筑豊を知ることは 日本を知ることになる


自分では映画を作るようにして作った。

 映画のロケハン(シナハン)をするように筑豊を車でぐるぐる回りながら、取材から完成まで一年半をかけ、一切広告をとらずに作った。初版部数二万部で、せいぜい刷っても四・五千部が常識という業界にあって、『本屋のやる事ではない。映画屋のやる事だ』と福岡の出版社にあきれられた。販売定価を3,000円以内に設定したから、これくらい刷らないと合わないのです。


かつて筑豊は東京の山谷・大阪の釜ヶ崎とともに
『日本の三代吹き溜まり』と称された。

 筑豊にはわが国最大に筑豊炭田があった。24時間体制で石炭を掘り出す不夜城・筑豊は、約100年間にわたってわが国の石炭の半分以上を産出し続けて、日本の近代化を支えてきた。
 世界的なエネルギー革命とはいいながら、国の施策によって石炭産業は崩壊し、筑豊の炭鉱は次々と閉山に追い込まれ、数十万人ともいわれる人や家族がこの地を去り、高度成長期を迎えた日本の中で惨憺たる状況を呈した。
 人口50万人にも及ぶ地域と人口数千人のドヤ街とを比べる見識の無さは論外としても、筑豊の惨状は規模が大きいだけに深刻で、あらゆるメディアが”屍に群がる蝿のように”筑豊を取り上げた。
新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどマスコミはじめ、写真・記録文学・小説・映画・テレビドラマなど、大袈裟ではなくあらゆるメディアが”絵になる筑豊”をターゲットにした。ボタ山・煙突・廃墟となった巨大な建造物、誰もいない道を野良犬がさまよう炭住跡・・・筑豊はまさに絵になった。


この長い間のメディア攻勢によって、
筑豊はなすすべも無く人々の目にさらされてきた。

 そして今は、強烈な筑豊独特のイメージだけが残像として残り、そのマイナスイメージがもたらす影響は社会的・経済手にも及び、ついには人々から忘れ去られようとしている。このような筑豊の今日的状況の中で、僕にできることは何か?と自分に問い、この問いに対する一つの答えが、『筑豊原色図鑑』という一冊の本です。

 
『筑豊を知ることは、日本を知ることになる』と
考えて作ったものでもあります。

 そうなっているかどうかは読者の判断に任せるしかありませんが、発刊以来筑豊のイメージを一変させる出来映えだという評価をもらっており、今はできるだけ多くの人にこの本の存在を知ってもらうように努力してゆかねばならないと考えています。