社会福祉法人山田市社会福祉協議会法人化30周年記念
シンポジウム&チャリティコンサート
山田パンダwithモリ・マサルチャリティコンサート

2002年11月17日(日)
福岡県山田市サルビアパーク

 九州に出張中、潤子さんつながりでパンダさんファンで有名なカズさんが九州にやってくるという情報をキャッチしました。最初はドンピシャ土日に来るものと勘違いしていましたが、よくよく聞いてみれば日曜日に来て、月曜日に帰るという日程でした。九州にくる目的は山田市で行われるパンダさんとモリ・マサルのライブを聴きに来るとのことでした。
 そんなわけで、ちょうどお休みだったし、折角だからということで、福岡空港に迎えに行き山田市のライブ会場まで送るということで話が纏まりました。たまたま、その日の夜7時に北九州空港に到着する仕事仲間を迎えに行かなければならないので、ライブは全く見るつもりではありませんでした。お昼ごはんを食べながら、念のため、携帯電話のサイトから飛行機の時刻表を調べてみたら、19時前後に着く飛行機はなく最終便が21時着になっていました。これはちょっと怪しくなってきたと思い、本人に電話して聞いてみたら、その21時に着く最終便でした。それならばライブを観てからでも充分に間に合うじゃないかということで、急遽ライブを観ることにしてしまいました。まさか九州に出張できてパンダさんのライブが見られるとは思っていませんでした。カズさんに感謝です。
 ライブは誰でも見られ、全席が自由席という信じられないようなライブでした。

 福岡空港で合流したカズさんと現地に着いたのが2時ちょっと前でした。サルビアパークは市の総合運動公園のような感じの施設でした。ホールらしいものは見当たらないのがちょっと不安でしたね。
 大きな横断幕でシンポジウムのテーマとパンダさんのライブのことが掲げられている建物の中に入って当日券を買いました。値段は1000円でした(といってもカズさんの驕り♪)。すでにシンポジウムは始まっていて、係りの人がよろしければ聞いていってくださいと薦めてくださいましたが、なんとなく場違いな気がしたので遠慮しちゃいました。
 カズさんが受付にいた地元のスタッフの方に楽屋口のことを訪ねると、ちょっと慌てた様子で「ご親戚の方ですか?招待席は用意していますけど云々」なぁんてことを仰ってくれ「ご案内しましょうか?」と言われましたけど、開演30分前くらいだったですから遠慮してカズさんが持参したお土産を「渡していただけますか?」と預けて、自動販売機の置かれたロビーで開演を待つことにしました。

 ロビーで待っていると忙しく走り回る、マネージャーさんが何度も通り過ぎました。あの一生懸命さ見たらファンになっちゃいました(笑)。
 パンダさんの奥さんがたまたま通りがかって、「大変そうですね。」って声をかけたら、いろいろとお話してくれました。宇都宮から来たと言ったらこれまたぶったまげていました(笑)。ここでも「伊勢さんのファンで、べるがのコンレポ書いた人です。」って紹介してくれました。奥さんから「それはそれはありがとうございます」ってお礼言われて照れくさかったのなんのって。それからしばらくモリ・マサルさんたちの音楽の話の話になり「ほんの短い夏、かっこいいですよね。」って生意気なこと言っちゃったら、やはりあのべるがの競演は相当ふたりにとって刺激になったようでした。伊勢さんの唄うリゾートを思わせるような曲の雰囲気に対して、現代の若者っぽい雰囲気が見事に表現されていて、べるがの時にも伊勢さんはそれをすごく喜んでいましたよね。奥さんも「完コピしたって敵うわけないんだからどれだけ自分たちの世界にするかが大事」と仰っていました。それがきちんと出来ていると奥さんも認めていたし、伊勢さんのファンの人たちもきっとべるがで聴いて認めてくれているんだろうなぁって思っています。「伊勢さんに、この間この曲お嫁に出した気分にならない?」って冗談交じりに話したんだとか。

