7月
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アクセス数〈7月31日〉 昨年夏「スカブラ」というホームページを開設して、半年が過ぎた今年の1月に、N新聞が夕刊ではあったが1面にカラー写真入で大きく扱ってくれたことがあります。 瞬間的ですが、1時間に120アクセスぐらいあったことがあり、とても興奮したのを覚えています。 一日に直すと2400というペースで、正直に告白しますと、まるで『天下を取った』ような気分でした。 10分で20アクセスというのはなかなか凄いです。 一日に数千万アクセスというYAHOO!JAPANが、ちょっと考え違いをするのはいたしかたのないことかもしれません。 映画や本を作るようにHPを作ってはいけない(7月30日) 僕はこれまで何をやるにしろ、映画を作るようにやってきた。 インターネットのホームページもそうだった。 パソコンを買って約45日間、朝から晩までパソコンの前にへばりついていた。 そして、一日16時間45日かかって、はじめて自分のホームページを転送した。少しずつ転送してたら、ホームページ作りがもっと面白かったし、楽しめたのではないかと思っている。 アクセス数について(7月29日) パソコンをはじめて買って、インターネットのホームページを開設し、いろんなホームページの管理・運営をしながら、多少見えてきたインターネットに関する私見を今日から何回かに渡って連載します。 この1年間、いつも気になったのはアクセス数です。 そのアクセスというものを考えながら、インターネットに参画する初心者の役にたつような連載にしたいと思っています。 目次 アクセス数についての私見 膨張政策と整理整頓 デザイン 小物 バナ− 今日的インターネット状況 など、お盆前後まで、この1年を総括するつもりで連載します。 もうすぐ一年(7月28日) はじめてパソコンを買い、自分のホームページ『スカブラ』を立ち上げて、もうすぐ一年になろうとしている。 その間、ちょっと大掛かりでコンテンツが多いので時間がかかったが「筑豊一番」を開設し、いろんなジャンルのホームページの製作してきた。 そしてもうすぐ一年が経過するが、何がどう変わったのかを検証しようと思っている。 これから、ホームページを開設しようとしている人の役にたつように。 ぎょうざ屋本店のホームページをアップ(7月27日) 7月28日から本格的な通販を開始するぎょうざや本店のホームページを開設するために、夜中まで作業をして日記を書くのが28日になってしまった。 新聞のおり込み広告(URL入り)が今朝の朝刊に入るので、遅れるわけにはいかなかった。 バナーコンテスト(7月26日) 筑豊一番のコンテンツのいの一番にあるのがバナーコンテストである。 このバナ−コンテストは、筑豊一番の生命線にあたるコンテンツで、僕がもっとも力を入れたいと思うし、僕のアイディアがビジネスになるかどうかがかっているのです。 このページがごく最近めきめきアクセス数を増やし始め、今日は100を超えるのではないかという勢いであり、ぼくは強気にならざるを得ないという状況です。 ギアが噛む感じ(7月25日) 何事かをはじめるとき、長距離のドライブに出発するような気分になる。 一応車回りに問題はなく、エンジンをかけて、ギアを入れて出発する時、ギアが確かに噛むことを確認して出発する時の感じが好きである。 まだ、ギアの噛む感じを味わう時ではないようだ カミナリ(7月24日) カミナリに大きい、小さいがあるとは思ってなかった。 今日、赤池町でとてつもないカミナリに出会った。 凄まじい雨が降るなか、バイパスの信号で車を止めている時、突然、稲妻が光って、1秒もたたたない内に轟音が響いた。 車がドスンという音を立てて、何センチか跳び上がるような衝撃が走った。 東京を攻める(7月23日) もう18年も前になるが、その頃34歳だった僕は、トッププロデュサーサーとして『パンツの穴』(監督 鈴木則文)という映画を作ったことがあります。 企画書を書き、シナリオを書き、監督及びスタッフを決め、オーディションを含むキャスティングを行い、資金調達と劇場を決める作業を並行しながら、全国津々浦々に情報が届くように宣伝をして、映画 『パンツの穴』を全国公開しヒットさせたといっていいでしょう。 今回は、全国津々浦々を攻めるということと同じ意味で、東京を攻めてみようと思っています。 ゆっくりしているわけではない、力がないだけだ(7月22日) 秋に、10月頃、映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』の東京上映を敢行しようかと思っている。 『筑豊一番』という新サイトの開設に多大な時間と労力を費やしたが、一方で予定していた東京上映を先送りにしてきたといえる。 「ゆっくりしているなあ」という批判もあったが、「力がない」というだけのことである。 