| 2004年6月30日 今日は真夏のように暑い |
昨夜そろそろ寝ようかなと思ったとき、たまたまウィンブルドン女子テニスで杉山選手の試合にチャンネルが回り、はからずも最後まで観てしまうことになり、朝起きたら9時過ぎだった。
今日は飯塚病院前でクリーニング店を経営するEさん、不動産会社を経営するOさん、Oさんが紹介してくれた市役所のNさん、クリーンセンターのTさん、飯塚市体育館のYさん、塾経営者Tなどに会った。
今日は真夏のように暑かったが、途中Oさんと会った喫茶Tの冷房がよく効いていて、ばてるようなことはなかった。
ただ、恒例の月末でもあり、耳の調子もあまりよくなく、かなりのストレスにさらされているようだ。 |
| 2004年6月29日 市町村合併問題 |
全国最大級の市町村合併が進む嘉飯山(2市8町)で、桂川町が正式離脱を決定したことを受けて、まったく先行きが見えなくなって混沌としている。
1市8町1村の田川市郡がまとまらず、1市4町の直鞍も分裂し、筑豊地域の市町村合併問題は胸突き八丁に差し掛かっている。
今日は朝から夕方まで、嘉穂東高校のN先生、新飯塚駅前通のT店を経営するMさん、元県議のOさん、Kさん、鞍手高校のN先生(出張で不在)、Iさんなどと会ったが、地域のジレンマというものを改めて考えた。
僕のジレンマ、地域のジレンマ、日本のジレンマというのがキーワードであるかもしれない・・・或は世界の。 |
| 2004年6月28日 大分県日田市へ |
今日は先日亡くなった伯母さんの初7日に出席するために、朝から喪服を着て大分県日田市へ向かった。
稲築町、嘉穂町、小石原村、宝珠山村経由約1時間半の道中は、久しぶりであり、天気もよくて、なかなか気分は悪くなかった。
お昼までにお経は終わり、その後他の参加者は豆田の方へ食事に行き、僕はそのまま飯塚へとんぼ返りした。
飯塚に戻って、田川市立池尻中学、庄内町立庄内中学、飯塚市立二瀬中学などを訪ねた後、飯塚市役所に行って合併問題の話しなど聞いた。
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| 2004年6月27日 おたごさんありがとう |
日曜日というのに、今日も朝からおたごさんが我が家に来てくれた。
昨夜のOSインストールに引き続き、午前中一杯かかってLAN及び周辺機器の再設定を完了し、なんとかパソコン環境が整った。
おたごさん、ありがとうございました。
午後は添田町中元寺にある鑑月焼窯元を訪ねたが、朝から水道のポンプが止まって水が一滴も出ず、窯元はその補修作業でとてもくたびれた様子だった。
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| 2004年6月26日 昨年の水害を思い出す |
昨年に比べたら大したことはないが、今日も強い雨が断続的に降り続き、遠賀川の水位も大分上がって、なんとなく昨年の水害を思い出してしまう。
午前中はカミさんに付き合って嘉穂町のカッホー馬古屏、稲築町の魚が安いT店などを回り、午後は夕方から頴田町の『杜の船』にお邪魔した。
杜の船は内野豊さんが経営する木工房で、すぐ側には今井和子さんが経営する染色工房『花こみち』もあり、僕が油を売れる数少ない場所である。
夜はおたごさんが我が家にやってきて、ダウンしたパソコンのハードディスクを取り替えてくれた。 |
| 2004年6月25日 時折激しい雨 |
今日は一日中雨で、時折激しい雨が降り、梅雨らしいといえば梅雨らしい天気だった。
午前中はカミさんと娘を伴ってI病院へ行き、午後は稲築のS高校のY先生とS先生、山田市のM病院のHさん、嘉穂町のK工業高校のW先生、庄内町のUさん、わが母校のF先生などにあった。
夜は『いいづかどんたく宿場まつり」の打ち合わせがあったが、術後のカミさんの具合も気になり、資料をあらかじめ市役所のTさんに渡し、「自分たちで決めてください」といって家に戻った。 |
| 2004年6月24日 愛車のバッテリーが上がっていた |
