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| 2001年9月30日 高橋尚子と長嶋茂雄 |
| 今日は日曜日で、この2週間あまりアメリカ同時多発テロで明け暮れる毎日だが、ベルリンマラソンで世界最高記録を狙う高橋尚子と監督引退を表明した長嶋茂雄監督に尽きる。 だから、朝からテレビをみていた。 午前中は、フジテレビ系列の「報道2001」とテレビ朝日系列の「サンデープロジェクト」で、午後16時からはフジテレビ系列の「ベルリンマラソン」に魅入り、夜は日本テレビ系列の東京ドームにおける長嶋監督最後の巨人戦を楽しんだ。 |
| 2001年9月29日 オオイチョウタケ |
| この時期になると、オオイチョウタケというキノコが毎年発生し、その後ハタケシメジ発生するという場所がある。 本当は1週間ばかり早い時期で遅いかと思ったが、行ってみると大小20本ぐらいのオオイチョウタケがあった。 オオイチョウタケは真っ白い大きなキノコで、大きいものは1本で家族分がまかなえる。 ここで雨が降って冷え込むと、平地の山間でもハタケシメジが出始める。 ![]() |
| 2001年9月28日 築城町へ |
| 7試合1ラウンド連続KOの日本新記録を作った丸山大輔選手の次の試合が、11月18日に彼の出身地である築城町で行われることになっており、役場での記者会見を撮影に行った。 町長室には、朝日、西日本、読売、毎日の各記者とNHKの記者がそろい、8連続1ラウンドKOという記録がかかった試合は、「築城町の町おこし」の一環として位置付けられた記者会見となった。 記者会見が終わって、丸山選手とともに天延記念物の大楠や白い彼岸花などを見に行き、はじめての道を通って英彦山経由で戻った。 |
| 2001年9月27日 Kさん |
| 今日は朝から、山口県下松市のKさんが取材でお見えになっていた。 Kさんは飯塚市で発行されている「みなくる」という季刊誌の編集者である。 何故、山口県のKさんが飯塚あたりの雑誌の編集者をしているのかは知らないが、10時半から14時ごろまで取材をされた。 いや、取材をされたという感触はなく、ずいぶんとお喋りしてしまった。 |
| 2001年9月26日 マイタケの写真 |
| 午前中は福岡市からI先生とOさんがお見えになり、ホームページの打合せをする。 午後は依頼された仕事で田川市へ行き、夕方は直方市にまわって散髪をした。 ちょっと遅くなったけれど、大山で採取したマイタケの写真を掲載。 マイタケの写真 |
| 2001年9月25日 東京のI君夫妻が来る |
| 今日は朝からカミさんと打合せをしていたら、突然電話があって「もう飯塚の近くに来ているのですが今から訪ねていいですか」とI君の声がした。 I君夫妻はどちらも九州発映画「スーパーー・ハイスクール・ギャング」のスタッフで、今は東京で映像関係の仕事をしている。 ところで最近、映画「スーパー・ハイスクール・ギャング」の主役の池末誠君が東京のあるプロダクションに所属して頑張っていることを知った。 |
| 2001年9月21日〜24日 鳥取県倉吉市 |
| 9月21日 カミさんの甥っ子の結婚式に出席する為に、家族そろって鳥取県倉吉市に行った。 行きは料金の高い高速を避けて日本海に面した9号線を北上するというコースを取り、約10時間をかけて目的地に着いた。 9月22日 何かと用があるカミさんと違って僕は何もすることがなく、朝から大山に向った。 昨夜から今朝にかけて冷え込みが厳しく、大山は8度と表示されていたが、まだ紅葉には早かった。 昨日の雨にもかかわらず、ブナ林にはこれといっためぼしいきのこは発生していなかったが、昨年おびただしい数のナラタケを収穫したことのある立ち枯れのブナの巨木を覗いたら、裏の根元に巨大なマイタケを見つけてしまった。 マイタケは大小4個で、大きいものは直径が60センチあり、重さは10キロぐらいあった。 9月23日 午前中から夕方にかけて結婚式と披露宴で、久し振りにすっかり飲んでしまった。 9月24日 大山・蒜山を通り、比婆山のブナ純林を見物して、庄原から高速に乗って帰った。 |
| 2001年9月20日 石炭六法 |