映画は作るときも、上映するときも、ものすごいエネルギーを要するものなのです。 手術の意味は大きい(7月21日) 患者にとって手術はとても大きいことだが、医者にとってもやはり大きいことだということが分かる。 今日稲築町の藤井病院に行って事務長と話しをしていたら、患者にとっても医者にとっても、、手術ということが人間にとっていかに重いことであるかということが分かった。 手術をしたら、手術をする前よりよくなるということが、当たり前のようなことだが、とても大事なことであるということが認識できたような気がする。 役、扱い、お金(7月20日) マネージャーだった頃、役者が仕事を選ぶ時の基本ということで、とても分かりやすい区分けがあった。 「役、扱い、お金」だった。 良い役で、タイトルの扱いがよく、お金もばっちりだということないわけだが、往々にして、そのうちのいくつかが欠けていることが多い。 あるいは、そのうちのひとつが保証されていれば役を選ぶこともあった。またあるいは、そのどれもが中と半端であっても、付き合いやらで無理にやってもらうこともあった。 僕はまだ20代と若かったが、事務所に所属しているそうそうたる役者さんとこの三つのキーワードだけで対峙してきたが、これは何処の社会にもあてはまることだと思っている。 閉じられたHP(7月19日) 飯塚市郊外穂波辺りにあったと思われる、「りさっち」さんのホームページが最近閉鎖されたようだ。 若い女性が運営するしゃれたデザインのサイトで、恐らく1日当たりのアクセス数が少なくとも数百はあったと思われるが、突然何の前触れもなく閉鎖されてしまった。 画像貼り付けができる掲示板の賑わいぶりは特筆もので、若者のエネルギーの潜在力の凄まじさの一端を垣間見たような気がして、たびたびそのページを訪れていただけに残念だ。 手術という言葉(7月18日) 手術という意味を知りたくて、国語辞書に記載されている以外の事柄を知りたくて、図書館に行っていろいろ調べたが、家庭の医学などどれを見ても手術という語句は文中にあってもインデックスや索引にはなく、結局、1冊の子供用の図鑑に知りたいことが掲載されていたのでそれを借りてきた。 医者がトータルで人間の体のことが分からなくなっており、分業化されていて、おかしいという意見をよく聞くことがあるが、もしかしたら出版にもそれが現れているのではないだろうか? YAHOO!はすでに奢っているのではないか?(7月17日) というようなコメントや記事は珍しくないが、若い会社で、若い社員で、急激に大きくなり(といっても、昨年の売上げはまだ100億にも届かないが)、社会の基本的な知識を持たない若者が、言うなれば「若造」が特権的な地位を得て、まるで裁判官か検察官でもあるかのような調子で、何事かを判断しているということ自体に問題がありそうだ。 YAHOO!は間違っていると思う。 サーチエンジンYAHOO!の判断基準(7月16日) 「YAHOO! JAPAN」に対して言いたいことがある。 今日、カテゴリー型サーチエンジンYAHOO!について書こうと思ったが、考え直して別の日にすることにした。 というのは、IT革命が喧伝される中で、日本最大のアクセス数を誇るガリバーのような存在のYahoo!に対して、思い付きでは相手にならないと判断したからである。 じっくり攻めてを考えて、近々、自分なりの戦いを挑もうと思っている。 飯塚から博多へ(7月15日) 福岡であった結婚式の披露宴に出席したら、飯塚祇園山笠からは気質音山笠へ移行するような景色の按配で、なんか特をしたような気持ちになった。 飯塚でも3000人に及ぶ人が山笠に関わり、のぼせモンと称される人たちの存在があって大いに盛り上がるが、僕が飯塚にいた頃はその祭りはなかった。 その頃も当然、博多の町では山笠は盛んであったが、よそ者を受け付けないという雰囲気はあって、親しい予備校の友達さえ期間中は連絡をとることすらなかった。 博多もかもしれないが飯塚市は山笠一色だ(7月14日) 「博多の真似をしたがる飯塚」といわれることがある。 それは博多や、田川や、直方の人にではなく、当の飯塚の人にである。 それをまた、「福岡や博多の人」に言うと、「ほう、飯塚にも山笠やどんたくがあるのですか」と感心されたりして、論議がかみ合わないことが多い。 田川や直方で同じことを言うと、何にも返事がなかったり、「ウチでも山笠をはじめようという意見もある」とか「金田町や糸田町には山笠がある」とか、いよいよ論議がかみ合わなくなる。 ボクシングの写真は難しい(7月13日) 今朝、7月1日にあった筑豊ボクシングジム所属の丸山大輔選手の試合の模様を15枚程度の写真を使って特集したが、肝心のKOシーンをカメラに納めることができなかったので、黒い画面を使って「人の想像力」に訴える姑息な手法を使ってしまった。 