8月

インターネットの出現は、映画づくりを変えるかもしれない(1999年8月31日)

 誰も何もしなくて様子を見ているだけなら何も変わりはしない。
 地方にいていつも感じることがある。面白い企画(面白くないではない)があるとする、東京ではその企画をめぐって取り合いになることすらあった。そんなあさましい限りのことが、ほぼ日常的に行われているといってもよい。しかし、地方では面白いが面白いままになって何も起こらない。
 僕は映画だけのことをいっているわけではない。すべてにおいてそうだといってもよいほどだ。すべてが中央で企画立案され(ここのところは地方にはほとんど伝わらない)、知らないところで製作され、宣伝・販売戦略のもとに戦術すら決められ、与えられたものでエリアと向き合っている。
 大手企業の福岡支社に勤めている友人が、僕が何ヶ月もかかってワープロで作った企画書を見て言ったことがある。
 「面白いと思うけど、パンフレットがあったらいいのになあ」
 そのときは、製品(作品)もないのにパンフレットなんかあるわけがないだろうと腹が立ったが、地方ではいつも完成してパッケージされた製品があって、パンフレットやチラシもそろい、誰が売っても売れるような販売のノウハウが伝授されてはじめてビジネスが始まってきたことを知らない僕が悪かったのだった。
 しかし、それから5年が経過した今、パソコンを使ったインターネットはもしかしたら僕の友人の思いを現実化できるかもしれないのだ。ほとんど「パンフレットがあったらなあ」という願いを、ワープロと違って優秀なパソコンは高い印刷費をかけなくてほとんど現実化できるからだ。
 もう少し自由にパソコンの操作ができるようになったら、新しい企画をインターネット場で公開するつもりです、そして、面白い企画をあさましく取り合うような、かつての日本映画界の活気をインターーネット上に作り出せると面白いなあと思っています。

 大きな声では言えないが僕は日本の映画祭が嫌いです(1999年8月30日)

 映画祭に関わっている人たちに尊敬できる人がいないのです。
 地方で開催される大きなイベントやテーマパークの建設などと同じように、ほとんどの映画祭が東京のプロたちの手を借りて開催されている。プロたちは、仕事と割り切っているからまだよい。映画祭の周辺にいる、プロなのかボランティアなのか判然としない人たちが嫌いで、日本の映画祭を信用できないのだ。
 どこの映画祭にも、映画祭の実績(単なる慣れか?)を積むにつれて、いっぱしの映画評論家のような見方をするようになった鼻持ちならない連中がいる。おおむね多少シニカルな顔つきの連中は、まるで裁判官のような態度で映画作品の選考に加わっている。
 商業主義で映画祭に関わる東京のプロたちにいいように利用され(利用してると思っている人もいる)ながら、結果的に映画祭の周りにゴロゴロたむろした与太者を演じることになっているのに、まったくその事に気づいていないのか、気づこうとしないのかはわからないが、その姿はあきれるというより滑稽ですらある。
 僕が言ってることがどうだというより、ちょっと周囲をよく見たらすぐわかることです。
 各映画際の関係者は、ほとんど同じパターンの人物たちでキャスティングされている。見事に、何処の映画祭にいっても同じキャラクターの人たちがいて、同じマニュアルで運営されている。
 永田町より狭い芸能界。芸能界の極地ともいえる映画界。ましてや誰も知らない地方の映画祭で、映画評論家気取りの人たちがエイリアンのようだといったらおかしいだろうか。
 これで、また嫌われてしまう。
 一遍で表現することはできない。例をあげ出したらきりがない。ここで言いたかったことは、これからも続く。何故なら、地方の映画祭に、日本人の価値観の捉え方や考え方や人間関係のあり様が見事に集約されているからだ。

今のテレビ番組の多くは観るに絶えられない理由がある(1999年8月29日)

