《ブルボン朝》
《ブルボン朝》
アントワーヌ―――――――――+―●アンリ4世――――――――――――+
[1518-1562] | [1553-1610] |
ヴァンドーム公 | ヴァンドーム公(1562-1589) |
ブルボン公(1537) | ナヴァール王"アンリ3世"(1572) |
ボーモン公(1550) | フランス王(1589) |
ナヴァール王(1555) | 配1)マルグリット・ド・ヴァロア |
配:ナヴァール女王 | (フランス王アンリ2世の娘) |
ジャンヌ3世・ダルブレ | 2)マリー・ド・メディシス |
| (トスカナ大公フランチェスコ |
| 1世の娘) |
+―ルイ・シャルル |
| [1555-1557] |
| マルル伯 |
+―マドレーヌ |
| [1557-1557] |
+―カトリーヌ |
| [1558-1604] |
| ナヴァール女王 |
| アルブレ女公 |
| アルマニャック女伯 |
| 配:ロレーヌ公 |
| アンリ2世・ド・ロレーヌ |
+―シャルル |
[1555-1610]庶子 |
コミンジュ司教(1569-1579) |
レクトゥール司教(1590-1594) |
ルーアン大司教(1594-1604) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―●ルイ13世"正義王"2)―――――――――――――――――――――――+
| [1601-1643]王太子 |
| フランス・ナヴァール王(1610) |
| 配:アンヌ・ドートリッシュ |
| (スペイン王フェリペ3世の娘) |
+―エリーザベト2) |
| [1602-1644] |
| 配:スペイン王フェリペ4世 |
+―マリー・クリスティーヌ2) |
| [1606-1663] |
| 配:サヴォイ公ヴィットリオ・アメデオ1世 |
+―ニコラス2) |
| [1607-1611] |
| オルレアン公(1607) |
| 《(第3)オルレアン家》 |
+―ガストン・ジャン・バプティスト2)――――――――――――――――+|
| [1608-1660] ||
| アンジュー公、オルレアン公(1626) ||
| ヴァロア・シャルトル・アランソン公 ||
| 配:1)モンパンシェ女公マリー ||
| 2)マルグリット(ロレーヌ公フランソワ2世の娘) ||
|+――――――――――――――――――――――――――――――――+|
|| |
|+―ジャン・ガストン |
|| [?-1652] |
|+―アンヌ・マリー・ルイーズ1) |
|| [1627-1693] |
|| 《大内親王》モンパンシェ女公(1627)、ウー女伯(1660-1681) |
|| ジョアンヴィル女公(1688/89)etc. |
|| 配:ローズン伯のち公アントナン・ノンパール・ド・コーモン |
|| 〈彼女の公領と遺産は従弟のオルレアン公フィリップに遺贈される〉|
|+―マルグリット・ルイーズ2) |
|| [1645-1721]《オルレアン内親王》 |
|| 配:トスカナ大公コージモ3世 |
|+―エリーザベト2) |
|| [1646-1696]《アランソン内親王》 |
|| 配:ギーズ公ルイ・ジョゼフ・ド・ロレーヌ |
|+―フランソワーズ・マドレーヌ2) |
| [1648-1664]《ヴァロア内親王》 |
| 配:サヴォイア公カルロ・エマヌエレ2世 |
+―アンリエット・マリー2) |
| [1609-1669] |
| 配:イギリス王チャールズ1世 |
+―セザール―――→ヴァンドーム家 |
| [1594-1665]庶子 |
| 母ボーフォール公爵夫人ガブリエル・デストゥレ |
| 準嫡子(1594)、ヴァンドーム公(1598) |
| ボーフォール・エタンプ公(1599) |
+―カトリーヌ・アンリエット |
| [1596-1663]庶子、母ボーフォール公爵夫人、準嫡子(1597) |
| 配:エルブーフ公シャルル2世・ド・ロレーヌ |
+―アレクサンドル |
| [1598-1629]庶子、母ボーフォール公爵夫人 |
| 準嫡子(1599)、フランス大修道院長 |
+―ガストン・アンリ |
| [1601-1692]庶子 |
| 母ヴェルヌーユ侯爵夫人カトリーヌ・アンリエット |
| ・バルザック=ダントラーグ |
| 準嫡子(1603)、ヴェルヌーユ騎士爵のち侯爵 |
| のち公爵(1663)、メッツ司教 |
| 配:シャルロット・セギュイユ |
| (ヴィルモール公ピエール・セギュイユの娘) |
+―ガブリエル・アンジェリク |
| [1603-1627]庶子、母ヴェルヌーユ侯爵夫人、準嫡子 |
| 配:エペルノン・ラ=ヴァレット公 |
| ベルナール・ド・ノガレ・ラ=ヴァレット |
