| 2004年9月30日 書けないことの多い日 |
月末は書けないことが多い。
朝10時に鞍手町のNさんと会い、一度家に戻ってから飯塚市内から直方方面へ向かい、少し早かったが頴田町の内野さんの工房に寄り、シナリオの話をして家に戻った。
夜は、一杯やりながらシナリオの直しに掛かる準備をした。
イチローが最多安打記録を後2にし、松井が30号ホームランを放った。 |
| 2004年9月29日 台風21号 |
今日は朝から台風で風雨が強く外に出ることが出来ず、かといってシナリオを書く気にもならず、午前中は家の事務所で待機していた。
午後は、台風の影響を見ながら、娘の野暮用に付き合ったり、飯塚市役所商工振興課に行って融資の書類をもらったり、T君と会ったりした。
今日のイチローは5打数2安打で、大リーグ最多安打記録に後3と迫り、まさしく秒読み段階に入ったようだ。
ただ、全米ではマグワイアやボンズがホームラン記録を更新したときのような熱気はなく、一人日本のマスコミが騒いでいるといったニュースもあるが、僕はどちらも正しいと思うし、イチローの全打席に関心がある。 |
| 2004年9月28日 小倉へ |
今日は台風の影響で、一日中雨模様の天気だった。
午前中はプリンターのインクジェットを買いに行き、映画『すかぶら』のシナリオや企画書など数部をプリントアウトし、午後からは添田町のFさんと香春町で待ち合わせて小倉へ行った。
小倉城近くにあるHさんの会社で1時間半近くお邪魔し、いろいろお願いをして、川原町径由で19時ごろ飯塚に戻った。
今日も一日中気になっていたが、マリナーズのイチローは今日もヒットを打ち、後5本で大リーグシーズン最多安打記録(257安打)に並んだことを、NHKの7時のニュースで知った。
僕にとって、メジャーリーグで活躍するイチローや松井は元気のもとであるが、日本プロ野球選手に元気を与えてくれる選手がいないのはさみしく、楽天とライブドアのどちらが球団を持とうが、この問題を解決しない限りプロ野球の未来は先細りのような気がする。 |
| 2004年9月27日 恒例の月末がやってきた |
わかっているが月末は毎月やってくる。
午前中は雨が降る中を走り回り、午後からは田川方面に行って駆けずり回り、暗くなってから行く先を失って家に戻った。
途中考えることはシナリオの内容のこと、キャスティングのこと、戦略の組み方のことなどで、何度も何度も繰り返し想起する。
時々、嫌なことを思い出して気持ちが荒ぶることもあるが、おおむね紳士的であり続けていて、一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。
今日はこの辺で・・・。 |
| 2004年9月26日 遠賀川流域住民の会 |
今日は日曜日で、午後13時から開催されている遠賀川流域住民の会主催の稲築交流会にはじめから参加するつもりだったが、娘を福岡市にある通信教育講座に登録するために連れて行く約束があり、遅れて15時半ごろ稲築町公民館に行った。
1年に1回開かれる交流会は、遠賀川流域の市町村が持ち回りで開催するもので、流域の様々なボランティア団体が一堂に集結することから、僕はだいたい毎年参加して来ている。
ボランティア団体の集まりで、僕のようなものからすると正直言って多少ダイナミズムに欠くが、僕が筑豊に戻っていつも勉強させられた集まりだった。
車で行ったので、酒を一滴も飲めなく多少辛かったが、いっぺんで皆に会える貴重な機会だった。 |
| 2004年9月25日 飯塚事務所で打ち合わせと報告 |
今日は土曜日で少し暑かったが天気もよくなかなかの打ち合わせ日和で、我が家の飯塚事務所に八木山シナリオ合宿参加者のうち6人が集結し、僕の東京報告をすると共に実りある打ち合わせが出来た。
集結したメンバーを紹介すると、アシスタントプロデューサー候補の伊藤君、僕の高校の同窓生であり店舗デザイナーの阿部君、小学校の先生の高木さん、この間銀座でデートした清原さん、大手保険会社の飯塚支社長古世さん、NHKのIさん、電話で参加の山本さんなどで、午後13時から21時までみっちり打ち合わせが出来た。
打ち合わせの間、映画やシナリオに関係のない一見無駄な会話(昔の話など)がたびたび入り、本筋から離れることになるのだがこれが新しいアイディアを生み出す源泉であり、このエネルギーを東京の映画づくりは取り入れていない。
勝負はこれからだ!
