私の妊娠物語

私の妊娠物語


1997年秋に、ゆうを出産しました。
これはそのときの記録です。


はじまりは穏やかに <期待高まるfont>
いよいよ入院

猛ダッシュ
陣痛室にて 産まれました
おつかれさん。


始まりは穏やかに 始まりは穏やかに

その日は、朝おしるしがあって、予定日までまだ2週間ほどあったけど、
いよいよかなーと思うと、ワクワクした気持ちで、
実家近くの病院まで、電車で1時間かけてむかった。
ちょうど、その日は定期検診の日だったし・・・
電車からは、夏を終えた須磨の海が、キラキラ輝いていて、
これが8月の頃なら、生まれてくる子には
「夏海」と名づけたかも・・・なんて思ったものだ。
子どもが大きくなってから、名前の由来を聞かれたら、
「あなたが、『うまれるよぉー!』って教えてくれたから、
お母さんは、夏の海を見て、『無事生まれてきますように』って
お祈りしながら、病院に向かったんだよ。」
なんて話すなんて、ちょっといいじゃない?
お祭り騒ぎが終わったそのあとの、9月の海は、
どこか冷ややかで、きりりと冷たく、その美しさを際立たせていた。

病院に着いておしるしのことを言うと、
「今日あたりかなぁ」と先生の診断。
私はおしるしがあったのだから、てっきり「おかあさん!今日ですよ! 頑張りましょう!!」
なんて肩を叩かれると思ってたので、
ちょっと拍子ぬけして、それでもあきらめきれず、
「今日ですよね。」と確認すると、「それは誰にも分からへんわ。」
って・・・そりゃそうだろうけど。
それから、「促進剤とは違うからね。子宮をやわらかくする注射よ。」 といって注射された。
これで、またまた私は俄然盛り上がってしまった。
おしるしがあって、出口をやわらかくする薬を投与したのだから、
これはもう、今夜出てくるしかないっしょー。
そのままタクシーで実家に帰り、母にそう告げると、
「あらま。」なんて返事。
てっきり「おめでとう!」なんて万歳三唱されると思っていたので、
こちらもまた拍子ぬけ。
もっとも、まだ産んだわけじゃないから、当然かー。
こんな中、唯一私の期待通りの反応をしてくれたのは、我が夫。
職場に電話すると、「はよせな、産まれるぅ〜!」とばがりに、
早退して、夕方には実家に駆けつけてくれた。






期待高まる 期待高まる

あれほど盛り上がった私だったのに、どうにも体の方が、うんでもすんでもな い。
本当に、今夜産まれるんだろうか???
夕食には母が、おすしをとってくれて、
それをぱくついてたら、妊娠後9キロ増、と 何とか目標を死守していた私なのに、
あっさりと10キロ増になってしまった。
まあ、ここまできたら、関係ないか。

痛みどころか、病院に向かうときには多少感じていた お腹の張りさえもなくなっていたので、
母に「散歩でもしたら?」と言われ、主人と近所の海辺を 小一時間散歩する。
家に帰ってから、 楽しみにしていた、中居くんの「最後の恋」の最終回を観る。
が、このあたりから、お腹が痛くなってきて、内容は全く覚えていない。
時計をみると、痛みと痛みの間が、ちょうど5分くらい。
間隔が10分になったら、病院に行くはずなのに、 まだ家にいていいんだろうか?
お腹をさすりながら、考えるけど、まだそれほどひどい痛みではない。
いつのまにか、ドラマは終わって、探偵ナイトスクープになっていた。
主人は大声で笑うのはさすがにはばかられたのか、
なんだかところどころニヤニアしている。
私は、定期的に訪れる痛みと戦って、お腹をさすったりするけど、
それにも気づいてない様子。

もういいだろう、と思って、11時半に、 先ほどから目の前でしっかりと 存在をアピールしていた、
病院への連絡先と受け答えマニュアルの メモを手にとる。
そして、看護婦さんに「声が元気そうやから、まだ大丈夫やわ。 もう1〜2時間待ってみて。」と言われる。
私はその時、今度電話するときは、死にそうな声でしようと誓った。






