あの日の私・・・

あの日の私・・・


過去の出来事や、未だに謎がとけないことなど 思い付くままに綴ってみようかな。


男でも出産できる!
〜小6〜
道徳の時間
〜小5〜
お歳暮
〜小4〜
グラビアクイーン
〜小3〜
高見
〜中1〜
痴漢
〜大2〜
ババ
〜小4〜

〜大2〜
浮気
〜小3〜
おじいちゃんの死
〜小1〜



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男でも出産できる!〜小6〜

今日、何気に知り合いのお姉さんの名前をだして「あの人子どもおるん?」って
お母さんに聞いたら、「結婚してないのに、おる訳ないやん。」って言われた。
だから、「なんで、結婚したら子どもできるん?」って聞いたら、
「結婚して相手のことが好きやったら、子どもはできるんよ。」との答えだった。

なるほどぉ〜

でも、結婚って、制度の問題、つまりは社会科の分野だよね。
それでもって、好きかどうかってのは、感情の問題、どっちかっていうと国語の分野かな〜
だけど、生物が生命を宿して、出産するっていうのは、理科の分野だと思うんだけど・・・
理科の問題を、社会や国語で解決するのは、おかしいんじゃないかな。

でもって、もし結婚して相手を好きなら、子どもができるっていうんなら、
男の人にも出産の可能性があるわけだ。(このあたりから私の考えは、お得意の飛躍をみせる)
昔から、女が子どもを産むものと、みんなが勝手に思ってるだけで、
これからは、女の人も仕事を持つだろうし、(うちのお母さんだって、働いてるもんね)
申請さえすれば、男が産んだっていいんだよ。

大人からの理科の分野の説明がなかったため、こう解釈し、確信した私は、
ある日、友達とそのお母さん達数人の前で、
「これからは男の人も、子ども産めるねんで。」と公言した。
友達は、「へー」って顔だったけど、おばちゃん達はくすくす笑ってて、
お母さんは「もう、この子ったら〜」って表情をした。

「おばちゃんら、これからは、そんな固定観念にとらわれてたら、あかんで。
発想の転換やでぇ〜。」

やはり、このての問題について、大人はまず、
理科の分野からアプローチすべきだろう・・・


道徳の時間〜小5〜

道徳の副読本で印象に残っている話が2つある。
1つは、「無償の愛」

バスに乗ってる若い女性が、乗り遅れて走って追っかけてくる人を見て、
運転手さんに「止めてください」と言う話。
決して自分の為になるわけでもなく、誰から感謝される訳でもないのに、
誰かの為に何かをする、という行為を素晴らしいと思った。
それ以後、この言葉が気に入って、何かっていうと親に、「親が子を
思う気持ちは、無償の愛やから、子どもに何も望んだら、あかんでぇ」と
言っては叱られていた。

「無償の愛」は、親が子を思う気持ちにのみ、存在し得ると
今でも思っている。それ以外は、見返りを期待してしまう、
人間の愚かさや弱さがつきまとう。男女の愛もしかり・・・

2つめは、「マラソン大会」

マラソンの苦手な友達のために、大会当日、主人公が最後まで一緒に走ってあげる、というものだった。
みんなは、「友達の為に、一緒に走ってあげるのは、優しい」とか
「苦手な友達は、一緒に走ってくれて嬉しかったと思う」とか
「私も、困っている友達を助けようと思う」とか発表して、終わった。

私は、とうとう1回も発表しないままだった。
だって、てっきり先生から、「でも、本当にこれで良かったのかな?」って
問いかけが、あると思ってたんだったもの・・・

マラソンがスポーツである以上、手を抜くのは一緒に走ってる友人達に、失礼だと思っていた。
「人のために・・・」って、そういうことか?
じゃあ、勉強の苦手な子の為には、答えを教えてあげたり、
一緒に0点とってあげたりするのか?

