1999年 12月 11月 10月 9月 8月

今日の見聞禄
2003年7月31日 本丸
 映画を作る上において、様々な障害を乗り越えていかなくてはならないが、いつもお金が最大の障害である。
 千円とか一万円ではどうにもならず、10万円でも100万円ではビデオ作品にしかならず、1000万円から3000万円ではドキュメンタリーで、億単位になる長編劇映画はなかなか大変である。
 お金の集め方は様々だが、本丸である出資金が中核であり、集め始めようかと思い、その契約書の雛形つくりで消耗する。
2003年7月30日 シナリオ
 今日も、映画『すかぶら』のシナリオを書いていた。
 僕のものを見るときの尺度は、何よりも知的財産であるシナリオの内容であり、経済や法律などに縛られた常識ではない。
 担保は知的財産であり、いつも、その知的財産の価値判断で気持ちが揺れている。
 でも、今は気持ちが揺れることはなく、いろいろとアイディアが生まれてきている。
 その上で、今やっていることが、一銭にもならないたわごとではないかと思うこともある。
2003年7月29日 動かないといけないのだが
 今日は午前中に友人のT君と会って、午後は大いに動かないといけないのだが、パソコンに向かってシナリオを書いていた。
 すべてはシナリオにあるというのが僕の考え方で、面白くないシナリオでは一銭のお金も動かず、面白ければ、どうにでも発展していくと思っている。
 じたばたするより、シナリオに没頭することで見えてくるものがあり、困って方向が見出せないときは、内容に拘泥する。
 でも、クリアーなアイディアは浮かばず、今日もひたすらシナリオを書き続けた。
2003年7月28日 シナリオ販売
 今日は、筑穂町から田川市へ行って、その後山田市を回って頴田町で仕事を終えた。
 でも、それらが仕事だったのかどうかは分からない。
 ただ、筑穂町でシナリオ代金の集金をし、田川市商工課の柳瀬さんと田川広域圏での取り扱いに付いて話をし、山田市で商工会議所と市役所に行ってシナリオ販売促進の意味を語り、頴田町の内野さんと今井さんに会って現在の進行状況を説明したが、これが僕の思ってる準備だと思う。
 映画づくりの中核となる飯塚市が壊滅的ともいえる水害にあい、とても辛い戦いを強いられている。
2003年7月27日 日曜日
 僕らの仕事に土曜日も日曜日も無いが、そこはやっぱり地域社会で生きている身、朝から晩までシナリオを書くために、パソコンに向かい続けているわけにも行かない。
 カミさんや娘の本音を気にし、知人友人がどうしているかと思い気遣い、毎週のように起きるセンセーショナルな事件、大雨や地震の被害を心配しながら、八木山農楽園、ドリームホープ若宮、直方市のびっくり市などを回った。
 帰ってから再びパソコンに向かい、男と女、子供、夢、不幸、涙、笑い、最新情報機器、自然と環境などについて考えながら、映画『すかぶら』のシナリオを書き進めた。
2003年7月26日 シナリオ
 シナリオは面白いか面白くないかと言うことが一番だが、お金になるかならないかが、まったく差が無いまま二番である。
 その逆も叱りで、いいシナリオとは面白くてお金になるということである。
 でも、本当にそうだろうか?
 面白いと思うことは人によって様々であり、お金と言ったってピンからキリまであり、一般的にという想定も無意味で、基準となる相場も作品には無縁で、結局、ベストセラーの原作とか人気俳優のキャスティングによって、シナリオの成否が決定する。
 これで、いいのだろうか?
 
2003年7月25日 ふらふら
 今日は碓井町、直方市、中間市を回った。
 碓井町は役場に行き、直方市は市役所と祝さんのオフィス、中間市は市役所と商工会議所および老人会連合会で、その後飯塚市に戻って市役所に行った。
 それぞれ僕にとっては大事な用件があってお邪魔したのだが、大水害の周辺で、自分だけがふらふらしているような気分だった。
 そしてきっと、それはそうだったのだと思う。
2003年7月24日 会長2人
 今日は7・19飯塚大水害以来、初めて飯塚市役所商工振興課を訪ね、その後飯塚コスモスコモン、飯塚コミュニティーセンターに回ったが、自衛隊災害出動の車やゴミ収集車で溢れていて、とても近づけるような雰囲気ではなかった。
 一度家に帰って気持ちを整え、田川市に向かって市役所、広域圏事務局などを訪ねたが目指す相手は留守で、筑豊ボクシングジムの井上会長と市役所傍の喫茶店で会い、夜はブラジルから帰ってきた川筋太鼓小田会長と会った。
 会長2人の活躍ぶりは華々しく、近々お知らせすることにする。
 
