(1833-1868) |
| 革命により打倒される(1868) |
| 配:従兄フランシスコ・デ・アシス |
| (カディス公フランシスコデ・パウラ・アントニオの子) |
+―マリア・ルイーサ・フェルナンダ4) |
[1832-1897]"インファンタ・フェルナンダ" |
配:モンパンシェ公アントワーヌ・ドルレアン |
(フランス王ルイ・フィリップ1世の子) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―マリア・イザベル
| [1851-1931]
| アストゥリアス女公(1851-1857,1870-1880)
| 配:アグリジェンティ伯ガエタノ
| (両シチリア王フェルディナンド2世の子)
+―●アルフォンソ12世――――――――――――――――――――――――+
| [1857-1885]フランシスコ・デ・アシス・フェルナンド・ピオ・ファン |
| ・マリア・グレゴリオ・ペラヨ |
| アストゥリアス公、スペイン王(1870/1874) |
| 配1)従妹マリア・メルセデス |
| (モンパンシェ公アントワーヌ・ドルレアンの娘) |
| 2)マリア・クリスティーナ(オーストリア大公カール・フェルディナ|
| ントの娘,摂政[1885-1902]) |
+―マリア |
| [1862-1946] |
| 配:バイエルン王太子ルードヴィヒ・フェルディナント |
+―マリア・エウラリア |
[1864-1958] |
配:従弟ガリエラ公アントニオ・ディ・オルレアン |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―マリア・メルセデス2)
| [1880-1904]
| 配:両シチリア王子マドリッド公カルロ・ディ・ブルボン
+―マリア・テレーサ2)
| [1882-1912]
| 配:バイエルン王太子フェルディナント・マリー
+―●アルフォンソ13世2)―――――――――――――――――――――――+
◆[1886-1941]父の死後生まれる |
スペイン王(1886-1931) |
革命により打倒される(1931) |
ブルボン家家長"アルフォンス1世"(1936) |
配:ヴィットリア・エウヘニア・フリア |
(バテンベルク公ハインリヒの娘) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―アルフォンソ
| [1906-1938]
| アストゥリアス公(1907-1933)
| カヴァドンガ伯
| 配1)エデルミラ・サン=ペドロ・オケホ
| 2)マルタ・ロカフォール
| 《アンジュー公爵家》
+―◆ドン・ハイメ・エンリケ―――――――――――――――――――――+
| [1908-1975] |
| セゴヴィア公(1935)、アンジュー公(1946) |
| スペイン王位継承権放棄(1933) |
| ブルボン家家長"アンリ6世"(1941) |
| 配1)エマニュエル・ド・ダンピエール |
| 2)シャルロット・ティーデマン |
|+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
||
|+―◆アルフォンソ・ハイメ1)――――――――――――――――――――+
|| [1936-1989] |
|| ブルボン・ブルゴーニュ公 |
|| カディス公(1972)、アンジュー公(1975) |
|| ブルボン家家長"アルフォンス2世"(1975) |
|| 配:マリア・カルメル・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ |
||+――――――――――――――――――――――――――――――――+
|||
||+―フランシスコ
||| [1972-1984]
||| ブルターニュ・ブルボン公
||+―◆ルイス・アルフォンソ
|| [1974- ]
|| アンジュー公、ブルボン家家長"ルイ20世"(1989)
|+―ゴンザロ・ヴィクトル1)――――――――エステファニア
| [1937-2000]カルロス・ゴンザルヴ [1968- ]
| アキテーヌ公(1972) 配:リチャード・マクマスターズ
| 配1)マリー・モンテアレグレ
| 2)マリー・リセル・イ・ガルシア
| 3)エマニュエル・プラトロンゴ
+―ベアトリス
| [1909-2002]
| 配:シヴィテルラ・セシ公アレッサンドロ・ディ・トルロニア
+―マリア・クリスティーナ
| [1911-1996]
| 配:マローネ伯エンリコ・エウヘニオ
+―▼ドン・ファン――――――――――――――――――――――――――+
| [1913-1993] |
| アストゥリアス公(1933-1941) |
| スペイン王位要求者"ファン3世"(1941-1977) |
| バルセロナ伯(1941) |
| 配:マリア・デ・ラス・メルセデス |
| (両シチリア王子マドリッド公カルロの娘) |
+―ゴンザロ |
[1914-1934]スペイン王子 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―マリア・デル・ピラール
| [1936- ]
| バダホス女公
| 配:トーレ子爵ルイス・ゴメス・アセボ
+―●ファン・カルロス1世――――――――――――――――――――――+
| [1938- ] |
| アストゥリアス公(1941) |
| スペイン王子(1969-1975)、スペイン王(1975) |
| 配:ソフィア(ギリシア王パウロス1世の娘) |
+―マルガリータ |
