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1999年 12月 11月 10月 9月 8月

2005年5月
2005年5月31日 東京2日目
 朝は電話、11時ごろ井之原プロデューサーがやってきて、12時には今井さんと白井さんが合流して昼飯を食べながら打ち合わせをした。
 今井さんと白井さんと14時前に別れて、15時には神田にあるNエージェンシーに行ってS会長に会い、近くの蕎麦屋で一杯ご馳走になった。
 夜は予定がなかったが、神田駅に向かいながら携帯でN監督に連絡をして、五反田で飲んだ。
 意図して『ズレ』を演出してきたが、相手にとってあまり愉快なことではないようで、N監督に「もう、連絡をしないでほしい」と言われてしまった。
 『ズレ』を説明することは難しい。
2005年5月30日 東京は雨だった
 今日は東京に行く日だが忙しく、10時に飯塚商工会議所副会頭でガス会社の社長であるMさんの事務所に訪ね、30分強にわたって映画『すかぶら』の現状を伝えて協力を依頼し、家の事務所に戻ってからN新聞社のM記者に2時間あまりの取材を受けた。
 午後15時半ごろ家を出て福岡空港に向かったが、それまでにHP社に電話をしてインクカートリッジについて問い合わせをしたり、ミスターマックスにインクカートリッジの交換をしに行ったり、久保さんや内野君に電話をしたり結構忙しかった。
 カミさんと月末から月初めの動きを打ち合わせをして、内野君の軽トラックで飯塚バスセンターまで送ってもらい、福岡空港から東京に向かった。
 東京は雨で、五反田の事務所に着くと部屋の空気を入れ替えるために窓を開けたり、冬から夏へ向けてのベッドメーキングをしたりして、近所の飲み屋に行って東京モードへの意識変革をした。
2005年5月29日 明日から東京なので日曜日だがみっちり仕事
 明日から実行委員会発足前日(6月3日)の夜まで東京なので、こちらでやるべきことをやっていなければならず、朝から夕方まで発足の案内状を出す準備に追われていた。
 宛名書きは昨日までにあらかた終わっていたが、案内文書づくり、差出名書き、パソコンにリスト登録などこまごまとした作業が続いた。
 途中、内野君も手伝いに来てくれたが16時半ごろまでかかってしまい、17時前に178通の案内を飯塚郵便局本局にもって行き、その足で直方のイオンに行って夏用のジャケットを仕入れた。
 日が暮れてから、カミさんが夕食の仕度をしている間にあと13通の案内状を追加して、日曜日なのにみっちり仕事をしてくたびれてしまった。
 
2005年5月28日 実行委員会の事務所に集まって
 今日もさわやかな五月晴れの陽気の土曜日だったが、遠賀川沿いにある実行委員会事務所に午後14時から打ち合わせの予定が入っており、早朝から夕方までフルに仕事をした。
 朝7時過ぎに家を出て、田川市風致八幡神社そばにある仕出屋の厨房にK社長を訪ねて『よびかけ人』に名前を連ねてもらうようにお願いし、快諾を得て8時過ぎには飯塚の家に戻っていた。
 パソコンに向かって実行委員会の文書を少しいじってから、嘉穂劇場を訪ねてI理事長、息子さん、お嫁さん、今夜行われる『鳥肌実』公演で忙しい母里さんに会い、ミスタードンのK君と一緒に昼飯を食べ、午後は実行委員会の事務所に僕、カミさん、阿部君、久保さん、内野君、小学校の先生のTさんなどが集まった。
 事務所では、製作・上映実行委員会の案内状を出す人をみんなで人選し、宛名書きをして、夕方には解散した。
 家の事務所に戻ってから晩飯までの間に、遠賀川流域の県会議員の名前と住所を調べて、県会議員、流域の市長、県知事など20人あまりの宛名を書き加えた。
2005年5月27日 文化庁から電話があったり
 今日も五月晴れのいい天気で仕事日和だが、6月4日に予定されている映画『すかぶら』製作・上映実行委員会発会式のための準備に追われ、一日中事務所周辺で雑事をこなしていた。
 途中、6年間トラブルなく稼動してきたHP社のプリンターがおかしくなり、新しいプリンターをB電気に買いに行ったりしたが、文化庁から電話があったのには驚いた。
 指摘があった箇所は早速修正して事なきを得たが、田舎の映画監督・プロデューサーとしてはドキドキもんだった。
