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1999年 12月 11月 10月 9月 8月

2005年8月
2005年8月28日〜31日 東京へ
 最後のあがき(?)で東京へ・・・。
 まず、五反田事務所でスタッフと打ち合わせをし、月曜日からはG社、S社、H社、A社などを訪ね、Aさんと会う。
2005年8月25日〜28日 福岡へ
 飯塚に戻って実行委員会のメンバーと・・・。
2005年8月21日〜24日 東京へ
 21日、早朝の飛行機で東京へ行く。
 俳優さんのマネージャーと会って事情を話し、撮影再開へ向けて協力をお願いし、資金調達のために動く。
 書けないことばかり・・・。
2005年8月15〜20日 一時中断
 18日のミーティングで、映画『すかぶら』の撮影を一時中断することに決定した。
 15日からも駆けずり回ったが十分な成果を上げることが出来ず、苦渋の決断だった。
 これからは撮影再開を目指して踏ん張るのみ。
2005年8月14日 お盆
 「盆と正月」というが、これまで正月に比べてお盆をあまり意識することはなかった。
 今年感じたことは、新年のあいさつ回りより初盆参りのほうがより義務的で、犯しがたい風習のような気がした。
 午前中に福岡のV社へ行って、そのまま飯塚に戻って主役の永沢さんに会って、とにかく一日中駆けずり回った。
 
2005年8月13日 ミーティング
 お盆のこの日、4回目のミーティングを天郷青年の家で開いた。
 僕があきれるほどの3日間の成果で、スタッフには本当に申し訳ないの一言である。
 あり地獄の中で、ヌエに立ち向かうような心境で、喧嘩にすらなっていないというのが現況だ。
 
2005年8月12日 タイムラグ
 映画製作現場と一般生活現場とのタイムラグは大きい。
 「そうか、そうか」と思われているうちに時間は過ぎて、にっちもさっちもいかなくなるが、一般生活タイムは遅々として進む。
 「よし、協力する」と言ってはくれたものの、いくら待っても電話は無く、「初盆会」は一日中続いた。
2005年8月11日 大所帯
 スタッフは30人以上、製作・上映実行委員会は50人以上、キャストも多く、大所帯はいろいろある。
 航空運賃だけで、すでに430万円だという。
 
2005年8月10日 地域発ということ
 映画『すかぶら』を製作していていつも考えることは、「地域発とはどういうことか」ということである。
 あるいは「地域総合力とは?」ということであり、そこに並々ならぬこだわりがあり、僕のスタンスがある。
 そして今、改めてその意味を考え直し、現実化する道を組み立てなおしている。
2005年8月9日 撮休
 今日は撮影が休みだったが、僕は朝からフィルム代の一部を調達したり、田川市のNさん、母里さんに会ったりして忙しく、午後からは天郷青年の家に行ってスタッフと個別ミーティングをした。
 今日の収穫は、ミーティングをしながら監督とプロデューサーの立場を交互に使い分けようとする、僕の姿勢の悪さに気づいたことだった。
 これからは、相手に対してその立場を明確にしながら、丁寧に応対していこうと思う。
2005年8月8日 岩鼻の踏み切り
 今日の撮影は、小竹町から直方市に至る途中にある岩鼻の踏み切り近くの川原で、僕が以前から好きだった場所でのロケだった。
 日差しは高曇りで強くないがじっとりと汗ばむ陽気は変わりなく、古野美智子と奥入瀬八郎の出会いを撮影した。
 猛との出会い、麗子との出会い、美智子との出会いをこの4日間で撮影したが、今後のドラマ展開に興味を抱かせる重要なシーンなので神経を使った。 少し撮り残して、日暮れまでに撮影を終了した。
 夜は、天郷青年の家で深夜までミーティングをしたが、監督の顔とプロデューサー(社長)の顔が交互に出て、よくない、よくない。
2005年8月7日 撮影3日目
 久しぶりにたっぷりと寝て、自宅近所にある明和塾での撮影を朝10時までに済ませ、スタッフは中空きだったが僕は北九州プリンスホテルでのパーティーに出席して、16時から遠賀川河口堰で撮影を再開した。
 撮影は筑豊に向かう奥入瀬八郎の歩きと、玄界灘に沈む夕日で、どちらもうまく撮れたようだ。
 20時過ぎに家に戻り、晩飯前にこの日記を書いている。
 朝早く、夜遅いのが続くからなかなか日記を書く余裕が無いが、出来るだけ書き続けるつもりです。
2005年8月6日 中間市周辺で
 撮影二日目は、朝3時半出発(これを朝というのかどうか)の早朝ロケで、撮影場所は中間市にある遠賀川河川敷だった。
 夜明け前から撮影を開始し、奥入瀬八郎と川島猛が出会うシーン、麗子との出会いなどを撮った。
 今日の天候は昨日よりも暑く、みんな2・3時間しか寝ていないものが多く、15時過ぎに撮影を終了した。
 みんなは天郷青年の家に戻り、僕は飯塚に戻って久保事務局長に会ったり、窪山さんに会ったりして、なかなか監督業に専念できる状況にはならない。
 でも、夜は久しぶりに早く寝ることが出来た。
2005年8月5日 クランクイン
 今朝、飯塚市幸袋にあるお墓のシーンからクランクインした。
 俳優は藤田朋子さん、淡路恵子さん、オーディションで選ばれた中村美佐紀さんで、真夏の陽光が照りつける中(お墓周りは木立に囲まれて日陰になっている)で撮影を開始した。
 「よーい、スタート!」の掛け声はしばらくぶりだったが撮影はまあ順調に進み、午後3時ごろから岡垣町の海岸に移動して、麗子の思い出のシーンを撮影する。
 途中、東京のBミュージックのKさんから携帯に電話があり、Y・Iさんの承諾を得られたとのこと。
 夜は天郷青年の家にて、映画の製作体制とその状況について、スタッフに説明する。
 