 そんな風に話をしていたらシンポジウムが終わり、パンダさんのスタッフの動きがいよいよ忙しくなってきました。「そろそろ会場に入りましょうか」ということで、カズさんとライブが行われれる会場の中に入りました。扉をくぐったところでカズさんが「これってどう見ても体育館よね・・・」とポツリ一言。なんだかわかるような気がしました。パンダさんの唄もそうですけど若者ふたりも、もっとちゃんとしたホールで唄って、彼らの音楽の素晴らしさをもっともっと知ってもらいたいという子を思う母の気持ちというかなんというか(笑)。
 でも、こういう雰囲気は、とってもパンダさんが近くに感じられるパンダさんならではの世界が確実にあってパンダさんらしさであるのも事実なんですよね。なんというか気取らない雰囲気といいますかね。カズさんも当然そこのところはわかった上での一言だったんですけど。ちょっと複雑だなぁ。

 前から3列目くらいのところに空きがあったのでそこに陣取りました。ステージの上ではマネージャーさんが一生懸命楽器を運び込んだり忙しそうに走り回っていました。この手作りっぽさという雰囲気がますます親近感を高めてくれたりしました。ただ、ひとりで一生懸命に動いているもんだから、思わず出来ることがあれば手伝いたくなっちゃいました(笑)。
「そうなのよ、みんな自分たちでやるからとっても大変なのよねぇ〜」はカズさんの弁。

 ギタースタンドに楽器が並び、いよいよ開演の時間となりました。会場アナウンスのお姉さんの声でパンダさんのプロフィールが紹介され、パンダさんとモリ・マサルの3人がステージの上に登場しました。
 そしてべるがで弾いていたベースを手にとったと思うと開口一番
「山田が山田に帰ってきました!」この一言でコンサートが始まりました。

1.風の街


 唄い終わったパンダさんは「40年ぶりに帰ってきました。僕の実家は隣の飯塚なんですけど、同じようなものです。」
会場からは拍手喝采が起きました。
 そして自己紹介のコーナーに。池田君のことをパンダさんが「フォーク界のV6岡田です。似てるでしょ」と紹介していました。そしてご子息のことはルパン3世ですって。
 「山田市というのは市としては日本で2番目に人口が少ない町だそうですね。この際だからそれは誇りにしちゃいましょう」とパンダさん

2.眼をとじて

 2曲目はかぐや姫の頃の曲です。軽快なんですけどしっとりとした眼をとじてでしたね。べるがでも唄ってくれましたけど、あの時はすごく楽しいというのが全面に出ていたんですけど、今回はじっくりと唄っていたような感じでしたね。

3.こもれ陽

 これまたかぐや姫の頃の唄。唄い終わったパンダさんはモリくんを呼んで、ベースを預けました。何をするのかと思いきやおもむろにジャケットを脱ぎました。そしてベースを再び受け取ると「ベースを持ってくれた池田くんに拍手」と相変わらずのおとぼけぶりに大笑いしちゃいました。
 ここから学生時代の話になりました。久留米の進学高校に下宿して通っていたというパンダさんはついていけなくてお父さんが飯塚に転勤になったのをきっかけに嘉穂高校に転校したそうです。2年間通ったんだそうですが、その思い出は強烈だったそうです。高校生の頃、舟木一夫さんが好きで、ちょうど「高校3年生」が大ヒットしていたそうです。でも、それよりも「学園広場」の方が好きだったんですって。そこでこの「学園広場」をワンコーラス唄ってくれました。
 それから鹿児島から出た西郷輝彦さんも好きだったそうです。タイトルは忘れてしまいましたけど「いつでも いつでもぉ〜」なんていうのをこれまたワンコーラス唄ってくれました。
 「デビューして偶然西郷さんと同じレコード会社になって、レコーディングしていたら西郷さんが通ったんですよ。それで頑張ってと言われたときにうれしかったなぁ」と当時のことを語ってくれました。

 ちょっと「ビートルズの唄をやってみようか」と突然唄いだしました。

4.ビートルズの曲

 基本的に洋楽にはあまり明るくないのでタイトルはわかりませんでした。流石に一連のヒットした曲はわかるのですが、これはわからなかったなぁ。日本語なら最初のところの歌詞をメモるんですが、なにせ英語だったものですから(爆)。

 ベースの弾き語りをしながら唄い出したのがこの曲でした。

5.黄色い船

「山田の人はコーラスが上手いって聞いてきたんだよねぇ〜。ぼくはぁ〜と毎日ぃ〜のここのところを追っかけて欲しいんだなぁ。それじゃ練習してみましょ」と何度か練習の後にいよいよ本番です。
手拍子が湧き上がり会場は盛り上がりました。モリくんのオベーションとマサルくんのロングネックのマンドリンが間奏では交互にソロを取ったりして楽しそうでした。