 また、関係各市町村で唯一後援がもらえないS町に連絡を取り、F総務課長に「後援がしてもらえるのかしてもらえないのかはっきりしてほしいのです」と言い、最後通告のようなやり取りではあったが、笑いながらの会話で切羽詰った感じはなかった。
 
2005年5月26日 アオリイカが釣れているという電話があったり
 少し飲みすぎた朝を迎えるが、朝から書芸術家の大塚抱節さんや美術家の母里さんなどが元気が出る電話を下さって、気分は悪くない。
 6月4日に開催される予定の映画『すかぶら』製作・上映実行委員会の結成会へ向けてのよびかけ人を募る作業が待ったなしで、午前中は何人かの人に電話をしたりしていたが、伸びた髪の毛が気になり昼前には直方に散髪に行った。
 散髪に行った後、前直方文化連盟事務局長のIさん、頓野にある結婚式場グランデビュのTさんを訪ねてよびかけ人になってもらうようお願いし、飯塚に戻ってSモータース、フジキ印刷に寄って雑事をこなした。
 夕方からは、飯塚自動車学校で久保さん、穂波町のKさんを拾い、飯塚商工会議所T副会頭の事務所を訪ねて協力をお願いした。
 一日中動きながら時間が空いたとき、昨夜から携帯に電話があったN君に電話をすると、「鐘崎港でアオリイカが釣れているという情報があったので、伝えておかないといけないと思ったので」という答えが返ってきた。
 釣に行く暇がなく、あくせくする毎日を送っているとき、なんだかアオリイカを釣りに行ったような、ゆったりした気分になった。
 
2005年5月25日 仕事をしたという感触
 今日もすがすがしいというか、少し汗ばむような陽気だったが絶好の仕事日和で、朝から晩までみっちり仕事したという感触があった。
 朝9時に直方市役所で桜井さんと待ち合わせてN課のSさん、そのあと一人で田川県立大学に行ってT教授と会い、一度家に戻ってNHK北九州局のMさんに2時間あまりプレゼンのための取材を受け、夕方からはK会館で開催される飯塚JCシニア例会に出席した。
 『地域総合力で映画を作るわけ』という演題で1時間あまり講演し、懇親会、2次会と11時ごろまで酒を飲みながら、多くの人たちと話をすることが出来た。
2005年5月24日 フル回転で少々疲れた
 朝6時過ぎに目を覚まし、7時20分ごろ家を出て8時前には田川市風致八幡神社そばにある弁当屋さんを訪ねたが、K社長はもうどこかに出かけた後だった。
 「事務所に行っても社長はいないよ」との声がかかったが、大任にあるK商店によって実行委員会案内書の雛形を届け、そのまま8時半には添田町役場に行ってS助役とF総務課長に会い、9時には川崎町の書芸術家Oさんのお宅にいた。
 Oさんは出かけるところだったが、田川市にあるH病院の院長先生とSさんに電話をしてくれて、お二人にそれぞれはじめて会うことが出来た。
 H病院に1時間以上お邪魔して、後藤寺でSさんと昼飯を一緒に食べた後、あおぎりの母里さんを拾って飯塚に向かい、飯塚自動車学校で久保さんを拾ってから実行委員会の事務所に行った。
 14時過ぎから16時半近くまで、僕、母里さん、久保さん、それに内野君も加わってみっちり打ち合わせをして、僕は母里さんを田川まで送ってからすぐにまた飯塚へ引き返し、NホテルでT君とお茶を飲んだが元気な僕も少々疲れてしまった。
2005年5月23日 さわやかな月曜日
 今日はさわやかな月曜日で絶好の仕事日和だが、午後に重要な用件を抱えており、動きは緩慢だった。
 午前中は事務所でインターネットで調べ物をしたり、メールの返事を書いたり、カミさんのお守りなどをした。
 午後は飯塚市役所に行って印鑑証明などをもらい、カミさん同行で田川方面に向かい、重要な用件を済ますことが出来た。
 仕事をするということは何であれ、つくづく大変なことだと思う。
 
2005年5月22日 雨模様で肌寒い日曜日
 今日は娘が福岡市にあるF高校に通信教育のスクーリング行くので、朝7時に家を出て飯塚バスセンターまで送り、朝飯を食べてから小雨模様の中を昨日に引き続いて筑豊ハイツに行った。
 今日は飯塚国際車イステニス大会最終日で、必ずA会長に会うことが出来るはずだと思って行ったが案の定会うことが出来て、30分ほどコーヒーをご馳走になりながら話をすることが出来た。