今日は一昨日に亡くなった伯母さんの葬式で、朝6時に起きて、軽い朝食をとり、喪服に着替えて、調度7時に駐車場の車に乗り、エンジンキーを回すと掛からなかった。
『三菱ーパジェロー欠陥車』のイメージが湧いて、三菱自動車本社にクレームの電話を入れようかと思ったがまだ朝の7時で、両親や姉妹に電話を入れたら「私たちで葬式に行ってくるから、車を直すなり、仕事をするなりしたら」といわれ、急遽葬式行きを取りやめた。
午前中に車のバッテリーを交換して、新企画『S』の営業に回ろうかと思ったが雨が断続的に強く降り、結局、市役所に顔を出した後、夕方までT君とNホテルでお茶を飲んだ。
なんとも歯がゆいのは、東京で倹約生活をして浮かせた金額のほとんどを、バッテリー交換代に持っていかれてしまったことだ。
それに、事務所のエアコンとメインの冷蔵庫がダウン寸前であり、これから本格的な真夏を迎えるときに限りなくうっとうしい。 |
| 2004年6月23日 東京から帰ってきた |
今日は大手プロダクションA社に行くつもりだったが、どうも気分が乗らず、事務所の掃除をした。
掃除といってもフローリングを雑巾で拭いたり、台所まわりをきれいにしたり、毛布を干したりして午前中の時間を潰した。
お昼にはI君がやってきたので、事務所の下のハンバーガー店で生ビールを飲みながらこの10日間を総括し、14時過ぎに事務所を出て羽田空港に向かった。
空港で生ビールを飲み、煙草を4・5本吸い溜めて、日経エンターテインメントを読みながら、機中の客となった。
福岡空港に降り立ったらとても蒸し暑く、「やっぱり、九州やなあ」と思った。
帰ってからまずビールを飲み、すぐに10日間分の日記を更新し、多少自分を取り戻した気分である。 |
| 2004年6月22日 行き倒れになりそうに暑い東京 |
今日は台風が去った後で、天気予報も予想していたが、空は晴れ渡り朝から気温が高く、午後には行き倒れになりそうな暑さだった。
午前中に新宿富久町のHコミュニケーション社に行って、Yさんにわがノートパソコンから新企画『S』の企画書をプリントアウトしてもらって、一度事務所に戻って五反田図書館に借りていた本を返して、鬼太郎というラーメン屋で味噌ラーメンを食べたが、くらくらするような暑さに参った。
だが、ラーメンを食べて元気を取り戻し、赤坂のCSチャンネルのN社のS氏を訪ね、夕方には新宿でO監督に会った。
O監督に会ってカメラマンのSちゃんが今朝亡くなったということを知ったが、実は、今朝大分県日田市で僕の伯母さんも亡くなっていた。
そして、2・3日前に五反田図書館に届いたばかりのキネマ旬報で、Sカメラマンの写真と対談を読んだばかりで、いまだにその死が信じられないでいる。
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| 2004年6月21日 台風余波でびっしょり |
昨日の日曜日にカミさんから仕事を催促するような電話を貰った僕は、多少追い立てられている営業マンのような心境で、必要資料などをかばんに詰め込んで朝から事務所を出た。
新宿のH社、飯田橋のK映画社、六本木のT店でラーメンを食べて、神保町のJ社、再び新宿のH社を訪ねたりしながら、携帯電話でNエージェンシーのS社長、CS映画チャンネルのS部長などと連絡をとりながら精力的に動いたが、台風余波で強い風と雨に襲われ下半身がびしょぬれになってしまった。
夕方5時ごろ事務所に戻り、風呂に入り、さっぱりしたところで冷たいビールを飲み、この日記を書いている。
「仕事うまくいってるの?」とカミさんから電話でいわれても、「うまくいってるといえばうまくいっており、うまくいってないといえばうまくいってない」のである。
企画の力次第であり、プレゼンテーションの相手先の選択を間違わず、決してあきらめないという強い意志と実行力を持ち続けきるかどうかで、仕事はうまくいくものなのであると思う。 |
| 2004年6月20日 今日も蒸し暑い |
今日は日曜日で、夕方まで事務所にいてテレビを観たり読書をしていたが、蒸し暑くてじっとりと汗をかいたので、風呂に入ってから新宿に出かけた。
