1999年 12月 11月 10月 9月 8月

今日の見聞禄
2002年11月30日 デジタルハリウッド福岡校
 今日は朝からパソコンの前にいて、「デジタルハリウッド」や「コアラTV」に関する情報をウェブ上で探し、ついでに「ソルトルアーフィッシング」に関するサイトをネットサーフィンし、夕方からはしのつく雨の中、井上祐司さんに会うためにデジタルハリウッド福岡校を訪ねた。
 井上さんは、以前はコマーシャルディレクターであり、現在はデジタルハリウッドの講師でありコアラTVのプロデューサーである。
 打ち合わせは、「デジハリ」の6階フロアで紹介者の内田さんと一緒に1時間半ほどで、コアラTVで映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』を紹介してもらうことにした。
 詳しいことは後日。
2002年11月29日 西日本新聞のホームページトップ
 「行橋上映会の記事が西日本新聞京築版に大きく出ているよ」と、朝9時過ぎごろ豊津町図書館の山崎さんから電話があっった。
 こちらは筑豊版なので京築版は見ることができず、とりあえず西日本新聞のホームページに記事があったら保存しとこうと思ってトップページを開いたら、トップに自分の写真と記事が掲載されているのにはびっくりした。
 また、写真にリンクが張ってありクリックすると、大きな自分の写真が開いたのにはさらに驚き、恥ずかしさのあまりあわてて閉じてしまった。

西日本新聞トップページを少し編集したもの
http://www.chikuho1.com/shg/newspaper/yukuhasi.html
2002年11月28日 しこり
 若い僕にとって、「石橋をたたいて渡れ」というのが当たり前の世間で、「見る前に、跳べ」という大江健三郎氏の言葉は衝撃的だった。
 30年以上の前のことで、芥川賞をとった若い見栄えのよくない小説家は、見た目のかっこよさではない、本質的な男のかっこよさを示し、その後ノーベル賞まで勝ち得た。
 これまで、僕はできるだけ見るまえに跳んできたが、いつも跳ぶ前にちょっと見てきたと思う。
 でも、結果的にだいたい跳んできたが、ちょっと見ているだけに潔くないことが多く、成功するにしろ失敗するにしろ、いつも何がしかのしこりも残している。
 「見る前に、跳べ」と「見ないで、跳べ」とは違うことだと改めて思っている。
 でも、その言葉が衝撃的だったのは、「見ないで、跳べ」という言葉が持っている力だったと思う。
 
2002年11月27日 記者クラブ
 今日は朝方行橋方面で、JA福岡みやこやO県議事務所などを訪ねた後、豊津町図書館に行った。
 副館長の山崎さんの「もう新聞の取材は終わったの」という質問に「いや、まだ」と答えると、すぐに電話をしてくれて行橋市役所の記者クラブでY新聞社の取材を受けることになり、10分もしないで行橋市に戻った。
 取材の途中にN新聞社の記者も戻ってきて、募金箱を待たされて写真を撮られた。
 鞍手乳児院立替支援の上映会&募金活動の成否は、これまでの経験からまさに新聞にかかっていると言える。 
2002年11月26日 冷たい雨
 今日は行橋市で仕事をした後、メバル釣りをして帰るという段取りがカミさんとの間で取り交わされており、スカブラではなく堂々と苅田項フェリー埠頭に行ったが、突然冷たい雨が激しく降りはじめて、しっかり夜釣りの準備を整えていたのに早々と退散することになった。
 ルアーマンにとって雨や風は悪くない。
 魚が活性化するし、大きな魚が港内に入ってくることもあるし、狙いを変えれば釣果も期待できる。
 ただ、仕事をサボってちょっと釣りをする場合、冷たい雨と風が吹き付ける夜釣りはちょっと勘弁となり、翌日以降に期待することになった。
 
2002年11月25日 鹿児島の釣師
 昨日芦屋港で鹿児島の釣師と短い会話を交わした。
 よく肥った若い釣師は、サビキ仕掛けでアジゴを釣って、それを生き餌にしてヒラメを釣ると言った。
 また、遠くに見えるナブラを見て、「ルアーを持ってくればよかった」とも言い、「ネズミを使ってトップウォーターでやったらどうですか」とも言った。
 そして、「鹿児島に仕事がないから上がってきたが、こっちも景気が悪く、年末前に今の仕事もなくなる」と嘆いた。
 結局、鹿児島の釣師はヒラメを釣るためのアジゴを釣れずに、ぶつぶつ言いながら去っていった。
 白髪頭でルアーフィッシングをしている僕のことを、経営者と見たのかもしれない。
 