 ここでちょっと長めのMCが入りました。その内容は、普段の講演会活動や保育関係の仕事を通しパンダさんが常日頃感じていたことで、とても重みのある語りでした。
「僕は陽水とはとても親しくしています。」というのがその始まりです。
話のつながりはあやふやなんですが、「僕は一浪して明治大学に入りました。」というところから
「今の子供たちはおかしいと思うのよ。僕は受験に失敗してよかったと思っている。僕はそんな挫折の中でハンディを持っている人をその人の個性と思うようになりました。ハンディとか失敗をその人の個性としてみないと子供たちはだめになる。僕らが子供たちの頃はナイフを使っていた。ナイフはナイフとしての使い方をしていたから親が持たせてくれた。喧嘩をする時にはナイフを置いて喧嘩していたものね。でも、今の子供はナイフで刺しちゃう。何がそうさせるんだろうね。今の子供たちって出来ないことが出来ないって言えなくなっているんじゃないかな。それがストレスなってストレスになってそうなっちゃうんじゃないだろうか。出来ないこと、やれないことはその人の個性なんですよね。点数主義になっている世の中で、今の子供たちはそのことが言えない。減点法の世の中ですからね。塾が当たり前になっている世の中は絶対におかしいと思うよね。減点法を植え付けているように思えるんだ。」
 とても素直に受け取れた言葉です。自分の娘も今ちょうど高校受験を控えていて、奴なりに一生懸命やっています。でも、いくら頑張っていてもどうにもならないくらいに不安になることもあるみたいです。そうなると親に対しても言葉がきつくなったり喧嘩になったりします。そこは流石に出来ないこと、やれないことは個性だなぁんて言える度胸はないですけど、言われてみればそうなんですよね。
 「この仕事は言ってみれば毎日がリストラなわけ。紅白に出たら今までコツコツとやってきたことが認められていろんなところから呼ばれるようになったのよ。」
「紅白に出るきっかけになったのはかぐや姫の再結成で、そのきっかけを作ってくれたのは陽水なのよ。」
「陽水は田川で僕は飯塚出身で、いつもどっちのほうが田舎もんだってもめるわけ。陽水は田川は東京に近いから都会だといい僕は飯塚は福岡に近いから都会だと主張するわけ。そこへたくろうが出てきてそれじゃどっちが田舎もんかオレが決めてやるとある言葉を言わせて両方とも田舎もん、引き分けじゃ、とその場を収めてくれたなぁ。そういうことが話せるのが陽水。陽水は3年浪人しても大学に受からなかった、陽水はそれがよくわかるんだなぁ。」
「かぐや姫再結成のきっかけも陽水が僕に電話してくれたからなんだよね。3年前のコンサートに呼び出されて、そのコンサートの後で今度はパンダさんがありってイベンターにファックスを送り実現しちゃったんだ。」
「陽水はよくハガキをくれるのね。今日も奴のくれたハガキを一枚持ってきました。何でこれを持ってきたかというと、20年位前の高校野球の福岡予選で僕の出身校の嘉穂高校と陽水の出身校の田川高校が県予選の決勝を戦ったわけ。その時のハガキなんだけど、田川が甲子園に出るけど応援してねぇ〜みたいなことが書いてあります。そういう奴なんですよね。陽水って。いつか陽水とここで一緒に音楽が出来たらいいよね。」
「そんな陽水が何年か前にクルマのコマーシャルに出たことがあるんだけど、その時僕に免許を取ろうと思うんだけどどうかなと相談してきたことがあるんだよね。当時、僕と陽水とRCサクセションのきよしろうの3人で免許を取らない同盟なんて作っていたからきよしろうくんが当時、かぐや姫やるんだって、この曲歌ってよってくれた唄をこれから唄ってみようかな。」

6.あの唄が思い出せない

 ちょっと定かではないですが、かぐや姫の初期の「はじめまして」というアルバムに入っていたんじゃなかったかなって記憶しています。そんな曲も唄ってくれました。

 次はべるがでも聴かせてくれた3人組の唄です。

7.育った場所のこと

 すごく懐かしい感じのする曲です。なんとなく頭の中に浮かんでくる景色や情景がセピア色に感じられてしまう、そんな曲なんですよ。モリ・マサルの若い二人が歌ってもそう感じてしまうというのはそれはそれですごいことですよね。山田パンダwithモリ・マサルの楽曲の中でかなり好きな曲です。