2003年7月23日 若者たち
 今日の午前中は桂川町と碓井町を訪ね、午後は中間市に行って若者たちに会った。
 待ち合わせ場所はロイヤルホストで、13時から18時過ぎまで伊藤君と石橋さんとお喋りしていた。
 伊藤君はシナリオ合宿で知り合い、写真家を目指す石橋さんは伊藤君の紹介で今日はじめて会ったが、二人には生気がみなぎっており、こんな若者たちがいる日本は捨てたものではないなと思った。
 夜はサッカー・アテネオリンピック・アジア地区最終予選国際強化試合「日本×韓国」をテレビで観戦したが、ここにも生気あふれる若者たちがいた。
2003年7月22日 シナリオを書いていた
 今日は午前中に企業組合筑豊観光開発研究所設立のために、飯塚商工会議所内にある福岡県中小企業団体中央会を訪ねた。
 飯塚商工会議所に行ったらここも水害に無縁ではなく、地下に溜まっている水を排水していて、あたり一帯がひどい臭いだった。
 中央会がある3階に行くと3階全体のドアが開けっ放しになっており、水害で空調がきかなくなっていると予感されたが、やはりそうだった。
 朝から汗をかいて、じたばたしてもしょうがないような気分になり、午後は一日中家にいてシナリオを書いていた。
2003年7月21日 明星寺川
 車で、あるいは歩いて飯塚市を回ってみたら、7・19集中豪雨の被害は遠賀川水系明星寺川沿いに広がっていた。
 ごみの引っかかり具合などを見ただけで、明星寺川全体が濁流であふれていたことが分かった。
 死者がいなかったことは幸いだが、死者や行方不明者を多数出した水俣市土石流災害などのニュースに、飯塚水害が隠れたようになっているのは残念だ。
 また、当然のことではあるが、飯塚市と穂波町に災害救助法が適用された。
2003年7月20日 予想以上の被害
 昨日、飯塚市内の野上プレジデントホテルで友人の手嶋君とお茶を飲みながら、集中豪雨の被害状況を推測していた。
 のんびりとお茶を飲みながら、「市内中心街がひどいことになっているのではないか」と推測していたが、今朝になって新聞を見たら予想以上の被害が出ているようだったので、コーヒーを飲んですぐに車をしないに向けた。
 嘉穂劇場、元野木書店、飯塚コスモスコモン、千鳥屋飯塚本店、郵便局、ミスタードン、東町商店街、ジャスコ周辺、川島、鯰田など、飯塚市中心街があちこちでひどい状況だった。
 知らないとはいえ、昨夜魚釣りに行ったことは非国民的行為ではなかったかと思うほどの被害で、映画『すかぶら』の存在そのものを左右する事態であった。
 
