育児日記

育児日記


一人息子「ゆう」との楽しい日常を綴ります。

砂糖入りコーヒー 2001.5.1

家に着いたら玄関に、先日雑貨屋さんで買った かわいい小物の袋が置きっぱなしにしてあって、
ゆうが早速中身をチャックし、 特にコーヒ用の砂糖に注目した。
「ママのコーヒー作る!」といってきかないので、
本来砂糖を入れない私も、ゆうに作ってもらうことにする。
入社以来、頻繁にコーヒーを飲むようになって、 これでは太ると思い、砂糖はやめていたのだが、
あるとき思いつきで砂糖を入れてみると、 もう飲めたもんじゃない!とまで思うようになっていた。
ゆうが作りやすいように、その日はインスタントコーヒー で作ってもらうことにした。
コーヒーとクリープをスプーンに1杯ずつ入れて、 お待ちかねの砂糖も入れて、お湯を注ぐ。
ゆうはあぶなっかしいながらも、上手にコーヒーを入れてくれた。
「さあ、どうぞ。」と言われて、とびきりの笑顔をしようと一口 飲んでみる。
ゆうもこれぞ『固唾を飲む』って感じで私を見ている。
すると・・・「おいしい〜!!」
本当に美味しかった。
砂糖入りのコーヒーがこんなに美味しいなんて・・・
ゆうが入れてくれたからかも知れない。

その後、試しに自分で作ってみたが、
やはり「こんなの飲めたもんじゃない!」ってしろものだんだもの・・・


膝の上 2001.5.1

おじいちゃんがいない生活が始まりました。
(おじいちゃんは、4月13日に他界しました)
ゆうは、おじいちゃんは煙に変身して、天国に 行って、
お友達と楽しく遊んでいると理解しているので、
みる限りは、寂しそうにしているということはありません。
けれど、時々「おじいちゃん、死んだから嫌い!」とか、 私が写真に向かってしゃべっていると、
「おじいちゃん、いないやん!」と怒ったように叫びます。
それが『寂しい』という気持ちだと気づいていないんだろうけど、
彼は彼なりに思うところがあるようです。

今日は帰宅して、この頃はまっているウルトラマンのビデオを 楽しんでいましたが、
何度か、夕食の支度の支度をしている私に、「こっちに来て、 抱っこしてくれない?」なんて言います。
この時間帯は、温かいおじいちゃんの膝の上で、 テレビをみるのが、定番になっていたのです。
ゆうは赤ちゃんの頃から、足のうらを触ってもらうのが好きで、
おじいちゃんは、いつも両手でゆうの足をもみもみしながら、 膝の上に座らせていました。
私は「もう充分一人でおすわりできるのに・・・」と思いながらも、
おじいちゃんと孫の楽しみを奪ってはいけないと思って、
キッチンから時々2人の幸せそうな横顔を、盗み見て、
野菜を刻んだりしていたのでした。


真剣叱りモード 2001.4.11

保育園のお迎えに行ったら、ゆうがいなかった。
7時ぎりぎりに行ったので、心配したおじちゃんが もうお迎えに来てしまったのかなーと思ったら、
2階で遊んでいたようだ。
「勝手に2階に上がってはいけない」というような 小言を先生に言われながら、階段を下りてくる。
そして よく見ると、ゆうはまだ上靴を持っていないのに、 両足にそれをはいていた。
「誰のはいてるの?」と聞くと、 「しまった!」というようなおふざけの顔をして、
その両方を、「あーした天気になーれ!」みたいに 高々と放り投げた。

