| 2004年2月29日 タケノコメバルを求めて行橋へ |
今朝、新企画「S」の第一稿をプリントアウトしてカミさんに読んでもらったが、自分で全部を読み返す気力が回復せず、後半5分の1を直して第一稿とすることにした。
午後2時過ぎに作業を終えて、気分転換に海にでも行こうと思って、T君に連絡すると一緒に行くというので、僕の車で行橋・苅田港に向かった。
苅田港フェリー乗り場周辺で、16時から18時ごろまでワームを投げたが、クラゲが多く、それが針にかかって釣りにならず、小メバル2匹という釣果だった。
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| 2004年2月28日 新企画「S」のシナリオを書くのに丸2ヶ月かかった |
今日は土曜日で、暖かく、魚釣りでも行きたいところだが、一日中パソコンに向かってシナリオを書いていた。
昨夜までに一応最後まで書いていて、プリントアウトしていたもの今朝読んだら、やっぱり後半がギクシャクしていたので書き直すことにしたら、一日があっという間に過ぎてしまった。
夕方に眼を休めることもあり、お袋とMさんに関係する書類を作って雑事をこなし、途中夕食を食べる時間もあったが再びパソコンに向かい、10時半過ぎに書き上げてこの日記を書いている。
明日の朝、プリントアウトして読み直してから、明日のことは考えよう。
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| 2004年2月27日 ケツカッチンは人を不健康にする |
ケツカッチンとは芸能界用語だが、タレント、レンタル用品、ロケ場所などの使用に約束の時間があり、その時間が都合がつかない状況を表するときに使用する。
世間ではしょっちゅうあることで、納期、カード決済日、約束した待ち合わせの時間など、人々の毎日はいつもケツカッチンといっていい。
何故、芸能界だけそれをケツカッチンというかは、もともと川原乞食の延長線上にある芸能界がルーズな世界で、たいていは話し合いで解決することが多く、どうしても解決できない局面が出現したときに使用するのかもしれない。
ケツカッチンが差し迫ってくると、その日が大きくクローズアップされ、時間が分になり、秒に限りなく近づいていき、みんなが緊張感とある種の醍醐味を体験することになる。
僕は、自分でケツカッチンを想定して自分を追い込むが、ライターであるときはとても不健康である。
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| 2004年2月26日 郵便局で筑豊原色図鑑を見て注文 |
今日も一日中パソコンに向かってシナリオを書いていたが、午前中と午後の2度外に出た。
午前中は、郵便局で筑豊原色図鑑を見て買うにはどうしたらいいかと飯塚市内の人から電話があり、眼を休めるのにちょうどいいと思って届に行った。
午後は、煙草を買いに行くついでに、気晴らしにTさんと魚釣りの話でもしようと思って、飯塚市役所を訪ねた。
魚釣りでは面白い話はなかったが、Tさんの上司であるKさんのお宅が空き巣に入られた話、Kさんも以前空き巣に入られたという話などが面白かった。 空き巣の記事など最近見ないので、空き巣なんて古臭い昔の話だと思っていたら、空き巣では記事にならないから皆知らないだけで、ガラス屋や鍵屋によると多発・頻発しているとのことらしい。
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| 2004年2月25日 宝くじが嘉穂劇場に2億円 |
昨夜は2時近くまでパソコンに向かってシナリオを書いていたが、8時過ぎには起きて新聞を読んでいたら、宝くじが嘉穂劇場に2億円を贈るという新聞記事が眼に入った。
午後になって、T君と会ってその話をしたら、「麻生の力だな」と即座に言った。
僕もそう思っていたが、嘉穂劇場再建問題が一挙に解決して、国や県はどうするのだろうか。
でも改めて、日本社会を構成する巧みな仕組みがあることを発見した。
企業、団体、個人、行政など意外に、宝くじ、小型自動車振興会、競艇の笹川財団、サッカーのトトなど公営賭博があることを思い知った。
公営賭博は、ずっと以前は射幸心をそそってはいけない賭博で、それなりの自主規制のようなものが働いていたが、T君によると今は如何に射幸心をそそる企画を思いつくかが重要なことになっているとのこと。
宝くじにとって2億円は屁でもないお金・・・さりげない麻生の力が働いていることがわかる。