 僕が本当にしたい話はおそらく30分ほどで出来るものではなく、もっと時間がかかることだと思うが、即答を得られなかったのは今の僕の力量そのものの現われでもあった。
 気分を変えて、14時ごろ直方九電前で妹と待ち合わせていると、隣の直方ガス前に数珠を持ったA社長が現れて5分ほど思いも寄らない立ち話をし、その後カミさんを誘って農産物直売所をはしごした。
 夕方は、実行委員会の事務所に行って5月25日の講演の内容を原稿に書き、19時ごろには飯塚バスセンターに娘を迎えに行った。
 風邪を引きそうな肌寒い日曜日だったが、結構重要な仕事をしたのかもしれない。
2005年5月21日 筑豊ハイツ
 今日は土曜日で、午前中はF印刷に行って見積書をもらったり、庄内町にある筑豊ハイツで行われている飯塚国際車イステニス大会の会場に顔を出したりした。
 大会会場では、飯塚市役所の経済部長のKさん、商工振興課長補佐のTさん親子、A家執事のFさんなどと会った。
 午後はドライブでも行こうかとカミさんを誘ったが断られ、遠賀川沿いにある実行委員会の事務所に行って、夕方まで25日に予定されている講演の内容を考えた。
 『地域総合力で映画を作るわけ』というのが講演タイトルで、飯塚JCシニアの方々に通用する話が出来るかどうか、大きな節目となる講演になるような気がしている。
2005年5月20日 ダイナミズム
 もたもたしてられないが相手があることでもあり、割合うまくいったりすることもあるが相手とアポも取れないようなこともあり、全体としては少しもたもたしたような一進一退の状況が続く。
 午前中はJA中央会のHさんに電話をしたり、A事務所のS所長と20分足らずの時間ではあったが久しぶりに会ったりしたが、午後は田川・添田方面に行って精力的に動いた。
 田川市石炭資料館、添田役場、鑑月焼中元寺窯、F窯元と一緒に川崎町のTさん宅、あをぎりの母里さんなどに会い、お願いするところはお願いした。
 それにしても、動きにダイナミズムがないなあ。
2005年5月19日 いい情報が入る
 午前中は、何人かの人にアポをとったり、直方の二人のNさんに『よびかけ人』になってほしいとの電話をしていたが、昼ごろ久保さんから最近になくいい情報が入った。
 まだこの日記には書けないが、映画『すかぶら』を製作・上映していく上で、成功を左右するようなビッグニュースだった。
 午後はこのいい情報を関係者に伝えながら、直方自動車商事のS社長、川筋太鼓のO会長、鑑月焼のF窯元などに電話をして、『よびかけ人』になってもらった。
 K大情報工学部からもいい返事があったようで、少しずつ止まっていた車輪が回り始めたような気がする。
 
2005年5月18日 久しぶりに雨が降る
 朝起きたら少し肌寒いような陽気で、外を見ると久しぶりに霧雨に近い雨が降っており、スカブラとしては今日は仕事日和ではないなと思った。
 といって仕事を休んでられる身分ではないので午前中はあちこちに電話をして、お昼は久保さんと一緒に飯塚市役所前にあるT社を訪ね、午後は自宅で昼飯を食べてから実行委員会の事務所に行った。
 事務所では、製作委員会の事務局長である阿部君と会い、『よびかけ人』に電話をし、実行委員会から派生することごとを一覧表にまとめたり、結構ヘビーな一日だった。
 夜はカミさんと娘と食事をしながら、あまり発言をせずに力を蓄え、明日からの動きばかりを考えていた。
 その甲斐あって、なんとなく確信犯としての松本廣のビジョンが明確になり、明日からの動きの基本が決まったように思う。
2005年5月17日 飯塚国際車イステニス大会開幕
 今日は飯塚交際車イステニス大会が始まる日で、東京から鹿児島入りしている井之原プロデューサーが飯塚に来る日でもあり、10時前に歯科技工士学校のKさんに会って『よびかけ人』に名前を連ねてほしいとお願いし、10時半過ぎには飯塚バスセンターに向かった。
 自宅事務所で井之原プロデューサーと昼飯(カミさん手作りのちゃんぽん)をはさみながら14時半ごろまでいろいろ打ち合わせをし、午後14時半にアシスタントの内野君と実行委員会事務所で合流し、久保事務局長をN高校前でピックアップしてから15時に九州工業大学に行き、地域貢献委員会のO先生と事務方のI係長に会って製作・上映実行委員会立ち上げの協力をお願いした。