2002年11月24日 久しぶりに玄海灘方面
 昨日行った行橋人口島が釣れたら今日も行ってみるつもりだったが、釣れなかったので玄海灘方面に行ってみた。
 まずは、青物かヒラメを狙って芦屋港周辺に向かった。
 快晴、風もなく、海は穏やかで、港内では激しいナブラ(鰆ではないか)が見えたが、ちょっと遠すぎて40グラムのメタルジグも届かず、一度だけエソがヒットしただけだった。
 防波堤で昼飯を食べ、ポットの熱いコーヒーを飲んでから、波津・鐘崎・釣川方面に移動した。
 波津から鐘崎にかけてのゴロタ石の海岸は、北からのうねりがあって根魚狙いの釣は難しく、鐘崎漁港周辺の浅い岩礁地帯で人がいないことをいいことに、さらしの中に13センチのミノーを投げてみたが何の反応もなかった。
 最後に行った釣川河口で、16時半ごろナブラに数羽の鳥が群がる好条件に出会った。
 しかし、ナブラは反対側の岸に近く、急いで車を走らせたが間に合わなかった。
 結局、釣果はなかった。
2002年11月23日 人口島
 行橋市の長井浜に人口島が建設中で、今日は大物が釣れるらしいその島に行ってみた。
 海岸の入り口に車を止めて、忘れ物がないように確認し、2本のロッドとクーラーを担いで橋梁の工事現場に向かった。
 500メートルほどの橋梁はまだ欄干もなく、高いところは海面から20メートルほどもあり、風がなくてよかったもののおっかなびっくりで歩いた。
 人口島はそんなに大きくないグランドぐらいの広さで、周囲は3方がテトラポットで囲まれており、まだテトラが入っていない陸側には、クレーンを装着した作業船が停泊している。
 釣はテトラからになり、すでに餌釣りの人たちが数人いるが、どうも釣れていないようで不安になる。
 予感は当った。
 日が暮れるまで、ジグ・ミノー・ワームなどで攻めたが、セイゴらしい魚影がわんさか追ってはくるものの、結局ただの一度の当たりもなかった。
 
2002年11月22日 メバル
 今日の午前中は久しぶりにT君とお茶を飲んで、午後から行橋方面に向かった。
 連合福岡京築・田川地域協議会に一度行ってから、勝山方面を回りながら行橋方面に戻った。
 18時半からウィズ行橋で開催された労福協の大会で挨拶させてもらってからフリーとなり、暖かく風もないので、フェリー乗り場に向かった。
 メバル狙いである。
 絶好の天候で潮も悪くないのだが、メバルのライズガなく9時ごろまで何の当たりもなかった。
 しかし9時を過ぎたころからあちこちでライズが起こり、何度かシラスワームをキャストしているうちに、ついに初めてメバルがヒットした。
 瞬く間に3匹をゲットしたが、その後すぐにライズもなくなり、10時半ごろ帰ることにした。
 
2002年11月21日 プロフィールの写真
 今日は飯塚市役所によって行橋市へ向かった。
 飯塚市役所に寄ったのは、来年1月に行う講演のためのプロフィールを届けるためだった。
 写真が必要だということでカミさんが用意した自分の写真を見たらとても若く、「ちょっと若いんじゃないか」と言ったら「これしかない」ということで、そのまま7年前の写真を届けた。
 行橋では夕方まで仕事をし、その後は長井浜から苅田港フェリー乗り場あたりをうろつきまわり、風が強いフェリー乗り場の埠頭で40グラムのジグを投げてゆっくり引いていたら、白っぽい形のいいカサゴがヒットした。
 
