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| 2000年10月31日 作業がいっぱいある |
| 昨日も書いたが、月末はおびただしい作業がいっぱいあって、その作業の前に日記を書くことにした。 特に今日の作業は多く、すでにメルマガなど明日に延ばそうかなどと考えている始末で、商業用サイトの管理・運営は骨が折れる。 もう、この辺で日記は終わりにしよう。 |
| 2000年10月30日 月末は忙しい |
| 日常生活でも、ネット上でも月末は忙しい。 僕の場合、それらが同時にやってきて本当に忙しい。 特にネット上は更新が重なり、細かい作業に没頭される。特に今月は、メルマガの発行やバナコンの「バナー工房」の開設などが重なり、たまらない月末になりそうだ。 |
| 2000年10月29日 高校の同窓会 |
| 今日は、12時から高校の同窓会には出席できなかったが、16時からの同期会には顔を出した。 今朝は日曜日だというのに、昨夜思いついたことがあったので朝からカミさんと仕事の打合せをし、パソコンに向ってやるべき作業をこなし、途中夢工房に『キノコの鑑定』に赴いたりして、とても忙しかった。 |
| 2000年10月28日 日本シリーズが終了 |
| ダイエーホークスと読売ジャイアンツの日本シリーズが終わった。 長島巨人が王ダイエーに「4‐2」で勝った。 今日の試合で、「9‐3」の大差で負けているダイエーの首脳陣に悲壮感は見られず、試合の途中で時折笑顔で笑い合う姿が印象的だった。 同時に、観客席でハンカチのような布キレを振る読売新聞社主の醜い姿(だらしないシャツの着方で見ていられなかった)をテレビ画面は捉え、長島監督とカットバックでいわゆるお茶の間に放送していたが、一体どういうつもりなのかわからなかった。 知られざる両者の確執を見せたかったのだとしたら、相当面白いテレビ映像だったといわざるを得ないが・・・・。 |
| 2000年10月27日 芸能界と世間 |
| 筑豊という地域に住んでいると、インターネットに関係することで話している時、芸能界と世間とのずれと同じようなものを感じることがある。 知らない世界ということにおいて、あるいはマスコミの話題性において、今やインターネットの世界と芸能界は似ているといえる。 ただ、芸能界は限られた世界のことで知っていようが知るまいがたいしたことはないが、インターネットについてあまりにも無知でありすぎることは、将来大きな損失をもたらしてしまうと気がかりになる。 |
| 2000年10月26日 メルマガ発行 |
| メールマガジン『筑豊一番』を発行する日は大変である。 何が大変かというと、相変わらずページを作ったり、ページを探してきたりしないといけないからだ。 筑豊のインターネット環境の底の浅さを感じないわけにはいかない。あるいは、ある種の意図的な姿勢を感じ取ってしまう。 それは、毎週繰り返される。 |
| 2000年10月25日 蒸し暑い日 |
| 異様にというほどではないが、1日中蒸し暑く、車はクーラーをかけて走った。 野球の日本シリーズもサッカーのアジアカップも今日はお休みで、夜は気晴らしもないままただパソコンに向っていた。 野球やサッカーをテレビの前に座って見ないまでも、茶の間から聞こえる実況放送の声や時折ドリンクの氷を取りに行く時、煙草を吸いながらテレビの画面を見るとささやかな気晴らしが出来るのは確かだ。 明日は、野球もサッカーもあるはずだ。 |
| 2000年10月24日 トルマリン |
| 以前、パソコンのやり過ぎで上半身腱鞘炎になったことがある。 その時は、「株式会社 石水夢」さんのトルマリン関連製品で随分楽になったと日記で書いたが、今はトルマリンパウダーが入った腕輪を離せない。 その腕輪を、10月22日に田川のボクシング会場で坂本博之選手にあげたが、その後どうだろうかなどと思う。 僕の場合慢性的なパソコンのやり過ぎ状態で、今ではトルマリンにおんぶに抱っこという状態だが、坂本選手の場合は・・・・・。 |
| 2000年10月23日 終日雨が降る |
| 小雨だが1日中雨が降り続いた。 昨日は、鳥取からカミさんの弟夫婦が来ていて日記が書けなかった。 只今、ダイエー対巨人の日本シリーズ3戦目の最中であるが、巨人が「9対3」とほぼ試合を決めたところで日記を書いている。 雨が降っても試合があるドーム野球は、時に自分の気分とうまく同調しないことがあり、球場の盛り上がりと反比例するような今日はそんなちぐはぐな気分である。 |