 18時からはみんなと別れて、飯塚コスモスコモン広場で開催されている国際車イステニス大会ウェルカムパーティーに一人で出席した。
 E飯塚市長、A大会実行委員長、飯塚商工会議所副会頭のお二人(MさんとSさん)、N消化器科院長、飯塚JCシニアのBさんとIさん、U町助役、田川私立病院O外科部長、近畿大学産業理工学部学部長(田川のMさんと勘違いして、失礼をしてしまった)、オーディションに参加してくれた人など多数の人に会うことが出来た。
2005年5月16日 よくなった
 今日もなかなかすがすがしい陽気で仕事日和だったが、朝起きて左股関節に痛みがあり嫌だなあと思い立ちあがると、昨日の痛みはなくてスムースに歩くことが出来て、結構動き回ることが出来た。
 あんなに痛かったのに一日で回復したのは、僕がまだまだ元気なのでしょう。
 午前中はいろいろ考えながら資料作り、12時前には私立N高校に行って久保さんと一緒に福岡市からわざわざやってきてくれた安達学園のお二人に会い、協力のお願いをしながらいつものように結構好き勝手なことを言った。
 午後は家で昼飯を食べてから実行委員会事務所に行って、電話で何人かの人に製作・上映実行委員会の『よびかけ人』に名前を連ねてもらうお願いをしたり、『福岡コンテンツパートナーズ構想』を練ったりした。。
 夕方からは、実行委員会事務所の大家さんでもあるお隣の明和塾を訪ねて、田代塾長からさんから株式会社麻生のSさんを紹介してもらったり、まあまあ忙しい一日だったが協力なギアが入ったわけではない。 
2005年5月15日 左股間後ろが痛い
 朝起きたら左股関節後ろの付け根辺りに痛みがあった。
 朝飯を食べ、実行委員会の事務所に行こうと歩いていたら痛みはひどくなり、昼前に直方の妹を訪ねるころは歩くのに支障があるほどの痛みになった。
 突然のことだが理由は推定できた。
 昨日田川の神幸祭に行った際、少し重いバックを肩にかけて歩き回っているとき、右の靴がしっくり合わないような感触があってかかとが痛く、それをかばって歩いたために反対側の股関節に影響が出たのではないか。
 夕方からは痛みをこらえながら、内野君と母里さんが経営する田川市の『ハコ』に行き、久しぶりに樋口さんに会って協力をお願いした。
2005年5月14日 田川・川渡り神幸祭
 今日は土曜日で陽気はすがすがしくて気持ちよく、午前中は遠賀川沿いにある実行委員会の事務所で過ごし、午後は昼飯を家で食べてから、カミさんと一緒に田川・川渡り神幸祭に行った。
 本来ならば映画『すかぶら』の撮影を敢行しているところだが、大勢の人で賑わう神幸祭会場で二人のUさん、I市長、Kさん、K商工会議所会頭、N専務理事、T事務局長、R会のOさんなどに挨拶をして、夕方には飯塚に戻った。
 晩飯まで実行委員会の事務所に詰めて、午前中から考えているアイディアを大学ノートに書き付けて整理しようとするが、整理するまでのアイディアをもっと発展させる必要があり、才能のない身としてはえらく草臥れてしまった。
2005年5月13日 すがすがしい陽気
 ゴールデンウィークごろは暑いような毎日だったが、最近は暑くもなく寒くもなくすがすがしい陽気で、絶好の仕事日和である。
 今日は主に遠賀川沿いの実行委員会事務所にいて、いろいろ協力してもらっている人たちに映画『すかぶら』のクランクインが一時延びたこと、改めてクランクインまでの体勢を立て直していることなどを電話で伝え、同時に更なる協力をお願いした。
 地震、水害、家事、戦争、事故、勘違い、疑心暗鬼などなど、何か新しいことをやろうとするとき、人が気づかない様々なことが起きる。
 第1次イラク戦争で俳優のT・Kのコマーシャル撮影が中止になって1本の映画が成立し、K・Sの覚醒剤事件、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件によって映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』全国上映が致命傷を負い、嘉穂劇場など飯塚市中心街を襲った水害が映画『すかぶら』の製作を丸1年延期させ、福岡に起きた想定外の地震がまた映画製作に大きな影響を与え、こまごましたつまらないことが目白押しで、「松本さんが動こうとすると、何かが起きますね」、なんて言われている始末。