いよいよ入院 いよいよ入院

最初の電話から30分して、
どう考えてもますます痛みがひどくなるので、 車で病院に向かった。
助産婦さんが診察してくれて、子宮口開大2センチと知らされる。
嘘でしょー!?
朝の診察でも2センチだった。
そして、これほどの痛みをしても、未だ2センチ???
もしかして、人によって「センチ」の単位が違うのだろうか。
まさか、この人は海外生活が長かったので、無意識のうちに 「インチ」で測ってるのか?
そっかー。私が「センチ」と「インチ」を聞き間違えたんだ。
ってことは・・・2インチって何センチだ???
なんてくだらないことを考えている場合ではなく、
これはお産は思っていたより大変なことかも知れないなー
と思い始めた。(普通の人より気づくのが、遅いかもしんない)
けれど救いだったのは、助産婦さんの一言。
「あなたはケロっとしているから、案外早いかもしれないね。」
えーー。本当ですかぁ!!
嬉しくなった私は、「じゃあ、何時頃終わりますかね?」
なんて聞いて、「それは誰にもわかりません。」と
今朝と同じことを、違う人にも言われてしまった。




猛ダッシュ 猛ダッシュ

案内された陣痛室には、すでに乗り込んでる妊婦が一人と
彼女の手をしっかと握り締めるご主人がいた。
彼女がうめき苦しむ横を私たちは通り過ぎ、
奥のベッドに横たわる。
はなから手を握ってもらおう、なんて考えのない私は
主人がおじけづいてるように見えて気になった。
もし、私が逆の立場ならどうだろう?
主人が胃痙攣かなんかで、痛みにもだえ苦しみ、
病院に着いたものの、何の処置もしてもらえず、こうして 待たされている。
私に痛みをやわらげることは出来ないし、 まして変ってやることも出来ない。
(もし変れたとしても、変るかどうかは分からないけど・・・)
これはひょっとしたら、当人と同じくらい、 あるいはそれ以上に辛いことかもしれない。
主人のこの表情が、それを物語っている。
(あとで本人に聞いたことろ、そうでもなかったらしい。
彼はどんなときにも、ぼーっとした表情をしていて、
ときにそれが心細そうに見えることを、この時はすっかり忘れていた)
そして、主人に「雑誌でも読んでれば?」と言ってみる。
出かける前に、数冊をそれらをかばんに詰め込んでるところを見ていたのだ。
けれど、ことがこと。
きっと主人は、「おまえ、こんな時、俺のことなんかいいから、 自分のこと考えろよ。腰でもさすった方がいいか?」
なんて答えるんだろう、と思っていると、
なんと彼は・・・
なんと、なんと!!!
「ここは暗いから読まれへん・・・」と答えた。
そうでした。ここは陣痛室。
部屋は確かに、暗うございました。

今にも大爆笑しそうになったその時、
今までの1000倍ともつかぬ激痛が走り始め、
私はいよいよ出産のその時に向かって、猛ダッシュし始めたのだった。




陣痛室にて 陣痛室にて

尋常ならざる痛みがドクドクと押し寄せてくる中、 私はある規則性について見出した。
1〜30まで心の中で数えるうち、14〜17が最も痛いのだ。
なるほど、赤ちゃんは、ゆっくりゆっくり降りてきているぞ。
赤ちゃんの頭はやわらかく、ぐにゃぐにゃ形を変えながら、 狭い産道をすり抜けてくるので、
力んでその行く手をはばんではいけない。
私は最も痛いときにこそ、「ふーふー」と力を抜いた。
しばらくして看護婦さんが現れる。
すかさず、「何センチですか?」って聞くと、
「6センチね。 ○○さんは、呼吸がとっても上手やから、その調子ね。
今日はお産する人が多くて、ほったらかしてごめんね。 でも上手よ。頑張って・・・」と言われた。
6センチといわれてすっかり気をよくした私は、
(また2センチといわれたら、気を失ってたかもしれない)
「さあ、こっちはいいから、あなたは持ち場に帰って!」といった気持ちだっ た。
それからまた誰かが来て、 てっきり看護婦さんだと思った私は、
「何センチですか?」って聞こうとしたら、そこに突っ立ってるのは主人だっ た。
そういえば、30分ほど前に、あまりにも所在なげで不憫な主人に
「ロビーに行って、雑誌読んでて。」と追い出したんだった。
はたして彼は、ロビーに行って、私の指示とおりのことをして、
看護婦さんにしかられたらしい。
けれど、私にしたって、今や赤ちゃんと一緒になって、
集中してやっとリズムをつかんだところだ。
誰にも邪魔されたくない。
何の気休めにもならない
手を握ったり、腰をさすったりなんてとんでもない。
そこで、またまた主人を追い返した。
そして次に看護婦さんが現れたときには、ついに10センチ全開!!
けれど、やっぱり混んでるらしく、「もうちょっと待っててね」と言われた。
先に分娩室に入った妊婦さんが、てこずってるらしい。
声ばかり聞こえてくるのだけれど・・・
あっちの部屋に行ってからも、また壮絶な痛みと戦うのだろうか。