ここで、私の真剣叱りモードが、スイッチオン!
てっきりいつものように抱きしめてくれるものと思って、 「ママ〜」なんて甘えた声を出して駆け寄ってきた息子を 突き放す。
勝手に人の上靴を履いてはいけないことと、上靴を 元にあった場所にしまうように強く叱る。
ゆうは、ただならぬ私の様子に気づいて、泣き始めた。
が、私の態度は変らない。
放り投げた上靴をきちんとしまうまでは、それを手伝いも しないし、口調をやわらげるつもりもなかった。
ゆうは、涙をぽろぽろこぼしながら、一つは元の場所に戻した。
そしてようやくありつけるであろう抱擁を求めて駆け寄って くるが、私はまた突き放す。
「もう一つあったでしょ。」
ゆうはそれを見つけられず、「ないねーん」と、泣きすぎで 呼吸のととのわない息遣いで私にすがりつく。
私はまだ態度を軟化しない。
「あっちで、放り投げたから、あっちにあるんと違う?」
観念したゆうは、また探しはじめ、ようやくみつけて 2つとも元の場所にしまった。

これからだ。
私が 彼を抱きしめるのは・・・
このタイミングが、早すぎても遅すぎてもよくないと私は思う。

家に帰ってから、ゆうはおじいちゃんに、「今日、ママに 叱られてん。」と報告している。
おじいちゃんが「何をしたん?」と聞いて、ゆうが説明するが いまいち分かりにくかったので、
私がことのあらましを 説明すると、おじいちゃんは納得して、
「それはゆうが 悪い」というようなことを言った。
そこで、私はすかさず、
「でも、ちゃんと上靴を探して、一人で元の場所に しまえたんよー。」と報告すると、
おじいちゃんはこのうえない笑顔で、息子の頭を ぐしゃぐしゃとなでた。
ゆうは、なんだか得意顔♪

これが同居のよいところ・・・



読書日記

「定本岳物語」〜椎名 誠 著〜

彼の本は初めて読んだ。
彼にはちょっとした偏見を持っていたし、
父親が子供のことを書いているのを読むのも 初めてだった。
とてもいいなーと思った。
父親には、母親とはまた違った、子
供へのアプローチが あるんだなーと思った。
ことに息子の場合は・・・
男同士の友情が、双方に芽生えたら、かっこいいなーと思う。

「40歳かからの子育て」〜南 美希子 著〜

「初めの一歩」〜三田 寛子 著〜

ワイドショーで見かけて、国生ちゃんのファンになっていて、
表紙にその笑顔を見つけて、迷わず借りてしまった。
図書館って、こういうところがいいなーと思う。
書店で見かけてたら、パラパラめくるだけにとどめたと思うから。
とても一生懸命な彼女の姿が、まっすぐに表現されていて、
彼女があのややこしそうな世界で、
ふんわり感を失わずに いられるのが、分かるような気がした。

「時計のない保育園」〜渡辺 一枝 著〜
うーん。。。この手の本は、大いに納得する部分も ありながら、やっぱり苦手・・・
一枝さんも職業に対する誇りとプロ意識からか、 若かったからか、
肩に力が入りすぎていて、それが文体に表れて しまってるのが、残念。

「隣人」〜重松 清 著〜

様々な事件について、ルポライターではない
読み物作家の切り口で真相に迫る。
彼の作品は「カカシの夏休み」を最後に、
しばらく もういいかなーと思っていたけれど、
初めてのこの試みに心動かされ、
とくに「春名ちゃん事件」について読みたかった。
感想は・・・
せつない。
「生きる」ってそんなに困難なことなのかなぁ。

自転車 2001.4.11

自転車をついに買いました!
このところ、2歳の誕生日に三輪車、 3歳の誕生日に自転車・・・ ってのが定番になってるみたいで、
ゆうにもいつ買うか、考えていたのですが、
平日は保育園で乗る機会も少なく、 2歳の誕生日に買ってもらえた三輪車が
ようやく自分で乗りこなせるようになったので、
ずっとこのままいけるところまでいこう、と思ってました。
本人も、売り場で乗ったり、友達が乗ったりしてるのを 見ても、あまり興味を示さないようで、
きっとまだゆうの「そのとき」は来てないんだ、と思ってました。

子育てにおいて「そのとき」っていうのは実に大切 なものだ、と痛感します。
その子によって「そのとき」は違うので、 何も『○歳で○○が出来る』
みたいなことを表にまとめているものを気にする必要も ない、と思い始めたのです。

