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1999年 12月 11月 10月 9月 8月

2005年7月
2005年7月31日 雑事をこなす
 クランクインを5日後に控えて東京も福岡も緊迫モードだが、こなしておかなければならない雑事もあり、今日の日曜日はその時間に当てた。
 午前10時にトリアス久山のジョイフルでYさんに会い、カミさんと娘と一緒に福岡市のマリノアに行って福津市径由で飯塚に戻り、一人で直方市に行って散髪を済まし、頴田の杜の船と花こみちを訪ねた。
 帰ってきたら、佐々木プロデューサーからスタッフの乗り込み表がファックスで送られてきており、そこにはこれから始まるハードスケジュールが読み取れ、今日の日曜日に雑事を済ましておいてよかったと思った。
2005年7月30日 定例実行委員会
 今日は土曜日で世間はお休みモードだが、こちらはクランクインを1週間後に控えた緊迫モードで、午前中はカミさんと雑事を済まし、午後は実行委員会事務所に行った。
 昼飯を久保事務局長と食べ、14時から定例実行委員会、16時から猛役と霞役の衣装合わせ及び本読み、18時から美術打ち合わせ、21時にはコスモスコモン横の河川敷に川くだり実行委員長のO先生を訪ねるというスケジュールだった。
 次第に監督である時間が多くなっているが・・・。
2005年7月29日 直方へ
 朝9時半に直方市役所で製作部と待ち合わせをして、企画の人たちに警察関係車両について相談した。
 その後一人でI県議事務所を訪ねて協力を依頼し、飯塚に戻ってK市議に会ったりするが、時間との兼ね合いで動きが限られてきたようだ。
 午後は、撮影稿が送られてきて、実行委員会事務所で演出部と打ち合わせがあったり、監督とプロデューサーの兼ね合わせが難しい。
 夜は、11時過ぎに転寝をして、朝までそのまま眠っていた。
2005年7月28日 一日中飛び回る
 今日は朝9時に家を出て田川市に向かい、T代議士秘書のYさん、母里さんに会ったり、急遽赤池町に飛んで町長に会って天郷青年の家のシャワーについて相談したり、再度田川市に戻って市役所に製作協力券販売のお願いをしたり、市立病院のO先生を訪ねて仕事の邪魔をしたり、一日中飛び回っていた。
 夕方には実行委員会の事務所に戻り、助監督と打ち合わせをしたり、製作部と一緒に峠のロケハンに行ったりした。
 夜は、次々と電話があって、それなりに仕事をこなした。
 
2005年7月27日 北九州市へ
 今日の午前中は飯塚市内をうろちょろして、11時半には田川市で母里さんを拾い、一緒に北九州市八幡東区にあるT社を訪ねた。
 T社は釣具店をチェーン展開している会社で、約1時間に渡ってT社長に強力な協力をお願いした。
 16時前には飯塚に戻り、Kさんと一緒に穂波でガス会社を経営するTさんを訪ね、ここでも強力な協力をお願いした。
 夕方からは実行委員会事務所に行って、サードの助監督の加藤君と打ち合わせをした。
 加藤君は相当疲れているようでいたわりたかったが、なんだか、いじめているような気分になって気苦労だった。
2005年7月26日 撮影稿を仕上げる
 今日の朝までかかって撮影稿を仕上げ、やっとシナリオ作りから解放された。
 頭をプロデューサーモードに切り替え、昼前に家を出て八木山経由で福岡市へ向かい、親不孝通りにあるライブハウスEを経営するYさんと会って、1時間半ほどかけて遠慮の無いお願いをした。
 Yさんと別れてそのまま飯塚に戻り、Kさんと実行委員会事務所で会ってTさんにアポをとってもらったり、友人のT君と会ったりした。
 これからは監督モードとプロデューサーモードを切り替えながらの毎日が続くが、シナリオライターからの解放でものすごく楽になった。
 
2005年7月25日 クランクインまで10日足らず
 まさに時は金なりです。
 今日は月曜日で資金作りに駆けずり回らねばならない日だが、撮影稿の直し、イマジカとの書類のやり取り、演出部、製作部、美術部との打ち合わせなどがあり、なかなか動くことが出来ない。
 それでも、合間合間にA事務所のS所長に会ってP釣具店の社長とアポをとってもらったり、資金のことでU君やMさんに会ったり、つまらない電話に応対したり、なかなか経験することが出来ない日々を送っている。
 スタッフとの打ち合わせが21時過ぎに終わり、一杯飲みながら0時過ぎまでホン直しをして、今、この日記を書いている。
2005年7月24日 撮影稿づくり
 クランクインまで10日あまりとなって、今頃撮影稿作りでもなかろうが、今日は一日中その作業をやっていた。
 また今日は日曜日で、久しぶりにカミさんと娘に付き合ったり、高倉さんの釣り友達で芦屋のボートクラブの渡辺さんご夫婦と実行委員会事務所で会ったりしたから、なかなか撮影稿作りに没頭できなかったが、僕としては大胆にホンを直すことが出来たように思う。
 明日の朝、読み返ししてみよう。
 実を言うと、この日記を書く暇もないほどで、サボってこの日記を書いているような気分なのです。
 わかってもらえるかなあ。
 