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| 2004年9月24日 朝、雨が降っていて |
今日も朝方は雨が降っていて、お昼前まではカミさんに東京に送る資料をそろえてもらったり、井之原君に電話をしたり、やるべきことをこなしてから本格的に動き始めた。
まず飯塚市役所に行き(目当ての人はいなかった)、それから飯塚コスモスコモンに回って窪山館長と昼飯を食べた。
午後からは、田川市方面へ行きたかったが時間のタイミングが合わず、T君と2時間あまりお茶を飲み、夕方になって再び飯塚市役所を訪ね、梶原経済部長に会って東京の報告をした。
T君が「東京は活気があった?」と聞いてきて、一瞬どう答えていいものか迷ったが、「やっぱり、活気があるよね」と正直に答えた。
だって、反応が違いすぎるもの・・・。 |
| 2004年9月23日 英彦山へ(お彼岸) |
よっぽど疲れていたのだろうと思うが朝起きたら9時半過ぎで、留守中の新聞2誌に眼を通していたらそれだけで疲れがぶり戻して、休日でもあり仕事をする気になれなかった。
福岡は涼しく、台風18号以来毎日のように雨が降ったという情報を得ていたので、午後からカミさんを誘ってハタケシメジを求めて英彦山に行った。
美味しいキノコのハタケシメジは、降り続く雨とこの数日来の涼しさで刺激を受けたのか、目指すポイントに大量に発生していて、我が家で食べる1年分をわずか2時間ほどで確保できるほどの大収穫だった。
そして、元気を取り戻したのは日本人の大リーガーたちの活躍で、特にイチローの活躍(昨日5安打、今日4安打)は凄いの一言に尽きる。
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| 2004年9月22日 今日も暑い(東京最終日) |
朝9時半にヒューマックスの倉持さんと会い、近くのデニーズでコミュニケーションの臼井さんとも合流し、報告も含めて少しばかり打ち合わせをした。
その後、呉監督に会うために笹塚に向かったが、少し時間があったので昔住んでいた付近を散策したら、案の定Y屋はなくなっていた。
呉監督と昼飯を食べ、コーヒーを飲んで、五反田の事務所に戻ったら、もう井之原君と法村さんはやってきていた。
今後の大雑把な打ち合わせをして、17時過ぎには事務所を出て空港に向かい、22時過ぎには飯塚の家に着いた。 |
| 2004年9月21日 平日だったが(東京8日目) |
今日は平日で朝から動き回るつもりでいたが、ちょっとタイミングがずれて一日中事務所にいることになった。
事務所にいてもやることは多く、企画書を書いていると昼過ぎに井之原君が来て、夕方には法村さん、19時過ぎには永芳さんが加わった。
最終的にシナリオの内容をどうするかで苦しんでおり、時間はいくらあっても足りない。
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| 2004年9月20日 敬老の日で(東京7日目) |
朝7時半ごろ、井之原君が法村さんに声をかけていたようだが、9時ごろ起きたら二人はもう帰っていた。
まず起きて牛乳を飲み、隣のセブンイレブンに日本経済新聞を買いに行き、コーヒーを沸かしてバナナとパンで朝食をすました頃、カメラマンの榊原さんから電話があり16時に笹塚の喫茶店で会う約束をした。
昼前に五反田図書館に行ってパソコンを借りてインターネットに接続したが、掲示板やブログページなどへの様々なアクセス規制があり、調べたいものを調べることが出来ず相当頭にきた。
昼飯は、ほっかほっか亭の海苔弁当、インスタント味噌汁・朝餉、野沢菜で栄養のバランスをとり、シャワーを浴びてから新宿に出て東急ハンズと紀伊国屋書店をウロウロしてから、榊原さんに会うために笹塚の南蛮茶館に向かった。