「友達のために」ってことをテーマにして、敢えてマラソンを題材としたならば、
もうひとつ奥に隠しテーマが用意されていると、思っていた。

なんだか、納得がいかなかったが、
そんなこと言ったら、私は冷たい人間だと言われそうで、
誰にも言わなかった。


お歳暮〜小4〜

3歳の頃からピアノを習っていた。(のわりに、下手なんだけど)
その日も週に1度のレッスンを、いつも通り終え、家に帰るところだった。
すると、先生が私を呼び止めて、「お母さん、具合でも悪いの?」と聞いた。
とっさに「いいえ」と答えると、先生は聞いてはいけないことを聞いたかのように、
「なら、いいんだけど。」と答えて足早に去っていった。

その時の、彼女の表情を私は見逃さない。
明らかに、何かを隠している目だった・・・

母は、実は大きな病気をしているんだ。それを私だけが知らないので、
先生は私のことを不憫に思ったんだ。
私は、歩いて5分の道のりを、涙がこぼれないよう上を向いて歩いた。(坂本九か!)
私なんかが泣いちゃあいけない。
こんなかわいい子を残して、この世を去らなければならない母の方が、よっぽど辛いんだ。
今、私に出来ることは、今まで通り何もなかったように、明るく過ごすことだ。

(この時、昨夜までの、母の食欲や、私を怒鳴りちらすパワーについては、すっかり忘れていた・・・)

家に帰り、いつもより大きな声で「ただいま〜!」をした。
母の顔を見た瞬間、さっきの誓いとは裏腹に、
どうしても、あと何年の命なのか、知りたくなった。
まずは、「ピアノの先生に、お母さんが具合悪いんか、って聞かれたよ。」と切り出して反応を見る。
すると、母は、ついにその日が来た、というふうに大きくうな垂れた
りはせず、
「あー今年は、お歳暮してないからやな。」
と言った。

なんちゅう、親や?


グラビアクイーン〜小3〜

今ちまたでは、グラビアクイーンがもてはやされ、
不自然に胸の谷間を強調しては、あどけなく笑ったりしているが、
そんなの私は、とうに経験済みだ。

その日は、夏休みで学校のプールが開放されていたので、私は友達と時を忘れて遊んでいた。
すると、脚立と、明らかにプロ仕様のカメラを持った男が現れ、
「写真撮らしてくれる?」と声をかけてきた。
少し前から彼が、私、いや私達の方を見てることは気付いていたので、さほど驚きはしなかった。
それに、浮かれてはいけない理由もあった。
だって、その時、学校でも1、2を争うかわいい子(愛ちゃん)と一緒にいたし、
きっと、その子を撮りたいっていうに決まってるもの。
それでもやっぱり嬉しかった私は、愛ちゃんと顔を見合わせて、キャッキャ喜んだ。

しかしその後、私が、というか、誰もが耳を疑うことをカメラマンは言った。

「こっちの子(私のこと)だけでいいよ。」

えーうそーっ!マジですかぁ?

私は、明らかに床上15センチは飛び上がったが、幸い水中だったので誰にも気付かれずにすんだ。
けれど、愛ちゃんへの配慮も忘れず、少し哀しそうに迷ってる顔もしてみせた。
生まれつきかわいい子の特徴で、全くひがみというものを持ちあわせていない愛ちゃんは、

「みくちゃん、がんばって!」とかわいく言って、私から離れた。

よっしゃー!こうなったら、愛ちゃんの分まで、頑張るぜっ!とばかり
私は、様々なポーズを取って、カメラマンに笑いかける。
カメラマンは「いいねー、みくちゃん。もう一回。こっちに目線くれるかなぁ。」
なんてことは言ったりせず、
つまらん仕事をやらされてる人間の顔で、淡々とシャッターをきった。

私は、一躍スターだった。

けれど、その後何の音沙汰もなく、
もうそんなことはすっかり忘れていた、1ヶ月後、
新聞の折込みチラシに混ざって、「差別をなくそう〜未来の子どもたちのために〜」
とデカデカと書かれた、町が配布しているチラシが目に付いた。

そこには、真っ黒に日焼けして、いかにも田舎の子
みたいな、いがぐり坊主が白い歯をむきだしていて、
彼らの顔に囲まれてど真ん中で、ひときわ大きく笑っているのが

私だった・・・

写真は、首から上だけで、水泳帽で眉と耳は覆われ、
それこそ、前か後ろか分からないほど日焼けした私。

事務所に所属してたら、

ちょっとイメージ違っちゃってるんだけどぉ〜

ってクレームするところだ。

その後、友達にあの時の写真について聞かれても、一切「知らない」を決め込んだので、
以降、話題にのぼることなく、ひっそりと実家のアルバムに保管されている。

父が、私の写真の横に「みく・9才」と書き添えて・・・


高見〜中1〜

高見はどんくさい男だった。
バレー部の顧問をしていたが、へたくそで、そのあと卓球部にまわされ
あげくの果てには、吹奏学部に落ち着いた。

あいつは、一体、何ができるねん?