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| 2004年2月24日 イカ釣りの門司港13号岸壁でアイナメを釣る |
夕べは河豚を御馳走になり、下関Tホテルに泊まって朝を迎えた。
だが、途中の記憶がなく、左こめかみあたりが痛く、まだ酒も残っており、酒飲みのだらしなさを改めて感じ、ただただ恥じ入るばかりであった。
ホテルの風呂に入り、海岸を歩いて10時ごろYさんの事務所を訪ね、Mさんの会社で製造販売している辛子明太子を貰い、昼前に下関を出て門司港に着き、13号岸壁でテクトロをした。
13号岸壁はイカ釣りの人でいっぱいだったが、その合間を縫ってワームを投げたら、ググッという当たりがあって、20数センチのアイナメが掛かった。
2時半から、我が母校の中学生の女子が総合学習の一環で、映画監督のボクに取材がしたいとの約束があったので、アイナメ一匹を釣っただけで飯塚に戻り、中学生の取材の後はパソコンに向かってひたすらシナリオを書いた。
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| 2004年2月23日 下関で河豚を御馳走になる |
朝から夕方までパソコンに向かってシナリオを書いていた。
5分の3ほど書いたので、読んでもらうのも手かなと思ってプリントアウトし、まずカミさんに読まして、夕方4時過ぎには下関に向かった。
下関の波止場で、30分ほどワームを投げてみるつもりだったが、関門トンネル入り口が混んでいて、約束の時間すれすれになって着き、ワームを投げる時間はなかった。
下関のYさんの事務所には、FさんMさんのほかに京都のIさん、広島のUさんもみえていて、一緒に河豚を食べに行った。
河豚を食べるときは飲むペースを押さえていたが、その後行った店では女の子がバーボンが少なくなると、すぐに氷とともにバーボンを入れたすから、俄然ペースが速まって飲みすぎた。
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| 2004年2月22日 直方でネギラーメン食べてびっくり市に |
今日は日曜日で、報道2001、サンデーモーニング、サンデープロジェクトと続けて観たが、一方でパソコンに向かってシナリオを書いているから、何を観たのか憶えていない。
横浜国際女子駅伝が始まる頃から風雨が激しくなり、小雨模様になったときを見計らって、カミさんと娘を誘ってラーメンを食べに出た。
なんとなくネギラーメンがいいということになり、バイパス経由で車を飛ばして直方の店に向かい、帰りにびっくり市に寄ってみた。
びっくり市では、めったにないほど大きな本鰹(4分の1節 1000円)があったので、カミさんに500円と値切らせたところ600円にするというから、大葉200枚入り200円とともにすぐに買った。
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| 2004年2月21日 都会の狂気 田舎の狂気 どちらも狂気 |
今日も暖かく、テレビの天気予報では4月から5月の陽気だと報じていた。
今日は土曜日で、本来なら魚釣りに行くところだが、一日中シナリオを書いていた。
途中、朝10時過ぎと午後3時ごろ、それに夕方6時ごろに娘の運転手をさせられたが、酷使している僕の眼には適当な休息になったかもしれない。
2月に5月のような陽気も少し狂的であるが、週末も一日中パソコンにへばりついて、物語をつむぐという作業は正常ではない。
それは、都会の狂気でもなく、田舎の狂気でもなく、きわめて個人的なものであるが、いずれにしても狂気じみている。 |
| 2004年2月20日 人間が行うことはすべて狂気に支えられている |
今日は4月のようなぽかぽか陽気で、一日中パソコンのキーボードを打ち続けていた。
膨大なデータを際限なくキーボードで打ち付ける作業はまさに狂気の沙汰だが、一つのイメージを紡ぎだすためにキーを叩く作業、書いたり消したり右往左往しながらする作業も、狂気なくして出来ないことだろうと思う。
だから、人間ならではの営みは、貴重で、時に神聖ですらある。
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| 2004年2月19日 携帯電話 着信履歴はサスペンス |
今日、友人のT君と直方市に向かっているとき、僕の携帯電話が鳴った。
携帯の画面には公衆電話からと表示されていて、思わず娘だと思って受信ボタンを押すと、「こんにちは、松本さん」という声が聞こえ、「はい松本です、Yさんですか?」というと、突然電話が切れてしまった。
どうも娘ではない。ではYさんか?