榊原さんと2時間あまり話をして、そのまま事務所に戻ってビールを飲みながらこの日記を書き、テレビで「中日対巨人戦」を観ようと思っていたがWBC世界S,フライ級タイトルマッチ「川嶋勝重対ラウル・ファレス」を観て、わざとらしいアナウンサーの声が耳障りなプロ野球にチャンネルを変えた。
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| 2004年9月19日 日曜日で(東京6日目) |
今日は日曜日で、久しぶりに「報道2001」「サンデーモーニング」「サンデープロジェクト」などテレビを観たが、全番組がプロ野球ストを特集していた。
お昼前から五反田駅あたりにスリッパを履いて出かけ、650円の立ち食い鮨屋でチラシを食べ、東急デパートに寄ったら東北物産展が開催されており、ホタテのひもを乾かしたものや南部せんべいなど何種類かのつまみを買った。
夕方17時に井之原君と法村さんがやってきて、まずコーヒーを飲みながら、そして19時過ぎに二人の女性(直方市出身のNさんと八女市出身のYさん)が到着してからはビールに変え、名刺、製作協力券、オーディション用ポスターのデザインなどの打ち合わせをした。
井之原君と法村さんは泊まっていった。
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| 2004年9月18日 井之原君目覚める!(東京5日目) |
今日は土曜日で、15時に会う予定の榊原カメラマンとの約束以外にこれといった予定もなく、昨夜から泊まっていた法村さんと近所にラーメンを食べに行ったり、一日中五反田事務所付近でぶらぶらしていた。
昨夜は井之原君も泊まっていたが、明け方にトイレに行きたくて起きてそのまま始発電車で自宅に帰り、15時前には再び事務所にやってきた。
榊原さんは酒を飲まない。
15時から17時近くまで事務所で打ち合わせをして、榊原さんには映画『すかぶら』のシナリオを持って帰っていただき、井之原、法村両君とビールを飲み始めた。
ビールを飲みながら、やっと現実的なのっぴきならないプロデューサー会議に立ち至り、井之原プロデューサーにエンジンが掛かってきたかという一日だった。
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| 2004年9月17日 ヒューマックスから角川映画へ(東京4日目) |
今日は、井之原君と待ち合わせてヒューマックスシネマの倉持さんと10時に会い、昼前には飯田橋にある角川映画の黒井社長を訪ねた。
倉持さんはヒューマックスコミュニケーションの臼井さんにも声をかけて、近くのデニーズで四人が合流したが、先輩らしい適切な助言をしてくれた。
角川映画には井之原君を同道して行き、アポも取っていなかったが黒井社長に会うことが出来て、担当プロデューサーを紹介してもらって、新企画「S」を正式に提案することが出来た。
その後、井之原君と共に五反田の事務所に戻って、法村さんにも来てもらって映画『すかぶら』のキャスティングをした。
今日の収穫は他にもあった。
ヒューマックスから角川映画に向かうタクシーの中で、坂田さんから携帯に電話があって、10月15日に予定されている福岡県人会へ招待された。 |
| 2004年9月16日 文化庁へ(東京3日目) |
今日の午前中は東京駅の近くにある文化庁へ行って、神田錦町のチロルチョコ株式会社へ回った。
初めて訪ねた文化庁芸術文化課では助成金の申請書をもらうつもりだったが、来年度の申請書用紙は10月7日以降になるということで、また提出期間が12月と早くなっていることがわかった。
チロルチョコ株式会社は、田川市にある松尾製菓から分離独立して新しく設立されたばかりの会社で、もしかしたら社長に会えるかもしれないと思ってアポなしで訪ねてみたら、案の定と言うか、ラッキーと言うか、出迎えてくれたのが社長だった。