でも、なかなかのページになっているのではないかと本人は思っている。 映画と違うから(昨日は映画に似ているといったが)、インターネットは気持ちが楽だ。 すかぶら見聞禄の続き(7月12日) 僕は、インターネットは映画づくりに似ていると思っているが、世間では映画づくりよりテレビづくりの方を目指しているように思える。 映画ビジネスの世界では、自前の上映網を確立して、自前の作品を上映するということは極めて困難な状況になっている。 映画以外にも、音楽、出版など一部を除いて同じような状況だ。 インターネットの世界でも、そのような動きがあるように感じられるほど、大きなサイトは似通って同じ方向を目指していると思える。 田舎ののんびりした光景の中にいると、ある種の危機感すら感じてしまう。 CGIなど(7月11日) なんだかんだ言っても、やっぱり映画のプロデューサーだと思う。 CGIまでやれないという意識がある。 ダメなことだが、福岡の石田さんと大阪のあやさんがやってくれるのを、何もしないで見ている自分がいる。 誰かにやってもらいたいというのと、やってもらう方がいい結果を生むというのと、誰ができるかというような気持ちがないまぜになって、CGIの知識の一部が血肉となっていきつつあるような気がしている。 明日はUSUI(7月10日) 頭の中にいっぱい思いついていることがある。 考えているということでは決してなく、頭の中に次から次に思いつきが洗われ、実行してみたくなるようなのが僕の思い付きです。 言ってしまえば、いい加減。 ただ、それを現実に置きかえる作業をするかしないかが分かれ目で、僕は思いつきを具体化しようとする。 KtoK TIMES(テスト中)(7月9日) 某全国紙記者のホームページが出来つつある。 すでに、「筑豊一番」の「ヒト様の日記」には「コラム 記者日記」を生贄として掲載しているが、これからが楽しみなホームページだと期待しています。 まだテスト中だということですが、テスト中ということを表示して、そのトップページをここに紹介しておきます。 日記を書くのを忘れてしまった(7月8日) すかぶら見聞禄にも書いたが、日記を書くのをすっかり忘れていたようである。 もしかしたら、本当に疲れきっていたのかもしれない。 「川筋太鼓」のページを作っていたという記憶はある。 グラデュエーションを背景に(7月7日) あるホームページを企画中で、トップページの背景を微妙な自然の色にしたらと思っている。 魂を現す自然現象の写真の一部を背景画像に加工して、その画像が自らを主張することなく、目立たないように、さりげなく配することができたらいいなあと思っています。 何のことやらわからないと思いますが、9月中にはアップする予定でいます。 昨日の続き(7月6日) 飯塚新人音楽コンクール歴代入賞者のページをアップした。 約80,000バイトに近いが、文字が先に表示されるのではないかと考え、見やすいようにページ内リンクを施して転送した。 転送してWeb上で見たら、表示速度は思っていたよりは早かったが、文字が先に出ることはなかった。 誰かに見てもらわないといけない。 細かい表は重い(7月5日) 飯塚新人音楽コンクールの歴代入賞者のページを作っていたら、やけに重く感じられる。 ネット上に転送しているわけでもないのに、「Web状態で見る」ために保存するが、パソコン画面がいちいち重い。 試しに、Web状態でプロパティーを見てみると、80,000バイトを超えていた。 重いはずである。 疲れて書けない(7月4日) メルマガの発行で、疲れて書けなかった。 インターネット関連(7月3日) 今日は雹が降ったり、雷がなったり、すごい雨が降ったりするなかを、「筑豊いちばん」の営業に回った。 5軒ばかり回って、2軒が新規にパソコンを購入することになった。 パソコンのセールスをしているわけではないが、良く売れる。 何が言いたいのか? 何とかしたいなあである。 バナコン(7月2日) 第1回バナーコンテストを〆切、第2回バナーコンテストを開催するために、新しいページを作成している。 第1回は千鳥屋で、第2階は藤井病院であるが、新しいページ゙を作成しながら思ったことは、こまごました作業が煩雑でここでも時間を確実に要するということだ。 インターネットは、作成する場合でも見る場合でも、思った以上に時間を必要とする。 ボクシング観戦(7月1日) このところ、筑豊ボクシングジムオフィシャルサイト開設の為にボクシングづいているが、今日は北九州小倉北体育館に試合を見にいった。 会場には、坂本博之選手や越本選手も来ていて、ものすごく蒸し暑い中で試合は行われた。 筑豊ボクシングジムからは丸山大輔選手が出場するということで、井上会長以下トレーナー選手など総出できていたが、僕はそこでマスコミの報道写真家のような心境でまた写真を撮った。 僕としては、俺は俺だという気持ちで撮影したが、現像のあがりを待たないとわからない。 |