 いずれ、酒を飲まなくて書くこともあると思うが、テレビ番組の作り方には腹が立つよりあきれてしまって、好きなようにすればという気分だ。
 僕は今年51歳になるが、今のテレビ局の幹部といわれる人たちは僕と同年齢である。僕は俳優のマネージャーという仕事を経て映画プロデューサーになったから、テレビ局に知り合いは多い。NHKまで入れてほぼ全局に知り合いがいる。親友と僕が思っている人もいるが、大方が組織に絡めとられていった。
 視聴率万能主義とは儲け主義だ。視聴率を上げるという言葉で儲け主義をごまかし、ひたすら自分たちと視聴者をだましながら、今の繁栄を築いてきた。そして、影響力の大きさにあぐらを掻いて、スポーツや芸能以外にも、政治や経済にまで節操なく口出しをする。分かりやすくを合言葉に、ネタがなくなれば科学や歴史や心霊学(?)まで持ち出して、図解入り、専門家つき、お笑い、馬鹿・アホ・美形・セクシー・ちょっと知的に見えるタレントなどを配して、素人芸を公共の電波を使ってビジネスにしている。
 タモリやたけしやサンマが出始めた頃はまだよかった。公共の電波であるという縛りが、奇妙に視聴率は関係なくいい番組を作るというだけの堅苦しさを生み出していた。これが、彼らの出現によって「母と子のフジテレビ」から、「面白くなくてはテレビじゃない」に代わり、各局がこれに追随して今日に至っている。
 僕の知り合いの(あえて友人とは言わないし、親友とも言えない。おそらくテレビ局には親友などという言葉はバーチャルな言語になっているはずだ)幹部たちは、一応出世コースを目指しているという振りをしながら、局内でやりそこなわないように気を付けながら生きている。
 
芸能マネージャーの役割は大きい(1999年8月28日)

 僕は映画のプロデューサーになるために芸能マネージャーの道を選んだ。芸能マネージャーになって一番よかったことは、企画書を読めて、シナリオを準備稿から決定稿まで読めたことだ。それも、各映画会社やテレビ局のすべてだ。
 僕は、給料をもらいながら現在進行形で映画のシナリオを読むことができた。時には、ぽしゃって作品化されなかったものや、何かの問題が起こって放送されなかったものまで読むことができた。
 キャスティングが始まり、僕も自分の抱えている役者を売り込んで仕事をとるわけだが、キャステイングがどのように進んでいくかもさまざまなケースで知ることができた。何度も、自分が抱えてる俳優よりその役に合った俳優がいると、監督やプロデューサーに進めたこともあった。
 特に、無名の新人の場合は、重要な役割をになった。僕を新人俳優の情報ソースとして扱ってくれることもあった。その代わり、僕が売り込みをしなくても抱えている俳優たちを使ってくれた。
 そして、僕がプロデューサーになったとき、僕は何人かの芸能マネージャーに情報を求めていた。蛇の道は蛇なのである。プロデューサーになった途端、マネージャーの世界の情報は入りにくくなる。
 かつては付き人的役割をかねさせられていた(今でもその傾向はあるが)マネージャーの危うい立場が、プロダクションが大学卒業者を採用するようになって多少マネージャーとしての立場を保証されるようになったろうが、僕や渡辺正憲(『モーニングムーンは粗雑に』監督)以来、プロデューサーや監督になったという話を聞かない。 もしかしたら、大学卒の付き人になってしまったのではないかと心配だ。
 
シナリオとは何か?(1999年8月27日)

 映画を見ている人たちのほとんどの人がシナリオを読むことはない。それは、建築物を見ていて誰もが設計図を見ることがないようなものかもしれない。家も自動車もおもちゃも、それこそ身の回りにあるほとんどすべてのものに設計図があるといっても過言ではないぐらいだ。
 映画のシナリオは、設計図のようであっても設計図ではないと僕は思う。何故なら、他のものは設計図に指示されているようにできあがるが、映画はシナリオどおりにはできあがらない。だから、シナリオと設計図は違う。
 映画「熱海殺人事件」を製作するとき、原作者のつかこうへい氏によるリハーサルを約一ヶ月間組んだことがある。結局2週間足らずでリハーサルは終了したが、つかさんがシナリオを作るためのリハーサルと僕は位置付けていたからそれで十分だった。
 映画のスタッフから、リハーサルに対して不満が出ていた。監督がリハーサルをやるのなら納得できるが、原作者といえどもシナリオライターがリハーサルをしきるのはおかしいと。
 僕ははプロデューサーだから、原作者であろうと、シナリオライターであろうと、監督であろうと、役者であろうと、カメラマンであろうと、例えプロデューサーであろうと、映画が面白くなることであればすべて受け入れる考えだ。
 たとえば、ホームページを立ち上げるときサイトをプロバイダーに転送するが、パソコンの中でサイトの上下関係はきわめて明白である。すべてが、index.htmに支配されている。そして、index.htmによってそのホームページが機能していても、面白さやダイナミズムは各ページにあり、巧みな構成力によって見るものを魅了する。
 映画製作の機能が、撮影所の崩壊とレンタルスタジオ化によって変わっている。撮影所でもないのに、「松本組」とか「横山組」とか「黒澤組」とか、今でも撮影所の慣わしがまかり通っている。撮影所の監督は、index.htmだった。
 そして、多くのシナリオライターが、生活のために便利屋に成り下がっている。まるで、ホームページ作成代理業者のような。業界の動向だけを見ながら、お仕事をもらうためにちんけな営業ばかりしている。
 いいシナリオは、わけのわからない図形や数字で構成されておらず、誰にも理解できる言葉で表現されていて、自分が監督したいなあと思うぐらい、あるいは完成したら観てみたいなあと思わせる力を持っている。