午後は、日経エージェンシーの佐藤社長と会うことになっていたが、明日からの中国行きでどうしても時間がとれず会うことが出来ず、五反田事務所で井之原君と法村さんと早めに会い、夕方5時ごろまではコーヒーを飲みながら、その後はアルコールを飲みながら結構濃密な打ち合わせをした。
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| 2004年9月15日 議員会館から久しぶりに銀座(東京2日) |
昨夜は12時過ぎに事務所に着いて、なかなか眠る体制に移行できずに3時過ぎまで起きていて、今朝は10時頃まで寝ていたかったが8時半頃には眼が覚めてしまった。
五反田東急デパートが開店するのを待って、チリ籠、ティッシュ、台所洗剤、バナナ、パンなどを買ったが、トイレの電球、コーヒーなどを買い忘れていたのは、飲みすぎと寝不足だったからだろう。
昼過ぎには車で井之原君がやってきて、一緒に六本木の天鳳で味噌ラーメンを食べてから、衆議院会館の麻生太郎事務所に行った。
野田政策秘書に丁寧な応対をしていただき、一度五反田の事務所に戻って井之原君と今後の打ち合わせをしてから、Kさんとの待ち合わせ場所である銀座三越デパートに向かった。
Kさんは筑豊の女性で、東京で働いていらっしゃるお嬢さんと実弟のSさんを紹介していただき、感じのよい和食の店で御馳走になってしまった。
Kさんも一人で東京に出てくるようにお元気な女性だが、お嬢さんも重要な仕事をバリバリこなす人(見かけはきわめて女性的だ)で、Sさんにいたっては自ら「でべそ」と称されるように、皆さん筑豊人のいいところをいっぱい持った人たちでとても元気付けられた。
皆さん、今後ともよろしくお願いします。
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| 2004年9月14日 そして東京へ(東京第1日) |
今日は東京行きの日だが、福岡空港出発が21時25分の飛行機なのでたっぷり時間があり、昼間は必要な資料を作ったり、市役所や飯塚コスモスコモンに行ったり、インターネットで調べものをしたり、イチローと松井の活躍を見たりしながらこまごました用をこなした。
夕方になって風呂で汗を流し(今日も暑かった)て冠ビールを飲み、家から空港まではタクシー、JR、地下鉄を乗り継ぎ、空港でもう一缶ビールを飲んで出発時間を待ち、スカイマークの機内でもう一冠飲んで、多少疲れながら24時過ぎに五反田の事務所に着いた。
羽田から品川に向かう京浜急行の電車の中での話しだが、時間も23時を過ぎていて僕のように酒を飲んだ男女(男だけではない)も多く、なんとなく殺伐とした雰囲気が漂っていて何か起こりそうな気がしていたら、すぐ隣の男(頭が薄いサラリーマン風)と向かい側に座っている多少若い男(テレビ局の編成などによく見られるタイプの鼻持ちならない風)がもめ始めた。
「人の顔をじろじろ見るんじゃねえ、爺が!」と言う若い男の言葉にはじまり、「何を怒ってんの?文句あるなら相手するよ。でも、殺してはいけないよ!」なんて頭の薄い男が言葉を返し、一触即発の雰囲気だったが実力行使には到らなかった。
僕はとても温厚な人間だと思っているが、「・・・、爺が!」と若い男の言葉にカッと来ていた。
隣の男は確かに頭が多少薄いが、髪の白い僕よりも確実に若いと思われたからだ。
その男が爺なら、俺はどうなるんだ・・・!
緊迫した雰囲気の中で、成り行き次第でどう動いてやろうかと考えていたら電車が品川駅に着いて、僕は大きなバッグを抱えて立ち上がった。
それから品川で山手線に乗り換え、五反田で降りて事務所まで歩いている15分ぐらいの間に、殴り合いをしている者たち、酔っ払いだろうが頭から血を流しながら道端に座っている者、何処に向かうのか髪を振り乱して全力疾走する鬼婆のような女を目撃した。
東京はどうなってるいるのか?