2005年7月23日 福岡へ
 今日は福岡へ戻る日で、衣装合わせを中心としたフル回転の日々に少々疲れたが、電車の中、飛行機の中でホン直しの構を練った。
 製作・監督・脚本を兼ねているので、休む暇がなく、文字通りのフル回転となる。
 11時5分発の飛行機で羽田を発ち、13時過ぎに福岡へ到着し、14時過ぎには実行委員会に参加し、そのまま演出部との打ち合わせに入り、終わって家に帰ったら22時半過ぎだった。
 夕方16時ごろ、関東で震度5弱の地震があったらしいが、遭遇しなくてよかった。
 
2005年7月22日 面白い毎日
 今日は衣装合わせ最終日で、永澤俊矢さん、藤田朋子さん、天宮良さん、堀内正美さん、梶三和子さん、亜祐太さん、馬場元輝さんたちに会って衣装合わせをした。
 衣装合わせを11時から17時ごろまでやって、その後五反田にあるイマジカに行って打ち合わせをし、事務所に戻って佐々木プロデューサー、大草アシスタントプロデューサー、榊原カメラマン、今井キャスティングプロデューサーと打ち合わせをして、10時ごろから近所の焼とん屋に行って一杯飲んだ。
 一つ一つが具体的で濃密なことごとの連続で多少疲れるが、多くの人の協力によって面白く、刺激的な毎日を送ることが出来ている。
 
2005年7月21日 適度な緊張感
 10年ぶりの衣装合わせ、それも監督という立場では実に15年ぶりのことで、適度な緊張感に包まれた一日だった。
 午前11時から午後18時半まで渋谷にある小野さんの事務所で、淡路恵子さん、高知東生さん、織本順吉さん、中村綾さん、大土井裕二さん、大槻博之さん、潮哲也さん、杜澤たいぶんさん、若林謙さんの衣装を合わせた。
 終わってから、撮影の榊原さん、照明の太田さん、衣装の小野さん、メークの金森さん、記録の増田さん、プロデューサーの佐々木さん、アシスタントプロデューサーの大草と一杯やった。
 
2005年7月20日 東京衣装合わせへ
 昨夜2時ごろまでホン直しをして、起きたら8時ごろで正味6時間寝たことになり相当元気を取り戻したつもりだった。
 11時半に家を出て福岡空港に向かう予定で、それまでにキャスト表を作ったり、昨日までに書いたホンの細かい直しをコンピューターに打ち込んだりして、ちょっと予定より遅れて家を出たが時間通り飛行機に乗り、機内でホンを読み直そうとしたが、睡魔というか、疲れというか、目の疲れが激しく、羽田に着くまでの間眠ったり起きたりしていた。
 16時ちょっとすぎに事務所に着くと、佐々木ラインプロデューサー、榊原撮影技師、太田照明技師、がすでに来ていて(メークのメグさんはすぐに帰った)、35ミリカメラかHDカメラのどちらで撮影するかの打ち合わせ(すぐに結論を出さなくてはならない)をした。
 途中、今井キャスティングプロデューサーも加わり、各プロデューサーとの個別打ち合わせを入れながら、最後は五反田駅近くの居酒屋でフライフィッシングメーカーのSさんとFさん(女性フライウーメン)と会い、家に戻ったら0時だった。
 映画『すかぶら』は、35ミリカメラで撮影することになった。
 
