* * *
「―――――――――……!」
びくっと体がはねる。
「……日下………だな」
すばやく腕時計を見てから、笹目さんは僕に視線を合わせた。
「…どうする、まゆ。日下を部屋に入れてもいいか?」
「……………………」
「嫌なら俺が出て行って事情を説明するけど」
「………顔……腫れてますよね………泣いたってわかりますか…?」
「うーん、わかるなぁ、これは」
「……じゃあ、会えないです……」
泣き顔を見せたら先生に心配をかけてしまう。
笹目さんは「了解」と言って、ドアに向かった。僕はドアから見えないようにベッドの隅の方に移動してひざを抱えた。
ガチャ。
静かにドアが開く音。
「……真雪は?」
(先生………………)
「もう寝てる。よく寝てるから起こさないほうがいいな」
「…顔だけ見ていく」
(えっ………)
慌てて僕は隠れる場所を探した。けど、隠れる場所なんてあるわけないし、第一、寝ているはずの僕が消えてしまうわけにもいかない。
(どうしよう……)
先生が入ってきて僕を見たら、せっかくの笹目さんの嘘がばれてしまう。
「明日にしろって」
「―――――――――――――」
しばらくの沈黙の後、
「……なにかあったな?」
先生は低い声で言い、笹目さんを押しのけて部屋に入ってきた。
「!」
僕は隠れるまもなく先生に見つかってしまった。
「……あのっ…………」
「――――――――――――」
僕の顔を眉間にしわを寄せて見つめた後、先生は笹目さんをにらみつけた。
「何をした?」
「落ち着けよ、日下」
「こいつに何をしたんだ?」
「!」
ぐいっと笹目さんの胸倉をつかみ、先生は声を荒げた。
「おまえが泣かせたのか!?」
「ま…待ってくださいっ…………」
慌てて僕は先生の腰にしがみつく。
「なんでもないんですっ!笹目さんは関係ないですっ!やめてください!!」
「―――――――――――――」
切れ長な先生の瞳が僕を見下ろす。僕は必死に先生の体を引っ張った。
「………」
すっと先生の腕が下りる。思いきりシャツをつかまれた笹目さんは、はぁ、と息をはいて襟を直した。そして、先生にしがみついたままの僕を心配そうに見た。
「……まゆ、俺はいたほうがいいか?」
「―――――――――――……」
ちらりと先生を見上げる。
そして、僕はゆっくりと首を振った。
「…大丈夫です」
「じゃあ……何かあったら呼べよ。俺は部屋に戻ってるから」
そういって笹目さんは出て行った。
「―――――――――――」
不機嫌そうな表情でその姿を見送った先生。
僕はその先生からそっと両腕を離した。
「真雪、どういうことなんだ?」
外から帰ってきたままのコート姿で先生が問う。ホテルについてすぐに僕の部屋へきてくれたのだ。
(笹目さんがいってた「唯一甘い顔をする人間」っていうことなのかもしれない……)
僕はずっと先生は誰にでも同じように接しているのだと思っていたから、気づけなかった。先生が僕を「特別」に扱ってくれているってことに。笹目さんの言うとおり、先生は誰にでもこんな風にやさしくするんじゃないのかもしれない。
(僕だけ……だったら、うれしい)
自分の大好きな人が、自分を大切にしてくれてるなんて。
「真雪?」
何も答えない僕に、先生は怪訝そうにまゆをひそめた。
「目が腫れてる……泣いたあとだろう?」
先生の手のひらが、そっと僕の両頬を包む。
「笹目と何かあったのか?」
「違います……笹目さんは、ただ、話を聞いてくれていただけで…………」
「話?」
「………………先生とのこと……」
「――――――――――…」
先生の目がちょっとだけ丸くなった。
「笹目に何を?」
「僕……笹目さんが、僕と先生とのこと知ってるって知らなくって………」
「………俺もあいつに言った覚えはないが」
「えっ、でもっ……僕の誕生日の後の…ことも、笹目さん、知ってましたよ?」
「――――――――――」
先生は眉間に縦じわを寄せて腕を組んだ。
「あいつは勘がいいから……なんとなく気づいていたことを真雪に確認したんだろう」
「!そうなんですか………」
先生が笹目さんに話したわけじゃなかったんだ。でも、僕や先生は、傍から見ると、「そういう関係」に見えるんだろうか?それとも、笹目さんが鋭いだけなのかな?