| 2000年10月22日 丸山大輔5連続1ラウンドKO勝利を飾る |
| 今日は筑豊ボクシングジム主催の試合が田川市武道館であり、福岡の石田さんと一緒に観戦・取材にいく。 お目当てはバンタム級の丸山大輔選手の5連続1ラウンドKO勝利と、先ほど世界戦を闘った坂本博之選手であった。 丸山は見事に勝ち、坂本選手とも話すことが出来た。 勝った丸山選手が坂本選手のところに挨拶に行き、その時横にいて二人の会話をくことが出来たが、なかなか興味深いものがあった。 |
| 2000年10月21日 福岡へ |
| 久しぶりに福岡に行った。 キャナルシティのホテルで若い友人の結婚披露宴があったからだ。 知り合いは少なく、東京とも筑豊の飯塚ともまったく違う雰囲気で多少手持ち無沙汰だったが、インターネットだけで世間との関わりを維持している身にとってはなんとなく刺激になった。 奥様がテレビ局の現役のアナウンサーであり、その所為か美しい女性が多かったからだろう。 |
| 2000年10月20日 1日中小雨 |
| 肌寒く、1日中小雨で、鬱陶しい日だった。 なかなか面白いアイディアが出ず、人にそのアイディアの周辺の話をしても伝わるわけもなく、イライラしながら外に出たりパソコンに向ったりしていた。 ただ、夕食の席でちょっと面白いかなとアイディアが浮かんだ。 しかし、日記を後に回してこれからでも実行に移そうと思うと、ちょっとしたアイディアでしかなく、とても疲れきっていてやる気にはならない。 せめてもの救いは、書くサイトのアクセス数が堅調に伸びていることだ。 |
| 2000年10月19日 厳選か情報量の多さか |
| 今日、飯塚市の知らないIT関連の会社にふらりと寄って、小1時間ばかり無駄話をして仕事の邪魔した。 9月頃から看板が出ていて、ずっと気になっていたからだ。 情報の取捨選択をどうするかの問題は僕にとってとても大きな問題なので、ヤフーや地域検索・情報サイトの実際の例をあげながら、そんな話をぶつけてみようとした。 当然僕としては厳選情報をと思うが、ネット上の膨大な情報量を厳選することは極めて困難を伴い、見識もいるし、その会社がどう考えているかなどと聞いてぶしつけなことはなはだしい。 それなりにまとめたサイトもあるから、どの辺で妥協するかであろうか。 |
| 2000年10月18日 パソコンに向う |
| しばらく体調調整もあってパソコンをサボっていたが、昨日からメルマガの発行があったり、「筑豊一番」や「バナコン」のコンテンツを充実させる為に終日パソコンに向っていた。 ビジネスサイトを2つ管理・運営しているから、サボりは許されない。 これからは、インターネットと現実を上手に両立させるところが生き残ると考えている。 僕は評論家ではないから、考えを実現させなくては自分の存在価値がない。 だから、現実的に人にあって営業しながら、インターネットに力を入れなくてはならない。 こうして、キノコ採りや山芋掘りが制限される。 |
| 2000年10月17日 坂本博之選手が来る |
| 今日、筑豊ボクシングジムの井上会長から電話があった。 10月22日、田川市武道館で行われる第44回筑豊ジムチャリティボクシング大会に、坂本博之選手が来て筑豊のファンの皆さんに挨拶することが決まったということだ。 メルマガ、バナコン、筑豊一番と忙しくページを更新している時、筑豊ボクシングジムの更新も加わったということでもあるが、こんな嬉しい更新ならいつでも歓迎です。 |
| 2000年10月16日 気分転換 |
| 昨日、一昨日は気分転換の日であったが、今日は考え方の立て直しの日だった。 と、自分は思っていても、合い方のカミさんの意識は違っていたようだ。 カミさんは朝から冬物支度である。 こうなるとお互いの時間空間軸が大きく異なり、何にも進まなくなる。 こまごまとしたことをこなす事で時間を使いたくない僕は、1日中何もしたくないということで、T君に電話を入れて仕事の邪魔をしてしまった。 仕事の邪魔とは、Nホテルの喫茶店で13時半から18時ごろまで、コーヒーだけで、働き盛りの大切な大人の時間を消費させてしまったということだ。 |
| 2000年10月15日 今日は八木山方面に |
