1999年 12月 11月 10月 9月 8月

今日の見聞禄
2003年3月31日 月末
 月末は大変である。
 定期収入が少ない身にとって、定期的な支払いが集中する月末は、毎月やりくりで大変なのである。
 ずっと映画をやってきた僕は、何時も下手すると数年かかるような、大きな一つの商品(映画)しか抱えていなかったので、小回りが下手である。
 小回りが下手であるということは、電話・電気・水道・家賃などの支払いにも支障をきたすということであり、毎月右往左往していることになる。
2003年3月30日 車でぐるぐる
 今日は日曜日だったが予定がいろいろ入っていて、車でぐるぐると筑豊を回った。
 朝9時過ぎには北九州市小倉に遊びに行く娘と友人たちを直方駅まで送り、頴田町のUさんと庄内町のMさんを訪ねたがどちらも留守で、遠賀川の河川敷で時間をつぶした後飯塚市のMさん宅で覚書を交わし、カミさんを伴って添田町の窯元Fさんと会い、夕方には娘たちを迎えに直方に戻った。
 筑豊路は菜の花と桜の花が咲き誇り、カミさんは多少の気分転換が出来たかも・・・。
2003年3月29日 桜
 いつの間にか桜の花が咲く季節になっていた。
 今日は気温も暖かく、黄砂もなく、飯塚から直方・田川へとぐるっと筑豊を回っていたら、平地のソメイヨシノがほぼ満開になろうとしていた。
 今は、花見も、魚釣りも、山菜採りも興味がない。
 ただ、八木山高原にある乗馬苑の椅子に座ってコーヒーをご馳走になりながら、Hさんと世間話をしていたら、なんとも言えずいい気分だった。
 八木山の桜はあと1週間ぐらいで満開だろう。
2003年3月28日 プロ野球
 イラク戦争がマスコミの中心を飾る中、春の選抜高校野球もたけなわであり、今日は日本とウルグアイのサッカー国際親善試合があり、プロ野球の公式戦も始まったが、もう一つ盛り上がらないように感じた。
 映画「すかぶら」の映画化権料の覚書作りで駈けずり回っている僕には、いよいよスポーツのシーズンだなあという実感も薄いが、イラク戦争によって、統一選挙も含めてすべてが盛り上がっていないように思える。
 野茂、イチロー、松井、新庄、田口、大家など、大リーグ情報も気になるし・・・。
 
2003年3月27日 筑豊ゼミナール
 今日は一日中飯塚周辺にいた。
 朝一番にカミさんと娘を飯塚高校に送り、市役所に行き、11時にNホテルで筑豊ゼミナール(通称筑ゼミ)のEさんに会った。
 Eさんは飯塚市会議員で、僕より18歳も下の世代(映画「パンツの穴」世代でもあるが)であり、数日前に映画「すかぶら」のシナリオを渡してあり、彼がどう読んだのか気になっていた。
 「前半は面白く読んだが、後半が気になった」という感想だったが、覚書を交わすという返事を得て、とても大きな勇気が湧いてきた。
2003年3月26日 ビタミンB1
 最近いつも眠たくて疲れがちだったが、昨夜は10時間ぐらい寝たので、今朝は割合すっきりと目が覚めた。
 テレビを観ていたら、春眠暁を覚えずの春に眠たいのはビタミンB1が不足しているからとのことらしいが、なぜ春に不足するのか分からなかった。
 今日も暖かく、車の中の温度は29度になっており、セーターを着たまま福岡へ行ったり田川へ行ったりしていると、夕方にはくたびれてしまった。
 