2005年7月19日 睡眠不足の毎日
 昨夜は午前1時ごろ寝て、今朝は5時50分に眼を覚ましたが、最近は睡眠不足の毎日が続いている。
 映画製作を直前に控えていいるとは言いながら、7時前に家を出て田川市へ向かい、あをぎりの母里さんと一緒にK田川商工会議所会頭、I田川市長と会い、10時前に家に戻ってからホン直しにかかって午前2時ごろまでやったが、さすがにくたびれ果ててしまう。
 明日は東京行きで、日記もしばらくお休みです。
2005年7月18日 衣装合わせ2日目
 昨夜は我が家に今井キャスティングプロデューサー、助監督の本田、内田君がやってきて、午前2時過ぎまで飲み、事務所の椅子の上で朝まで眠りこけていた。
 朝8時過ぎに眼を覚まし、午前中に2時間ほどホンをいじり、お昼ごろ直方の遠賀川に向かった。
 夕方5時過ぎにはすべての衣装合わせがすみ、Tさんが湊谷君に釣りのコーチをしてくれたり、莢香ちゃんに幼いころの霞役を受けてもらうことが出来たり、なかなか内容のある一日だった。
 夕方からは、夕食と風呂の時間を除いて、午前1時ごろまでホンをいじっていた。
2005年7月17日 衣装合わせ
 今日は直方にある遠賀川水辺館で衣装合わせをする日で、オーディションで選んだ地元キャストの半数と久しぶりに会った。
 オーディションから時間がたっていて、中学生たちの芝居がなかなかかみ合わなかったが、何とか衣装合わせ1日目を終えた。
 夜は撮影稿を仕上げなくてはならないが、今井キャスティングプロデューを一人にするのも可哀そうだし、本田チーフ助監督が実行委員会事務所に泊まることもあって、なかなか微妙な一夜になりそうだ。
 とりあえず、日記を書いておこう。
 
2005年7月16日 忙しい日々
 今日は佐々木ラインプロデューサーが東京に戻り、今井キャスティングプロデューサーが福岡入りする日で、実行委員会も開催されるので朝から慌しい一日だった。
 朝から佐々木プロデューサーと飯塚、直方周辺のロケ現場を回り、田川市で母里さんを広い13時には実行委員会事務所に入り、きわめて内容の濃い打ち合わせを2時間半ほどした。
 佐々木プロデューサーは夕方にバスで空港に向かい、今井キャスティングプロデューサーは2時間ほど到着が遅れて20時半過ぎに飯塚に入った。
 夜は、今井Pに内野君を加え、嘉穂劇場前にあるW店に行った。
2005年7月15日 飯塚祇園山笠を撮る
 今日は、飯塚祇園山笠を撮る日である。
 まず、朝9時前にSホテルで佐々木プロデューサーを拾い、T代議士秘書のYさんとも合流して田川市のU県議事務所を訪ねた。
 その後、川崎町役場前に事務所があるK社長と会って契約を交わし、添田町中元寺の鑑月焼窯元に寄り、山田市役所の釣りの先生であるTさんに会ってから飯塚の実行委員会事務所に戻り、飯塚祇園山笠の撮影準備に取り掛かった。
 実景撮影なので僕は特別することもなかったが、激しい雨が降り出して、35ミリカメラとスタッフを覆うカッパ、大きめの傘を用意するなど、前途多難を予感させられた。
 激しい雨が降り続く中、飯塚祇園山笠のフィナーレは檄文が呼ばわれるところから始まったが、追い山がスタートするころから雨が上がり、何とか撮影をすることが出来た。
 他の人には理解できないかもしれないが、劇場用映画の監督・プロデューサーとして多くの映画にかかわってきて、今、飯塚で35ミリカメラを回せたことは何よりうれしいことなのであった。
 
2005年7月14日 天郷青年の家
 朝8時に佐々木プロデューサーをSホテルで拾い、8時半には赤池町上野にある天郷青年の家を訪れ、旧知のWさんとFさんに会って宿泊の打ち合わせをした。
 1時間ほど滞在した後、車をすっ飛ばして10時にはO町のN町長と会って協力を依頼し、田川市に戻って母里さんと昼食(田川名物干しシイタケ入りチャンポン)を食べ、伊田駅前の喫茶店で田川金満家情報を仕入れ、田川バイパス沿いにあるオフィスにK社長を訪ね、午後15時過ぎには飯塚の製作・上映実行委員会の事務所に戻った。
 事務所には川上製作担当が待っており、打ち合わせをしているとNさん親子がやってきてパソコンを設置(ヤフーBB)したり、東京も忙しかったがこちらも負けず劣らず忙しかった。
 