と言っても、今日新飯塚駅のホームに向かっていると、トイレから二人の若者が肩を抱き合うようにして出てきて、明らかに一方がもう一方に暴力を加えたような雰囲気が感じられたが、こんなことは東京に限ったことではないのかもしれない。
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| 2004年9月13日 東京と九州の切り替え |
昨年11月に東京事務所を開設して、約10ヶ月ほど東京と九州を行ったり来たりしているが、特別仕事もしていないので経済的にはなかなか大変なやりくりである。
今日は朝から飯塚市役所に行ったら本会議で、商工振興課の諸君は議会に張り付けになっており会うことも出来ず、大事な東京行きが間近に控えていて、広域圏の高倉さん(山田市役所職員であり映画『すかぶら』の釣り指導者)にお願いして、麻生太郎事務所の野田筆頭政策秘書とアポをとって貰った。
午後は、中間市の伊藤君、元同級生の阿部君などに連絡を取り、自宅事務所で打ち合わせをしていたら、途中連絡があってNHKの井田さんもやってきて、夕方8時半過ぎまで真面目な打ち合わせをした。
その間、東京の井之原君、日経エージェンシーの佐藤さん、フジテレビの青木さん、M子さん、福岡の内田さんなどから電話やメールで連絡があった。
夜は上京中のKさんから電話があり、弟さんや娘さんの話のほか、そうそうたる顔ぶれが並ぶ福岡研究会などの報告もあり、東京と九州の切り替えがますます重要になるなと思った。 |
| 2004年9月12日 今日も、朝早く眼が覚めて |
今日は日曜日でゆっくり寝ていてもいいのだが7時前に眼が覚めてしまい、カミさんを起こしてコーヒーを煎れてもらって、新聞を読みながらも時間がかったるく感じて、8時過ぎには伊藤君や米澤さんに電話をいれた。
昨日、東京行きのチケットを受け取り、気分が次第に東京モードに変わりつつあるのだろう。
伊藤君、阿部君、米澤さん、それに小学校の先生であるTさんなどに声をかけて、映画づくり全体の話しなど出来たらいいなと思っていたが、伊藤君と米澤さんが都合が悪く予定を組めなかった。
午後は、突然パソコンの先生である山本さんが訪ねてきたりしたが、気晴らしもしばらくしていないので、3時過ぎからカミさんと玄界灘へ向かった。
福間港は不安定な天気だったが日曜日なので釣り人は多く、若いルアーマンに聞くと朝方に「ネリゴ」や「サワラ」が上がったということで、僕も堤防の端っこでジグを投げてみたみた。
すぐに空が真っ黒に曇ってきて大粒の雨が降り出し、10分間ほどジグを遠投するだけの釣りだったが、久しぶりに海に来て気分が晴れ晴れした。 |
| 2004年9月11日 なんだかんだと忙しい |
朝早くたまたま眼が覚めたので、牛乳とコーヒーを飲んでから田川市へ向かい、山賊鍋の社長・柏木さんに会ってシナリオなど資料を渡した。
その後、一度家に戻って朝飯を食べ、カミさんと簡単な打ち合わせをし、福岡市へ映画を見に行くという娘を新飯塚駅まで送り、中古車を用意してくれた上野君の家に寄り、カミさんの買い物に付き合ってから家で昼飯を食べた。
午後は、東京行きのスケージュールを調整してチケットを予約(9月14日福岡発、9月22日東京発)し、直方市の佐藤さんが経営する散髪屋に行って髪を切り、福岡市へ向かってチケットを受け取り、娘を天神で拾って飯塚に戻った。
大したことはしていないが、朝早く眼が覚めてから動きっぱなしだったので、今日はとても疲れた。
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| 2004年9月10日 資金調達 |
シナリオを書いているときはシナリオライターで、そのシナリオを元に映画化する場合はプロデューサーになり、映画撮影時期は監督になるというのが僕の思惑である。
台風がやってきた数日前から、僕はシナリオライターからプロデューサーへの変身を試みており、結構ハードな毎日を送っているというわけだ。
日記では、あの人を訪ねてこうだったとか、あの会社は景気が悪くて駄目だったとかはまず書けるわけがなく、今日も一日中、日記に書けないような動きをしていた。
でも人が心配するほどでもなく、なかなかうまく運んでいる。
問題は、自分自身の判断が出来ない大人が増えていることで、多少時間が掛かる。 |