2003年7月19日 記録的集中豪雨
 朝7時過ぎに起きたら、カミさんがなにやらうるさい。
 雷と激しい雨で午前4時ごろ目がさめたらしく、テレビによると福岡県は記録的な集中豪雨があったらしいと言う。
 居間の窓を開けて、車の駐車場があるほうを見ると、タイヤが3分の1ほど浸かっている。
 コーヒーを飲んですぐに遠賀川を見に行こうとしたら、家の前の道の低いところが冠水していたので、長靴を履いて外にでた。
 遠賀川は警戒水位を超えているらしくなかなか迫力があり、周辺の道路はあちこちで冠水していて、Uターンをしながら全体像を捉えようとした。
 実家が割合低いところにあるのでいってみたら、県道も冠水していて近づくことすら出来なかった。
 お袋に携帯で電話をすると、「新聞を取りに行ったら、玄関の靴がぷかぷか浮いていてなにかと思った」と言った。
 朝の天気予報では午前中に100ミリあまりの激しい雨が降るとのことだったが、幸いにも予想が外れて、遠賀川の決壊にはいたらなかった。
 水がひいて、床下浸水したお袋の家に行って車の中の水をかき出し、大いに汗をかいた。
 夜は、手嶋君を誘って若松一文字堤防にシーバスを釣りに行ったが、一度も何の当たりもなかった。
2003年7月18日 まだ梅雨が続いている
 今日は朝から雨で、娘を高校に送って行き、夏休み前で午前中に迎えに行ったが、そのときは夏の青空だった。
 そして、シナリオを書いたり資金繰りをしている日中も梅雨の雨が断続的に降り続け、夕方「筑豊ジャーナル」の取材を受けているときには激しい豪雨になった。
 途中、気晴らしもかねて、飯塚市の外れの山の中で小さな金型工場を経営する久保田君を訪ねた。
 久保田君の工場は人里離れた山中にあるが、ソニーや松下などからも金型の注文があり、ここに来ると世間の動向が分かる。
 「急な注文が6月から相次ぎ、とても忙しくて嫌になるが、仕事がない今ありがたいとも思う」と久保田君は言っていた。
 
2003年7月17日 ラジエータの水がたっぷりあると
 昨日のトラブルがあって、車のラジエータの水がたっぷり入っている今日、エアコンがよく効くように思えるが気のせいか。
 いや、昨日はエアコンから熱風が吹き出していたことを思うと、ラジエータとエアコンには相関関係があると見たほうがいい。
 今日はお昼頃、直方に行ったりしたがほとんど電話で仕事を済まし、家にいてサボるような気持ちでシナリオを書いていた。
 夜は昨夜に引き続き、世界水泳バルセロナシンクロをテレビで観た。
2003年7月16日 オーバーヒート
 桂川町、筑穂町、嘉穂町を回り、稲築町の野見山さんとお茶を飲んで、山田市から飯塚に戻るところでオーバーヒートに気づいた。
 午前中は割合涼しかったのでクーラーをつけてなかったのだが、お昼を過ぎて多少暑くなったのでクーラーを入れるとちっとも冷たくならず、というか外気温が30度そこそこなのに車内は32度もあり、冷機が出てくるところから熱風が吹き出していた。
 いよいよクーラーがおかしくなったなと思って走っていると、ラジエーターのゲージがレッドゾーンにかかっていたというわけだ。
 すぐに車を止めて水を求めていると、近くでなにやら工事中の人が手伝ってくれて、何とか応急処置をすることが出来た。
 あと少しで、車をパーにするところだった。
2003年7月15日 筑豊一周
 今日は久しぶりの青空で、だからというわけではないが、庄内町、碓井町、飯塚市、山田市、添田町、田川市、直方市と、ほぼ筑豊を一周したことになった。
 留守あり先客ありなどでいつものように効率が悪いが、組坂さん、窪山さん、宗近さん、母里さん、小田さんに、シナリオ合宿の報告など出来た。
 また今日は飯塚祇園山笠の日でもあったが、筑豊一周で見物することが出来なかった。
 
2003年7月14日 イチロー&松井
 3日間だけだったが、合宿で新聞もテレビもない生活をすると、世間の動向から取り残されたような気になった。
 特に今日は新聞休刊日で、最新のニュースを知ることが出来ず、インターネットで情報を得るしかなかった。
 そして気づいた。
 僕にとってインターネットは、新聞やテレビに裏打ちされていて、はじめて信頼できるものだということが分かった。
 そしてメジャーリーグで、オールスターまでにイチローには打率トップ、松井には3割キープを期待していたが、期待通りイチローは見事に実現、松井も2割9分9厘という成績で前半戦を終了した。
2003年7月13日 シナリオ合宿三日目
 今日もしつこく雨が降り続いていた。
 ホン直しの参加者は、僕、山本、伊藤、高倉、出水さんのほかに、鞍手の水摩さん、小竹の田代さんが加わり、「主人公の少年が円形脱毛症にかかる」「トオルが下水道工事で落盤にあって死んだ」などのアイディアがでて、全体像が相当はっきりしてきた。
 これから20日間ぐらいをかけて僕がシナリオを書き直し、8月上旬に2度目の合宿を行うことを決め、合宿を終えて帰り際に田川市の田代さんがやってきた。
 みんなと別れ、田川市のファミリーレストランによって、カミさんと娘に食事をさせながら、田代さんに大まかな合宿の流れを説明した。
 