+―アントワーヌ |
| [1607-1632]庶子 |
| 母モレ伯爵夫人ジャクリーヌ・ド・ブエール |
| 準嫡子(1608)、モレ伯 |
| サン=エティエンヌ・ド・セン大修道院長 |
+―ジャンヌ・バプティスト |
| [1608-1670]庶子 |
| 母ロモランタン伯爵夫人 |
| シャルロット・ド・エサール |
| 準嫡子(1608) |
| フォントヴロール女子修道院長 |
+―マリー・アンリエット |
[1609頃-1629]庶子、母ロモランタン伯爵夫人 |
シェル女子修道院長(1627) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―●ルイ14世"大王""太陽王""神授王"―――――――――――――――――+
| [1638-1715]王太子 |
| フランス・ナヴァール王(1643) |
| 配1)マリー・テレーズ |
| (スペイン王フェリペ4世の娘) |
| 2)マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービーニュ |
| (秘密に) |
+―フィリップ1世―――→(第4)ルレアン家、オルレアン朝 |
[1640-1701] |
アンジュー公(1640-1660) |
オルレアン・シャルトル・ヴァロア公(1661) |
ヌムール公(1672)、モンパンシェ公・オーヴェルニュ侯(1693/1695) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―ルイ"グラン・ドーファン"1)――――――――――――――――――――+
| [1661-1711]王太子 |
| 配:マリー・アンヌ・クリスティーヌ |
| (バイエルン選帝侯フェルディナント・マリアの娘) |
+―アンヌ・エリーザベト1) |
| [1662-1662] |
+―マリー・アンヌ1) |
| [1664-1664] |
+―マリー・テレーズ1) |
| [1667-1672] |
+―フィリップ1) |
| [1668-1671]アンジュー公 |
+―ルイ・フランソワ1) |
| [1672-1672]アンジュー公 |
+―シャルル |
| [1663-1665]庶子、母ラ=ヴァリエール公爵夫人 |
| ルイーズ・フランソワーズ・ド・ラ・ボーム・ル・ブラン |
+―ルイ |
| [1665-1666]庶子、母ラ=ヴァリエール公爵夫人 |
+―フィリップ |
| [1665-1666]庶子、母ラ=ヴァリエール公爵夫人 |
+―マリー・アンヌ |
| [1666-1739]庶子、母ラ=ヴァリエール公爵夫人 |
| 準嫡子(1667)、《ブロア内親王》、ラ=ヴァリエール公爵夫人 |
| 配:コンティ公ルイ・アルマン1世 |
+―ルイ |
| [1667-1683]庶子、母ラ=ヴァリエール公爵夫人 |
| 準嫡子(1669)、ヴェルマンドア伯、フランス海軍司令長官 |
| 《メーヌ家》 |
+―ルイ・オーギュスト―――――――――――――――――――――――+|
| [1670-1736]庶子、母モンテスパン侯爵夫人 ||
| フランソワーズ・アテナイス・ド・ロシュシュワル ||
| 準嫡子(1673)、メーヌ公(1673)、ドンブ公、ウー伯(1681) ||
| オーマル公(1686) ||
| 配:アンヌ・ルイーズ・ベネディクト《シャロレー内親王》 ||
| (コンデ公アンリ・ジュールの娘) ||
| +―――――――――――――――――――+|
| | |
| +―ルイ・コンスタンタン |
| | [1695-1698] |
| +―ルイ・オーギュスト |
| | [1700-1755]ドンブ公 |
| +―ルイ・シャルル |
| | [1701-1775]ウー伯 |
| +―シャルル |
| | [1704-1708] |
| +―ルイーズ・フランソワーズ |
| [1707-1743]《メーヌ内親王》 |
+―ルイ・セザール |
| [1672-1683]庶子、母モンテスパン侯爵夫人 |
| 準嫡子(1673)、ヴェクシン伯 |
| サン・ドニ及びサン・ジェルマン・デプレ修道院長 |
+―ルイーズ・フランソワーズ |
| [1673-1743]庶子、母モンテスパン侯爵夫人 |
| 準嫡子(1673)、《ナント内親王》 |
| 配:コンデ公ルイ3世 |
+―《トゥール内親王》 |
| [1674-1681]庶子、母モンテスパン侯爵夫人 |
+―フランソワーズ・マリー |
| [1677-1749]庶子、母モンテスパン侯爵夫人 |
| 準嫡子(1681)、《ブロア内親王》 |
| 配:オルレアン公フィリップ2世 |
+―ルイ・アレクサンドル――→パンティエヴル家(トゥールーズ家) |