| 2004年9月9日 日記に書けないこと |
台風18号は北海道にも大きな被害をもたらしたようだ。
テレビのニュースを観ていたら、「100年に一度の強い台風」と地元の人が語っていたが、九州よりも被害は深刻そうに見えた。
今日の行動は、日記に書けないことが多かった。
例えば出資を求めに行ったり、借金をお願いに行ったりした場合は、相手のことを日記に書くわけにはいかず、まあ今日はそんな一日だった。
午前中は書類作り、午後は鞍手町から小竹町へと回り、書類を出して説明しながらいろいろお願いした。
電話はこちらからしたり、あちらから掛かってきたり、東京の井之原君とは1時間あまり話をして(ヤフーBBだから、電話料金が気にならない)、まあ結構こまめでもあった。
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| 2004年9月8日 台風が去って |
台風18号が九州北部に上陸し、中国地方をかすめながら日本海に抜けて北海道まで到ったが、世界遺産の宮島をはじめ大きな被害を与えたようだ。
映画『すかぶら』に関する被害は、崖崩れで国の重要文化財である英彦山神宮奉弊殿が破損したという情報があるが、とりあえず映画製作の延期という事態は避けられたようだ。
台風が去って、筑豊地方は青空が出るいい天気の営業日よりになり、おいさんとしては筑豊を駆けずり回らないといけないのだが、昨日酔っ払って福岡の内田さんが訪ねてくることなんかを忘れていて、添田町の鑑月焼窯元を訪ねてすぐ飯塚に引き返したり、無駄が多い迷走気味の一日だった。
夕方からは頴田町の内野さんと今井さんに会って、最終準備稿に向けた僕の考えを聞いてもらった。
夜、この日記を書きながらサッカーワールドカップ第1次予選「日本対インド」を観ていると、窪山さんから「いい娘がいるから出てきない」と電話があって、タクシーで二瀬にある「田園」という店に行った。 |
| 2004年9月7日 台風18号 |
今日は朝6時過ぎに起きたが、まだ台風18号の影響はなくていつものようにコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたら、8時少し前から風が強くなって台風らしい天候に変わってきた。
それでも大したことはなく、外に出るつもりもなかったので台風が去るまでパソコンに向かい、いろいろ調べものをしていた。
新しい車を調達してくれた上野君、福岡の山本さんなどから電話があったが、風が強くて何が飛んでくるかも分からず夕方まで家にいて、台風の影響がどうだったのかも自分の眼で確かめたくて、夕方から飯塚市内に出てコスモスコモンの窪山館長と会った。
少し、仕事になったかもしれない。
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| 2004年9月6日 また、台風がやってきている |
今日はいくつかの予定を組むつもりでいたが、相手側の都合で予定が組めなくなり、昨日に引き続き阿部君に来てもらったりして、結局一日中家にいた。
東京の井之原君にも電話をした。
朝と夜の2回に渡って電話で話したが、話の要点はまず井之原君がプロデューサーとして関わる気があるのかということ、関わるとしたらワン・オブ・ゼムのお仕事として関わるのではなく、独自の関わり方を見つけないといけないのではないかというようなことだった。
また台風がやってきていて、明日の日中は大荒れの天候が予想され、今日中に済ましたいことがいっぱいあったが予定を組むことが出来ず、阿部君が帰ってからはパソコンに向かって配役表などを作っていた。
シナリオに掲載する登場人物の配役表はプロデューサーの重要な仕事(僕はそう思い、これまでもそれをやって来た)のひとつで、今はライターからプロデューサーに移行するときの端境期でもあり、配役表を作りながらまだまだ監督へ至る道は遠いと感じる今日一日だった。 |
| 2004年9月5日 最終シナリオ打ち合わせ |
今日は日曜日で、岡垣町の米澤さんの発案で映画『すかぶら』についてワイワイガヤガヤする予定だったが、中間の伊藤君と高校時代の同級生阿部君の三人が我が事務所に集まって、極めて真面目に最終シナリオ打ち合わせをした。
米澤さん、どうしたのですか?