映画は戦争だと思う(1999年8月26日)

 僕は昔話をするつもりはない。映画は戦争に似ている。フェアな戦争がないように、フェアな映画はないいったら言い過ぎだろうか。『スポーツ&芸能』といったて、映画がスポーツとは違うことはわかる。スポーツの世界でアンフェアなことが行われたら、永久追放とか厳しい査定が待っているが、ということはスポーツの世界でもアンフェアなことがあるということだが、映画や芸能の世界でそれが表ざたになることは少ない。時折、タレントの引抜などが表に出ることはあるが、それは少ないということではなくて、そのほとんどが裏の世界で解決されていて、大半が表に出ることはなくアンフェアで成り立っている闇の世界に似ている。
 そう、映画や芸能(テレビやレコードも含めてだ)はまったく闇の世界なのだ。あのアメリカでさえそうではないか。映画や芸能をしきっているのは、マフィアやユダヤ人ではないか。例え、有名なテレビ局や配給会社の名前がかぶせてあったって、所詮河原乞食の世界が巨大マーケットを形成していっただけなのだ。
 泥棒や盗人が横行しているのが芸能界だといったら、銀行に勤めている友人が「今は大企業もそうで、別に珍しいことではない」と言われたが、威張るわけではないが映画界や芸能界は昔からずっとアンフェアな世界だった。
 今ここで、具体的な例をあげることはできない。ありすぎて、とてもここでは書けない。それを暴露するのがこのホームページの意図でもないし役割でもないが、そのうち少しずつもれ出てしまうだろう。
 映画は、単なる喧嘩や戦闘ではなく、本当はまったくの戦争なのです。映画がエンターテインメントのカテゴリの一部に位置付けられるなら、戦争はエンターテインメントのカテゴリの中で質量ともに人気ナンバーワンに位置付けられなくてはならない。

 嫉妬を覚えるような映画の企画とは何か?(1999年8月25日)

 かつての話しが多くて申し訳ないが、20年ほど前に某スポーツ紙が、『イラストレーターのS・K氏が酒呑童子をマーロン・ブランドで映画化』という大きな見出しの記事をすっぱ抜いたことがある。
 当時S・K氏は有名な売れっ子イラストレーターで、僕はこの記事の内容を読んで嫉妬したことがある。『ああ、俺はなんて才能がないのだ』と生まれてはじめて嫉妬心というものを知った。男の嫉妬心ほど、情けないものはない。
 その映画化の話は、その大きな記事だけで映画化されることはなかったが、それで嫉妬心が薄れるものでも、忘れられるものでもない。企画のスケールの大きさはいまも通用するものだと思っている。酒呑童子外人説と世界の大物俳優マーロン・ブランドの組み合わせは、映画プロデューサーの顔色を失わせるに十分だった。
 もう一つ、やりたかった企画がある。丸山健二原作の「ときめきに死す」だった。これは、映画化権をとりにいった僕より先に山際淳二さんが丸山さんに声をかけていて実現できず、結果的に森田芳光監督が映画化した。このとき僕は、映画化される前に、自分のけじめのためにも、3ヶ月ほどかけてシナリオにした。実に、女々しい限りではないか。僕はこんな男です。
 もう一つ女々しい話しをすると、「酒呑童子」を半年間かけてオリジナル・シナリオ化して東京を去っている。
 女々しい話しは山ほどあるが、今、嫉妬を覚えるような企画がないのが残念だ。

お断り(1999年8月24日)

