2月


2000年2月29日 これがインターネットだと思います

 これがインターネットだと思うことがあったので紹介します。

北海道のAさんのメール1(2月29日19時05分)

「筑豊原色図鑑」欲しいです。
8年ほど前に筑豊を訪ねて以来、ずっと筑豊が気になってます。
これは買わねば!

もっと前にプレゼントに申し込んでいたらよかった・・・。

注文します。送って下さい。
何卒、よろしくお願いします。

北海道のAさんのメール2(2月29日19時36分)

やった〜!、私が012345件目です!!!
ちょっとセコイやり方だけど、とにかく012345件目です。
何か下さい。
今度、車(スバル・フォレスター)を買うので、それでも良いですよ(嘘)。

現在私は、北海道は釧路の太平洋炭鉱で坑夫やってます。
この坑夫をやる前から日本の鉱山・炭鉱が好きで、よく跡地巡りの旅をしていました。
最近、「写真万葉録・筑豊」を手に入れたので、じっくり読んでいるところです。

まずは挨拶まで。

というのがAさんのメールのあらましです。

僕はとても面白いなと思いました。
ここに、『012345』をゲットしたAさんには、謹んで松本廣直筆サイン入り『筑豊原色図鑑』を送らせていただきます。

2000年2月28日 最近自分のホームページをほったらかし

 新しいサイト『筑豊一番』にかかりきりになって、自分のホームページをほったらかしにしている。
 明日あたりアクセスカウンターの数字が『012345』になりそうで、何かプレゼントを用意しておかなくてはならないのだが、頭が余所に行ってるのでどうしても思いつかない。
 でも、もし誰かゲットされたら連絡を下さい。
 何かプレゼントを送りますので。
 

2000年2月27日 梶原君が来て飲みすぎた

 今日は日曜日で、気分的には日記を書きたくない気持ちだ。
 書きたくないような気持ちで書く日記を、読む人が喜ぶわけでもないと分かってはいても、毎日更新とトップページに書いているだけに義務感で書くこともある。
 今日もそのような気分で、申し訳ないですど、これ以上は書きません。
 人間の小ささを感じています。
 

2000年2月26日 久しぶりに石田さんと

 今日は石田さんと、お昼前から約8時間ぶっ続けで新サイトの打ち合わせ、及び実作業をする。
 トップページの主なコンテンツの一つが変わっただけで、すべてのコンテンツに影響が及び、はじめからデザインのやりなおしになったりする。
 それでも、新しい掲示板、プルダウンのリンク、サイト内検索フォーム、ランキングフォームの設置などができて、ずいぶん整理ができた。

2000年2月25日 再びカメラを車に積んで筑豊行脚

 今日から、再び車にカメラを積み込んで出かけることにした。
 『筑豊原色図鑑』を作っているときは、毎朝弁当とポットを持って出かけたが、今回はカメラだけだ。
 何でカメラを持って出かけるかと言うと、新しいサイと『筑豊一番』の取材をするためである。
 カメラを持っていると、普段何気なくやり過ごしていることでも、大きな意味を持って迫ってくることがある。
 それが、力になると信じている。

2000年2月24日 新サイト筑豊一番を密かにアップ

 昨年夏より半年間、インターネットの世界にどっぷり浸かって、新しいサイ筑豊一番を作り、自分のページで数日前から密かにアップしている。
 そして昨日からは、最初のお客様『日本わかめ普及協会』を推薦するページを、これも密かにアップしている。
 すこぶる評判がよい。
 何が評判がよいのか、これから見つづけていると分かると思います。
 

2000年2月23日 粉末わかめのこと

 僕がはじめて「粉末わかめ」の存在を知ったのは、僕と家族がまだ東京にいる頃で、もう8年前のことになる。
 昆布の粉末(昆布茶など)がずっと昔からあったことは誰でも知っているが、『わかめの粉末』のことは聞いたことがなかった。
 その粉末わかめを錠剤にしたものを僕は毎日15錠ほど飲んでいる。そして多少尾篭な話だが、僕は持病の痔がよくなった。飲むだけで、血圧が下がったという人もいる。
 粉末わかめの錠剤『海宝錠』は飯塚市で製造・販売されている。