「―――――で、あいつと何を話したんだ?」
「――――――――――――」
「こんなに目が赤くなるまで泣いて………」
「だって………先生が部屋に入れてくれないんですもん……」
「は?」
先生は僕の言葉が理解できない、というように首をかしげた。
「家にいるときも、こっちに来てからも、先生、全然僕を部屋に入れてくれないじゃないですか…!?」
「―――――――?」
困惑したように先生が僕の顔をのぞき込む。
「部屋に入りたかったのか?」
「そうじゃなくてっ………」
ああもう、先生は笹目さんの言うとおり、鈍感でぶっきらぼうだ。
僕はどんどん頭に血が上ってきた。
「僕は……先生に抱いて欲しかったんですっ…………!」
言った。
その瞬間に、ぱちん、と頭の中のストッパーが外れた。と同時に、涙がぼろぼろとこぼれだした。僕はそれをぐいっと拭い、先生を見上げた。
「僕は先生とずっと一緒にいたいし、いつもそばにいたいんです!キスだってもっともっとしたい!」
「――――――――――――――」
「わがままですか?でも、先生は忙しくてほとんど家にいられないし……だから、せめて家にいる間はずっとくっついていたいんです!もっと触れて欲しいんです!」
ぼたぼたと大きな涙の粒がカーペットに落ち、吸い込まれていく。
「こんな風に思うの、僕だけですか?先生に触りたくて気が変になりそうになるのは、僕がおかしいからですか?それとも……先生は僕のことなんか好きじゃないんですか?こんなこといわれるの、迷惑だって思ってるんですか!?」
「真雪……」
「先生よりも笹目さんのほうがずっとずっとやさしいです……でも、笹目さんじゃ駄目なんです!僕は先生にやさしくしてもらいたくて………そばにいて欲しくて…………」
苦しくて。悲しくて。
他の誰にも埋められない穴。
「先生……………」
先生だけしか、いらない。
他の何を失っても、先生だけが欲しい。
止まらない涙を乱暴に拭っていた腕が、そっと押さえられた。そして僕はゆっくりと先生の胸に抱きしめられていた。先生がよく着ている黒いコート。ところどころに解けた雪が水玉になってくっついている。
「………迷惑なんかじゃない」
「………………」
「抱かなかったのも、おまえが好きじゃなかったからじゃない。おまえを傷つけたくなかったから、もう少し大きくなるまで待とうと思っていただけなんだ」
「傷…………」
「誕生日の夜、傷……ついただろう?」
(あ………………)
そう。
はじめて先生とセックスした後、出血してお尻がずきずきと痛かったんだった。
「おまえはまだ中学生だから……」
「でも……僕は知ってしまいました………」
痛みよりも、貫かれる幸福に酔うということを。先生に抱かれる満足感を。
一度知ってしまったら、二度とは戻れない、天国。セックスのときだけは、先生は、本当に僕だけのものになってくれるから。
「そう…だな………あの時、おまえを抱かないほうがよかったのかもしれないな…」
「違います!僕は先生に『そう』して欲しかったんです!ずっと………!今も………」
「おまえはまだ幼い。恋愛で頭がいっぱいになっているだけだ」
「先生のことで頭がいっぱいになるのは変なんですか!?先生としたいって思うのも?じゃあ、いつまで待ったらいいんですか?また三年?それとももっと?」
「真雪…………」
「でも、もう僕は待てません!もう自分を止められません!先生に触りたいし、セックスもしたいんです!!」
その瞬間、僕は先生のくちびるに口をふさがれていた。
「!?」
いきなりの出来事に驚いて、先生にしがみつく。ショックで涙も止まってしまった。
「俺は……」
ほんの少しだけくちびるを離して先生がささやく。
「おまえを傷つけないように…壊さないようにすることが、おまえを大切にすることなんだと思っていた。でも、違うんだな?」
「はい…………」
傷ついたっていい。
先生のそばにいられるのなら。
「おまえを部屋に入れなかったのは、自分の理性に自信がなかったからだ」
「え………?」
「おまえと同じ部屋にいたら、手を出してしまいそうだったから」
ふっと先生の口元が緩む。
「つまり、俺もおまえを抱きたかったってことだよ」
「――――――――――――!」
そして、もう一度キス。
今度はくちびるの間から先生の舌が入ってくる、大人なキスだった。
長い長いキスを交わして、僕と先生は見詰め合った。
「すまなかったな、真雪。気づいてやれなくて」
その言葉に、止まっていた涙が再びこぼれだす。それを指でそっと拭い、先生は僕のまぶたにキスをした。
「泣くな。それ以上まぶたが腫れたら目が開かなくなるぞ」
「だって…………」
僕の思いが一方通行じゃなかったってわかって、うれしいんですもん。
ごしごしと涙を拭っている僕の横で、先生がコートを脱ぎ、ドレッサーに放った。そして僕を軽々と抱き上げると、ベッドの上に横にして、のしかかってきた。
「えっ……あのっ……っ…」
いきなりの展開に顔が赤くなる。
「まゆがいいって言ったんだろう?」
(あ、久しぶりに「まゆ」っていってくれた)
そう思った瞬間に、先生は僕のセーターの下へ手を差し込んだ。
「っ!」
びくっと僕が身を引くと、先生がくすくすと笑った。
「これがさっきまで俺を誘っていた奴か?」
「誘うだなんて……」
してない………いや、したかな?セックスしたいなんて言っちゃったんだし。
「やめるか?」
「!」
ぶんぶんっと首を振ると、先生は笑ってキスをしてくれた。僕は先生の首に腕を回してぎゅっと目を閉じる。どきどきいう心臓が口から飛び出しそうだった。
NEXT →
← BACK
|