映画『すかぶら』の準備を進めていきながら昨日の日記に、たった一人のマスターベーションではないかという不安と、せめて普遍的なマスターベーションにしなければという思いを書いたが、今日の最終打ち合わせの成果は、田舎者三人の気持ちが多少一緒になったことかもしれない。
東京の製作プロダクション的に言うと、印刷に入れてもいい準備稿が出来たのだと思う。
夕方8時ごろまで、晩飯も食べずに最終シナリオ打ち合わせに参加してくれた伊藤君と阿部君、本当にお疲れ様でした。
頑張ろうね!・・・画期的な成功を収めるのではないかと、心の底から思っています。 |
| 2004年9月4日 準備稿の最終直し |
営業に回らないといけない事情があったが、今日は土曜日で営業のしようもなく、カミさんの買い物に付き合ったり、調べものをするためにネットサーフィンをしたり、結局最後は、映画『すかぶら』準備稿の最終直しをやった。
自分では自信があるシナリオなのだが、自分が期待しているより反応が薄く感じられて、日々自信のボルテージが下がっていくのである。
それが、再び書く気を奮い起こさせるのであるが、田舎では出来不出来の具合が判別できなくて、必要以上に気分を高揚させながら書いている自分がいて、まさにマスターベーションさながらではないかと不安になるのである。
せめて、普遍的なマスターベーションにでもしないと、なんて思いながら・・・。 |
| 2004年9月3日 今日は、グズグズ |
今日は朝早く起きて田川市の柏木さんを訪ねるつもりだったが、ちょっとしたタイミングで取りやめて、家でパソコンで調べものをしたり、電話をしたりしながらグズグズしていた。
昨日の夜に食べ残したおかずでお昼をすまし、行く当てもないまま中間市へ向かい伊藤君に会ってビデオ(20年前の嘉穂劇場座長大会)を返し、日が暮れるのが早くなった筑豊路を帰路に着いた。
オリンピックが終わり、台風16号が九州を縦断して大きな被害をもたらし、浅間山が噴火し、イチローが月間56本のヒットを打って大リーグタイ記録を達成し、ロシアではチェチェンを巡る大きなテロ事件が発生し、遠賀川流域を舞台にした映画『すかぶら』を作る身としては、このシナリオで本当にいいのかなと思ってしまう。
というより、そもそも企画の問題だろう・・・良いか悪いかは。 |
| 2004年9月2日 一日中、ウロウロしていた |
今日は朝10時過ぎに添田町役場を訪ねた。
須崎助役の部屋(秘書課をはさんで町長室のすぐ側)に小1時間ほどお邪魔して、助役に映画『すかぶら』再稼動の説明をしながら山本町長と会うタイミングを狙っていたが、この間の台風16号でスケジュールが大幅に狂ったということで、助役の骨折りもあったが町長は5分の時間も取れなかった。
その後、中元寺の鑑月焼に行ったが藤本窯元はさっき寝たばかりで、次に山田商工会議所の福田専務を訪ねたら会議に入ったばかりということで、一度飯塚の自宅に戻って昼飯を食べた。
午後は、田川市に行って図書館に借りていた本を返し、あをぎりの母里さんにシナリオを届け、田川市立病院の太田外科部長に会いに行ったら手術中だったので直方に回り、文化連盟の祝さんとレンピッカの小田さんに会って飯塚の自宅に戻ったが、一日中ウロウロしていたような気分である。
飯塚市民経済部長と教育部長の会談も気になったが、明日の楽しみにしておこう。 |
| 2004年9月1日 映画『すかぶら』シナリオの出来は? |
8月7・8日に八木山ユースホステルでシナリオ合宿をやり、それを受けて先週にはシナリオを書き直し、一週間ほどで何人かの人に読んでもらい、感想(おおむね好評)も聞いたが、シナリオの出来について判別つきかねている。
というのは、シナリオを読んでもらったのが合宿参加者が大半で、僕やシナリオに対して好意的であり、或はそれぞれが多分に当事者的立場に立っていて、僕と同じように見えにくくなっているのかもしれない。
もう、東京の出資会社や俳優さんなどプロの第3者に、読んでもらう時期に来ているのかもしれない。
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