チンギスハーン(1162年−1227年)


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Last Update: 2001/03/03


 ハーン(頭領)になるまでの名前はテムジン(鉄木真)。
1162年ブルカン嶽麓でモンゴル族ボルジギン氏族の頭領エスゲイと
妻ホエルンとの間に長男として生まれました。

弟3人(カサル、カチグン、テムゲ)、妹1人(テムルン)の5人兄弟。
9歳でボルテ(10歳)と結婚。13歳の時エスゲイが暗殺され路頭に迷いましたが、
徐々に頭角をあらわし、1189年にモンゴル族のハーンとなりました。

1194年からモンゴル高原の有力部族ジャダランのジャムカ、
ケレイトのトオリルハーン、ナイマンのタヤンハーン等を破り、
1206年高原の覇者となり、チンギスハーン(偉大なる王者)と名乗りました。

その後、1209年西夏国(現在の中国西部)を攻め、
続いて1211年に万里の長城を初めて破り、5年間で金国全域をほぼ制圧しました。

さらに1219年から1225年にかけて西方へ大遠征し、
ホラズム(現在のウズベキスタン等)やオロス(現在のロシア)を支配下にし、
中国からカスピ海沿岸までの大帝国を築きました。

 モンゴル軍は騎馬軍団でスピードがあり、戦いに明け暮れていたため
他国の軍隊より強く、斥候からの情報により常に相手を攻略する
兵器の開発に余念がなかったため、無敵でした。
また、抵抗するものは徹底的に殺戮、破壊し、この噂を流しながら進軍しました。

 チンギスハーンは1226年から再度西夏国、金国へ進攻し、
遠征中の1227年8月金国六盤山で死去、まさに戦い続けた一生を終えました。

 正妻ボルテとの間にジュチ、チャプタイ、オゴタイ、ツルイ、
ゴジン・ベキ(女)の5人の子がありました。

 チンギスハーンは三男オゴタイを後継者とすることを生前に決定していたため、
紛争もなくチンギスハーン死後も領土を拡大しました。

 その後、ハーンは孫の代になりグユク(オゴタイの長男)、
モンケ(ツルイの長男)と続き、フビライ(ツルイの次男:元の初代皇帝)の
時代(13世紀後半)に最大の版図となり北はモスクワ、西は地中海、
南はベトナム、東は中国まで拡大しました。


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