妙に感激屋の彼は、思春期の私たちにとって、絶好のからかいの的となった。
その日は、部の先輩の、後輩いびりが激化していたので、
高見を交えて、話し合いをしていた。
もちろんいじめられるのは、先輩を抜かしてレギュラーになってしまうような
子達だったので、私はかやの外・・・
最後に高見が、
「お前らも、もっと大人になれ。人のええとこ見いよ。」
としめくくったので、先輩達は笑い転げ、私は笑いをこらえるのに必死だった。

でもなぜか、この頃あの時の高見の言葉をふと思い出す。
人と関って生きてく上で、「人のいい所を見る」これ、すなわちすべてだと思う。
この能力にたけた人間は幸せになれる。

子どものいい所を見る・・・
主人のいい所を見る・・・
姑のいい所を見る・・・
職場の人のいい所を見る・・・

20年近く経った今、ようやく身をもって、高見の言葉の意味が分かる気がする。
今度偶然見かけたら、高見先生に、このことを伝えてみようかな。
高見のことだから、きっと涙を流して喜ぶだろう。

おっと、こんな事を言ってはいけない・・・


痴漢〜大2〜

私は、とにかく痴漢によく合った。
ただでさえ、ボーン・キュッ・パッのボディに、
かなり挑発的なファッションをするので、仕方ないことなのかもしれないが、
なーんてのは、全くの嘘だが、

私が遭遇した痴漢体験の中で、どうしても忘れられないものがある。

その日は、まださほど暗くはなかったので、父に迎えを頼まず、
駅から10分の道のりを、歩いて帰ることにした。
ちょうど真ん中まで帰って来た頃、
若い男性が、原付で後をつけているのに気付く。

やばいっ。痴漢だ・・・

こういう場合は、歩をゆるめ、追い越してもらうに限る。
私は、歩く速度を落とし、それでも追い越してもらえず、
ついには、ぺんぎんさん歩きになっていた。
けれど、予想に反して、彼も、私に合わせて速度を落としていった・・・

きゃーどうしよぉ・・・

周りを見渡しても、誰もいない。
止まるべきか、このまま相手が追い越すのを待つべきか。
止まった瞬間、後ろから、はがいじめにされるだろう。
けれど、この状態を続けるには、もう限界だ。
ごめんなさい、して許してもらおうか。
いや、狂った果実にとって、もはや私はうさぎちゃん。
見過ごしてくれる訳もないだろう。

あー絶対絶命!!

耐え兼ねた私は、ほとんど何も考えず立ち止まり、多分ものすごい形相で後ろを振り返った。
そして次の瞬間、彼のひとこと・・・

彼「ちゃうちゃう。ここ、俺の家やねん。」

私「???」

そう、私が立ち止まったその場所は、ちょうど彼の家の玄関の前だった・・・

はっずかしぃー!!


ババ〜小4〜

昨日テレビで、ちあきなおみが「喝采」を唄っていた。
あれって昭和48年のヒット曲だったんだ〜

その日は、学級会で「石川くんについて」という議題で話し合っていた。
石川くんっていうのは、1学年4クラスという、そう少なくもない学校で
唯一、小学6年間、同じクラスだった男の子だ。
この頃は、だれだれについて、っていう話し合いがよくあったんだけど、
いじめられるっていうか、からかいの対象になっているような子のことについて
誰かが提案して、「話しあいましょう」っていうもの。

今回は、どうやら本人による直訴みたいだった。
ババと呼ぶのをやめて欲しい」ってことと、
彼にまつわる、不名誉な替え歌を唄うのをやめてほしいって訴え。

ババっていうのは、関西ではウンチを意味する。
もちろん「馬場」って名字も、子ども時はからかわれてしまう。

石川くんは、小1の時、砂場で犬のウンチを触ってしまい、
依頼、ずっと「ババ」で通っていて、本人も自分のことを「ババ」と呼んでいた。

替え歌は、「喝采」のサビの部分をアレンジしたものでこんな感じ。

♪あれは、3年まえっ! ひとりっ! すなばっで遊んでいてぇ〜
ババをさわあってしまーい
ババと呼ばれたのぉ〜♪

私は1年生が考えたにしてはセンスあるな、と思ったが、もちろん
「人の事をババと呼んではいけないし、替え歌でからかうのも良くないと思います。」
と発表した。
さて、皆の意見も一致し、そろそろお開きかって時に、
「でも、この替え歌は一体誰が作ったのですか?」って本論からずれる、おバカな質問をした奴がいたが、
真相は分からず、学級会は無事終わった。
その後、石川くんをからかったりするような子は一切いなかった。
なかなかいい学級だったな〜

ところで、最後になったが、
あの替え歌を作り、広めてしまったのは、
私だ・・・

やっぱり?