でも、何故Yさんが公衆電話から僕に電話してきて、途中で切り、その後何の連絡がないのか、まったく分からない。
僕の携帯電話にも時々ワン切り電話があり、非通知の電話があり、公衆電話からも連絡があり、着信履歴はサスペンスに満ちた危険な荒野のようだ。
今日、僕は着信履歴の公衆電話に電話することが出来なかった。 |
| 2004年2月18日 ロスタイムに弱いはずの日本チームが決勝のゴール |
今日は赤池町で福岡県中小企業団体中央会主催の地域活性化交流会の会合があり、朝十時半前に上野ふれあい交流館に行った。
今回は3回目の会合(2回目は東京出張で休んだ)で、企画は実行に向けて結構進んでおり、座長であるK大学のY教授は具体的なことをてきぱきと決めていった。
昼食をご馳走になって、Y教授から預かった鞍手乳児院建替支援募金箱を同院に届け、カミさんの買い物に付き合い、新企画Sの整理にいそしみ、夜はテレビでワールドカップ予選『日本対オマーン』を観た。
試合は前半から日本が攻め続けたが得点にならず、観客と視聴者をいらいらさせたが、後半ロスタイムに久保がシュートを決めて1対0で日本が勝った。
僕は、日本A代表が最もいい勝ち方で勝ち、結果的にワールドカップ出場を果たすのではないかと思った。 |
| 2004年2月17日 サボりたくて夢の中でメバル釣り |
このところ調べものをする毎日が続き、今月一杯はずっとこんな調子で、ちょっと魚釣りとはいかない。
天気予報では今日は南の風が吹き、恐らく玄界灘一体は絶好のメバル日和の凪だと想像されるが、仕事を抱えていて行くにかれず、飯塚市役所のKさんを訪ねた。
Kさんはいうなれば僕の釣りの先生で趣味は釣りだけという人だが、家族思いの人でなかなか思うように釣りにいけず、この間久しぶりにイカを釣りに行って、コウイカを2杯釣ったとのこと。
「メバルの情報はないのですか?」と聞くと、釣友が若松で12・3センチを4匹という。
イカは釣れれば美味しいがワクワクするものがなく、12・3センチのメバルではバタバタ暴れる枯葉を釣ったようなもので張り合いがなく、これでは夢の中でメバルを釣るしかないようだ。 |
| 2004年2月16日 月と星とは天の穴 |
30年ほど前、吉行淳之介の『星と月とは天の穴』にも大いに感心した。
発売と同時にすぐ手に入れ、タイトルや装丁に大いに感心した記憶があるが、内容はほとんど覚えていない。
多分、あんまり面白くなかったのだと思う。
今日は昨日の遅れを取り戻すべく、朝から新企画Sに関する調べものをしていたが、経理というより税務など素人のカミさんが筑豊観光開発研究所の決算で四苦八苦していて、僕に相談もなくT君に電話をして教えをこうというから、僕も結局5時間ほど帳簿のこと、税務のことなどに付き合った。
ゆったりと調べものをするつもりだったが、数日前から速読、即決、実行を強いられており、まるでビジネスマンのような自分である。
軽い
頭が冴えわたり いい酒を飲んで 記憶がない |
| 2004年2月15日 愛たち 恋たち 獣たち |
今日は日曜日で、普段なら報道2001、サンデーモーニング、サンデープロジェクトなどテレビを観るところだが、直方のNさんのホームページを更新する小さな仕事があった。
Nさんの家でパソコンに向かったまま、こまごました作業で朝10時から夕方18時近くまでかかってしまい、とんだ一日になってしまった。
帰ってその時間を取り戻すかのように何冊かの書物を読み、酒を飲みながらこの日記を書こうとして、突然30年以上前に読んだ詩集『愛たち 恋たち 獣たち』(作:白石加代子)がなぜか脳裏に浮かんだ。
昨日の日記に書いたが、戯言のようなタイトルを書かなければならないので、これまでと違う頭脳を使うことになった。
僕が高校を卒業した頃、飯塚のM書店で『愛たち 恋たち 獣たち』という表題の詩集を見つけたとき、なまめかしく感じるとともに文学の放つ力のようなものに感応し、すぐにつけで買い求めた。
今でも、そのときのことを思い出すと、わくわくする。