[1678-1737]庶子、母モンテスパン侯爵夫人 |
準嫡子(1681)、トゥールーズ伯(1681)、パンティエヴル公(1697) |
ランブイエ公(1711)、フランス海軍司令長官 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―ルイ"プチ・ドーファン"――――――――――――――――――――――+
| [1682-1712] |
| ブルゴーニュ公、王太子(1711) |
| 配:マリー・アデレイド |
| (サルディニア王ヴィットリオ・アメデオ2世の娘) |
+―フェリペ5世―――→スペイン・ブルボン家 |
| [1683-1746] |
| アンジュー公フィリップ(1683-1700) |
| スペイン王(1700-1724/1724-1746) |
| ナポリ・シチリア王(1700-1713) |
| 《ベリー家》 |
+―シャルル――――――――――――――――――+―シャルル |
[1686-1714] | [1713-1713] |
ベリー公、アランソン・アングレーム公(1710)| アランソン公 |
配:マリー・ルイーズ・エリーザベト +―マリー・ルイーズ |
(オルレアン公フィリップ2世の娘) ・エリーザベト |
[1714-1714] |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―ルイ
| [1704-1705]
| ブルターニュ公
+―ルイ
| [1707-1712]
| ブルターニュ公
| 王太子(1712)
+―●ルイ15世"最愛王""親民王"――――――――――――――――――――+
[1710-1774] |
アンジュー公、王太子(1712-1715) |
フランス・ナヴァール王(1715) |
配:マリー・レシチンスカ |
(ポーランド王のちロレーヌ公 |
スタニスラフ1世レシチンスキーの娘) |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―ルイーズ・エリーザベト
| [1727-1759]
| 配:スペイン王子・パルマ公
| ドン・フェリペ
+―アンリエット・アンヌ
| [1727-1752]
| ルイーズ・アンリエットと双子
+―マリー・ルイーズ
| [1728-1733]
+―ルイ―――――――――――――――――――――――――――――――+
| [1729-1765]王太子 |
| 配1)マリー・テレーズ(スペイン王フェリペ5世の娘) |
| 2)マリー・ジョゼフィーヌ |
| (ザクセン選帝侯・ポーランド王フリードリヒ・アウグスト2世の娘)|
+―フィリップ・ルイ |
| [1730-1733] |
| アンジュー公 |
+―マリー・アデライド |
| [1732-1800] |
+―ルイーズ・マリー・テレーズ |
| [1733-1799] |
+―ソフィー・フィリッピヌ |
| [1734-1782] |
+―テレーズ・フェリシテ +―シャルル―――――――――――+|
| [1736-1744] | [1765-1806] ||
+―ルイーズ・マリー | 配:マリー・マルト・ガブリエ||
| [1737-1787] | ル・ド・ルヴァス ||
| カルメル派の尼僧となる | ||
+―シャルル・エマニュエル――――+―アデライド ||
| [1741-1814]庶子 | [1767-1828] ||
| 母ポリーヌ・ド・ネスル | 配:アンリ・ド・ロスタンジュ||
| 配:マリー・マルグリット・ +―ルイーズ ||
| カステラーヌ=エスパロン [1767-1825] ||
| 配:ジャン・バプティスト・ド||
+―アニェス・ルイーズ ・フェリクス・ドリエル ||
| [1760-1837] +――――――――――――――――+|
| 母マルグリット・エノー | |
| 配:ガスパル・ダロッド・ド +―カロリーヌ |
| ・モンメラ | [1785-1810] |
+―アンヌ・ルイーズ | 配:ルイ・ヴィクトル・デ・アク|
| [1762-1831] | レ・ド・レグル |
| 母マルグリット・エノー +―マリー・フランソワーズ |
| 配:ルネ・ギヨーム・デュ | [1787-1862] |
| ・ギュスラン | 配1)グレフュール伯ジャン |
+―ルイ・エメ | 2)セグル伯フィリップ |
| [1762-1787] +―フィデル |
| 母アンヌ・クピエ・ド・ロマン [1789-1864] |
+―アニェス・オーギュスト 配:アレクサンドル |
| [1761-1822] ・ド・ジラルダン |
| 母ルーシイ・マドレーヌ・デステーン |
| 配:シャルル・ド・ボワスル |