新宿西口交番前でI君とNさんと待ち合わせをして、通称しょんべん横丁に行って焼トンを食べながら、現在の映画製作状況などについて話しをした。
九州に戻って10年以上になる映画製作者の感じたこと、気がついたことなどを話すことは、若いI君にもベテランのNさんにも役に立つと思っている。
僕には、最先端の映画製作現場を捨てて九州の田舎に移り住んだ経験があり、そんな経験をした者だけに見えることがあると思っているから。 |
| 2004年6月19日 大型台風の影響で蒸し暑いのかな |
日本列島に接近中の大型台風の影響で時折強い風が吹くが、風が生温かくて蒸し暑い一日だった。
朝飯はほっかほっか亭のあさりご飯と永谷園のあさげ(味噌汁)及びスーパーの野沢菜、昼飯は冷やしソーメンを作ってきゅうり1本とトマト1個、夜はマグロの目玉の煮つけを出す飲み屋に行った。
今日は土曜日で予定を組むことが出来ず、食べたり飲んだりしている以外の時間は、涼しい五反田図書館に行って雑誌を読んだり、何冊かの本を借りてきてほぼ読書三昧。
コインランドリーに行って洗濯をとも思ったが、思っただけだった。 |
| 2004年6月18日 東京の夏は厳しい |
カミさんは「夏の東京には行きたくない」といっているが、確かに東京の夏は厳しいというか不快感一杯である。
最高気温は30度前後だが、照り返しがあったり、クーラーから放出される熱風などで不快指数が高まる。
そんな中、朝から神田にあるN社、新宿富久町のH社、途中事務所に戻ってからノートパソコンを抱えて再びH社へ行ったりした。
夜はI君とNさんがやってきて、五反田東急の地下食料品売り場で調達したカツオとタコの刺身、生ハム、長崎産のさつま揚げ、キムチなどを肴に11時過ぎまで飲んだ。 |
| 2004年6月17日 東京5日目は二日酔い |
梅雨というのに今日も天気で、すがすがしい陽気なのだが二日酔いで気分はすぐれず、11時過ぎに事務所を出て笹塚に向かった。
笹塚は僕とカミさんが長年住んだところで、映画『在日五十年』を作った呉徳寿監督の事務所があり、今日は呉監督から昼食を御馳走になることになっていた。
喫茶店で待ち合わせをして、近所の店で刺身定職を食べたが、二日酔いで朝飯を食べていなかった身には調度よい食べ物だった。
夜は映画『熱海殺人事件』で一緒に仕事をしたIさんと五反田で会い、数年ぶりに居酒屋で飲んだ。
Iさんは、半年ほど前にひどいぎっくり腰になって救急車のお世話になり、以来、気が弱くなっていると言っていた。 |
| 2004年6月16日 飲みすぎた |
今日はN社のS社長とお会いする日で、「誰か他の人を連れてきてもいいよ」という電話があったので、I君を誘って御馳走になった。
神田の『まつや』という蕎麦屋で、4時少し前から飲み始めることになり、ビールから日本酒と進み、7時近くまで飲んでしまった。
S社長、ご馳走様でした。
S社長と別れて、六本木でI君、Tさん、Nさんらと合流し、今度は焼酎をしこたま飲むことになった。
I君とTさんは事務所に泊まっていったようだが、朝早く帰って行った。
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| 2004年6月15日 新企画『S』を抱えて |
今日は朝10時に、新企画『S』を抱えて、新宿にあるH社を訪ねた。
Kさんは映画『パンツの穴』や映画『熱海殺人事件』の配給を担当して貰った人で、かれこれ20年余りの付き合い(九州に戻ってからも何度も会っている)で、親身になって助力してくれる。
午後は福岡市で行われた高校の同窓会で知り合ったN社のS社長を訪ねたが留守(電話しないのが悪い)で、一度事務所に戻ってから、夕方、五反田にある現像所のTさんに会った。
N社のS社長から事務所に電話があり、明日15時半に会うことになったのが嬉しい。
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| 2004年6月14日 インターネットが利用できない |