大江健三郎の『万延元年のフットボール』発刊のときも、田舎の文学少年は同じようなときめきを覚えた記憶がある。
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| 2004年2月14日 春一番が吹いて 魚釣りより 本を読む |
今日は激しい春一番が吹いた。
朝から暖かく、にわか雨とともに激しい風が吹き出して、近来まれに見る典型的な春一番ではないかと思った。
こんなときは外にいて肌で感じるのがいいのだが、今日は一日中調べものと読書で明け暮れ、夕方サボるような気持ち(車でドライブするのだから)で直方、田川、糸田の各図書館に行ってS関係の書物を借りてきた。
どうしたら、インターネット上の日記で本心を書けるのかと常々考えているが、昨年暮れに数年分を読み返したとき、小手先で何とかすることではなく積み重ねと思った。
インターネット上の日記以外に、大学ノートを用意して別な日記を書かないといけないのではないかと考えたが、そんな無駄なことをする気になれないので、今日から俳句のような警句のような注のような、戯言のような短い文をタイトルにすることにした。 |
| 2004年2月13日 集中力 |
今日は新企画『S』に集中しようと朝から気合が入っていたが、10時に玄関のチャイムが鳴って福岡県中小企業中央会のYさんとIさんの来訪で、集中は朝一番で何処へやらとなった。
YさんとIさんには何の責任もなく、取材の約束を僕が忘れていただけで、予定より2時間遅れで集中した。
集中できたか出来なかったかは今のところ分からないが、今月になって読んでいたSの日記をすべて読み終え、印をつけておいたところを再読することが出来た。
夕方、水害の被害から閉鎖されていて、最近再開されたばかりの飯塚市立図書館に行って、家族揃って図書館利用カードを作ってもらい、数冊の本を借りてきた。
図書館の蔵書の貧弱さが気になったが、家に戻って再び集中した。 |
| 2004年2月12日 映画『折り梅』 |
今日は、九州芸術映画社が主催する映画『折り梅』の招待試写会が、飯塚コスモスコモンで開催される日だった。
午前中は昨夜から飯塚に入っている九州芸術映画社のFさんとNホテルで会い、午後は2回の試写会のどちらかで観るつもりだったが、筑豊観光開発研究所の大事な予定が入っており、結局映画『折り梅』を観ることは出来なかった。
僕は映画製作者であり、監督であり、脚本家であるから、基本的に他の人が作った作品を観客の立場で観ることは出来ない。
重要な仕事を抱えていると、忙しくて観ることが出来ないし、気を散らしたくないから観たくないし、付き合いなんかで観ることはもっと嫌なのだ。
言ってしまえば、不勉強であり、余裕がないのであろう。
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| 2004年2月11日 ウィルスメールに襲われる筑豊に戻って |
昨夜、東京から戻って筑豊の住人になると同時に、カミさんの悲鳴に呼応するようにコンピュータのトラブルが目立った。
最近、僕が管理運営する筑豊一番というサイトのメールに、おびただしいウィルスメールが届く。
同サイトには平均一日100通ぐらいのメールがあるが、ひどいときはウィルスメールが50通ぐらいある。
バナコンというサイトにもウィルスネールは多いが、僕個人のサイトSUKABURAには少ない。
SUKABURAは、ニフティーという大手プロバイダーの中にあるサイトで、筑豊一番やバナコンというサイトは、あまり有名でないインフォージャムというレンタルサーバー内にあるということかもしれない。
よく分からないが、午前中から午後にかけては直方市のNさんの家にお邪魔してHPの仕事をこなし、午後遅くからはカミさんに付き合ってT家具店やいくつかの量販店を回った。
T家具店で、1個1万5千円といわれても欲しくなるような木製の椅子(格安な3,000円)を見つけすぐに3個買ったが、この歓びと満足感を言葉で言い表すのは難しい。
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| 2004年2月10日 東京最終日 |