2000年2月22日 筑豊に関するHPをくまなく見る

 見るというより、調べ上げているという印象だ。
 筑豊を調べるということに限って言えば、エキサイトジャパンが調べやすいし、情報が一番多いようだ。
 なぜそうなのか分からないが、エキサイトジャパンを中心に少しづづ新しいサイトを引っ張り出す。
 『筑豊一番』のお気に入りのフォルダがいっぱいになって、今にもはちきれそうだ。

2000年2月21日 HPを開設して半年が経った

 昨年8月のお盆の頃にHPを開設して半年が経った。
 開設した頃は毎日一喜一憂し、1週間ごとに総括し、1ヶ月経ったらインターネットがわかったようなつもりになっていた。
 そして、2ヶ月目には一つの壁にぶち当たり、3ヶ月目には落胆に近いような気分になった。
 それでも新しい年を迎えてもまだパソコンの前に向い、10000アクセス記念企画まで催して、今半年が経とうとしているときに、懲りずに新しいサイトを立ち上げようとしている始末だ。

2000年2月20日 今日も一日中パソコンに向う

 パソコンはきりがない。
 パソコンがきりがないのではなく、それを使って何かをやろうとするからきりがないのである。それにしても、いろいろ思いつくから、作業がどんどん増えていく。
 そしてネットサーフィンを時々しながら情報をし入れていくと、やはりその膨大な情報量というものに驚かされる。
 その中で、多くの人からアクセスされ、認められるようになるということは大変なことだ。

2000年2月19日 『実践スカブラ塾』にアップ

 実践スカブラ塾に、筑豊の総合情報サイト『筑豊一番』をアップしてみる。
 『真似をする人が出る』かもしれないという声があったが、なかなか真似をできるものではない。
 大変な労力、時間を要する仕事だからだ。
 実践スカブラ塾は、企画を立案し、企画を推進していくページだが、すなわちいつも工事中のページであり、使い方しだいではなかなか便利だ。

2000年2月18日 人口50万人の筑豊のHPの数は?

 朝からパソコンに向って、筑豊総合情報サイトのフォーマットを作る作業をしていて、ふと気付いてネットサーフィンをした。
 筑豊という地域に限定したネットサーフィンは、波が小さいというか、海がない筑豊だけに堤か流れのゆるい遠賀川でサーフィンしているような気分だった。
 Yahooから行ってもgooから行っても、これといったサイトの出くわすこともなく、ほとんどHPがないような状況に思えてきた。

2000年2月17日 筑豊の総合情報サイト

 やり始めると徹底的にのめり込む。
 自分が面白いと思うと、そのままにできなくなってしまう性質だと思っていたが、これほどまでとは思わなかった。
 ここに新しいサイトの全貌をお知らせできないのが残念だが、お昼過ぎからT君と会った以外は一日中パソコンに向っている。

2000年2月16日 ケント古本屋こと石田さんと会う

 久しぶりに飯塚の自宅で、ケント古本屋こと石田さんと打合せをする。
 打合せの内容は新しいサイトのことだが、もう一つ僕が考えているサイトのことで、石田さんには今日はじめて話した。
 どう思うかなと思っていたら、調度彼も同じようなことを考えていたということで、先に今日話したサイトを立ち上げようということになった。
 そのサイトというのは、筑豊という地域の総合情報サイトで、僕たちは商業用サイトと考えている。