2003年7月12日 シナリオ合宿二日目
 前日に続き雨が降り続き、時折激しく降ったが、室内でホン直しをしている僕らには何の影響もなかった。
 ただ、まかないの手伝いをしてくれているカミさんや母親、妹などは何かと大変だったと思う。
 朝は僕が作った味噌汁の朝飯、昼飯はカレー、晩飯は高倉さんが釣ってきた60センチのシーバスの刺身とホルモン鍋だった。
 今日の参加者は、僕、伊藤、山本のほかに、釣りの先生である高倉さん、飯塚市の兵頭さん、稲築の出水さん、西日本新聞社の中川さん、夜になって内野さん、今井さんなどだった。
 「八郎にかかる濡れ衣(犬を食べた)」というアイディアなどがでて、今日も充実した一日となり、夜1時ごろには疲れて眠った。
 
2003年7月11日 シナリオ合宿一日目

 今日から3日間、映画『すかぶら』のシナリオ合宿が始まった。
 朝10時には赤池町上野の農産物直売所によって米と野菜などを買い揃え、目指す“天郷青年の家”に10時20分頃着くと、すでに一人の若者(伊藤君)がやって来ていた。
 好漢伊藤君にシナリオ第1稿を渡し、映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』のB全ポスター7枚を用意して182シーンの香盤表を作っていたら、伊藤田川市長の車が到着した。
 この日、田川市と赤池町で共同経営する天郷青年の家の運営するための会議があり、はからずもここで会話を交わすことが出来た。
 お昼前にはカミさんとお袋が食事の用意などで手伝いに来て、福岡市から定年退職したという山本さんも加わり、合宿の準備を急ぐが香盤表作りが予想外に手間取り、伊藤・山本さんの協力を得てやっと3時ごろ完成した。
 途中、激しく降る雨の中を、小金丸さんからの差し入れ(ビール)を抱えて高倉さん、紹興酒を持って宮島さん、新聞を読んできたという大野城市の前田さんが訪ねてこられた。
 食事は、昼はそうめん、夜は焼肉で、夜には仕事を終えた内野さんと今井さんが加わり、夜中3時ごろまで飲んだ。
 
 
2003年7月10日 合宿準備
 数日前に映画『すかぶら』の”シナリオ合宿”を飯塚市役所記者クラブでレクチャーして、今日までに西日本新聞・朝日新聞・読売新聞・毎日新聞で大きく記事を掲載してもらい、福岡県内外から電話での問い合わせもいくつかあり、僕は気分はシナリオ直しにかたよっている。
 でも、合宿に必要な人・物の準備が現実的に用意しなくてはならず、合宿場所の天郷青年の家を訪ね、本直しに必要な文具、食料などを取り揃えるために飯塚市内をウロウロした。
 なんだか、面白そうな合宿になりそうだ。
 
2003年7月9日 ワシワシ
 今日、初めてクマゼミ(ワシワシ)の鳴き声を聞いた。
 ワシワシが鳴くと梅雨が明けたというのが僕の感想で、空は不安定ながら時折真夏の日差しが照りつけた。
 午前中は飯塚信用金庫幸袋支店を訪ねて、企業組合筑豊観光開発研究所設立に必要な出資金保管証明を発行してもらうようにお願いし、午後は友人の手嶋君と昼飯を食べ、その後朝日新聞筑豊支局長堂地さんと2時間あまり話した。
 夜は手嶋君と一緒に魚釣りに行くつもりだったが、実家の24時間風呂が動かなくなったというので新しいのを取り付けに行ったら3時間もかかってしまい、釣りは残念ながら取りやめた。
2003年7月8日 人に言えないことがある
 世間には人に言えないことがある。
 決して、言ってはいけないといわれているわけではないが、暗黙のうちに言ってはいけないということが多々ある。
 最近はそういうことが多く、そういうことはインターネット上の日記にはかけないことばかりである。
 ということは、インターネットというツールがあっても、それが機能していないということでもある。
 今日は、そんな一日でした。
 つまんない人生・・・。
 
