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井戸端会議で生まれた川筋気質
筑豊の風土と人情を象徴する「川筋気質」という気質は、キビキビし、ぐだぐだ言わず、竹を割ったような性格を好み、宵越しの金を持つのは男の恥とする。
遠賀川流域に暮らす人々が「喧嘩・博打・酒を川筋に咲く三つの花」という川筋船頭に一線を引いて、「川筋のモン(者)」という言い方から発展して川筋気質になったといわれている。また川筋気質のほうが多少泥臭いが見栄っ張りなところなど、「火事と喧嘩は江戸の花」という江戸っ子気質と似ているところが多い。
九州の片田舎が天下の江戸と比べるのもおこがましいが、筑豊も江戸の下町も地方から人が集まったところで、両者に共通するのは共同生活を営む長屋文化があったことだ。長屋があるところ共同炊事場ありで、女性たちの井戸端会議が催され、世の男たちの品評が始まるのは自然の成り行きだった。女性たちの目は厳しく、男たちは丸裸にされ、鋭い舌鋒で解剖され、けなされ、男の品定めが行われ、彼女たちの間で男はますます磨かれていった。
その結果、女性たちは家の「宿六」に向かって、「あんた、男やろうが何をしよるとね。キンタマ付けとるとやろうが、シャンシャンせんね」とハッパをかけることになり、ハッパをかけられた男たちは、恐い母ちゃんの顔色をうかがいながらせいぜい気張ることになった。
刺青をほどこし、義理と人情を重んじ、女房を質に入れても人におごったりする川筋の男たちの気質は、実は女性たちの願望によって形成されていったのではなかろうか。
「女房を質にいれても人にご馳走する」という美徳(?)も、実は女性の考え方に沿ったものであった。宿六の友人が訪ねてきたとき、貧乏所帯で切り盛りしている女房は、自分の着物を質に入れ無理してでもご馳走した。そして、「あんた、大事な友達やろうが、女房を質に入れてもご馳走するとが男やないね」としがない宿六にハッパをかけた。こうして川筋気質は、女性たちの考え方に沿って形成されていった。
川筋気質は女性にこそふさわしい
川筋気質は「川筋女」にこそふさわしい。炭鉱の女性は本当に強かった。彼女たちが強いのは、真っ暗な坑内で男たちと同じように働いたということもあるが、自分の裁量でお金を自由に動かせたからだと思われる。家内業の農家や商家の女性たちと違って、炭鉱の女性たちは会社から直接給金をもらっていた。当時の筑豊の女性がいかに強かったかは、女性が外で働くようになった現代、どんどん強くなっている女性の姿に容易に見て取れるはずだ。
「俺は川筋の者だ」という言い方は、普通しない。よほどの尋常でない事態か、相当な人物でないと、なかなか言えるものではない。また、軽々しく口にする者は、チンピラが強がっているようなもので馬鹿にされるだけだ。
「あんた川筋のモンやろうが、シャンシャンせんね」と女性の言葉で言われるのが普通である。あるいは、「あたし川筋の女バイ。何か文句あるとね」と使われてもよい。昔なら、「あんた川筋の男やねえ」と女性から言われたら、男にとって最高の誉め言葉であり、求愛の言葉でもあった。『筑豊原色図鑑』より
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