2000年2月15日 山形県の三浦さんの掲示板から

 今日は、山形県の三浦さんの掲示板に書いてあった三浦さんの言葉を掲載しておきます。
 決して手抜きではありません。

「筑豊原色図鑑」
九州の映画プロデューサー 松本さんが映画を作るようにして情熱を注いで
作った本です。
私は、10000ヒット記念プレゼントに当たり、戴きました(*^o^*)
編集に携わった方々の筑豊への思いが伝わる実に素晴らしい本でした。
私は、筑豊とは地理的に遠いことも有って余り詳しくはなかったのですが
(酒田出身の写真家 土門拳の「筑豊の子供たち」や五木寛之の「青春の門」
筑豊編で知っている程度)、この本のお陰で身近に感じることが出来ました。
内容は、筑豊の歴史、現在の筑豊の紹介、温泉、お菓子、文化・伝統、建築から食まで、
あらゆる方面から筑豊を網羅しております。
ここ庄内地方にもこの様な本があればいいなあと思います。

2000年2月14日 鞍手のミニFM局と相互リンク

 鞍手のミニFM局(FM Kuraji 784)から相互リンク依頼のメールをもらい、相互リンクを貼ることにした。
 珍しくもあり、そのミニFM局の放送で僕のことを扱ってくれたというので、はじめてFM放送というものをインターネットで聴いてみようと思った。
 しかし、アクセスすると例のように(動画を見るときと同じように)色々画面にややこしいことが出てきたので、結局億劫になって聴いていない。
 その内に聴きます。

2000年2月13日 春みたいに天気がよい

 昨日から今日にかけて春のようなぽかぽか陽気で、車を走らせていてもついたらの芽の様子が気になり、雑木林や藪の中に突っ立ていイガイガの木に眼が行ってしまうほどだ。
 今日は東京国際マラソンの男子のレースを見ながら、昨日の残りのすき焼きに例の笠置ダムのせりを入れて昼飯を食べるのを楽しみにしていたが、予想通りの美味しさで満足した。

2000年2月12日 笠置ダムの穴場

 飯塚市から宮田町に至る峠の手前に、小学校の遠足で何度も行ったことのある笠置ダムがある。
 小さなダムだが、歩いたり走ったりして一周するには調度よい広さで、ジョギングする人に加え福岡や北九州ナンバーのバスフィッシャーも多くいつも人の姿が絶えない。
 ここは、春から夏にかけてのキノコが多い穴場だが、天然のせり畑もあり、僕の家から5分で行ける。
 今日は、今年初めてそのせり畑に行って、若いせりを摘んできた。
 この季節の笠置ダムのせりを、すき焼(肉は100グラム100円ぐらいの肉で十分)で食べると最高だ。

2000年2月11日 遠賀川のからし菜は辛い

 遠賀川は筑豊一帯に流域を持つ一級河川で、古くから米や石炭を運んだ川で人々との関わりが濃密で、歴史と文化では日本でもぴか一の川だと思う。
 この川沿いの春は早い。もう、菜の花も咲き始めているし、田ぜりも食べごろになっている。
 僕の好みは、紫色がかった葉の「からし菜」である。
 土手から摘んできて、熱いお湯をさっとかけて、塩で漬けて、翌朝にはもう食べられる。 これが辛くて、美味い。

2000年2月10日 朝から気合が入らない

 二日連続で飲みすぎて気合が入らず、一日中パソコンの前に座っていても仕事は一向に進まない。
 しかし、今日はほっとした気分だ。
 10000アクセスプレゼントの記念品『筑豊原色図鑑』を、今日やっと送りおえることができた。
 結果的に、大阪の人からのアクセスが多かったようだ。
  

2000年2月9日 スキャナーの解像度

 スキャナーの解像度の違いが少し分かるようになった。
 解像度を上げると、ネガやポジフィルムからの取り込みがうまくいくことが分かったというごく初歩的なことだが、これで箪笥の中にある膨大なスチール写真を自在に使えるようになる。
 それで、今日は映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』に主演をしている古賀文絵君の写真をアップしてみた。
 写真1写真2
 どうか、皆さん見てやってください。