そして、「そのとき」はある日いきなりやってきました。
(*「そのとき」というものは本来そういうものなのでしょう。)
土曜日にお友達の家に遊びに行ったら、 玄関に自転車が置いてあり、
ゆうが乗りたくて仕方ないようだったので、 借りて、公園を乗らせてみたのです。
足がまだ完全には届かなく、あぶなっかしくもありますが、
ハンドルさばきは三輪車で鍛えただけあって、 かなりのものです。

そして、次の日「自転車、欲しい!」のオンパレード!
本当は、秋の4歳のお誕生日におばあちゃんに買ってもらう 約束をしてたのですが、
このところ暖かくて気持ちいいし、 大人だって、自転車転がして、春うらら♪
と走り回りたいくらいですもの、子供が乗りたがるのも 無理はありません。
今が彼の「そのとき」と判断し、コープに出かけました。
ちょうど「春の自転車フェア」をやっていて、 ゆうにちょうどいいものが、お安くなっていたのですが、
問題がありました。
ブレーキの幅がゆうの手には広すぎて、 届きにくいのです。
売り場のお兄さんに、「この子はまだ無理やわ」と言われ、
親子ともどもがっくりと家路に向かったのでした。

ゆうはもう不機嫌・・・
けれど安全には変えられません。
本人を説得し、秋まで待たせようと思いました。
けれど、よく考えてみると、ブレーキだって、メーカーによって 多少作りが違うのです。
前に見たときは、もっと幅が狭く、子供の手にももちやすい ものがありました。
そう思い直し、午後からは、隣町の大きなお店に出かけることにしたのです。
やはりありました。
ゆうに、しばらく走らせてみて「ブレーキ!」と号令をかけると、
これが出来ないと買ってもらえないと分かっている彼は、
めいっぱい5本の指を伸ばして、ブレーキをかけます。
初めはぎこちなかったけれど、だんだんコツがつかめたようで それなりになってきました。
足はつまさきがつくかつかないかで、やっぱり危ないのですが、乗り降りは自分 で出来るし、
この数センチなんて、それこそ数ヶ月で伸びるだろう、 と思い切って購入しました。

帰り道で、大喜びのゆうには、従順な彼が面白いので、
私は何度も「ブレーキ!」と号令をかけたりして・・・
家に帰ってからも「自転車効果」は続き、 手も足も大きくなるために「お野菜食べるぅ!」 と張り切っています。

春から年少さんになって、週1回の体操の時間が始まり、
これが新しくきた若くてたくましい男の先生なので、
「先生のようになりたい!」と ご飯も残さず食べるようになりました。
同性の憧れの人が身近にいるって、 こういうことなんですね。

これから週末は公園で自転車の特訓になりそうです。
慣れてくるとスピードが増してきて、 それでいて、大人が伴走する必要がまだあるので、
私にもダイエットになれば、何よりなのですが・・・


男ことば 2001.4.7

寝る前に電気を消してから、
何故か男ことばにすると、ゆうも「もっと遊びたい!」と抵抗 するのをやめて、おとなしく寝る体勢に入る。

「さ、明日も早いから、寝ようぜ。」
「ゆう、布団を出してくれ!」
「布団を出すから、パワーをくれ。」
「もう、パワーはいらない。明日にとっておこうぜ。」
「明日の戦いごっこも、負けるなよ。」
「さて、夢の世界に行くとするか。」
「目をつぶって、口を閉じろ。同じ夢を見ようぜ。」

こんな会話を交わしていると、ゆうも「今日はおしまい。 明日に備えよう・・・」と思うのか、
すんなりと眠りの世界へと誘われていくのだった。


こじま 2001.4.7

この頃、ゆうとのおしゃべりはますます楽しいが、
昨日は、新しく入ってきたお友達が気になるようで、 いろいろと教えてくれた。
「あたらしい、あまえんぼうのおともだちなー ママ〜って泣くねんでー。」
私が「そうなん?」と聞くと、
「まあ、すぐになおると思うけどな。」なんて生意気に言ってる。