2005年7月13日 福岡へ
 午前中に新宿富久町にあるH社のKさんと会い、現在の配給・興行の情報を教えてもらい、午後は笹塚にO監督を訪ねた。
 O監督と1時間あまり近況を報告しあい、15時には五反田のイマジカ本社ロビーに行って、佐々木プロデューサーと一緒にTさんとOさんと打ち合わせをした。
 祖後、僕は全日空で佐々木プロデューサーはスカイマークで福岡入りし、福岡空港で合流し僕の車で飯塚に入った。
 飯塚に着いたら11時ごろで佐々木プロデューサーをSホテルに下ろし、家に戻って風呂に入り、ビールと焼酎を飲んで2時近くになって寝た。
2005年7月12日 これが普通か
 今日は午前10時半に神田にあるN社のS会長を訪ね、差し迫った今の状況を報告するとともに具体的な協力をお願いし、協力を得るまで帰らないという態度で接し、小1時間ほどで目的を達することが出来た。
 一端事務所に戻り、前日に引き続いて佐々木ラインプロデューサー、小野衣装担当と会って衣装合わせの打ち合わせをしていると、重なるように榊原カメラマンと寺田チーフ、今井キャスティングプロデューサー、大草アシスタントプロデューサー、ナムエージェンシーの野上社長がやって来た。
 その間、それぞれの携帯電話に連絡が入り、まったく忙しい一日だった。
 
2005年7月11日 東京へ
 今日は8時15分発の飛行機で東京へ行く日で、朝5時過ぎに起こされ、6時ごろ家を出てバイパス径由で福岡空港へ向かったが6時40分に着いてしまった。
 だが、空港での待ち時間、東京までの機内での時間、京浜急行で品川まで行く間の時間をすべてホン直しに当てることができた。
 午前11時には五反田の事務所に着き、久しぶりに井之原プロデューサーと会い、やがて佐々木ラインプロデューサー、今井キャスティングプロデューサーがやって来て、大草アシスタントプロデューサーも加わり、夕方には衣装担当の小野さんとメークのメグさんも合流した。
 
2005年7月10日 実行委員会
 今日は朝から断続的な雨で、実行委員会は午後13時から開催されることになっており、午前中は娘の送り、中一の獅子舞の見学、シナリオの直しなどに時間を使った。
 午後は、遠賀川沿いの映画「すかぶら」製作・上映実行委員会の事務所に、久保事務局長、依田渉外担当、内野ロケーション担当、土屋さん、梶原さん、大川内君、成尾兄弟、カミさん、製作担当の川上さんなどが集まり、約5時間に及ぶ打ち合わせに参加した。
 8月1日のクランクインを控え、のっぴきならない状況を迎え、実行委員会は差し迫った雰囲気の中、延々5時間にわたって開催された。
 やっぱり、今日もいい日だったと思う。
2005年7月9日 今日もいい日
 今日は土砂降りの雨の中、朝10時に田川の母里さんと一緒にK社長(女性)のオフィスを訪ね、映画製作の協力をお願いしたがとてもいい感触を得た。 母里さんと一緒にあをぎりで鯨の昼食を食べ、午後からは一人でT代議士事務所、英彦山湯〜遊共和国、鑑月焼窯元などを回った。
 出資、協賛の話も出来たし、製作協力券も300枚ほど配券できたし、今日もいい日だったといえるのではなかろうか。
 今夜は風呂に入って寝よう。 
2005年7月8日 いい日
 今日は実行委員会の依田近畿大学教授と土屋さんと一緒にまずE県議を訪ね、4人でI食品株式会社に行ってS社長に面会した。
 午後は一人で行動することになり、司法書士でもあるK市議に会って協力のお願いをしたり、ロケ現場となるお墓を見に行ったり、夜は獅子舞の協力を得るために中一の公民館を訪ねたりした。
 今日の成果をここに書くことは出来ないが、とても大きな成果があったいい日だったと書いておこう。
 帰ったのは11時過ぎで、疲れてしまって、風呂にも入らず居間で転寝してしまった。
 
2005年7月7日 娘の誕生日だが
 今日は朝8時45分にE県議の事務所を訪ねることになっており、土屋さんをコスモスコモン前で拾い、飯塚市伊川に向かった。
 E県議と秘書のKさんと約1時間半の面会で、僕と映画『すかぶら』の現状をよく理解していただき、本格的な応援・支援をしていただくことになったのは大きい。
 昼前にはT君、午後にはKさん、16時には田川の母里さん、18時にはN理事長、20時前に筑豊ボクシングジム井上会長などと会い、疲れ果てて家に戻ったがまだまだ元気である。
 映画作りはこれからが面白いのです。
 「セブンティーンが終わったな」というのが、今日誕生日を迎えた娘への言葉であった。
 