父〜大2〜

どこの娘でも同じだとは思うけど、私は父にこよなく愛されて育った。
その過剰ぶりは、いわゆる過保護ってやつだったと思う。
結婚してからは、「他の男にくれてやったもの」とばかり、あまり世話をやいてくれなくなって(あたりまえか)
むしろ子供を産んでからは、母親の方が、同じ女として、いろいろ協力してくれるから不思議だ。

さて、そんな父にまつわる逸話は数知れず・・・
何せ、高校受験の時「車で送る」といってきかない父をふりきって、友達とバスで学校に行こうとすると
バスの後ろから車でついてきたくらいだもの。(笑)
父いわく「渋滞したときのために・・・」て
渋滞したら、おんなじだろっ。

その日は、私の初めての家庭教師の日っていうか、初めて車で家庭教師に出かけた日だった。
それまでは、父の送り迎えつきだったんだ。(そんな家庭教師いるか?)
何と、父は私が免許をとっても、運転をさせる気はなかった。
理由は、危ないから・・・
それで、このままでは本当にペーパードライバーになってしまうと焦った私は、強行手段にでたのだ。

父の帰りを待たず、車で家庭教師先へ向かう。
場所は、家から車で15分程度。快適なドライブを楽しんだのはいいけれど、
駐車場が思いのほか狭く、バックで入れられなかったので、とりあえず突っ込んでおいた。
帰りのことは、その時考えよう。

そして、2時間の勤務が終わったあと、駐車場にむかって、びっくり!!
なんと、車の向きが180度変わってるのだ。

えーーーーっ!!

鍵は私が持ってるし・・・鍵もかかってる。っていうか、もしこじ開けられたとして、
誰がこんな無意味なことするだろうか。目的はなに〜!?

気持ちわる〜い!!
おまわりさ〜ん!!

って、何もされてないか・・・

心臓がバックンバックンいってる私に、次に目に入ってきたものは、
ハンドルの上でひらひらしている、テイッシュペーパーだった。
そこには、

「向きを変えておきました。父より」

と書かれてあった。

なんと、会社から帰って、事情を知った父は、私が無事に着いているか原付で確かめにきたところ
車が突っ込んでいれてあったので、方向転換して帰ったらしかった。

何をするねん!?


浮気〜小3〜

鍵っ子だった私は、その日は学校から帰って、一人でワイドショーを見ていた。
画面の上に、「激論!男と女」という文字。
左側に女性数名、右側に男性数名が座っていて、どうやら激論バトルを繰り広げているみたいだ。
テーマは「男と女、どっちが浮気性か?」みたい・・・

うーん???どうなんだろう?
難しいなー。
これが学級会なら当然女子をリードすべく、活発に発言するところなんだけど・・・
さすがの私も、テーマがテーマだけに傍観者にまわるしかない。
って、テレビだから当たり前か・・・

まだランドセルもおろしてないことに気づいた私は、とりあえず一息ついて
じっくりと番組にのめり込む。

どうやら圧倒的に女性が有利なようだ。(良かったー)
けれど男性陣も負けてない。(生意気やでー)
さらに男性陣に有利な、決定的再現フィルムが流れる。

それは、若いセールスマンがある家を訪問し、出迎えた人妻が、中に入るよう勧め、
彼が説明している間、なまめかしいポーズを取り、熱い視線を送る・・・
というものだった。
会場の男性は大喜び!!ここぞとばかり、女性陣を攻撃した。

どっちが勝ったかは覚えてないが、私的には、どうも釈然としなかった。
うーん。どっちなんだろう???
でもやっぱ男の人の方が、好きな気がするんだよねー。
だって女の人はブラウスとか着るけど、
男の人は、みんな上着(スーツ)を着てるもの。
お母さんが帰ってきたら、どう思うか聞いてみよう。