 きっちりした文章を書きたいのですが、日記やこのページを書く時間は大体夜中でいつも多少の酒が入っている状態です。それに、原稿料をもらって書いているわけでもないし、多少ルーズでもいいのではないかとも思っています。それにしても、いいかげんな事をかくつもりはありませんが、もしいたらないところがあっても大目に見てください。もしかしたら、アルコールが入っているからたまにはいいことも書けるかもしれないという程度に。
 プロデューサーという仕事は、とても計算高く、細心で、それでいて大胆さも要求される厄介な仕事なんです。ほとんどのプロデューサーが表で本音で語ることはありません。語っているように見える人も、そう自分を演出しているだけです。僕ですら、なかなかストレートに自分を語ることはできません。こうしてホームページに自分をさらけ出しているように見えても、思っていることの半分も自分を表現できないという始末ですから。
 でも、そのうち面白いことが書けるようになると思います。でもそのときは、すでに自分を演出しているということかもしれません。
 いや、そんなことはどうでもいいから、皆が楽しめるようなことを書けばよいのです。でなければせめて、「人のためになる情報」ぐらい書けよですね。

もう20年も前のことになるが(1999年8月23日)

 まだ実行に移されていないことがある。かつて、大手広告代理店の電通が「47都道府県のすべてに映画製作能力(資金力)がある」として、各市町村のホールを利用して映画上映システムを形成したら、日本の映画状況が一変するのではないかと提案しそうになった(したのかもしれない)が、全興連の反対であえなく頓挫したことがあった。
 つまり、毎年一本とはいわないまでも、3年に一本ぐらいのペースで各県単位で映画を製作することは大きな意味があるし、各県単位で連携してホール上映をやれば十分採算が取れるというアイデアだった。
 当時僕らは若く、このアイデアに大いに期待した。何しろ、天下の電通が動こうというのだから。しかし、電通は動けなかった。そして、20年の歳月が過ぎたというのに、群馬県が製作した「眠る男」だけがこのアイデア(独自のアイデアだろうが)を実行したに過ぎない。
 ちなみに、映画「スーパー・ハイスクール・ギャング」は、その「眠る男」よりも早く実行に移している。そうです。映画「スーパー・ハイスクール・ギャング」は20年前の電通のアイデアを実行に移し始めたということなのです。
 高知県や沖縄など各地で映画づくりの声が聞こえてきますが、これらの情報をまとめて知ることは簡単なようで、なかなか難しいというのが実状です。これらの情報を集めながら、一歩一歩、歩んでいこう。

ゲーム感覚なんかで全国上映ができるのか?(1999年8月22日)

 というようなお叱りは置いといて、インターネットの普及によって中央と地方の情報較差は、確実になくなる方向に向いていくでしょう。
 ところで今の僕には、一気に、明快に、大きなスイカを断ち割ってがぶりと食べるように、問題点を解決する知恵も力もありません。見事な房のぶどうの粒を食べるようでもない。あえていうなら、バラバラにこぼれおちたぶどうの一粒一粒を拾って食べるように、行きつ戻りつしながら歩きはじめるほかは無いのでず。
 
 問題? 問題はあらゆるところにはびこっています。長年にわたって培われた中央と地方の意識の差は如何ともしがたいものがあるのではないかと思う。たとえば、地方で映画を製作することは社会的な問題として新聞の地方版の社会面で扱われたりするが、東京ではほとんどがスポーツ紙の芸能面(最近は芸能面すらが縮小されたかのように貧弱)でしか扱われないのに。
 僕は当然のように映画は社会面で扱われていいと考えている立場だが、その地方紙ではじめは社会面で扱われていても、ちょっとした記者の気分で、ある日突然文化面に移って以後それっきりになったりすることにはびっくりする。本当の問題はここにある。

 問題は、記者の気分とは自信の無さであるが、それが新聞記者自身にに自覚されていないことだ。たとえば、日本映画の多くの場合(製作宣伝は別に)、まず東京で完成披露試写会やプレス試写会を開いて、マスコミ関係者に見てもらうことから宣伝が始まる。あるいは、宣伝に勢いをつけようとする。こうして、まず東京から地方に向かって情報が発信される。新聞や雑誌などでその作品の大方が伝えられて、次は各地方にその舞台を移す。地方のマスコミ関係者は、あらかたの情報を得たうえで作品と接することになり、すでにこの時点で新鮮味は無く(よほどの話題作は別、記者は選ばれた観客としていち早く作品を娯楽できる)決まったルーティンワークで記事にする。
 
 問題の根は深い。気がつかないところで誰かの価値観を持たされ、それが大事な局面で地方記者の自信の無さになって現れ、社会面から文化面へなし崩し的に価値観が変動しても気にならない。それを突く読者もいない。読者がいないのではなく、その意見が掲載されないのかもしれないが。ましてや、一般の人は・・・だ。