| 今日は若宮から八木山方面を攻めた。 同行者はカミさんと「KtoK TIMES」のお二人で、6ヵ所のポイントを回ったが、予想したより収穫は少なかった。 それでも小さなダンボール2個はいっぱいになった。 これで、今年のハタケシメジ採りは終わりにするつもりです。 |
| 2000年10月14日 手打ちそばをご馳走になる |
| 午前中からT君を誘って英彦山に行く。 勿論キノコ採りにである。 添田町では、鑑月焼中元寺窯元の藤本さんともちょっとご一緒し、近くの林道に入り込んだ。 ハタケシメジのほかにコガネタケなども採って、夕方には飯塚に戻って、飯塚市柏の森にあるうどんの「わかめや」さんで手打ちそばをご馳走になる。 ここのうどんはすべて手打ちうどんで美味しいが、手打ちのざるそばの味も格別であった。 |
| 2000年10月13日 ちょっとサボってキノコ採り |
| 昨夜は、えらく飲みすぎてしまってヘロヘロなので、ちょっとサボって近くの山にハタケシメジを採りに行った。 ハタケシメジは最盛期に入っていて、2ヵ所でダンボールの箱いっぱい採った。 大山で採ったナラタケと一緒に塩付にするつもりだ。 |
| 2000年10月12日 石水夢 |
| 福岡から石田さんがやってきて、小竹町の株式会社「石水夢」に一緒に行った。 石水夢は筑豊一番にバナー広告を掲載してもらっている大事なスポンサーで、トルマリン関連商品の製造・販売をしている会社だ。 バナー広告が掲載されてすぐ、大手空調メーカーから連絡があったという。 空調システムから出る水の浄化についての相談だそうで、取引が成立したらいいなと思う。 夜は、KtoKTIMESのKさんと飲む。 |
| 2000年10月11日 坂本博之選手が負けた |
| 今夜、ボクシングの坂本博之選手が、畑山選手との世界戦で負けました。 僕は素晴らしい試合だったと思いました。 僕はどちらが勝っても負けてもいいと思っていました。 初回から激しく打つ合う両者、坂本選手不安の左目周辺の出血、IT関連を含めての僕の立場・・・これらが錯綜する試合でした。 僕は、今年6月末に筑豊ボクシングジムでのトレーニングに数日間お付き合いし、坂本選手とも会話を交わして取材をした者として勿論坂本選手を応援していましたが、畑山選手の世界チャンピオンになってからの言動も見ていました。 マスコミやスポーツジャーナリストなどとは違う、僕独自の視点でこの試合を追ってきたつもりです。 今、試合の感想を言葉で聞かれたならばすぐにでも答えますが、インターネット上には軽く書けないというのが僕の今の心境です。 明日から、僕なりの視点でこの試合、この試合に絡まる人間模様、フィクションなどを含めてインターネットならではのニュースを提供していきたいと思っています。 |
| 2000年10月10日 背広を着込んだが |
| 4日間旅をしていたので、一気に気持ちを切り替えようとして背広を着てポイントを回ったが、出張、来客中、外出などさまざまな「言い訳」(決して言い訳ではないが)が返って来て、空回りに終わったようだ。 と言ったら、何やら趣味的な個人の嘆息に終わるところだろうが、現実はもっとリアルで面白い。 背広を着たまま家に戻って昼飯を食っていたら、U君から電話があり、Mさんからも電話で、忙しい1日となった。 成果は後日。 |
| 2000年10月9日 帰路 |
| 地震があっても、これまでのコースを変更したくなかった。 蒜山から大山に上り、ブナ林に入り込み、ナラタケを大量に収穫してから、震源地の日野町方面に向った。 被害が目立つ震源地にかかると、激しい雨が前も見えないほど降り続け、所々崖が崩れていたり、道路の地割れが入っていたりで、女房子供を抱えたものとしては緊張の連続であった。 4日間ほどパソコンから離れていて、少しは体調がよくなっただろうか。 |
| 2000年10月8日 法事 |
| 今日は、会ったことのない岳父の17回忌の法事だった。 余震はまだ続いているが、法事を午前中に終わって、午後からは親戚一同が集結して酒の席になった。 一昨日、僕らの鳥取への旅は、中国道六日市インターで高速道路を降り、日本海側の益田市、浜田市、大田市、出雲市、松江市、米子市を経由して、22時30分頃倉吉市に辿りついた。 途中、高速道路の閉鎖で一般国道へ車が流出しての渋滞を予想していたが、被害の大きい震源地へ向う車は少なく、出発から9時間あまりでカミさんの里に到着することが出来た。 |
| 2000年10月7日 鳥取県西部地震 |