2003年3月25日 天本英世さん
 今日は朝から家を出て、福岡市のYさんに会ってから北九州市若松へ向かった。
 若松へ行った理由は、映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』にも出演していただいた、俳優の天本英世さんの葬儀に出席するためだった。
 天本さんは気さくな人柄で、映画撮影が終わった後も「長崎で仕事があるのだけど、何かできることはないですか」ひょっこり電話してきて、長崎上映会で舞台挨拶をしてもらったこともあった。
 天本さんは「スペインで死にたい」が口癖だったが、僕は故郷若松で亡くなられてよかったのではないかと思った。
2003年3月24日 電子入札
 4月から本格的な電子入札が始まるらしい。
 国土交通省など建設土木関係で、今年の4月からランク別に電子入札が本格的に開始されることになり、それは段階的に進み、ついで県や市町村もそれに追随することになるそうだ。
 半ば半強制的な措置で、それを取り入れないと飯の食い上げになるということだが、まだまだゆっくりしている業者が多いようだ。
 今日は、おたごさんを伴って、ある建設土木会社を訪ねた。
2003年3月23日 1時間あまり博多港にて
 今日は日曜日だったが朝から出かけていた。
 午前中に鞍手町の貴黄卵の織田さんを訪ね、午後からはカミさんと娘に付き合って、トリアス久山から福岡市に回った。
 カミさんと娘が福岡市のデパートに立ち寄っている間に、時間つぶしで博多港須崎埠頭行き、久しぶりに海に向かってワームを投げ込んだ。
 小さな女の子を伴った若い家族連れの釣り人が大きなカレイを上げていたが釣り人の数は少なく、1時間ばかり釣っていたがまったく当たりはなかった。
2003年3月22日 ラジオ
 最近は、プリントアウトしたシナリオを持って、車で筑豊をうろうろしている。  アメリカのイラク攻撃が始まってからは、テレビにかじりついて一日中戦争を見物しているわけにもいかず、移動中の車でNHKラジオを聴いていることが多かった。
 この数日ほとんど一日中イラク情勢の番組だったのだが、ラジオをつけると「これから選手宣誓が始まります・・・」という明るいアナウンサーの声が聞こえた。
 昨日までイラク情勢一辺倒だったのに、戦争が終わってもいないのに、突然の高校野球中継には驚かされた。
 
2003年3月21日 筑豊ボクシングジム
 今日は筑豊ボクシングジム主催の試合があり、田川市のMさんを訪ねた後、久しぶりに行橋市へ向かった。
 会場は行橋市体育館で、3000人あまりの観客が詰め掛けていて、筑豊ボクシングジムの選手がそれぞれいい試合をした。
 メインイベントは丸山大輔選手のデビューから12連続KOの日本タイ記録の試合だったが、元タイ国スーパーフライ級チャンピオンを相手に健闘し、5回で見事に達成した。
 
2003年3月20日 イラク攻撃開始
 今日、日本時間午前11時半ごろ、ついにアメリカがイラクを攻撃した。
 ブッシュ大統領とサダムフセインが相次いで声明をだし、小泉首相も記者会見を開いたあと国会でも説明した。
 新聞は号外を出し、テレビはどの局も特番を組み、マスコミはイラク攻撃一色になったが、世間は(僕も)日常的な仕事に追われていた。
 僕は車で移動する間、ラジオをつけっぱなしだった。
2003年3月19日 戦争と選挙
 世界はアメリカの対イラク戦争一色だが、このあたりは統一地方選挙一色であり、僕は映画『すかぶら』の準備にかかりきりである。
 僕自身の個人的な観想を言うとこの状況は楽しく、世界も、地域も、僕も停滞していると、生きる気さえしなくなるではないか。
 男には戦いに順ずるDNAがあり、戦争であれ、選挙であれ、準備であえr、戦いに対して燃え上がる悲しい性がある。
 
2003年3月18日 ブッシュ大統領声明
 今朝日本時間10時に、アメリカのブッシュ大統領が緊急声明を発表して、対イラク戦争が時間の問題となった。
 国連決議を採択せず、48時間以内にサダムフセイン及び息子たちがイラクを去らなければイラクを攻撃するという声明で、もっとも厄介な道を選択することになったのではないかと思う。
 僕は目先の都合で筑豊をうろちょろしていたが、もしかしたら、僕もブッシュもそう変わらないのではないかと思い反省した。
 先が読みきれているともいえるし、読みきれていないともいえる。
2003年3月17日 日本が傾斜している
 大和魂という言葉がある。
 この言葉に逆らえず、日本人は先の戦争になだれ込んだと僕は思っているが、また大和魂が頭を持ち上げてくるような気がしている。
 今の僕にはスカブラ魂があるが、この数日間の間にアメリカのイラク攻撃があって、日本人のアイデンティティーの欠如が明るみになって、大和魂が蘇るのではないかと思っている。
 僕は、日本がふらつきながら、思いも寄らない方向に傾斜していると思う。
 
2003年3月16日 55回目の誕生日
 今日は日曜日で、朝から家にいてシナリオをいじっていた。
 パソコンに向かい、シナリオの細かいところを直しながら、ちょっと時間をおく必要を感じていたら、今日は僕の誕生日だとカミさんに教えられた。
 カミさんから言われないと、確実に55回目の誕生日を忘れていたところだった。
 夕方になってジャスコに買い物に行き、「誕生日おめでとう」の声もなく(いらないが)夕食を済まし、その後ワインを飲みながらパソコンに向かい、何とか最終的な第1稿を書き上げた。
 