+―アフロディテ・オーギュスト |
| [1763-1819] |
| 母ルーシイ・マドレーヌ・デステーン |
| 配:ジュール・ド・ボワスル |
+―ルイ―――――――――――――――+―ルイーズ・アマブル |
[1755-1813] | [1786-1849] |
ナルボンヌ伯 | 配:ソブラル伯エルマン |
母フランソワーズ・ド・シャリュー+―マリー・アデライド |
配:マリー・アデライド [1790-1856] |
・ド・モントロン 配:クロード・フィリベール|
・ド・ランブトー |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―マリー・テレーズ1) +―マリー・テレーズ
| [1746-1748] | ・シャルロット
+―マリ・ジョゼフィーヌ2) | [1778-1851]
| [1750-1755] | 《マダム・ロワイヤル》
+―ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ2) | 配:従兄アングレーム公
| [1751-1761] | ルイ(19世)
| ブルゴーニュ公 +―ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ
+―ルイ・フランソワ・グザヴィエ2) | [1781-1789]
| [1753-1754] | 王太子
| アキテーヌ公 |
+―●ルイ16世2)―――――――――――――――+―◆ルイ《17世》
| [1754-1793]ルイ・オーギュスト | [1785-1795]
| ベリー公、王太子(1765-1774) | ルイ・シャルル
| フランス・ナヴァール王(1774-1791) | ノルマンディー公
| フランス人の王(1791-1792) | 王太子(1789-1793)
| 配:マリー・アントワネット | フランス・ナヴァール王(称号)
| (ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女| (1793-1795)
| 大公マリア・テレジアの娘) +―ソフィー・エレーヌ・ベアトリス
+―●ルイ18世2) [1786-1787]
| [1755-1824]
| ルイ・グザヴィエ・スタニスラス
| プロヴァンス伯
| フランス・ナヴァール王(称号)(1795-1814)
| フランス・ナヴァール王(1814-1815/1815-1824)
| 配:マリー・ジョゼフィーヌ・ルイーズ
| (サルディニア王ヴィットリオ・アマデオ3世の娘)
+―●シャルル10世2)―――――――――――――――――――――――――+
| [1757-1836] |
| アルトワ伯 |
| フランス・ナヴァール王(1824-1830) |
| 配:マリー・テレーズ |
| (サルディニア王ヴィットリオ・アマデオ3世の娘) |
+―マリー・クロティルダ2) |
| [1759-1802] |
| 配:サルディニア王カルロ・エマヌエレ4世 |
+―エリーザベト2) |
[1737-1794] |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―◆ルイ《19世》
| [1775-1844]
| ルイ・アントワーヌ
| アングレーム公
| 王太子(1824-1830)
| 配:マリー・テレーズ・シャルロット
| (フランス王ルイ16世の娘)
+―ソフィー
| [1776-1783]
+―シャルル・フェルディナン―――――――――――――――――――――+
[1778-1820]ベリー公 |
配1)マリー・カロリーヌ・フェルナンダ・テレーズ |
(両シチリア王フランチェスコ1世の娘) |
2)アミイ・ブラウン |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+―ルイーズ・エリーザベト1)
| [1817-1819]
+―ルイ
| [1818-1818]
+―ルイーズ・マリー・ダルトワ
| [1819-1864]
| パルマ摂政(1854-1859)
| 配:スペイン王子・パルマ公カルロ3世
+―◆アンリ《5世》
[1820-1883]
アンリ・シャルル・ダルトワ
ボルドー公、シャンボール伯、
フランス王位継承者
配:マリー・ルイーズ・テレーズ
(モデナ公・オーストリア=エステ大公フランチェスコ4世の娘)
子供なし〈ブルボン宗家断絶〉
※ ●はフランス・ナヴァール王、◆はフランス・ナヴァール王位継承権者
配は配偶者、1) 2) 3)は結婚順です。
いよいよ真打ち、ブルボン朝の登場です。アンリ4世に始まるフランスの第三王朝です。(メロヴィング朝から数えたら第五王朝だけど...)