| 今日は、余震が続く中を大山にキノコを採りに行き、ナラタケとブナハリタケを籠いっぱい採ることが出来たが、キノコのことよりも昨日の地震の続きを書いておきます。 昨日、僕らが「鳥取西部地震」と名付けられた大きな地震があったことを知ったのは、中国道に入ってからしばらくして、山口県を通り抜けて島根県に入る頃だった。 地震が起きてから1時間以上が過ぎていたことになる。 鹿野SAで地震の全体を把握しようとしたが、中国道及び山陽道の高速道路が閉鎖されていることが分かっただけで、後はNHKのニュースが境港や米子などの様子を知らせているが、僕らの進む道を教えてはくれなかった。 僕らは、震源地に向うつもりだった。 |
| 2000年10月6日 鳥取行き |
| 午後13時30分頃、鳥取県倉吉市に向かう僕らの車は、朝出来るだけ早く出発の予定が事情があってまだ直方市だった。 遠賀川にかかる橋の上で信号待ちをしていたら、車が大きくゆれた。 一瞬、後部座席に座っている娘に『車をゆするなよ!』といってしまったが、娘はちょこんと座っているだけだでゆすらした気配はなく、続いてカミさんのほうを向いたら「地震じゃないかなあ」と言った。 九州道から中国道に入ってしばらくしたら、随所に「50キロ規制」の表示が見えたが、まだそれが「鳥取県西部地震」のことだとは分からなかった。 |
| 2000年10月5日 明日から鳥取県倉吉市に行くので忙しい |
| 倉吉市にはカミさんの里が在り、明日から行く予定になっていてとても忙しかった。 愛車の車検切れと倉吉での法事が重なり、1日中すったもんだしているが明日も慌しい1日になりそうだ。 倉吉市には1年に2度ほど行く。 毎回、広島県庄原市までは高速道路で行って、後は大山を経由しながら倉吉市に至るというのがお決まりのコースで、途中の景色を眺めながらの旅はいつも楽しみである。 10月6日から10月8日までは、インターネットも開店休業である。 |
| 2000年10月4日 福岡から石田さんが来る |
| 今日は久しぶりに福岡から石田さんが飯塚にやってきた。 いろいろ打合せをすることはあったが、大きな可能性を秘めた「バナコン」の打合せとページの直しにかかった。 途中、小竹町にある「石水夢」を訪ねるなど他の打合せも入ったが、夜9時過ぎまで作業をやった。 せっかく「ヤフー」でいい所に推薦してもらい、アクセス数が順調に伸びようとしている時、初めての訪問者に幻滅を与えない為だ。 石田さん、お疲れ様でした。 |
| 2000年10月3日 筑豊ボクシングジジム |
| 今年の夏休みに、筑豊ボクシングジムのホームページ開設をきっかけに、「殴り合い塾」というものを始めた。 少年の犯罪が世間を騒がせる中のことで、新聞・テレビなどマスコミも好意的に取り上げてくれたが、筑豊の人が想像している以上に反響は大きかった。 共同通信の配送で、特に全国各地の地方新聞は、一面全部をカラーで特集してくれた南日本新聞や半ページを割いてくれた山梨新聞など、こちらの予想をはるかに超えるものだった。 近々、何かの形で発表しなくてはいけないと思っている。 |
| 2000年10月2日 豊前川崎郵便局発売の記念切手帳 |
| 10月1日付の西日本新聞筑豊版に、豊前川崎郵便局が同町出身のボクサー坂本博之選手(日本ライト級)に因んだ記念切手長を発売するという記事が掲載された。 坂本選手が10月11日に世界戦に挑戦することを記念してのことだが、恐らく同様な事例は他にもあるのだろうが、僕には新しい発見で、「こんなことが地方郵便局でもできるのか」という驚きに近い感想を持った。 カミさんがすぐに問合せの電話を入れたが、飯塚市で発売されるのは4日以降とのことだったらしい。 |
| 2000年10月1日 英彦山に行く |
| 昨夜までの雨が止んで、見事な秋晴れの朝だった。 午前10時ごろには暑いくらいの陽光のなか、カミさんと一緒にハタケシメジを採りに英彦山に行った。 絶好のキノコ日和といえた。 1日2日冷え込んだ朝があったが、まだ本格的な秋にはなっていないようだ。 英彦山も暑く、この季節には珍しく蛇を数匹目撃した。 飯塚に帰って、オオイチョウタケが出ているのではないかと思って八木山に行ったら、例年とは違う場所に真っ白い姿を出していた。 |
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