また、朝にはこんなおしゃべり。
東京ディズニーランドの映像がテレビで流れてるのを見て、
「つぎのつぎのつぎのおやすみに、いこうな。」と言うので、 (6月に行く予定)
「亮太郎お兄ちゃんや、凌くんと行くねんよ。」と言うと、
「こじまはおそいから、ひかりで行こな。」なんて言ってる。
私が「こじま???」「こだまと違うの?」
と聞くと、とっても照れて大笑いしていた。


ゴミ 2001.4.7

園からの帰り道、ゆうが家の前の道でゴミを拾った。
本人の意識では「拾った」というより、「触った」という方が 正しいんだろうけど・・・
こういう時、私は、「汚いから、触ったら駄目!」と言いたくない。
もちろんあまりにも不衛生なものは考えてしまうが、
本人には自覚がないにしろ、この行為はいずれ「ゴミを拾う」に結びつくものだ と思うので、
初期の段階で、それを阻止したくない。

そして、もっと大きくなったら、もしかしたら、こんな風に「拾う」ということ はしなくなるかもしれないけど、
少なくとも、「ゴミを捨てない」という考えには 自然にたどり着くと思う。
ここで「汚いから」という理由で、ゴミを触ることすら 否定したら、
子供は、ゴミについて「捨てる」「拾う」で捉えることを しないで、
「汚い」だけに注目してしまうと思う。

昨日のゆうは、ゴミを両手に、私の反応をうかがっていた。
きっと、「汚いから、やめなさい!」と言われると 思ったんじゃないかなー。
いつでも、手離す準備をしていたように見えた。
けれど 私は、「それどうしたの?」と聞いたので、
ゆうはあてがはずれたように、「ばばちーの?」と聞いた。
私が「ゴミを拾ったんだったら、ごみ箱に捨てたら どうかなぁ。」と言うと、
ゆうは嬉しそうに「そうやな。」とにっこりした。
その後、「誰が捨てたんかなぁ。」「悪い人やなぁ。」 「泥棒とちゃうか?」なんて会話をしながら玄関に着く。

迎えに出たおじいちゃんは、その姿を見てびっくりした様子。
潔癖症の彼が今にも「ばばちいもの、触りなさんな!」 と言いそうな顔をしていたので、
私はそれをさえぎるように、
「ゆうくんが、家の前のゴミを拾ってくれたんよ。 かしこいねー。」と大声で言った。
おじいちゃんは、苦笑いしながら、早くごみ箱に捨てるように 促していた。


伝える力 2001.4.7

どういうわけがゆうが、「これ読んで!」と言って
赤ちゃんのときに読んでいた絵本を持ってきた。
それは乗り物のイラストが1枚に1つづつ描いてあるものだ。
1歳くらいの時、ゆうはどんどん乗り物の名前を覚え、
「ショベルカー!」「コンクリートミキサーシャ!」「タンクローリー!」 なんて叫んでいるので、
我が子ながらひょっとして天才 じゃないかしら・・・などと思ったものだ。(後に、男の子は どこも同じ、と知る)

だいたい、大人だって、区別のつかないような専門的な名前が出てきて、
し かもそれが幼稚なイラストで描かれており、 本によっては呼び名が違ったりするようなあいまいなものを、
子供がしっかりと把握しているわけがない。
何度も繰り返し読んでいるうちに、ある部分の色の違いや 形の違いや、
とっても部分的なことで、子供にはインプットされていたんだと 思う。

そして3歳になって同じ本を読んでみると・・・
以前は「カーキャリア!」と言えていたものが、今は言えない・・・
あれれ???
知能が退行してるのかしら?などと戸惑っていると、
うーんと考えて、 「車をはこぶ車!」と元気よく答えてくれる。
「レッカーシャ」は「壊れた車を運ぶ車」
以前は、音だけで覚えていたのに、今はその役割で 捉えているようだ。