東京事務所のヤフーBBが使えなくなり、インターネットが利用できなくて困っている。
まず調べものが出来ないのが困り、そしてこの日記も更新できず、こうして書きながら不毛なものを感じている。
しょうがない。
H社のKさんと連絡をとると明日のほうがよいということで、昼間は原稿を読み、夜はI君がやってきて一杯やった。 |
| 2004年6月13日 東京へ |
朝T君とお茶を飲み、新飯塚駅から11時過ぎの電車で博多駅に向かい、地下鉄で福岡空港へ行って、スカイマーク社の飛行機で東京へ飛んだ。
今日から10日間ほど東京に滞在して、本格的に仕事をするつもりだが、あんまり無理をしないつもりでいる。
多少、歳を感じるからである。
ゆったりした気持ちで、仕事を仕掛けるつもりでいるが、動き出したらどうなるか分からない。
五反田の事務所に着いて、五反田東急デパートで買い物をし、プロダクション社長のNさんが来て一緒にビールを飲み、近所の焼トン屋で豚レバーの塩焼きを食べた。
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| 2004年6月12日 PCは時間がとられる |
今日の午前中は充実した営業が出来たが、午後はPCのトラブルに時間をとられた。
庄内町のYさん、新飯塚のEさんとNさんと契約を交わしたところで、おたごさんから携帯に電話があり、昼から自宅で合流することにした。
やっぱり、ハードディスクがおかしくなっていて、パソコンが立ち上がらなかったのだ。
おたごさんがハードディスクを持ち帰ってデータを出来るだけ取り出すことにして、僕らは新しいハードディスクを買い求めに行った。
なおるのは来週の土曜日か・・・。 |
| 2004年6月11日 メインのパソコンが |
台風がそれたので天気は悪くなく、今日も一日中外に出て営業をして回ったが、夜になってメインのパソコンがおかしくなったようだ。
娘の話によると、ノートンの週一のスキャンが作動している間かその後に、パソコンがダウンしていたという。
娘からそんな状態になったパソコンを見てくれといわれたが、疲れていて、また見たからといって修復できる自信もなく、ほったらかしにして眠った。
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| 2004年6月10日 カミさんに付き添って |
今日は朝から、カミさんに付き添って飯塚市内にあるI病院に行った。
診察のの間、はじめは営業に出るつもりでいたが、新企画『S』の原稿チェックもあるしなあと考えたりしているうちに、結局、病院の中庭で煙草を吸ったりしながら付き添った。
N医師による診察、レントゲン、エコーなどがあり、結果は大したことはなく心配ないとのことで、ひとまずよかった。
夕方には直方市内にあるK高校、T工業高校などを訪ねて熱弁を振るったが、成果の程は後ほどということになった。
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| 2004年6月9日 一変して |
今日も朝から営業と張り切って家を出たが、最初に躓いて、効率の悪い一日となった。
だが、最後にうかがった葦ペン画家・M先生宅では新しい発見があり、勉強にもなった。
夜はワールドカップサッカー一次予選『日本対インド戦』を観戦した。
日本が7対0で勝ったが、インドが弱すぎたように見えた。 |
| 2004年6月8日 母校同窓会の応援 |
今日は時々小雨が降り、涼しい一日で、飯塚、稲築、直方などを回って、仕事は大いにはかどった。
仕事がはかどったのは、まったく母校同窓会の応援があったからだった。
6月13日の東京行き航空チケットもとり、なかなか充実した一日だったが、予想以上にくたびれてもいた。
缶ビールを1本飲んだだけで、眠くなってしまいそうだった。 |
| 2004年6月7日 小倉から添田へ |
今日は所要で小倉から添田へ回り、結構長い道のりだと感じたが、それはもしかしたら、小倉へ行くとき高速道路を利用したからかもしれない。