| 今、ある依頼を受けた仕事をしながら、石炭六法について勉強している。 石炭六法は筑豊の人の大部分は知っているけど、全国的にみたらほとんど知られていない法律だと思う。 また、筑豊の大部分の人が知っているといっても、その詳細について知っている人はごく少数だ。 これまで何度かその実態を調べようと試みた事はあるが、全体がわかるような資料も見当たらず、関係者に聞こうとすると期待した返事は返らず、まるでその存在を隠しているようにも思えた。 |
| 2001年9月19日 1日中パソコン |
| 9月21日から24日まで、鳥取県倉吉市に結婚式のため行くことになっている。 だから、頼まれている2件のHPの更新をするために、一日中パソコンに向っていた。 残暑厳しく、短パンをはいたまま、全速力で更新した。 |
| 2001年9月18日 筑前茜染め |
| 今日は、午前10時半に福岡市早良区の井上医院に行ってHPに使う写真の撮影をし、取って返すようにして午後13時半には飯塚市に戻った。 筑前茜染めの石田よし香おばさんから電話があって、H社のNさんがお見えになる時同席して欲しいとのことで、久し振りに日の丸などを拝見した。 なかなかのものだと改めて思う。 |
| 2001年9月17日 長谷寺 |
| 今日も快晴の天気で、日差しは暑いが、日陰に入ると涼しく気持ちが良かった。 朝から「筑豊原色図鑑」を届けに鞍手町の長谷寺を訪ねると、ちょうどご開帳の日だった。 用事を済ませると、お参りの人に混じって、久し振りに観音様の姿を拝見した。 |
| 2001年9月16日 海 |
| 午前中はテレビを見ていた。 フジテレビ系列の「報道2001」、NHKの「報道特集」、テレビ朝日系の「サンデープロジェクト」という定番で、アメリカ同時多発テロのニュースの続報を見たというわけだ。 午後は、家族を誘って玄界灘の海に行った。 釣りをするでもなく、磯遊びをするでもなく、津屋崎、神湊あたりの海岸を車で回った。 |
| 2001年9月15日 英彦山へ |
| 小雨が降る中、T君を誘ってハタケシメジを採りに英彦山に行った。 途中庄内町の筑豊緑地公園では、モーニング娘のコンサートがあるとあって午前中から人が集まっていたが、普段は使用していない空き地などが臨時駐車場になっていて、その駐車料金が2000円というのには驚かされた。 霧につつまれた英彦山は人も少なく、ゆっくりとハタケシメジや山みょうがを採ることが出来た。 |
| 2001年9月14日 京都から古い友人 |
| 今朝もアメリカの同時多発テロの様子をテレビで見ていたら、朝8時過ぎにS君から電話があって、今から訪ねていいかとのこと。 S君は高校時代の友人で、今は京都に住んでおり、2・3日前から飯塚入りしていた。 僕も結構忙しく、自宅であった後、栢森のわかめやでうどんを食べ、田川市の石炭資料館を廻り、赤池町で用事を済ませながら古い友人と会話を交した。 |
| 2001年9月13日 同時多発テロ |
| ニュースを聞いて、「しまったあ!」と思った人は多いと思う。 特にビジネスを手がけている人にとっては、取り返しのつかないような事件だったと思う。 あまりにも大きすぎる突発的な事件によって、通常ならば話題性豊な事ごとであっても、その存在そのものが吹き飛ばされてしまうことがる。 |
| 2001年9月12日 崩壊 |
| 世界貿易センタービルに2機の旅客機が突っ込み、1時間あまり後に相次いだビルの崩壊は、まさにアメリカ映画を観ているようだった。 昨夜から延々と続いているテレビ放送をこちらも延々と見続けていたが、午後はさすがに飽きてテレビを切り、そしてまたインターネットでその模様を追っていた。 夜は夜で、再びテレビの前に座り、チャンネルを忙しく切り替えながら深夜まで見続ける始末。 |
| 2001年9月11日 テロというより戦争 |
| 今日はいろいろあったが、アメリカで起きた同時多発テロに尽きる。 ニューヨークの世界貿易センターで起きた映像を見ていると、それはテロというより戦争というべきものだった。 また、それはアメリカ映画の一歩上をいくもので、転寝をしながら深夜までテレビを見続けることになってしまった。 |
| 2001年9月10日 あるお寺で |