今日は九州・福岡に帰る日で、映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』東京上映について、朝9時にH社興行部のMさんとアポがとってある。
10時半には2段ベッドとテーブルが配送される予定なので、コンビニで温かいお茶とおにぎりを食べて、遅れてはならじと9時少し前にH社に行った。
重大な打ち合わせなので後の予定など組んではいけないのだが、50分ほど打ち合わせをして五反田の事務所に戻った。
家具を部屋に配して、少し整理整頓した気持ちのいい部屋で空港に出発するまでの間、ゴミをかたずけたりしながら山頭火日記を読んだ。
五反田を立ち、品川、羽田空港、福岡空港を経て飯塚に到着するまでの約5時間の間、Mさんから預かったシナリオを読んだ。
整理整頓した部屋で、何度か携帯電話のカメラで撮影をして、全国上映日記に東京事務所紹介というページもアップした。
東京事務所紹介のページ
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| 2004年2月9日 東京7日目 |
朝10時に富久町にあるH社、昼前に六本木にあるS社を訪ね、元防衛庁前にある天鵬で味噌ラーメンを食べ、赤坂のN社、紀尾井町の財団法人デジタルコンテンツ協会、再度H社と仕事三昧の一日。
夜はI君とNさんと新橋で飲む。
ゴミの出し方も分かったし、エアコンの調子もつかめたし、数日前にコーヒーメーカーが届いたので朝起きたら熱いコーヒーを飲むことが出来るようになったし、少しずつ福岡・飯塚での生活レベルに近づきつつある。
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| 2004年2月8日 東京6日目 |
今日は日曜日で何の予定もなく、午前中はサンデーモーニングやサンデープロジェクトなどを観ながら山頭火日記を読み、午後は旗の台や中延あたりを散策した。
旗の台から中延にいたる長い商店街を歩き、特別の収穫もなく引き上げようかと思い、中延駅前に出るとアーケードがある商店街があった。
商店街を入るとすぐに割合大きな家具屋があり、ここで目的の木製2段ベッドとテーブルを見つけることが出来た。
10日の朝配送をしてもらうことになり、後は事務所に戻って読書をし、夜はU23以下サッカー「日本対イラン戦」を観る。
高校生として先発フル出場した平山は、全範囲鮮やかなヘディングでゴールを決めたが、後半振り向きざまに放ったシュート(キーパーに阻まれたが)が光っていた。 |
| 2004年2月7日 東京5日目 |
今日は土曜日で、午前中はテレビを観ながら山頭火の日記を読み、午後は渋谷に出て東急ハンズ、ロフトを散策した。
事務所に必要な家具を物色し、ロフトベッド・テーブルなどいくつかを買うつもりで配送の日取りを聞いたら、信じられないことに1週間から8日程度かかるという。
これでは買えない。
夜はR社のMさんにご馳走になった。
一つのメニューで居酒屋一晩分の勘定という店で、あんまりじゃないかと思ったが、Mさんの気持ちが伝わってきたので気持ちよく飲んだ。
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| 2004年2月6日 東京4日目 |
昨夜からI君とNさんが泊まっていた。
朝は割合早く起きて、牛乳やお茶を飲みながら、お昼まで元気な話(未来のこと)をして、五反田駅近くの喫茶店でコーヒーを飲んで別れた。
別れた足で、赤坂にある日本映画衛星放送株式会社に赴いて10年ぶりにSさんと会い、仕事および四方山話を1時間ほどした。
その後H社に行こうかと思ったが、宅急便が届くので事務所に戻り、山頭火の日記を読んだ。
夜はI君から連絡があり、西麻布でTさんを紹介され、焼き鳥屋でご馳走になった。
今夜もたっぷり飲んでしまった。 |
| 2004年2月5日 東京3日目 |