高速道路に乗るとスピードを上げ、そのスピードを持続しようとするから結構疲れてしまい、その後の平坦な道のりが長く感じられてしまう。
高速道路は高いし、考えることが出来ないし、疲れるし、いつも損をしたように感じる。 |
| 2004年6月6日 五島から客人 |
昨日の同窓会で飲みすぎて、二日酔い気味の一日だった。
午前中はインターネットで調べものをして、午後は五島からの客人Nさん(東京で製作担当をしていて、故郷五島に帰省していた)を迎えて、カミさんと一緒に筑豊案内をした。
嘉穂劇場、忠隈のボタ山、田川石炭資料館、香春町の山頭火句碑、直方、八木山などを回った。
筑豊を案内しながらいつも思うことだが、筑豊らしさが年々希薄になっているようで、客人に対して申し訳がないような気分になる。
何とかせんか、である。
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| 2004年6月5日 福岡同窓会へ |
今日は福岡市で開催される母校の同窓会に出席した。
会場は博多駅近くのH閣で、参加者は200人あまりにおよび、なかなかの盛会だった。
東京からMさん、Iさん、Sさんなど諸先輩もおいでになっており、新企画『S』の協力を申し入れた。
同窓会は6時ごろ終了し、外はまだ明るくそのまま帰るのも心残りで、結局2次会にも参加した。
同学年のU君が経営するカラオケの店『エリナ』に男女8人ほどで行き、10時近くまで飲んで、しゃべって、唄って(僕は唄わないが)いた。
高校時代に、僕が好意を持っていた女性たちが何人もいて、結構楽しんでしまった。 |
| 2004年6月4日 北九州市へ |
今日も天気で、午前中はT君とお茶を飲み、午後は添田町にある鑑月焼窯元を訪ね、窯元の藤本さんと一緒に北九州へ向かった。
用向きは映画製作準備への協力願いで、小倉城近くにあるS社のHさんと平尾台に近い井出浦でギャラリー&田舎カフェ『昔々桜々』を経営されているFさんにお会いした。
どちらも快諾していただいて、藤本さんを中元寺まで送り、7時過ぎに飯塚に戻った。
藤本さん、お疲れ様でした。 |
| 2004年6月3日 天気はよかったが晴れたり曇ったり |
出足は大事であるが、もっと大事なことはそれにいちいち頓着しないことであると言い聞かせ、今日も一日中営業に回った。
成果は、X○○○Xで、まあまあだった。
どんな営業も晴れたり曇ったりで、いちいち気にしていたらやってられないものだ。
山頭火が言う『行乞相』ではないが、『営業相』というものがあると思う。
そういう意味で、今日の営業相は悪くなかった。
今日は、高校の校長先生になったU君、いくつかの会社を経営する若き社長Aさん、俳句をなさるK医師、高校時代の恩師M先生を訪ねた。 |
| 2004年6月2日 強力な応援 |
今日の午前中はT君が来て家にいたが、午後からは近所にある母校の嘉穂東高校を訪ねた。
同窓生のF君に会いに行ったのだが、一級下のOさんとも数年ぶりに会って、Nさん、Yさんなども加わって強力な応援を戴くことになった。
その後、飯塚青年会議所のAさんにも会って快諾を貰い、S君と連絡をとったが取れず、N先生の病院にお礼に行った。
強力な応援を貰って、久しぶりに元気のいい、充実した一日だった。
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| 2004年6月1日 今日は天気がよい |
5月中に入梅して昨日も雨が降っていたが、今日は朝からからりと晴れて気分がよくなる陽気だった。
いうなれば絶好の営業日よりでもあったが、なかなか思うようにいかず、あっちをウロウロこっちをウロウロする。
昨日のニュースで、またタレントの清水健太郎が覚醒剤所持で逮捕されたらしいが、懲りない男である。
今日はこれからサッカーU23『日本対マリ戦』を観るつもりで、月変わりでもあり更新が多く、日記を早く立ち上げた。
いい6月でありますように。
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