| 今日は、H社長、T教授、郷土史家のS氏、Nさんなど7人で、直方市のお寺と上野焼の里を訪ねた。 午後14時半ぐらいから22時近くまでに及ぶ今日の体験をすべて書くわけにはいかないが、いくつかの印象的な体験の中から一つだけ少し書いておくことにする。 K寺での出来事で、ある歌を聴いた。 ある歌に驚いたのではなく、キリスト教徒が歌う賛美歌のように、ごく自然に歌う人々の存在に驚かされたのだった。 その歌は仏教賛歌というのか賛美歌というのかわからないが、2000曲に及ぶ唄があるという。 |
| 2001年9月9日 ハタケシメジ |
| 午前中はおたごさんが来て家にいたが、午後2時ごろからカミさんを誘って英彦山に行った。 ハタケシメジの発生にはちょっと早いかなと思っていると、8月後半の冷え込みがあってか結構発生していて、大きなかご一杯ほど収穫できた。 どうかと思ったが、ニンニクとショウガを利かしたアサリのバター焼きにハタケシメジを加えて食したら、アサリの出汁とマッチして想像以上に美味だった。 |
| 2001年9月8日 福岡へ行く予定が |
| 福岡行きが今朝になって中止になったために、何もすることが見出せず一日中パソコンに向ってネットサーフィンをした。 久し振りのネットサーフィンで、それなりに得るところはあったが、目と肩が痛い。 一日中パソコンに向ってといったって4・5時間なのだが、持病のように目と肩が痛くなり、頭を支えきれないように首が疲れた。 情けない。 |
| 2001年9月7日 想像すると |
| 一目見てわかることもあるが、いくら目を凝らして見ても見えにくいことがあると思う。 今起こっていることは、見えにくいことが多いと思う。 かつて筑豊を中心に起こったエネルギー革命の影響は、ごく限られた地域で起こったために誰でも一目瞭然に理解することが出来たが、今回は範囲が広くあまりにも多岐にわたるために掴みきれないのではなかろうか。 |
| 2001年9月6日 養護施設2 |
| あるホームページから掲載 平成10年10月1日現在で、児童養護施設の数は555施設、入所している子どもたちは28,041人います。昭和60年以降、施設数、入所児童数ともに減少傾向にあったのですが、平成7年以降に再び増加傾向にあり、昨年度と比較すると、施設数は29増え、入所している子どもにいたっては、実に2,095人もの子どもたちが増加しています。なんと7.7%増です。1家庭あたりの出生率が1.41人にまで低下していると言われている昨今、この増加率は異様であるとも言えます。 |
| 2001年9月5日 養護施設1 |
| 全国の養護施設をインターネットで探したが、これはというページを見つけることが出来なかった。 まず、全国に何ヶ所の養護施設があって、何人の子供たちがそこで生活しているのかがわからない。 本腰を入れて調べないといけないようだ。 |
| 2001年9月4日 養護施設が応対できないほど |
| この間テレビをみていたら、失業やリストラの深刻な影響が子供に及んでいることがわかった。 想像していた事だが、失業やリストラによって親が自殺したり、離れ離れにならざるを得ない子供たちが増えているとテレビが伝えていた。 想像外だったのは、本格的な構造改革が実行される前の現在で、すでに全国の養護施設が応対できないような状況に陥っていることだった。 |
| 2001年9月3日 福岡へ |
| 今日は朝から福岡へ言った。 大手仏壇メーカーのH社長に会う為で、忙しいところを長時間お邪魔してしまった。 昼食を友人のO君ととって、午後3時ごろには飯塚に戻った。 今日は少し蒸し暑かった。 |
| 2001年9月2日 日本太鼓全国フェスティバル |
| 北九州市メディアドームで日本太鼓全国フェスティバルが開催され、川筋太鼓が参加しているので撮影に行った。 全国から約40団体が参加する大規模なもので、川筋太鼓の小田会長が実行委員長の大役を担っている。 3000人ほどの観客で、フェスティバルは成功だったようだ。 |
| 2001年9月1日 遠賀川流域住民の会 |
| 「第7回 I LOVE 遠賀川 流域住民交流会 IN 北九州」が、北九州市の木屋瀬であったのでカメラを担いで撮影に行った。 会場は昔の劇場を意識した建物の「木屋瀬宿記念館こやのせ館」で、250人あまりが参加していて盛況だった。 飯塚市の窪山邦彦さんが、「遠賀川流域住民の会」の旗揚げ宣言をして交流会を締めくくった。 その後行われた懇親会もにぎやかだった。 |
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