* * *
ベッドに座ってぼんやりしていると、コンコン、とドアがノックされた。
「まゆー、大丈夫か?」
笹目さんの声。
僕はちょっと悩んでから、ドアへ向かった。
金色の大きな鍵を開け、そっとドアを開ける。隙間からすばやく周囲を見回したけれど、そこにいたのは笹目さんだけだった。ちょっとほっとする。今は、先生に会いたくない気持ちだった。会ったら、泣いてしまいそうだったから。
「具合、どうだ?」
背中を丸めて僕と視線をあわせ、心配そうに笹目さんがいう。
「まだ顔色悪いなぁ。どうしたんだろうな」
「………………」
「そういえば、おまえ、こっち来てからあんまり元気なかったもんなぁ。ずっと体調悪かったのか?」
「いえ……………」
そうじゃないです、と口の中でいう。
先生の気持ちがわからないからなんです。
これは心の中だけでつぶやく。
「だいじょうぶです。すみません、心配かけて……もうコンサートは終わったんですか?」
「いまはあと片付けと…打ち上げの時間だな。でも、まゆの調子が悪そうだったから、俺だけ抜けさせてもらってきた」
「じゃあ先生は…」
「遅くならないと戻ってこないよ」
「そうですか……」
じゃあ、今晩は先生に会わないですむ。でも、明日は絶対に会わなきゃいけない。どうしてこんなに不安になってしまったんだろう。初めて先生に告白してからの三年間みたいに、どうして信じていられなかったんだろう。あのころは、先生がどんなに冷たくても素っ気なくても、先生のことを「好き」だといえたのに。今の僕は、先生の気持ちがわからなくて、こんなに揺らいでしまってる。
うつむいて無言の僕をしばらく眺めた後、笹目さんはぽんと僕の頭に手を置いた。
「悩み事か?」
「!」
まるで僕の心の中を見透かしたみたいに、笹目さんは僕の頭をなでた。
「ひょっとして、日下のことか?」
「――――――――……!」
どうして?
驚いて目を丸くした僕に、笹目さんは微笑んで見せた。
「……まゆはあいつと寝たんだろう?」
「っ…………」
(えっ………………?)
反射的に頬が熱くなった。
「どうして………」
「…日下から聞いたんだ――――――中、入ってもいいか?」
「………はい…………」
僕と笹目さんは並んでベッドに腰掛けた。
「まゆが日下と付き合ってるのは知ってる。実は、おまえが三年前に日下に告白したっていうのも知ってるんだ」
「そう……だったんですか………」
僕と先生のことを知っている人―――――――――
隠さなければいけないものだと思って、誰にも話せないでいたけれど、笹目さんになら話してもいいのかもしれない。
「先生………僕のこと抱いてくれたのは……一回だけ、なんです…………」
「―――――――――」
「それだけでも僕はうれしくて……先生に好きになってもらえたって思ったんです。だけど………」
先生はそう思ってなかったのかもしれない。
知らないうちに、ひざにおいた握りこぶしに力が入った。
「先生はほとんど家にいないし、たまに帰ってきてもほとんど話す時間もなくて………北海道に来てからも、先生はふたりきりにはなってくれなくて……部屋にも入れてもらえなくて………」
僕はできることならいつだって先生と一緒にいたいって思ってる。でも、先生はそうしてくれない。勇気を出して「先生の部屋に行きたい」といっても、「明日も早いから」と断られるばかりだった。会話も、今までと全然変わらなくて、好きともいってもらえなくて、僕はどんどん不安になって、どうしていいのかわからなくなって―――――――
「まゆ…………」
「先生…僕のこと好きじゃないのかもしれないです…」
「それはないぞ」
「でも………僕は先生のこと、わからないです…………」
一生懸命こらえていた涙がこぼれ落ちた。一度流れ出すと、涙は後から後から頬を伝っていった。
「どうしたら先生に好きになってもらえるんでしょう?」
「まゆ……」
「僕が大人になったらいいんでしょうか?先生につりあうぐらいのピアノが弾けるようになったら?もっとセックスがうまくなったら?――――先生が僕を見てくれるのなら、なんだってします…」
「日下はちゃんとまゆのことが好きだよ」
「そんなの、わからないです」
ぶんぶんと首を振る。
「先生は僕のことなんて見てくれないです」
声が震えた。
(先生……………)
あの三年間、僕はどうしてあんなに強くいられたんだろう。先生に好きになってもらえるかどうかわからないのに、どうして三年も待っていられたんだろう。あのときみたいな強さが欲しい。一度先生のぬくもりを知ってしまった僕は、こんなにもろくなってしまったから。
「……日下は口下手だからな……大事なことも口にださないから、だからきっとまゆが不安になってるんだろうな」
「………………………………」
「あいつはまゆのこと、大切に思ってるよ」
「……先生、誰にでもやさしいから………」
「やさしいぃ?」
ぷっと笹目さんが顔を崩す。
「あいつがやさしかったら、世の中神様みたいな人間ばっかりになっちまうぞ。あいつがやさしいのはまゆにだけ。俺には鬼のように冷たいからなー」
「でも、先生、笹目さんのこと、信頼してます……」
「ま、付き合い長いからな」
「きっと僕より笹目さんのほうが……大切なんです……」
「まゆ……………」
困ったなぁ、というように笹目さんは僕の髪をかき混ぜ、僕を抱き寄せた。
「とりあえず泣きたいだけ泣いて、いいたいことは全部いってしまえ。溜めとくといいことないからなぁ」
やさしい声でささやかれて、僕は笹目さんにしがみついた。
「――――――――………」
そのまま、僕は笹目さんの広い胸に顔をうずめて泣いた。その間、ずっと笹目さんは背中をさすってくれていた。まるで、いつか見た夢の中の人のように。
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