 次もべるがで聴かせてくれた唄でした。

8.急がないで 

 唄いだしに「仮面ライダー」が出てくる辺りちょっと世代のギャップを感じてしまいますよね(笑)。因みに自分なら鉄人28号、カズさんは赤道鈴の助あたりでしょうか(爆)。
ここで何故かりんごの話題が出ました。
「小さな頃、りんごが木になっているイメージがなかなか理解できなかったのよ。それがかぐや姫で青森に行って。木にたわわになっているりんご見て感動したなぁ。」って。

 客席を見渡したパンダさん。
「おっ、小さな子もいるじゃない。子供にもわかるの唄わなくちゃ」と突然モリくんに振りました。それで出たのがこれでした。

9.どえらえもん

 「空を自由に飛びたいなぁ〜」のあとモリくんが「たけこぷたー」と照れくさそうに唄ったのが印象的でした。
 「この3人で活動をはじめて2年目になります。かぐや姫の再結成直後にはじめました。それで沖縄に2度行きました。戦争の末期に耐えしのぐことを植え込まれた人間性というか、そんなことを感じて作ったのがこの唄です。」

10.こいうた

 これは初めて聞きました。ちょっと前にオンエアされたフォーク大集合でも唄ったそうです。切ないメロディでとてもステキな曲でした姫ゆり部隊、沖縄特攻、陸戦隊の玉砕そんな悲しい過去を引き摺る沖縄が根底に感じられるようなそんな一曲でした。

11.イムジン河

 これもべるがで聴かせてくれた曲です。フォーククルセイダーズが再結成されたり、北朝鮮問題などの微妙な時期だけに感慨深かったです。ちょっと重かったかなぁ(笑)。

 「モリ・マサルふたりだけで唄う曲もあるんです」と一旦ここでパンダさんが袖に下がりました。
そしてあの曲です。
 「今年の夏、伊勢正三さんとご一緒する機会がありまして、原曲とちょっと違った唄になりました。」
「いや、だいぶ違うかな。」

12.ほんの短い夏

 元気いっぱいだけど切ない世界です。伊勢さんも「こういう切なさが欲しかった」と仰っていたあのアレンジです。アップテンポでガンガンギター2本でやってくれました。もちろんお気に入りの曲です。

 再びパンダさんが登場です。モリくんのオベーションの静かなギターソロが始まりました。ところどころに伊勢さんを思わせるようなフレーズが散りばめられていましたね。途中、ピックを使わずに指で弾いていたりしたところも伊勢さんの影響でしょうか。

13.落陽

 これは会場全体が手拍子で大盛り上がりの曲でした。間奏、エンディングはマサルくんのギターソロでした。彼の場合もところどころに伊勢さんを思わせるフレーズが感じられました。改めて伊勢さんはギターの神様なんだよなぁ〜って思っちゃいました(笑)。ギターおじさんから見ると二人とももうちょっと高い位置にギターを持ってきて弾いてくれると、伊勢さんのようなすごい迫力の音が出せるのになぁなんて思っちゃったりして。

14.ロマンスカー

 これは村下孝蔵さんのカバー曲ですけど、モリ・マサルのふたりにはすごくあっている曲でした。「踏み切り越しに手を振るキミ、通り過ぎるロマンスカー」このフレーズにゾクっとしちゃいました。これまた切ないラブソングでした。後でカズさんと話したんですけど、伊勢さんの「moonlight」に通じるイメージがあって化粧品のCMソングとして使ったらすごくよさそうなそんな曲でした。こんな唄が唄えるふたりはすごいんだなぁって尊敬しちゃいました。

