|
かつて筑豊は東京の山谷・大阪の釜ヶ崎とともに
『日本の三代吹き溜まり』と称された。
筑豊にはわが国最大に筑豊炭田があった。24時間体制で石炭を掘り出す不夜城・筑豊は、約100年間にわたってわが国の石炭の半分以上を産出し続けて、日本の近代化を支えてきた。
世界的なエネルギー革命とはいいながら、国の施策によって石炭産業は崩壊し、筑豊の炭鉱は次々と閉山に追い込まれ、数十万人ともいわれる人や家族がこの地を去り、高度成長期を迎えた日本の中で惨憺たる状況を呈した。
人口50万人にも及ぶ地域と人口数千人のドヤ街とを比べる見識の無さは論外としても、筑豊の惨状は規模が大きいだけに深刻で、あらゆるメディアが”屍に群がる蝿のように”筑豊を取り上げた。
新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどマスコミはじめ、写真・記録文学・小説・映画・テレビドラマなど、大袈裟ではなくあらゆるメディアが”絵になる筑豊”をターゲットにした。ボタ山・煙突・廃墟となった巨大な建造物、誰もいない道を野良犬がさまよう炭住跡・・・筑豊はまさに絵になった。
|