時々、物の名前が出てこなくても、「○○するやつ」と説明 してくれて、相互理解できることがある。
これって、私たちが英語の語彙を増やそうとしてたときに よく似てるなーと思う。
そうそう名詞ばかり覚えてられないので、外国人と話すときは、
自分の表し たい事柄を、別の言葉に置き換える力を養っていったと思う。
イギリスで数年暮らしていた人は、知らない言葉を、
どれだけ自分の知って る言葉に置き換えて、相手に気持ちを伝えられるか、 がポイントだと言っていた。
そういえば、職場のイギリス人は、知らない言葉でも黙りこまず、
どんどん 自分の知ってる言葉だけで、こちらに伝えようとしてきて、
それがかなりか け離れていることも多いので、
こちらも何だか、「あてもの」のような雰囲気になってきて、
相手の意図することが読めたときには、何とも嬉しかったものだ。

コミュニケーション、ってこういうことかも知れない。
「置き換える力」 すなわち、応用力、想像力・・・
どんな分野でも、これらを携えている人は、「強い!」と私は思う。


特別な日 2001.4.7

私は絵本は読むけど、図鑑は読まないことにしている。
家には仮面ライダーとか、ウルトラマンの小さな図鑑が いくつかあるが、
どれも、名前や武器や技の羅列で、 読んでいて面白くないし、面倒だからだ。
けれど、ゆうはこれらが大好きで、よく「読んで!」とせがむ。
そういう時は、「絵本は読むけど、図鑑は読まないよ。 図鑑は一人で読みなさい。」と答える。
彼には今それらが最も興味をそそられるらしく、
文字も読めないのに、食い入るように見ているので、
いつかその集中力が手伝って、文字を覚えていくので はないかしら、とも思うのだ。
なのでゆうは、本を持ち上げて私に「これ絵本?図鑑?」 と聞いてくる。
「絵本よ。」と答えたら大喜びで飛んでくるだろうなー と思うけど、
私は冷静に「それは図鑑」と答える。 がっくりとうなだれる、ゆう・・・
その姿があまりにかわいいので、私はその日は 特別に読んであげることにした。
「今日は、スペシャルデーやで!」とかなりもったいつけて・・・
いつまでもいつまでも、文字の羅列を読みつづける。
それでもゆうは、不思議なことに、どのあたりを読んでいるかも分かっているよ うだった。
そして、反復して、武器や技の名前を覚えようとしている。
「○○過多」のこの時代、「渇望」するっていいなーとその時何となく思った。
私が、めんどくさがり屋でなくて、いつなんどきでも彼の 要求に応じていたら、こういう光景はなかったと思う。

私は相変わらず、ヒーロ図鑑は読まない。
けれど、思いつきでその日がスペシャルデー♪だと思ったら、
ときどき、 彼の気のすむまで、読んであげよう。


鏡の裏 2001.4.1

私は日ごろから、こまごましたものをアイテム別に分けて、
かごにいれたりポーチにいれたりして、管理するのが好きだが、
ゆうの小物(オモチャや文具)もそのようにしている。
最近はゆうも、どこに何が入っているのか分かっているので、
いちいち私が出してあげなくても、自分で探して出している。
また元の場所にしまえるかどうかについては、 完璧ではないが・・・

昨日は、「折り紙を切る!」と言うので、 折り紙の場所と、文具類のポーチの場所を教えたら、
ゆうは椅子に座って机(カラーボックスを横に置いたもの<中にいろいろしまえ て便利)に向い、
夢中になってごそごそ作業を始めた。
そんな様子を好ましく思いながら、私は読書をしていた。
こんな時は、のめりこんでしまう小説ではなく、
かる〜く読める、短めのエッセイを読むことにしている。
いつなんどきゆうが、「ねえねえー」と私を必要とするか 分からないから。(笑)