2002年11月20日 日本対アルゼンチン戦
 サッカー「日本対アルゼンチン戦」の試合のハーフタイムに、この日記を書いている。
 今日の午前中は飯塚市内で大事な用件を済ませ、いったん家にお戻り昼食をとってから行橋市へ向かった。
 京築歯科医師会、宮城歯科医院、JA福岡みやこ、行橋市中央公民館、岡田県会議員事務所、行橋市役所などを訪ねた後、ちょっとスカブラで稲童港に回ったが魚の姿が見られず、サッカーの試合を観るために家路を急いだ。
 前半戦の試合は、勝ちに来たという強豪アルゼンチンに対して日本が互角の試合をしている。
2002年11月19日 豊津町
 今日は朝から豊津町に行った。
 豊津町役場で12月6日に開催する『鞍手乳児院チャリティー行橋上映会』のチケットを預けた後、苅田町図書館からヘッドハンティングで豊津町図書館の副館長に迎えられた山崎さんを訪ねた。
 山崎さんは、僕が『筑豊原色図鑑』を作ったころいろいろお世話になっていて、ずいぶんご無沙汰していたことになる。
 昨年10月に開館した豊津町図書館の準備からかかわってきたという山崎さんのことは、豊津町の畑中町長から数日前に聞いていた。
 久しぶりに、いい再会をした。
2002年11月18日 道
 最近は毎日100キロ以上を走っているので、危険がいっぱいの道路のことををいつも考えている。
 道路のあちこちに看板が立ち、道路には国道・県道・市町村道・農道・林道などがあることがわかる。
 そのほかにも横丁の道・路地・あぜ道・獣道などもある。
 もちろん高速道路や有料道路などもあり、現在その道路のことが国会などで大きな話題になっているが、近々光ファイバー網の道なども含めて、本格的に道のことを考えてみるつもりだ。
2002年11月17日 門司港
 車を横付けして釣ができるところということで、門司港辺りの海岸をうろうろしていたが、13号岸壁の最もいい場所を幸運にも(アベックの釣り人が急に帰ったので)確保することができた。
 だからと言って釣れるわけではない。
 小魚の姿が少なく、ナブラも一度もなく、むなしくメタルジグを引いた。
 娘が「もう帰ろうよ」と言うのも聞かず暗くなるのを待って、スズキかメバルをと期待したが、灯りがある真下に陣取った家族連れがコイチ狙いに10本ほどの仕掛けを扇形に出していて、ミノーやワームを試したがまったく当たりがなく、18時50分過ぎにギブアップした。
 
2002年11月16日 若松から遠賀川
 今日は朝9時半ごろ家を出て、若松海岸から遠賀川河口まで移動しながら、一日中釣りを楽しんだ。
 釣果はたいしたことないが、エソ2匹と掌大ヒラメ1匹の他、リリースした掌より小さいシタヒラメ1匹、バラシタ赤い口の大きな魚1匹、暗くなって9センチのミノーに「ガツン」とフッコらしき当たりがあり、10時間あまり大いに楽しんだ。
 釣りをしている間、仕事のことや日常生活の気がかりなどあれこれ、まったく脳裏に浮かぶことがなかった。
 こんな無駄な時間が吉と出るか凶とでるかわからないが、自分としてはいい方向に向かうよう頑張るつもりである。
 明日は門司港に行こう。
2002年11月15日 道路は危ない
 今日は朝から鞍手乳児院、古賀市役所、一度家によってからすぐに行橋へと走り回ったが、車で走る途中何度も危ない目にあった。
 鞍手乳児院から宗像市へ向かう途中のネズミ捕りに危うく引っかかるところだったし、スピードを出そうとした国道3号線では70キロを過ぎたあたりで後ろに付いた白バイに気づいたから良いものの一瞬どきりとしたが、極めつけは犬鳴峠を降りたあたりでの急に飛び出してきた猫だった。
 僕の車と対向車線をやってくる車が結構なスピードで離合しようとした寸前、1匹の猫が僕の車の左から飛び出してきて、僕の車と対向車線の車の間をどうして抜けたのかわからないが、間一髪で横切った。
 僕はあわてて小さくハンドルを切り、対向車もハンドルを切って接触しそうになった。
 もう危ないことはないだろうと思って、行橋中央公民館を出て目と鼻の先の市役所にシートベルトをしないで向かっていたら、数人の警官たちがシートベルトの取締りをしていた。
 警官の姿が見えたとき、すかさず左手シートベルトを引っ張ったら、運良く一発で引くことができて助かった。
 