2003年3月15日 直方のIさん
 今日は土曜日で、お袋から頼まれていた古い写真のトリミングとコピー作業に午前中を費やし、午後は家で昼飯を食べてから、直方市でレストランを経営するIさんを訪ねた。
 Iさんとの時間は、午後3時前から6時過ぎまで3時間以上を費やすことになったが、結果は、覚書を取り交わすにはいたらなかった。
 無駄な時間だと言いたいところだが、実は有効な時間であり、今後の展開に重要な役割を果たすやり取りだった、
 
2003年3月14日 マサジアート
 プリントアウトしたシナリオを持って一日中うろうろした後、夜はマサジアートで開かれた飲み会に行った。
 飲み会は広島から送られてきたカキが入った味噌仕立ての鍋がメインで、広島からのお客さんや若い人が多く、結構楽しくもあり、結局飲みすぎてしまった。
 
2003年3月13日 娘の卒業式
 今日は娘の卒業式で、娘とカミさんを幸袋中学校まで送り迎えをしたり、途中で、礼服に着替えてお医者さんのF先生の葬式に行ったり、プリントアウトしたシナリオを持って人を訪ねたり、とても忙しい一日でへとへとにくたびれてしまった。
 と言うか、やっぱり春なのか、一日中眠たいような感じで、日暮れには家に帰ってきた。
 これまでに60部くらいのシナリオをプリントアウトして、50人以上の人に読んで貰うべく配布してきたが、きっとその疲れが出ているのだと思う。
 
2003年3月12日 UさんとIさん
 頴田町に、木工芸をやっているUさんと染色をやっているIさんがいる。
 二人は大変なプロデューサーで、頴田の山の中の工房あたりを人でいっぱいにしてしまうこともある。
 このお二人と数日前からシナリオを介していろいろやり取りしているが、Uさんと今日覚書を交わした。
 Iさんとは月末に覚書を交わす約束で一口あけていることにしたが、お二人とも、とても気持ちのよい芸術家であると思っている。
2003年3月11日 彼女も
 今日、Nさんと覚書を交わすために稲築町に行ったら、街のあちこちに「あらきひろこ 連絡所」と書かれたピンクの看板があった。
 稲築町役場のUさんに、「彼女、町会議員に出馬するのかな?」と聞くと、そうらしいとのこと。
 常々、女性が選挙に出ることはいいと思っているので、一人嬉しくなる。
2003年3月10日 Yさん
 A新聞社のYさんが西部本社のデスクから熊本市局長になるということで、飯塚市内の飲み屋でお別れ会が開かれることになって、なぜか同僚でもない僕も参加することになった。
 1時間ほどで帰るつもりだったが、結局12時近くまで飲むことになり、2日分の日記を11日朝になって書いている。
 
2003年3月9日 うろうろ
 日曜日だが休むことが出来ず、プリントアウトしたシナリオを抱えてあっちこっちうろうろしていた。
 途中、カミさんと娘の買い物に付き合わされたり、結局疲れ果てて日記を書く気にもならなかった。
2003年3月8日 気持ちがいい人たち
 今日は土曜日で雨が降っていたが、田川方面を回ってから飯塚に戻り、最終的には直方を訪ねる予定だった。
 まず、添田町の中元寺にある鑑月焼窯元藤本さんを訪ね、映画「すかぶら」への協力をお願いするといつものように快諾していただき、続いて川崎町のラピュタファームと福岡農産に立ち寄り、田川市の料亭よしずやまで足を伸ばした。
 夕方には一旦飯塚に戻り、歯科医のMさん宅を訪ねてシナリオを奥さん(高校の同級生)に渡し、その足で直方市へ向かった。
 直方市は中村幸代さんの選挙事務所を訪ねることが目的だったが、そこでラッキーにもレストラン経営者のIさんにシナリオを渡すことが出来た。
 