 とてもまともにかけないことの連続だが、すがすがしい陽気がせめてもの慰めであると言っておきましょう。 
2005年5月12日 ちょっとスカブラができない日々
 天気もよくいい仕事日和が続くが、ちょっとスカブラをしたくなる陽気でもあるのだが実行に移すことも出来ず、実行委員会の事務所であれやこれやと想を練る時間が多かった。
 午前中は何人かのよびかけ人に電話をしたがスケジュールが合わず、偶然会ったT君とNホテルでお茶を飲み、16時に飯塚文化連盟K名誉会長のお宅にお邪魔した以外は、遠賀川沿いの事務所で大学ノートに向かっていた。
 まったくダイナミズムに欠けているが、公開されているWEB上の日記に書くことが出来ないことごとを大学ノートに書き付けながら、現状打破の想を練っているということです。 
2005年5月11日 よびかけ人
 午前中は文化庁へ提出する書類を作って速達で送り、午後は製作・上映委員会発足のための文書を作り、夕方からは久保さんと内野君と一緒に田川の「ハコ」に行った。
 「ハコ」は美術家の母里さんが経営するバーで、田川市石炭記念公園の裏にあり、防空壕を利用したしゃれたつくりの店だ。
 母里さんを加え、ビールを飲みながら(帰りの車は内野君が運転してくれる)製作・上映実行委員会の基本的な考えと、その具体的な実施について打ち合わせをした。
 よびかけ人の名前を連ねた案内文を作り、その文書を5月20日に発送し、5月28日14時から(場所未定)製作・上映実行委員会を開催することになった。
2005年5月10日 時間が止まったような
 今日も五月晴れのすがすがしい陽気で気分は悪くないが、仕事上では時間が止まったような感触で、どうしてもギアがかみ合わないのがいらだたしい。
 午前中は印刷所によってからT県議の事務所へ行き、午後は実行委員会の事務所でカミさんと長い打ち合わせをし、夕方は福岡県庁T課N課長、S町総務課長と厄介な問題を解決すべく電話でやり取りをした。
 厄介な問題とは『後援』についてだった。
 「財源の伴わない後援とは何だ?」という本質的な問題も含んでいるが、弱小のコンテンツ製作者は振り回されて、息絶え絶え状態になっている。
2005年5月9日 こだわり
 長いゴールデンウィークがあけて、新年のような気分で仕事に取り組むつもりでいたが、やるべきことは引き続きのものばかりで気分一新とはいかなかった。
 午前中は文化庁に提出する書類を見直したり、製作協力券の最終版下を作るために印刷所に行ったりして、午後は製作の後援をもらいにS町に行った。
 遠賀川流域全市町村の後援をもらうことにこだわりがあり、今日も英彦山の麓にある町役場に出向き、助役、総務課長に労をとってもらったが、残念ながら後援を承諾してもらうまでに至らなかった。
 なぜだか理由がわからない。
 
2005年5月8日 ゴールデンウィークが終わった
 正月休みの倍ほども長く、実に3分の1月にあたるような長いゴールデンウィークが終わり、明日からは年が変わったよりも大きな変化があるような気がする。
 今日は朝8時半前に福岡へ行く娘を新飯塚駅まで送り、午前中は文化庁から送られてきた書類書きにみっちり時間をとられ、午後はカミさんと一緒に車で近郊の農産物販売所回ったり、山間に入り込んでワラビや竹の子(破竹か真竹ではないか?)を採って気分転換を図った。
 手ごろな竹の子を見つけることが出来ず、嘉穂町、桂川町、穂波町、飯塚市などの山間を散策していたら、飯塚市大山の山中でラッキーにも竹の子と冥加の新芽を見つけることが出来た。
 冥加は好きだが、農産物販売所で今の季節に時折見かける冥加の新芽を買う気になれず食べたことがなく(と思うが、東京の料亭で食べた気もする)、10本ばかり採って帰って食べたらなかなか美味だった。
 
2005年5月7日 長いゴールデンウィーク
 まだ長いゴールデンウィークが続いているが、ぶらぶら遊んでいる余裕はない。