2002年11月14日 行橋市長
 今日の11時半は、八並康一行橋市長と面会する予定になっており、記者クラブ用の資料などを用意して10時ごろ家を出た。
 市長には職員組合の津田書記長に連れられてお会いした。
 面会時間は30分ほどで、鞍手乳児院チャリティー上映会と募金活動の協力をお願いしたが、とても気持ちよく応対していただいた。
 午後はお仏壇のはせがわ行橋店に行って店長のYさんに会い、チャリティーの一連の流れを説明し、チケット、ポスター、チラシ、募金箱などを預けてきた。
 日暮れからは海岸に出て、ソフトルアーやらミノーを海に向かって投げた。
 釣果は、ソイ大小6匹、良い形のカサゴ1匹、塩焼きタイプのセイゴ1匹で、まあまあだったのではないか。
 セイゴは、あまりに当たりがないので、長狭川大橋の橋の上からミノーで8の字を描いたらヒットした。
2002年11月13日 チケットを刷る
 12月6日に開催する「映画スーパー・ハイスクール・ギャング鞍手乳児院チャリティー行橋上映会」のチケットを、今朝から刷りはじめた。
 同時に、ポスターに上映会を告知する下ビラの原稿を作り、コンビニに行ってA3に拡大コピーしてから糊で貼りつけ、これらとともに募金箱を車に積み込んで行橋市に行った。
 連合福岡京築・田川地域協議会関係以外の協力の取り付けが遅れており、老人会連合会や婦人会の事務を兼務する行橋市中央公民館、コスメイト行橋、子ども会連合会、JA福岡みやこ、苅田商工会議所などを訪ねて協力を要請した。
 いよいよ、上映会の仕上げに向けた、チケットの販売が始まったということだ。
2002年11月12日 蓑島周辺
 午前中は、まず放火事件騒ぎが続く飯塚市役所に行ってTさんと会い、その後鞍手乳児院へ回って募金箱を30個受け取り、コンビニで買った牛乳とサンドイッチの昼食をとりながら行橋市へ向かった。
 連合福岡京築・田川地域協議会によってから、犀川町役場と勝山町役場を訪ねて後援依頼の結論を聞き、塚本事務局長と一緒に九州労働金庫苅田支店と苅田町役場に行った。
 日が暮れてからは、蓑島周辺・今川河口・長狭川河口あたりをうろつき、シーバスのポイントを見つけた。
 確実に釣れる場所だと思う。
2002年11月11日 塚本事務局長
 今日は朝10時に連合福岡京築・田川地域協議会に行って、塚本事務局長と行橋・京都郡の関係各社を回った。
 まず、塚本事務局長と行橋市役所に一緒に行き、途中別れて僕は行橋婦人会のE会長に会い、再び合流して豊津役場に行って畑山町長を訪ねた。
 ここで行橋上映会の協力をお願いし、すぐに勝山町にあるU社の労働組合のMさんに会って協力を求め、突然降り出した雨の中を新田原にある労働組合事務所に向かった。
 塚本さんには言っていないけど、フリーランスで体が一つしかない身としては、トップに話を一発で通してもらい、チケットの配券までやってもらい、心の底からとてもありがたいと思っている。
2002年11月10日 福岡から糸島へ
 今日は娘のお供である。
 集英社の少年ジャンプが主催する『ジャンプ・スーパー・アニメツアー』というイベントが開催されていて、朝10時過ぎには娘とその友人3人を連れて福岡市百道へ向かった。
 娘たちを天神(アニメの店によるという)で降ろした後、カミさんと糸志摩半島の海岸に行って、メタルジグを海に投げ込んだが何の反応もなかった。
 百道パレスで娘たちを拾ったが、もう1軒寄りたいアニメの店があるということで、近くの須崎埠頭に時間つぶしで行ってみた。
 須崎埠頭では、グラスミノーを使ったテクトロをやってみたら、なかなかいい形のソイがヒットした。
2002年11月9日 シーバス
 今日は土曜日で、シーバスを狙って釣りに行った。
 真冬並みの西高東低の気圧配置で、東北から北海道は平地でも積雪があり、玄界灘は北西の風が強く時化ていた。
 まずは岡垣町にある小さな川の河口に行って、大波を避けてヒラメかセイゴを狙ってジグヘッドを投げ込んだが、小さな掌大のヒラメが追ってきただけでヒットはしなかった。
 ただ、波間を漂う『イカみたいなタコ』(名前はわからないが、これまでも捕獲したことがあり美味しく食べた)を、メタルジグで引っ掛けてゲットした。
 その後遠賀川河口に移動して、本格的にシーバスを狙ってみた。
 僕は釣れなかったが、会話を交わした二人の若者がそれぞれ60センチから70センチほどのシーバスをゲットした。
 なんとなくシーバスの釣り方がわかったような気がした。
 ここでも、水面をひらひらしていたウマヅラハギを引っ掛けて、クーラーの中に入れた。
 