今日は午後から新橋第一ホテルで監督のMさんと会って2時間半ほど打ち合わせをして、富久町にあるH社を訪ね、夜はI君とNさんと飲んだ。
この3日間、十数年前に作った『熱海殺人事件』のテレビ放映、『スーパー・ハイスクール・ギャング』東京上映、新作の準備などで動いているが、事務所兼宿舎のインテリア探しで苦労している。
東急ハンズ、ロフト、デパートなどをまわって適当なテーブルや2段ベッドを捜したが、なかなか見つからない。 |
| 2004年2月4日 東京2日目 |
今日は朝6時半ごろ起きてテレビをNHKにし、それを観ながら今日の動きを決めようとしたが新たな思いつきはなく、午後3時の約束の前までベッドやテーブルを探し歩いた。
新宿の島屋と東急ハンズ、上野、御徒町、神田などをさ迷い歩き、足腰が痛く、時々気分が悪くなった。
時々気分が悪くなるのがいけない。
新宿の雑踏の中を歩きながら、今にも行き倒れになるのではないかという感覚は若い頃にはなく、途中で事務所に戻って横になろうかと思ったほどだった。
この感覚を克服すると、きっと僕の仕事はうまく行くと思う。 |
| 2004年2月3日 東京1日目 |
今日から8日間、東京事務所生活が始まる。
朝8時にタクシーを呼んでJR新飯塚駅、8時17分発の電車で博多駅、地下鉄で福岡空港、10時30分発のスカイマークで羽田、羽田から京浜急行・山手線を乗り継いで五反田、歩いて事務所に着いたのは13時30分少し前だった。
ガスは昨年中に東京ガスと話していて問題はなかったが、電気と水道については何にも取り決めをしていなかったので、着いたらすぐ東京電力と水道局に電話をした。
とりあえずライフラインをしっかりした後、H社のKさんと映画『熱海殺人事件』のテレビ放送に関するもろもろについて打ち合わせをするために富久町に行き、続いて近くにあるHコミュニケーションのUさんを訪ねた。
Uさんと別れたらもう5時を過ぎていてあたりは暗く(この時間、九州はまだ明るい)なっており、東京事務所に必要な2段ベッド、テーブルなどを東急ハンズで揃えようと思って行ったがなかなかこれといったものはなく、明日元気がいい時に改めて捜しなおすことにした。
五反田に戻り、駅の近くの「焼トン」屋で一杯飲んで、セブンイレブンで煙草、焼酎(ビールはある)、缶詰、つまみ、カップラーメンなどを仕入れて、20時半頃事務所に戻った。
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| 2004年2月2日 I君 |
昨夜から雨が降り続いて今朝はどんより曇って薄暗く、普通なら気分がすぐれないところだろうが、明日から東京行きの準備や7日に上海に出発するI君と会う予定があって忙しく、僕は元気そのものだった。
午前中は東京にちょっとした問題を抱えている妹のところに顔を出し、13時過ぎには新飯塚駅にI君を迎えてNホテルで一緒に昼飯を食い、16時過ぎにはカミさんと東京事務所に必要なこまごまとしたものを揃えるために量販店を訪れ、17時半頃T君と会って留守中のことを頼んだ。
I君は、昨年9月から中国・上海の大学に語学留学して一時帰国していて、2月7日に下関から上海に再び赴き、7月の終わり頃日本に帰ってくる予定だという。
「帰ってきたら、一度東京に出ておいで・・・どうなっているか、分からないけどね」なんて言って、I君と別れた。
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| 2004年2月1日 豊後高田市 |
今日はカミさんと二人で朝10時に家をでて、田川市を経て椎田道路経由で豊前市、中津市、宇佐市を通り、12時ごろ昭和の町で知られる豊前高田市に行った。
日曜日とあって観光客はなかなかの数だったが、人通りはあるのに閑散とした様子で、お土産屋や食堂など食べるところが流行っているだけと推測された。
帰りは出来るだけ海岸沿いを走りながら、中津港、宇島港などに寄ってワームを投げてみたが、まったく当たりがなかった。
カミさんが釣りを許してくれそうな顔をしていなかったから、中津港、宇島港合わせて都合20分程度の釣りだった。 |