(そう・・・私はうわき<浮気>とうわぎ<上着>を取り違えていた)

「男と女、どっちが上着が好きか?」
たしかに・・・
難しい問題だわさ。


おじいちゃんの死〜小1〜

おじいちゃんの具合が良くないのは、知っていた。
このところ、毎晩親戚の人から、お母さんに電話があって、
その後、お母さんとお父さんがなにやら話しをしていたから。

私の両親は島根の出身で、母は10人兄弟だが、
県外に出て暮らしているのは、私たちだけだった。
なので、いとこもみんな島根にいる。
小さい頃こそ、盆暮れには帰省して、
仲良く遊んでいたいとこ達とも、ここ数年はあまり会っていない。
5つ上の兄が、部活の関係で、帰省したがらなくなったからだ。

私は3つ上の、るみちゃんが大好きだったし、生まれたばかりでかわいくてしょうがない
わたるくんにも、会いたかった。
だから、1日の終わりには、
「おじいちゃんの具合が悪くなって、島根に帰れますように」とお祈りするようになった。
そして、昨日の夜、親戚からの電話で、なんだか「きとく」という言葉が飛び出して、
明日の夜にも家族で帰省することになり、お母さんは、
黙々と台所で食器を洗っていた。

私は帰省が決まって、なんだかウキウキして、部屋で寝ようとしたけれど、
「きとく」の意味をもう一度考えてみた。
多分、もうすぐ「死ぬ」ってこと・・・

おじいちゃんとはいっても、私たちだけ県外で暮らしているし、
田舎の人のひどいずーずー弁は、何を言ってるかさっぱり分からないし、
第一話しをしたことがあるのかどうかさえ、
全くぴんとこなかった。
けれど、ここ数日おじいちゃんが死ぬのを待ち望んでいたのは事実だし、
それは絶対にいけないことだし、
お母さんは、あんなに落ち込んでるし・・・
いてもたってもいられなくなって、正直にお母さんに今までの自分の気持ちを
話して、あやまってみた。

今となっては何故だか、分からないが、
優しい言葉をかけてもらえると思っていた気がする。

けれど、実際に母が私にはなった言葉は、
「もう、あんたはうちの家の子やない。」
の一言だった。
哀しかったけれど、それ以上に自分がしたことが
いかにひどいことだったかを思い知り、
次の夜、島根に向かう車の中で、
私は「おじいちゃんが死にませんように」とぶつぶつ唱え続けた。

けれど、島根に着いたときには、すでにおじいちゃんは
死んでいて、私たち子どもは、別の棟で寝かされたようで、
朝起きてみると、わたるくんが私の右手の指を握っていた。
きゃーかわいい。
私は久しぶりにいとこに会えた喜びでいっぱいだった。

そうこうしてるうちに、お葬式が始まり、
しっかりもので文章を書くのが上手な私は、
弔辞を読むことになった。
おじいちゃんとの思い出なんてなかったけれど、
たまたまごく最近に日の御崎に、みんなで旅行に行ったので
その時のことを盛り込んだ文章に仕上げ、
本番で大きな声で弔辞を読み上げたときには、
私のまだ「死」の意味さえ知らないあどけない様子に、
親戚のおばちゃん達はすすり泣いた。

読み終えて、もとの場所に戻ると、横にいた母が
私の頭を優しくなでてくれた。
実はこれこそが、思い切って事実を打ち明けて許しを乞うた
あの日の夜に、私が母にして欲しかったことかも知れない。

式の間中、いとこのお姉ちゃんたちは、みんな泣いていて、
大好きなるみちゃんまでが、目が真っ赤に腫れていた。
なんで泣いてるのかな。
おかしいな。泣くのは小さい子のすることなのに。
るみちゃんは、私より3つも年が上なのに、あんなに泣いてる。

「ねー、るみちゃん、あんなに泣いておかしいなぁ。」
さらに2つ上の、なおちゃんに言ってみる。
するとたちまち、なおちゃんはとても怖い顔をして、 「そんなこと言うもんじゃないよ。」と言って、プイッと行ってしまった。

私は嫌われたと思った。
おじいちゃんのお葬式に、泣かないから
みんなから嫌われたと思った。
お母さんにも嫌われたし、大好きないとこ達にも嫌われた。

けれど、どうしても涙は出なかったんだ。




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