旧教に改宗しユグノー戦争をおさめたアンリ4世でしたが、旧教徒に暗殺されルイ13世が9歳で即位しました。彼の治世はリシュリューを宰相としてユグノー派の弾圧、貴族勢力の粉砕、国際的位置の向上の3政策を強行し、絶対主義確立を目指しました。
その子ルイ14世は5歳で即位し、母后アンヌ・ドートリッシュの摂政期には宰相マザランが政権を握り、マザランの死後は親政を開始しブルボン家絶対主義の完成期を迎えました。しかし、一方ではユグノー派迫害や農民に対する封建的支配の強化、あるいは戦費・土木建築費の負担増により生産力の減退を招き、その晩年には絶対主義の矛盾が表面化してきました。
彼はまた家庭的には不幸で、後継者である息子・孫・曾孫が次々と没し、彼の死後王位を継承したのは曾孫であるルイ15世でした。
彼の治世は、最初平和政策を取りましたが、ポーランド継承戦争・オーストリア継承戦争などに関わり、多くの領土を失い、財政難を招き、絶対主義解体の兆候が見えてきました。
そして孫のルイ16世が王位を継承してからは、テュルゴー等の自由主義的改革が行われましたが、いずれも封建的反動により挫折し、遂にフランス革命を引き起こすに至りました。彼は断頭台に消え、彼の息子ルイを王党派は<ルイ17世>として仰ぎましたが、彼も謎の死を遂げ、ルイ16世の弟プロヴァンス伯がルイ18世を称しました。
彼は、ナポレオン失脚後、フランス王位につき穏健な政治を行いましたが、甥ベリー公の暗殺を契機に反動化し、彼の死後王位を継いだ弟シャルル10世も絶対制復活を計りました。そのためついに七月革命が勃発し、シャルルは退位してイギリスに亡命、6年後イタリアで没しました。
シャルルの長子で王太子であったアングレーム公ルイ・アントワーヌはイタリアに亡命し、王位継承権を放棄しましたが、ブルボン正統派は彼を<ルイ19世>と呼びました。
アングレーム公の死後は、彼の甥シャンボール伯(ボルドー公)アンリが王位要求者となり、<アンリ5世>と呼ばれました。
第三共和制初期には、王政復古を目指し、オルレアン派とブルボン正統派は合同を計り、オルレアン家当主・パリ伯が彼をフランス王と認めましたが、シャンボール伯は三色旗を認めず、白旗を主張したため、合同は破れ、王政復古の歴史的機会は去ってしまいました。
シャンボール伯は1883年に後嗣なく没したので、ブルボン宗家は断絶し、王位継承権はオルレアン家に引き継がれました。
ブルボン朝から枝分かれした支流諸家は数多くありましたが、スペイン王位を継承したスペイン・ブルボン家、ブルボン宗家のあと王位継承権を引き継いだオルレアン家をのぞくと短命に終わりました。アンリ4世の三男ガストンを祖とするオルレアン家は女子しかなく一代で断絶しましたし、ルイ14世の孫シャルルを祖とするベリー家も嗣子が早世し一代で断絶しました。
また、アンリ4世・ルイ14世・ルイ15世には数多くの寵姫があり(ルイ14世のラ=ヴァリエール公爵夫人、モンテスパン侯爵夫人らは有名)、彼女らが生んだ庶子も数多くいましたが、アンリ4世の庶子セザールを祖とするヴァンドーム家は三代で、ルイ14世の庶子ルイ・オーギュストを祖とするメーヌ家は二代で、同じくルイ14世の庶子ルイ・アレクサンドルを祖とするパンティエヴル家も三代で断絶してしまいました。
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