2000年2月8日 田中麗奈の写真をアップ

 朝9時ごろ電話で起こされて、外からの明りが白っぽいので受話器を持ったまま窓を開けると、雪がウッすらと積もりその上に細かい粉雪が降っていた。
 こんな日はパソコンが一番だと思い、映画のスチール写真やネガを引っ張り出して、めぼしいカットを探し出してはスキャナーで取り込んだ。
 今日は、昨日から映画上映日記にアップしている写真(田中麗奈)を、映画「スーパー・ハイスクール・ギャング」の宣伝と考え、このページでも紹介することにする。

2000年2月7日 朝日新聞筑豊版

 今日は,朝日新聞の筑豊版で「゛筑豊発゛HP一万超す」という見出しで、我がサイトが紹介された。
 松田記者の記事で,鮮明なカラー写真を2枚使い,10000アクセス記念プレゼントのことも書いてある。
 西日本新聞の斉田記者と朝日新聞の松田記者に,深く感謝!

2000年2月6日 『筑豊原色図鑑』の配達

 一昨日に、西日本新聞で大きく紹介されたから、いろんな人から電話がある。
 『筑豊原色図鑑』の注文の電話が一番多いが、見ず知らずの人が「筑豊で生まれ育って今は熊本にいるが、なつかしさのあまり電話した」とか、「今は大分に住んでいるが、生まれ故郷の田川を舞台にした小説を書いたから読んでくれないか」とかである。
 筑豊の外の人から電話があると嬉しいが、筑豊の人からの電話も嬉しく、車に乗れないお年寄りなどから注文があれば喜んで配達に行く。
 

2000年2月5日 昨日の西日本新聞『元気もん』 

 昨日の西日本新聞の記事『元気もん』はとても大きな記事だった。
 『筑豊原色図鑑』のこと映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』のことインターネットのホームページ『Sukabura』のこと、写真も大きくよく書いていただいたと思って深く感謝しています。
 記事を書いてくれた斉田記者には、以前にも西日本新聞夕刊の一面でホームページを取り上げてもらっている。
 おかげで、九州各地から問い合わせがあり、嬉しい悲鳴を上げています。

2000年2月4日 10000アクセス記念プレゼント

 このところ、10000アクセス記念プレゼントに終始しているすかぶら見聞禄だが、2月3日を持って応募が終了した。
 20人の当選者に対して応募総数490で、約25倍の倍率だった。
 これでは、なかなか当選するのは難しい。
朝日新聞の松田記者は、490人全員に『筑豊原色図鑑』をあげたらどうかと言っていたが、熱いメッセージを見ているとそんな気分にもなった。

2000年2月3日 懸賞メールマガジン

 KENT古本屋の石田さんからすすめられて、10000アクセス記念プレゼントを実行したが、ちょっとした(大きい)発見があったようだ。
 結果はなにも出てないが、懸賞メールマガジンに一括登録した結果アクセス数が増えて、不特定多数の人にPRする事には成功したといえるのではないかと思っている。
 結果的に、『筑豊原色図鑑』の販売部数が伸びないと成功とは言えないだろうが、アンケートのコメントを見ている限り、筑豊に興味ある人や関係ある人から多数の応募があったことは大きな収穫だった。

2000年2月2日 結局338だった

 一日400に迫る勢いだったアクセス数も、さすがに夜中は勢いを失ったのか338で終わった。
 10000アクセス記念プレゼントは、これまでで一番多く一日合計118だった。
 今日は昨日に比べるとゆるやかに推移しているが、アクセス数は200ペースで、応募数は70〜80にはなるだろう。
 ただ、プレゼントをはじめて以来、『筑豊原色図鑑』には1冊の注文もない。

2000年2月1日 昨夜からアクセス数が再び勢いを増す

 このところアクセス数はいつも100を軽く超えているような按配なのだが、昨夜から今日にかけては一日あたり400に迫ろうかという勢いになっている。
 また、10000アクセス記念プレゼントの応募数は、今日だけで恐らく100は超えると予想される。
 何か、強力な懸賞マガジンに掲載されたからではないかというのが僕の推理だ。
 しかし、比べるデータを持ってないから、これが多いのか少ないのかは分からない。何万という応募もあるだろうから。