15.踊り子

 パンダさんが村下さんに贈るかのようにしっとりと歌い上げてくれた「踊り子」です。べるがでも唄ってくれました。これも何度聴いても感動する1曲ですね。

 コンサートも佳境が近づいてきた雰囲気です。聴きなれたあのギターの音色が流れてきました。

16.おはようおやすみ日曜日

 78年にかぐや姫を再結成した時の代表曲です。詩はもちろん伊勢さんで、曲がパンダさんでしたよね。パンダさんのふるさとでこの曲が聴けて幸せでしたね。「ふるさとの言葉をしゃべりたい夜は〜」って。きっと伊勢さんがこの詩を書いた時の思い描いた場所は津久見の町なんでしょうけど、パンダさんが唄うとこの町や飯塚の町を思い描くんでしょうね。
 そういえば、かなり昔のことですけど何かの雑誌のインタビューか何かで読んだことがある伊勢さんの言葉ですが、「都会育ちにはわからない都会のよさが地方での人にはわかったりする。」なんのアルバムの発表直後だったか覚えがないのですがそれがすごく印象に残っています。それがこの詩にはすごくよく表れている気がします。
 最後の「おはようおやすみ日曜日」のところで会場大合唱をするはずだったようですけど、そこのところは3人の呼吸がちょっと合っていなかったようで、ひたすらアイコンタクトでサインを送るパンダさんとモリ・マサルの様子がほのぼのとしていてよかったなぁ。

 「39年ぶりに帰ってライブの出来る喜びをかみしめながら唄います。皆さんもよかったらご一緒に唄ってください。」

17.僕の胸でおやすみ

 これもパンダさんの定番ソングですね。優しさがあふれているというか、すごくほっとできる唄ですよね。育った場所で唄うから余計にそんな思いが込められて伝わって来ていたんでしょうね。

 唄い終わったところで再びお姉さんの会場アナウンスが流れ、「山田パンダさんにもう一度拍手をお願いします。パンダさんの出身校の後輩の方から花束の贈呈が。」とまるでっこのまま終わってしまうような雰囲気でした。花束を受け取ったパンダさんとモリ・マサルの3人が袖に下がっていってしまいました。カズさんと顔を見合わせて「アンコールってないのかなぁ」と不安になってしまいました。でも、とりあえず手拍子を打ち出したらなんとなく会場全体に伝わってくれたようでアンコールの催促になりました。

アンコール

 「地元でやるってなんだか照れくさいし、すごく緊張するんだよね」と満面の笑みを浮かべながらうれしそうにパンダさんが立ってくれました。そして3人で

1.卒業

を唄ってくれました。これも3人のオリジナルで、ステキな曲でした。カズさんのお話では、モリくんがまだ10代の頃に作った曲といっていたような違うような(笑)。

 こうやってすごくアットホームで手作りな雰囲気のライブが終わりました。会場を出て始まる前にいたロビーで座って待つことにしました。町のスタッフの人たちが撤収作業を始めるわけですが、それがまた手作りな雰囲気を高めてくれていました。おじさんもおばさんもお姉さんもお兄さんもスタッフ皆さんが一生懸命動き回っています。
 そしてあのマネージャーさんも慌しく走り回っていました。通り過ぎる時に思わずカズさんとふたりで「何か手伝えることあったら手伝いますよ」って声をかけてしまいました。でも「大丈夫です」ってニコニコと走り去っていってしまいました(笑)。

 そんなして待っているとパンダさんご一行が福岡空港に移動するため町で用意したクルマに向かってやってきました。パンダさんはカズさんの顔をみた途端「おい、家庭は大丈夫か」ですって。「でもありがたいよね。宇都宮から来てくれたんだってねぇ」と声もかけてくれて、握手までしてもらっちゃいました。クルマに乗り込んだパンダさんをお見送りに行ったら、パンダさんのお母さんと妹さんもいらっしゃいました。お母さんはとても元気でいらっしゃいました。そして福岡空港に向けてパンダさん一行を乗せたバックミラーの落っこちた「愛は地球を救う」号は出発していったのでした(笑)。実はパンダさんたちが出て来るまでカズさんと福岡空港までどんなクルマで行くのでしょうと話をしていました。「ベースやギターなど自分たちで運ぶからきっとワゴン車みたいなタクシーが来るんだよ。」とカズさん。それを打ち消すように、「この辺りじゃワゴンタクシーなんてないと思うよ。以外に、あそこに置いてあった24時間テレビのワゴン車だったりして。」なんてことを話していたんです。それが現実になっちゃって大笑いでした。

 今回はいろんな勘違いが重なってこのライブを見ることが出来ました。その上もってパンダさんやモリ・マサルの二人、パンダさんの奥さん、、マネージャーさん、パンダさんのお母さん、妹さんにもお会いすることが出来、お話も出来ました。こんなラッキーなことって滅多にないですよね。こんな機会を与えてくれたカズさんに感謝、感謝です(笑)。