2003年7月7日 娘の誕生日
 今日は七夕で娘の誕生日だったが、朝から夕方まで断続的に雨が降り、時折真夏のような日差しが照りつけ、じっとしていても汗がでるような蒸し暑い一日だった。
 僕の行動は相変わらずで、庄内町、直方市などを回ったがたいした成果はなかった。
 そして、メジャーリーグではオールスター出場メンバーが発表され、イチロー・松井・長谷川の3人が選ばれた。
 夜は娘の誕生日を祝って、ささやかな夕食・・・。
2003年7月6日 カミさんと娘に付き合って
 最近の日曜日は、カミさんと娘に付き合わされることが多く、特に娘に振り回されているといってもよい。
 今日は福岡行きで、娘のトイザラス、カミさんのマリオナで、その後は志賀島から新宮港に回って、小1時間ほどワームやエギを投げて娘を振り回してやった。
 新宮港で僕には釣れなかったが、隣の釣り人の第一投に500グラム弱のアオリイカが来た。
 ちなみに、彼のエギは800円、僕のエギは180円だった。
 
2003年7月5日 田川市長
 今日は土曜日で特別動きがない日で、午前中は『企業組合筑豊観光開発研究所』設立のための最終的な書類作りを予定していたが、朝日新聞と毎日新聞で「映画シナリオ合宿」のことが掲載されて、いくつかの電話があって飯塚市下三緒や鞍手町に赴いた。
 途中、思いもよらず田川伊藤市長から携帯に電話があって、大事な助言を得ることが出来た。
 僕の場合、携帯電話に助けられていることが多い。
 
2003年7月4日 庄内町生活体験学校
 庄内町のある生活体験学校は日本でも先駆的な存在であり、かつて『筑豊原色図鑑』という本を作るとき、町が消滅してもここは残ると話したことがある筋金入りの施設である。
 今日ここの久野坂氏を訪ねて、映画『すかぶら』を製作する上で気にかかっていたことが、一つ解決したような気になった。
 主人公のうち二人は小学生と中学生で、オーディションを開催して配役を決めるのはいいが、学期中の撮影になることが分かっている。
 プロデューサーとして、義務教育中の彼らの「学校はどうする?」ということがとても気にかかっていたのだが、生活体験学校の協力を得てとても魅力的な方法で解決できるかもしれない。
2003年7月3日 公務員
 今、多くの公務員の人と毎日のように会っているが、東京で映画の仕事をしているときはほとんど接触のなかった人たちだ。
 公務員に一度もなろうと思ったこともないし、ましてや地方の公務員の人たちのことなど、これまで考えたこともなかった。
 というのは、自分の両親が教師という地方公務員だったので、公務員のことを誰よりも知っているつもりで、付き合ってこなかったのかもしれない。
 このところ、その様々な公務員の人に会って教えられることが多く、自分の不勉強を思い知る毎日でもある。
2003年7月2日 書家・大塚抱節氏
 今日は朝から晴れで、山田市から添田町に行き、田川市、飯塚市、穂波町を訪ねた。
 山田市では商工会議所の福田専務理事に会い、同氏と一緒に市役所総務課松本さんのもとに行き、川崎町径由で添田町役場の須崎助役に会って田川町村長会の結果を報告した。
 そこで、須崎助役が川崎町在住の書家・大塚抱節氏に電話をしてくれて、ちょうどお昼頃同氏を訪ねることになった。
 同氏には、映画『すかぶら』のタイトルを書いてほしいというお願いを聞いていただいたうえに、お昼までご馳走になってしまった。
 同氏にお会いして感じたことは、映画のランクが一つ上に上がったという気分であり、筑豊の地域総合力の潜在エネルギーを実感した。
2003年7月1日 映画シナリオ合宿
 今日は昨日からの雨が時折激しく降って、遠賀川が増水して河川敷駐車場も水で浸かった。
 午前中は試験が始まった娘の送り迎えをしたり、飯塚商工会議所ビルにある福岡県中小企業中央会を訪ねたりで、午後は飯塚市役所記者クラブで「
映画シナリオ合宿」の会見をした。
 夕方からは、雨が降り続けていることもあり、家で映画関係のネットサーフィンをした。
 文野さん、せっかく忙しい中を記者クラブまで来ていただいたのに、出る幕がなくすみませんでした。