2003年3月7日 曽根先生
 今日は朝から覚書を結ぶために動いた。
 これまでに30数人の人にシナリオを渡しているが、まだシナリオを読んでいない人が多く、本日は飯塚市役所のFさんと塾経営者のTさんと話が成立しただけだった。
 夕方からは直方市へ向かい、遠賀川工事事務所長にシナリオを持参した後、市長選挙に出馬をしている中村幸代さんの後援会事務所に廻った。
 中村さんの事務所にはちょうど元近畿大学九州工学部長・曽根靖史先生が東京からこられており、曽根先生は「I LOVE 遠賀川」の実行委員長でもあり、映画「すかぶら」のシナリオを読んでいて欲しかったからだ。
 
 
2003年3月6日 なかなか大変
 今日はいくつか電話をした後、午前中は友人のT君とお茶を飲んだ。
 昼食は稲築町のNさんとカッパ村の前の食堂で食べ、コーヒーを飲みながら覚書を結び、その後嘉穂劇場と宮津酒店へ行って映画製作の協力を依頼した。
 その途中、直方の妹から携帯に電話があって、市長選挙に助役が出馬するということだったので、中村幸代後援会事務所を訪ねた。
 分かってはいたが、映画製作の最初の難関である原作脚本権の分割覚書を、相手のスケジュールに合わせて作るのはなかなか大変だ。
  
 
2003年3月5日 久保ちゃん
 今日も朝から、パソコンからプリントアウトした映画『すかぶら』のシナリオ第1稿を持って、飯塚・田川周辺を駆けずり回った。
 久保ちゃんは小学校から中学校にかけての同級生で、中学時代は野球部のレギュラーだったが、今は金型を作る工場の社長であり職人である。
 その久保ちゃんに、映画『すかぶら』製作の協力依頼を求めに行ったら、即座に「協力するよ」と言ってくれて、その場で覚書を交わした。
 自分は多分に「すかぶら的存在」で、その企画は面白いよと言ってくれたが、またずしりとした責任というものを感じた。
2003年3月4日 ちょっと雪
 今朝は寒く、朝から出かけたら、途中でちょっと雪が降った。
 そんな寒い中、11時には飯塚市本町通りにつながる住吉通りで開催された、大きな椅子のモニュメント完成セレモニーに行った。
 其田正治さんの手による約6メートルの高さの大きな椅子は、「ふっと笑ってしまう」ようなおかしな魅力がある鉄製の作品で、各新聞社、NHK、FBSなどマスコミも多く、これから筑豊らしい観光名所になるかもしれない。
 其田さんは、こんな人の意表をつくモニュメントを、新飯塚駅から本町通りまで、あと4つほど作りたいとのこと。
2003年3月3日 NHKニュースシャトル
 今日は朝から雨だったが、一日中車で筑豊を駆けずり回った。
 プリントアウトした「すかぶら」のシナリオを読んでもらうために、飯塚市役所、飯塚文化連盟などを回り、台本製本を依頼している印刷会社社長に会ったり、田川市に行ってフィクサーKさんと昼食を食べたりした。
 夕方からは、高校時代からの友人N君と会って覚書を取り交わし、川筋太鼓を訪ねてNHKの取材協力依頼をしたり、大いに忙しい一日だった。
 このように忙しかったので、夕方六時過ぎから放送されれたNHKニュースシャトルの番組で、自分が出演している「21世紀の今を語る」を観ることが出来なかったが、観た人によるとなかなかよかったという評判で、ひとまず安心した。
2003年3月2日 快晴
 今日は快晴の日曜日で、暖かく絶好の行楽日和だったが、一日中車で駆けずり回っていた。
 午前11時には田川郡の県会議員候補の樋口さんの事務所開きに行き、午後は家に戻って映画製作のための覚書の雛形を一つ作って、庄内町にある県会議員候補の柴田さんの事務所にN君を訪ね、夜は直方市長候補の中村さんの事務所に行った。
 日曜日は選挙事務所が忙しい。
2003年3月1日 雨
 今日は土曜日で一日雨が降ったり止んだりしていたが、飯塚・田川・直方あたりをうろついていた。
 午前中は、小・中学校の同級生N君(会社が倒産して失業中)とNホテルで会い、そこで偶然福岡のお医者さんI先生やSさんとも会うことになり、結果的にとても仕事がはかどった。
 午後は、田川市でスーパーを経営するN理事長の店に行って、その後、川崎町の福岡農産と県議選に出馬予定の樋口さんの選挙事務所を訪ねた。
 最後は、直方市のライオンズクラブ会長のIさん宅に行って、直方市長選出馬予定の中村幸代後援会事務所に廻り、地方を拠点とする映画プロデューサーの基本的仕事をこなす一日だった。