2002年11月8日 長峡川
 飯塚のコンピュータウンでチケット用紙、100円ショップのダイソーで募金箱となる貯金箱100個、直方のベスト電器で募金箱のラベル用紙を買い求め、妹の家によってパンフレットとチラシを車に積み込み、お昼から行橋市へ向かった。
 昨夜、連合福岡京築・田川地域協議会の事務所に行く途中の川が長狭川であることをしっかりと記憶にとどめ、今日も釣り場への道を通ってみたが、釣り人の姿はなかった。
 寒いからか、潮がよくないのであろう。
 昨日の夕食で食べた鯉こくは見事な美味しさだったので、改めてお礼を言って、できればもう1匹もらうつもりだったのだが・・・残念。
2002年11月7日 スカブラのコツ
 今日の午前中は飯塚市で仕事をこなし、お昼休みを利用して行橋市に向かった。
 行橋市に入って昨日の川を覗いたら、何人かの釣師が盛んに引っ掛け仕掛けを投げ込んでいたが、釣果は少ない模様だった。
 行橋公民館にある行橋老人会連合会、行橋市役所、連合福岡京築・田川地域協議会、JA福岡みやこ、子供会連合会などを訪ねた後、ちょっと苅田港に行った。
 1時間ほど、Mサイズのグラスミノーを投げてカサゴとソイを狙ってみたら、ジグヘッドを5・6個失ったが、煮魚向きのソイを3匹釣り上げた。
 スカブラのコツがちょっとわかったような気がした。
2002年11月6日 書ける日
 今日の午前中は仕事関係各社に電話をした後、T君と久しぶりにNホテルで合い、お昼からは行橋市に向かった。
 行橋市に差し掛かり、川沿いの近道を通ったら、釣り人らしき人たちの姿が目に入る。
 仕掛けは引っ掛け釣り使用で、初老の人たちが暖かな陽光の中、鯉を釣っていた。
 「釣れました?」と聞くと、「うん、うん」とうなづき、スカリの中を見てみろと促す。
 スカリを引き上げると、よく肥った巨鯉が5匹ほど入っている。
 「見事な鯉ですね!」と言うと、「持っていくかい」との言葉があり、お言葉に甘えて一番小さい鯉(それでも50センチはある)を1匹もらう。
 「刺身も美味しいけど、味噌汁が一番だ」とのこと。
 その後、苅田港に行って、暗くなるまで1時間ばかりジグやミノーを海に向かって投げ込んだ。
 釣果なし。
2002年11月5日 書けない日
 今日の出来事は、ネット上の日記にそのまま書くことができない。
 大したことではないのだが、色々あって、どこそこに行ったとか、誰それに会ったとか、書けないことばかりである。
 一日中飯塚市内にいて、そのほとんどが自宅である作業をしていたから、日記に書くと、ある作業の内容になってしまう。
 僕はこんな日が多い。
 インターネットの限界は、こんなことからも伺える。
2002年11月4日 久住
 今日は朝9時過ぎに家を出て、英彦山、山国、玖珠、九酔渓を経て久住に行った。
 久住は予想通り雪景色で、長者原から牧ノ戸峠に上がると数センチの積雪で、初雪を堪能して黒岳に向かった。
 黒岳あたりのキノコはシーズンオフで、男池周辺を1時間ばかり見て回ったが、何にも見つけることができなかった。
 久住からの帰りは、山並ハイウェーを通って水分峠を径由して、深耶馬溪の紅葉を見物しながら豊前市の海岸行き、カミさんと娘にお願いするようにして、シーバスをターゲットに9センチのレッドヘッドのミノーを投げた。
 日は暮れていたが、まだシーバスが跳ねまわる時間には2時間ほど早く、30分ほどのキャスティングで家路に着いた。
2002年11月3日 ボクシング
 今日は筑豊ボクシングジム主催の試合が田川市武道館で行われたが、行くことができなかった。
 留守中に、福岡の石田さんから「試合会場に着いたらもうすべての試合が終わっていて、これから寄ってもいいだろうか」と言う連絡があったそうだが、もちろん僕は家には居ない。
 だから、僕は今日の試合結果をまったく知らない。
 丸山大輔の試合はどうだったのだろうか。
2002年11月2日 JA福岡中央会のHさん
 2年前の暮れのこと、このままでは年が越せないなというとき、JA福岡中央会のHさんに頼んで、僕が作った「筑豊原色図鑑」を300冊を買ってもらったことがある。 
 今日はそのときと同じような状況で、飯塚市の寿会館でHさんを捕まえ、お願いして、200冊を買ってもらうことにした。
 助かった。
 Hさん!・・・感謝、感謝、感謝です。
2002年11月1日 松井選手がFA宣言
 巨人の松井秀喜選手がFA宣言をした。
 イチローに続きトップの選手が日本のプロ野球から消えることになると思うが、チームより選手で野球を観る僕にとっては楽しみが増えたというものである。
 だが、日本のプロ野球はどうなるのだろうか。
 松井が3冠王に挑戦した今年でさえ、たいしてナイター中継を見たいと思わなかった。
 正直言って、チームではダイエーホークスの方に関心があり、読売ジャイアンツなんか何の興味もないのです。