2005年8月4日 製作発表
 8月4日14時、のがみプレジデントホテルで、製作発表は開催された。
 永澤俊矢さん、藤田朋子さん、淡路恵子さん、地元オーディションで選ばれた中村美佐紀さんと湊谷光弘君、そして監督の僕がひな壇に上がり、製作上映実行委員会の久保事務局長の司会で始まった。
 僕は多少言いたいことを言いそびれたが、皆さんはそれぞれ特徴のある挨拶をされて、盛会のうちに終わった。
2005年8月3日 東京スタッフ
 今日は朝7時出発で、英彦山方面の渓流、林道、温泉場、窯元などの最終ロケハンをしたが、渓流で体が熱を持ってふらふらになった。
 そして、朝10時頃には東京スタッフのほとんどが赤池町上野にある天郷青年の家に到着しており、夜はそこでオールスタッフ打ち合わせを行った。
 途中、飯塚市にあるのがみプレジデントホテルで、久保事務局長、佐々木ラインプロデューサー、大草アシスタントプロデューサーとも打ち合わせをして、家に帰ったのは24時半を過ぎていた。
 明日は製作発表で俳優さんも入ってくる。
2005年8月2日 日記を書く暇がない
 連日クランクインの準備で忙しく、睡眠j間も少なくて、日記を書く暇がないというか書く時間を確保できないような毎日となった。
 今日は飯塚花火大会がある中、渋滞に巻き込まれた東京スタッフ(榊原撮影技師と太田照明技師)が飯塚入りして、21時ごろからTさん宅をロケハンしたり、打ち合わせが終わったのは24時を過ぎていた。
2005年8月1日 もう8月
 今日も朝から晩まで動き回る。
 朝9時にE県議事務所を訪ねてもろもろのお願いをし、一度家に戻って製作協力券1000枚(折ったもの)を車に積み込み、実行委員会のTさんを伴って再びE県議事務所に行く。
 その後T君と会い、16時には田川市のT代議士事務所、17時には直方市のH市議、18時には実行委員会が開かれている飯塚市のNホテルと駆けずり回り、そのままスタッフルームに行って10時過ぎまで打ち合わせをし、その後チーフと家に戻って方言テープを聴く。
 東京スタッフは、筑豊入りのための積み込みに忙しく、もうクランクインまで待ったなしだ。