産まれました 産まれました

「次、波がおさまったら、分娩室に移動しますよ。」と看護婦さんは言った。
先に移った妊婦さんが、移動の途中に波がきて、 しゃがみこんでしまったのを見てたので、
これはさっさと移動しなければいけない、と思う。
さて、波が去った。
「今です!」と私は叫んで、ベッドを飛び降りる。
と、看護婦さんは驚き、あわて、「危ない!」と言ってしかられた。
何につけ、私は元気すぎる妊婦だったみたいだ。
いよいよ分娩台に横たわり、さー産むぞー!と思ったけれど、
どうやら看護婦さんも助産婦さんも大忙し。
明らかに手が足りてない様子で
「まだいきまないでね。」と言って、私は横向きにさせられた。
どうやら、何人かたてつづけに産んで、(9月は多いらしい)
夜勤の申し送りなんかもあったり、さきほどの赤ちゃんの産後処置が
あったり、と、白衣の天使は愚痴っていたので、
つい「大変ですねー。」と言ったら、「大変なのはあなたよ。さあ、頑張りまし ょ。」と言われた。
確かに・・・
ようやく助産婦さんが私の方にかかってくれ、 いよいよ、という時に、何とも腰が痛かった。
これは波が去ろうがこようが、始終痛かったので、まいった。
助産婦さんに言うと、「今、腰のあたりを通ってるのよ。」と言われた。
もう頭くらい出かかってるだろうと思ってた私は、ちょっと落胆。
けど、「いきんでいいよ。」と言われてはじめていきんだら、 2回目であっけなく生まれた。
自分にこんな腹筋があったのか、と思うほど、おなかをまるめ
へそのあたりを見ながら、ふんばった。
産まれたと分かったとたん、私は両手でガッツポーズをして、 「終わったぁー」と叫んだ。
時計を見ると、午前4時だった。

もろもろの処置も終わる頃、看護婦さんに
「今日は大変でしたね。 もう夜勤は何時までですか?
おうちに帰って休んでくださいね。 ありがとうございました。」
と言って、 スリッパを履いて、ベッドから降りようとしたら、 驚かれ、叱られた。
「ベッドのまま移動します。」
えーーー。なんか病人みたい・・・
〜つづく〜


おつかれさん。 おつかれさん。

ストレッチャーに乗せられて病室に向かう。
途中、主人がぼーっと立っていた。
何だか目がしょぼしょぼして疲れた感じだったので、 「疲れたやろ。今日は早く家に帰って、よく休んでね。」と言って、
看護婦さんに、「どっちの台詞よ。」と笑われた。
確かに。。。
だって、 てっきり、「ご苦労さん」「ありがとう」くらい言われるかと思ったのに、 相手が何も言わないので、
こんな台詞をはいてしまったのよ。(笑)
主人はもう子どもを抱いたらしいが、父親としての実感はまだまだ といった感じ。
それもそうか。
産んだ私でさえ、実感がないもの。
まあ、おいおい芽生えてくるでしょう、自覚ってものは。。。
(ってこの時は思ったけど、のちに彼があまりに父親としての自覚がないので、 数回激怒した)
病室は6人の大部屋だったが、来てみてびっくり!
みんな疲れきっている。
産褥熱が出て、授乳をストップし点滴をしてる人。
貧血で薬を飲みながら、夜中の授乳に起こされてため息ばかりついてる人。
なんでぇ〜???
みんな、「産んだぜ、いぇ〜い!!」って感じでなかったので、 私は心底驚き、数日後には私もああなるんだ、
と思ったけど、そんなことはなく、始終元気だった。
けれど、別の意味で私には試練が訪れる。
この時はまだ知らない。
その夜は、生まれて初めてといっても過言ではない、 達成感に包まれて、心地よく眠った。
私に訪れる試練については、また次回・・・



子どもを産んで初めての朝は、実にすがすがしいいつもの朝だった。
4時に産んだばかりなのに、7時半には目が覚る。
まだ横になってなきゃならない私には、朝食が看護婦さんに よって配られた。
けど、食パンが生のまんま・・・ うーートーストしたい!
なので、その食パンを持って、明日にでも退院という人たちのみで、 ひっそりとしている湯沸かしに直行し、トーストにぶちこんだ。 (2枚も)
それから病室に戻って、バターをたっぷり塗って 朝食すべてをたいらげる。
今思えば、どうして私は起きてすぐに子どもの顔を見たい! と思わなかったんだろう。