2005年7月6日 資金調達
 僕は本来プロデューサーだが今回は監督をするために資金調達のための動きが制限され、なかなかハードな毎日を送っている。
 出資者を見つけること、製作協力券の配布、映画製作現場を進めることなどそれぞれが大変な作業である。
 ロケハンから解放された昨日夕方から資金調達で駆けずり回っているが、撮影場所が決まっていないシーンもあり、遠賀川河川事務所を訪ねてM所長に製作協力をお願いしたり、麗子のマンションをTさんのマンションに使わせてほしいなどの交渉をしたり、この年でよく元気に動き回ることが出来るなあなどと思った。
 でも、日記を書く元気はなかった。
2005年7月5日 ロケハン最終日
 今日も時折激しく雨が降ったが、八木山竜王林道、力丸ダム、脇田温泉、直方喫茶店、木屋瀬と予定通りロケハンを行った。
 ロケハンを通じて感じたことは、このあたりの魅力と潜在力も感じたが、もう少し美しさを心がけてくれたらいいのになあということだった。
 今回のロケハンは美しい町を探す旅でもあり、僕と一緒に回ったスタッフはどのように感じたのだろう。
 僕が東京から戻ってきて10年以上が過ぎ、僕が美しいと思うところを案内したのだが・・・。
 激しい雨の中、昼過ぎに実行委員会の事務所に戻ってロケハンの総括をし、15時半に散会し、スタッフは東京へ、福岡へ帰っていった。
 
2005年7月4日 ロケハン3日目
 朝9時に新飯塚駅前出発のロケハンというのが今日のスケジュールだったが、僕の都合で9時少し過ぎに実行委員会事務所での待ちあわせにしてもらった。
 数10分ほどの時間差で、断続的に降る雨の中を芦屋に向かい、芦屋港、遠賀川河口堰、プレジャーボートとの溜まり場などをロケハンし、河口堰そばの食堂でちゃんぽん定食を食べ、断続手に雨が降り続く遠賀川を遡って行った。
 午後は、主人公の奥入瀬八郎がテントを張る場所を確定していきながら、中間市、直方市、飯塚市などのロケ場所を見て、桂川町の古野さんのお宅などを訪ねた。
 ロケハンを終えて実行委員会の事務所(スタッフルーム)に着くと8時過ぎで、本日のロケハンの総括をしながら明日のロケハンのスケジュールを組み、カメラマンの榊原さんと「ここまでやってくると、疲れるね」という会話なんかをした。
 スタッフと別れて、やるべきことをやるために携帯で電話をしたりしながら、これから自分の時間確保することの難しさを感じた一日だった。
2005年7月3日 ロケハン2日目
 朝9時に新飯塚駅前を出発して、田川市経由で英彦山に向かってロケハン2日目は始まった。
 昨夜の酒を吐き出しながら奉幣殿に登り、足を滑らせながら渓谷に入り、鑑月焼中元寺窯、英彦山湯〜遊共和国、大任の川原、赤池町の上野、田川市のあをぎり、石炭記念公園そばのハコなどを回った。
 ハコでは製作・上映実行委員会のメンバーと合流して映画スタッフを紹介し、飯塚に戻ったら22時を過ぎていて、それから夕食となった。
 皆さんお疲れ様でした。
2005年7月2日 ロケハン1日目
 朝から激しい雨で、筑豊地方の水不足は解消される模様だ。
 ロケハンする者にとっては嫌な雨だが、9時45分ごろカミさんを伴って榊原カメラマンと太田照明技師を栄屋旅館に迎えに行き、のがみプレジデントホテルで製作担当の川上さん、美術の安元さん、実行委員会の内野君と合流した。
 ホテルのレストランでの打ち合わせが長引き、早飯の昼食をとり、降り続く雨の中を僕の車でロケハンに出かけた。
 飯塚公設市場、嘉穂劇場、I歯科医院、高田小学校、宮津酒店、山田家、旧伊藤邸、直方の喫茶店などフルに回った。
 田嶋さん、宮本さん、清原さん、山田さん、柴田さん、宮津さん、どうもお疲れ様でした。
 夜8時ごろ実行委員会の事務所に戻り、明日の打ち合わせをして、家に戻ると9時を過ぎていた。
2005年7月1日 ロケハンへ
 映画製作にはいくつかの節目があり、ハードルといってもいい。
 その中でもっとも大きなハードルがクランクインであり、クランクイン前のいくつかのハードルが、資金調達であり、キャスティングやスタッフィングであり、衣装合わせやロケハンである。
 今日は、午前中に渋谷で主演の永澤俊矢さんのマネージャー(社長)と会い、午後から撮影技師のSさんと照明技師のHさんを伴い、羽田から福岡へ向かった。
 東京はしとしと雨だったが、大干ばつに襲われている福岡は41日ぶりという激しい雨で、カミさんによると僕らが恵みの雨をもたらしたとのこと。
 明日から、メインスタッフによるロケハンを行います。
 7月2日、飯塚周辺。
 7月3日、田川周辺。
 7月4日、芦屋から直方周辺。
 ロケハンの途中で食べる美味しいお店はありませんか?