 午前中はT県議事務所へ行って打ち合わせをし、一旦家に戻って塩辛と漬物だけの昼飯を食べ、午後3時には実行委員会の事務所で久保事務局長とT県議を引き合わせたり、Kさんが時計とカレンダーを持ってきたり、明和塾のTさんも加わったり、夕方には頴田町の杜の舟を訪ねてUさんとIさんに久保事務局長を紹介したり、なかなか忙しい一日でくたびれてしまった。
 昨日からプロ野球交流戦が始まったが、民放は相変わらず巨人戦(対楽天)だけでもう一つ面白くなく、多元中継などもっと工夫があってよいのではないかと思う。
 
2005年5月6日 製作上映実行委員会
 プロデューサーだから人にすべてを任せて仕事をやってもらうことには慣れているが、条件がそろわないと自分で何でもやってしまう癖もある。
 今日の午前中は遠賀川沿いの事務所に行って添田町や大任町に電話を入れて仕事をこなし、午後は田川市に向かって伊藤市長と母里さんに会い、夕方には事務所に戻ってKさんと待ち合わせをした。
 条件をそろえて自分で何でもやってしまうから、いまだに実行委員会というものが作れないでいたが、Kさんに事務局長を引き受けてもらうことが出来て、やっとこれから面白くなりそうな予感がする。
2005年5月5日 遠賀川沿いの事務所で
 今日はゴールデンウィークも後半に入った子供の日の休日だが、思いつきで遠賀川沿いにある事務所に8人ほどが集まった。
 メンバーは午前中からやってきた(僕が迎えに行って送った)田川のBさんとO君、頴田町の内野君、午後から参加した北九州市若松のSさん、K大産業理工学部のY教授、穂波町のKさん、うちのカミさんなどで、夕方5時過ぎまで酒も飲まずに打ち合わせとなった。
 打ち合わせの内容は映画『すかぶら』製作に関して多岐にわたったが、『製作・上映実行委員会』の立ち上げに尽き、活発な意見が出て実り多いものだった。
 皆さん、本当にお疲れ様でした。
2005年5月4日 何人かに会うが
 朝は多少涼しいがお昼前には汗ばむ陽気になり、ゴールデンウィークは絶好の行楽日和が続く。
 午前中はA商事の事務所でN君、のがみプレジデントホテルでT君と会い、午後はカミさんと娘を誘って福間海岸に行った。
 福間でラーメンを食べ、海岸の魚市場により、帰りがけに農産物直売所により、最終的に穂波町にあるジャスコに行った。
 映画『すかぶら』製作のための重要な仕事を抱えているため、遠出をすることもなく、近年にないゴールデンウィークを過ごしている。
2005年5月3日 部屋の中は涼しいが
 今日も初夏のような陽気で、部屋の中は涼しいが外の日差しは強く、車の中は暑くて汗ばんでしまう。
 午前中は遠賀川沿いの事務所で阿部事務局長と打ち合わせ、午後は田川方面に向かって松原のO・Nさんを訪ねたが出かけていて、添田町にある鑑月焼中元寺窯元はゴールデンウィークらしく大勢の客がいっぱいで忙しく、実りのない一日だった。
 夕方からは西日が差し込む事務所に戻って、一人で製作協力券の配布表を眺めながら戦略を練った。
2005年5月2日 夜中に地震
 夜中に震度3程度の地震があったらしいが、飲みすぎていてまったく気がつかなかった。
 今日はゴールデンウィーク中の平日でやることはいっぱいあるはずなのだが、製作・上映実行委員会の事務所掃除で疲れてしまった。
 遠賀川沿いにある明和塾敷地内の事務所に電話を取り付け、電話が通じることを確認し、寝転がって製作協力券の配布表を眺めた。
 時が止まったような、世間と乖離したような、のんびりとした何もない空間から、本当に何かが始まるのだろうか。
2005年5月1日 直方のイオンというかジャスコ
 朝から雨が降っていて、ゴールデンウィークの日曜日でもあり動きにくく、午前中はテレビを観ながら製作協力券の配布表を作っていた。
 午後はカミさんの買い物に付き合って、直方市に新しく出来た「イオンというかジャスコ」に初めて行った。
 雨模様のゴールデンウィークの日曜日ということで混雑しているという予感はあったが、案の定で、飯塚のジャスコとはレベルが違う大きさのイオンは大混雑で、特に駐車場から出るときには車が動かず、怒鳴りつけたくなるほど腹が立った。
 夕方には家に戻って再び製作協力券の配布表を作ったが、配布数を振り分けていくとき嬉しくなるほど自分の考え方が顕著に出て、他の人たちと決定的に違うのではないかと思った。
 そして、この考え方こそ地域の人にとって大事なのではないかとも思った。