| [1939- ] |
| 配:カルロス・ズーリタ・イ・デルガド |
+―アルフォンソ |
[1941-1956] |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―エレーナ
| [1963- ]
| 配:ハイメ・マリチャラル・ルゴ
+―クリスティーナ
| [1965- ]
| 配:イナキ・ウルダンハリン
+―フェリペ
[1968- ]
アストゥリアス公
※ ●はスペイン王、▼はスペイン王位要求者、◆はブルボン家家長、配は配偶者、1) 2) 3)は結婚順です。
スペイン・ハプスブルク家の最後の王カルロス2世は病弱で子どもができなかったので(夫婦生活ができなかった)、その生前からその王位継承をめぐって血縁関係からフランス王ルイ14世、ドイツ皇帝レオポルト1世、バイエルン選帝侯ヨーゼフ・フェルディナントがその相続権を主張しました。
スペインがフランス、オーストリアのいずれにも併合されるのをおそれたイギリスは密かにスペイン領の分割をフランス、オーストリアと策したが実現せず、1700年にカルロス2世は死亡しました。ルイ14世はスペイン宮廷を操り、孫のアンジュー公をフェリペ5世として即位させるのに成功しました。これに対し、イギリス、オーストリア、オランダが同盟、フランス側にはサヴォイ公、バイエルン選帝侯などが同盟し、スペイン継承戦争が起こりました。
戦争は長く続き、1712年にユトレヒトで和平会議が開かれ、ユトレヒト条約が結ばれました。その結果、フェリペ5世のスペイン王位は認められました(フランス王位との兼位は禁止)が、ネーデルラント、ジブラルタル、イタリア領を失
いました。
彼は1724年に一旦息子のルイス1世に王位を譲りましたが、数ヶ月で没したため復位、その後パルマ、ナポリ、シチリアを回復しました。
フェリペ5世の死後、次男のフェルナンド6世が王位を継承しましたが、彼も在位13年で死亡、弟でナポリ王となっていたカルロス3世が王位を継承しました。彼は啓蒙的専制君主として行政改革、農業改革を行い、七年戦争にも参加しました。
その死後は息子のカルロス4世が王位を継承しましたが、彼は精神薄弱で王妃マリア・ルイーサの政治関与を許し、彼の寵臣で王妃の愛人ゴドイを宰相としました。フランス革命に際しては革命政府と戦いました。しかし王太子のフェルナンドは父王及び宰相ゴドイに反抗して親ナポレオン的立場を取り、父王を退位させて自ら即位しフェルナンド7世となりましたが、フランス軍により退位させられ、フランスに幽閉されました。
彼はナポレオン没落により復位し反動政治を敷きましたが、キューバを除く南北アメリカの植民地を失い、国際的地位を失墜させました。また、第4王妃マリア・クリスティナの影響下にあり、その娘イザベル(2世)のためにサリカ法を廃止しイザベルを王位継承者としましたが、それを不満とした弟カルロスは内乱を起こし王位継承に挑戦してきました。(カルリスタ戦争)
イザベル2世は母后の摂政の下に即位、叔父ドン・カルロスの反乱も自由主義者の支持により鎮定しましたが、その後反動化し反乱、陰謀の連続に脅かされ、従兄のフランシスコ・デ・アシスと結婚しました。1868年、サラノ、トペテらのクーデターによってイザベル2世はパリに亡命し1868年に廃位されました。
イザベル2世が革命で亡命すると、スペインは共和制となりましたが、1870年にはイタリア王ヴィットリオ・エマヌエレ2世の第2子アオスタ公アメデオを国王に迎えました。しかし、共和派の反対、カルロス党の蜂起により彼は退位し、
カンポス将軍の支持のもと、イザベル2世の息子アルフォンソ12世が即位しました。
彼は、カルロス党の反乱を鎮圧したのち、新憲法を制定、保守的政策をとりました。1879年にマリア・クリスティーナと結婚しましたが、1885年に死去しました。
彼の死後、マリア・クリスティーナはアルフォンソ13世を出産、アルフォンソは直ちに即位しマリアを摂政としました。1902年に親政を開始、イギリスのヴィクトリア女王の孫ヴィクトリアを王妃として迎えました。第一次大戦には中立を
守り、スペイン産業は好景気を見ましたが、やがて経済危機、政治危機を迎え、1931年には共和革命が実現し、アルフォンソはフランスに逃れました。やがて彼はイタリアに行き復位工作を続けましたが、亡命中にカルリスタが保持していた「ブルボン家家長」の称号を継承し、フランス王位をも主張し「アルフォンス1世」を名乗りました。
彼には4人の息子がいましたが、長男で王太子だったアルフォンソは身分違いの結婚のために王位継承権を放棄、次男ハイメは聾唖だったため、スペインの慣習(身体に障害のある者は、王位に就けない)により、これも継承権を放棄、三男のファンがスペイン王位継承権を引き継ぎました。
父の死後、ファン(3世)は「バルセロナ伯」を名乗り王政回復を目指します。しかし、フランコ政権との交渉によって王政回復は勝ち取りますが、フランコの死後「スペイン王」となるのは彼の息子であるファン・カルロスであるという条件付きでした。彼は王政回復のため、その条件を受け入れ、1975年にフランコが死亡すると、ファン・カルロス(1世)が即位し王政復古がなりました。
ファン・カルロス1世は、その後ギリシア王女ソフィアと結婚し、王太子であるアストゥリアス公フェリペをはじめ一男三女もうけ、スペインの現国王として活躍中です。
一方、アルフォンソ13世がカルリスタから引き継いだ「ブルボン家家長」の称号は彼の次男であるハイメの子孫に引き継がれ、ハイメの孫のアンジュー公ルイス・アルフォンソが現当主です。
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