しばらくしても私にSOSを出さないが、どうやらのり(ステッィクタイプ)がなく なって、
先がとれてしまい悪党苦戦している様子。
しょうがないので、いただき物でしまっておいた、 よく学校で使うタイプの糊を手渡した。
ただし、これは使うときは、ほんの少し手につけるだけで いいことを説明し、
ねとねとしたら、ハンドタオルで手を 拭くように促してみた。
ゆうは「これくらい?」といって、私に糊をすくった指を見せる。
「とっても上手!それくらいでいいよ。」
こんなやりとりを繰り返すうちに、次第にいたずら心を起こしたようで、
たーっぷりと手につけて、「これくらい?」と聞いたりするけど、
もうその顔はおかしくて笑ってしまっている。
私が「駄目よー」と大袈裟に言うと、また元の量に戻して、
「これくらい?」と聞いてくる。
こんなやり取りも何回もした。
こうやって、糊の使い方も覚えていくんだなーと思う。

さて、糊の扱い方に慣れたゆうは、もう私にお伺いをたてたり せず、またもくもくと作業に戻った。
それから20分程度経過。
「できたー!」と叫んで私に見せた作品は、
水色の折り紙を半分に切って、半分は台紙にし、
半分の 裏の白い部分を小さくちぎって、ちりばめて貼ったもの。
なかなかの作品。(親ばか)

ゆうが「貼りたい!」というので、鏡台の鏡の裏に貼った。
実はこの鏡台、お嫁入りの際、親が用意してくれた立派な ものだが、
ゆうが這うようになってから、 引き出しを悪さされるのが嫌で、
壁に向けて裏返してしまったのだ。
当 時は、いたずらを防ぐ環境作り、が育児の最大のポイントだった、と思う。

母が見たら、卒倒しそうな光景だけれど、
私は鏡台にべたべた貼ったゆうの作品集を気に入っている。
どうせ、いずれ向きを元に戻したとしても、
鏡の裏なんて壁に向けて置くものだし、誰の目にも触れないだろう。

いつか子供が巣立って、
ふと部屋の模様替えをしたくなった時、
思いがけず、 鏡の裏に貼られた、ゆうとの楽しい日々を思い出して、
私は、
しわしわかもしれないけど、
「いい笑顔」をするんだと思う。


春の憂鬱 2001.4.1

4月に備えて新しい先生がたくさん増え、教室の雰囲気も変ったのか、
ゆう は月曜日から預けるときに号泣している。
教室のドアのところに固まって中の様子をうかがっているが、
私を玄関まで引っ張っていって泣いている。
初めは私も動揺したが、すぐにいつもの4月の「それ」、と気がついた。
どこの子もだろうが、進級の季節には情緒が不安定になって、去年も一昨年もこ んな感じだった。
これはしばらく続くな〜と覚悟したけれど、
今朝は泣いていたけれど、私が門のところでもう一度教室を見てみると、
先 生に抱かれてにこにこバイバイしていた。
この2日間、朝の号泣に付き合ってくださったパートの先生に ようやく慣れてくれたみたいだ。

3日目にして回復とは・・・
やはり、ゆうはお兄ちゃんになった。(しみじみ・・・)


同じ夢みよう・・・ 2001.4.1

朝ゆうに「今日は夢みた?」と聞くと「ううん。」と首を振った。
いまいち寝ぼけてるゆうを起こそうと、「アギトの夢見たことある?」と聞いてみ ると、「ううん。」と首を振るだけ。
「お母さん、アギトの夢、見たいねん。今度ゆうくんの夢に 出てきたら、そうゆーてくれへん?」
この辺りから、ゆうの意識をはっきりしてくる。(しめしめ・・・)
むくっと起き上がったゆうは、壁に貼ってある仮面ライダーアギトのポスターに 向かって、
「アギトさん!今度、お母さんの夢に出てあげて!!」と元気一杯。
そして私も「アギトさん!ゆうくんの夢にも出てあげて!!」

「じゃあ、ゆうくんとお母さん、一緒の夢見ようよ。」 と言うと、「うん、そうしよう!」とゆうが答えてくれた。



読書日記

「愛はストレス」〜久田 恵 著〜

「還暦離婚」〜戸川 昌子 著〜




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