お昼前になって、主人と母が見舞いに来た。
母は満面の笑みで「おめでとう。」と言ってくれ、 私は我が出産武勇伝を主人に話すのに必死だった。
が、話の腰をおる奴がいる。
母だ。
「あんたんとこの子、どこにおるん?」
母は、ガラス越しに孫の顔を必死で探していたみたいだ。
私は、きっと産まれたばかりの子は、まだ奥の部屋にいるんだろう、と思ってそ う答えると、 「けど、あんたんとこより、あとに産まれたこは、ここにおるで。」
母はしつこい性格だ。物事がはっきりしないと気がすまなくて、心配症でもあ る。
私は、産んだとたんにこれかよ・・・うるさいなー と思いながら、適当にやり過ごしていた。
そんなことより、今は出産実況中継のまっ最中なのだ。

すると今度は、「なあ、あのカーテンのむこうの子。 何かあったんかなー。」
始終他人の動きに敏感な母はそんなことを言う。
全くうるさいなーなんて思っていると、 看護婦さんが数人出たり入ったり、 そのうちドクターが3人小走りにやってきて、
かと思うと、今度はものものしい大きな装置が数台 部屋に運び込まれる。
何だか大変なことになってるようだ。
「あんな小さい子が大変やなー。」と母が言い終わるか 終わらないかのうちに、
おっちょこちょい看護婦が、私に一言。
「あれ?先生に聞いてない???赤ちゃん、ちょっとしんどい みたいよ。」

え??? うちの子?さっきから大変そうにしてるの・・・うちの子???
目の前が真っ暗になるとはまさにこのこと。
今にして思えば、どうして立っていられたのか分からない。
あまりのショックで、体勢を変えることすら出来なかったんだろう。
関西弁で「しんどい」の意味は微妙だ。
単に、「疲れた」という意味合いだけではない。
そして、こういう状況で、この言葉を使ったら、 それは「死ぬかもしれない」ということだ。
それから、おっちょこ看護婦は、自分の失言に気づいたみたいで、あわててそれ を隠すかのように、
「まだ、あなたはここにいたらあかんのよ。病室で寝てなさい。」 なんて看護婦らしく厳しく私に注意した。
この言葉を聞いて、気を失いかけた母も 「そうよ、あなたは寝てなさい。 」なんて言った。
私はとぼとぼと病室に戻って、 布団にもぐりこんで、声をあげて泣いた。
出産の瞬間に感動の涙なんて流さない私の、 産後初めての涙だった。
それからの30分、私はひたすら神様に、 「私の赤ちゃんを連れていかないで下さい。」と唱えた。
その言葉を発することだけに、神経を集中することでしか 今の状況を受け止められなかった私は、
周りの迷惑にならぬよう、布団を口に押し当てて、 その言葉を30分間、叫び続けた。

そして12時きっかりに、今度はおっちょこちょいでない 看護婦さんが、「おとうさんとおかあさんに、先生から お話があります。」と呼びに来た。
今までも産婦人科では「おかあさん」と呼ばれていたが、 この時の「おかあさん」には、明らかに重今までとは違った重みを感じた。
それは主人も同じだったようで、主治医への質問の際には、 父親としての最初の仕事をまっとうしている風にうつった。
思うに、私は「大丈夫」とのドクターの第一声で、すっかり 気を取り戻していて、数分前の地獄が嘘だったかのように、 すべてを楽観していた。
命さえあればいい、と思っていた。
この子が無事でいてくれさえすれば、いいと思っていた。
息子の病名は「肺気胸」だった。 新生児には時々あることらしい。
出産前日に何らかの原因で、細菌感染して肺が弱っていたところに、出産のショ ックで、両方の肺が破け、 チアノーゼを起こしていた。
4〜5日酸素を補給した保育器の中で、適切に処置すれば 自然にふさがるものらしい。
この酸素というのが、通常私たちが必要とする5倍もの量。
ということは、産まれてすぐに息子は必要な5分の1ほどの酸素の中で必死で呼 吸を続けていた。
吸っても吸っても、かたっぱしからもれていくのに。。。
その最中、私はスヤスヤ寝ていた。ニヤニヤ寝ていた。情けない。
今度出産する時は、母子同室と決めている。
友人には、2人目を産んだが最後、ゆっくり休めるのは、 入院中の5日だけだから、何も母子同室にこだわらなくても・・・
と助言してくれる子もいるが、
私は、 前回できなかった母乳育児にチャレンジしたいのもあるが、
産んで数時間は、こどもがしっかり息をしているのを 隣で実感しなければ、とても眠れないと思う。

てなわけで、1難去って、また1難。
数日後、またまた私は泣くことになるのだが、 それはまた次回。。。




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