* * *

 

 

 風の音にカタカタとゆれる窓。

 時折、笛のように甲高い音を立てるつむじ風。

 ひとりでいるときだと怖いけれど、この腕の中なら、安心する。

「あきちゃん」

 呼ぶと、いつでも「なんだ?」というように僕を見てくれる、真っ黒な瞳。それを確認して、僕はまた眠りに落ちる。しあわせな瞬間―――――――

 

 

 

(―――――そうだ)

 いつのまにか明かりが消えていた部屋の中で、僕は目を開けた。

 窓の外はふぶいているらしく、ときどき窓ガラスが音を立てている。でも、部屋の中は寒くない。僕は、大好きな人に抱きしめられているから。

(あの夢………)

 前にも見たことがある、夢。

 風の音が怖くて誰かにしがみついていた夜。僕をやさしく抱きしめてくれた「誰か」。

(「あきちゃん」って―――――)

 先生。

 先生のことだ。

 日下昭生の「あき」で、「あきちゃん」。

「……どうした?」

 目を覚ました気配に気づいた先生が、僕の髪をなでる。

 ――――――そう。夢の中の人も、いつもこうやって僕のそばにいてくれた。

「夢……見てたんです……小さいころの夢」

「夢?」

「どこかのロッジみたいなところにいて……風の音が怖くて………」

「…近くにいた従兄弟に抱きついて、泣いて?」

「やっぱり!あれ、夢じゃないんですね!?」

「やっと思い出したな」

 顔を上げると、先生がやさしく笑った。ものすごく近い先生の顔に、少しドキッとなる。

「もう10年くらい前…か。俺と真雪はお互いの両親に連れられて北海道にきたんだ。そして、大人がコンサートに行っている間に天候が崩れて、帰ってこれなくなって、俺と真雪だけで夜を越さなきゃいけなくなった」

「……覚えて…なかったです」

「おまえは人見知りがすごくて、最初は俺に近づきもしなかったんだ。でも、独りになるのはいやらしくて、結局、俺の後をついて歩いてた。夜は夜で風が怖いって泣くから、家中の電気をつけて寝たな」

 そう。先生は、怖がりな僕のために、寝ないで僕の面倒を見てくれた。いつ目が覚めても「だいじょうぶだよ」っていうために。それは覚えてる。

「おまえは小さかったから、覚えていなかったのは仕方ないのかもしれないが、次に会った時おまえに『はじめまして』っていわれて、少しむっとしたな。あんなに世話したのに、って」

「ごめんなさい……」

 だからなのかもしれない。

 家のピアノレッスン室で先生と初めて……ううん、再会したとき、先生が不機嫌そうだったのは。

「もう忘れるなよ」

 ぽんぽん、と先生の手が軽く頭をたたく。僕はうなずいて、先生の裸の胸に顔を寄せた。温かくてさらりとした肌。僕よりもずっと厚い胸。

「好きです………」

 つぶやいたくちびるに、先生がキスをくれる。もう何度も交わした大人なキス。だけど、何回しても僕をドキドキさせるキス。

 きっといつまでたっても、僕は先生のキスにドキドキしてしまうんだろう。くちびるが触れた瞬間のその熱さ、早い動悸、そしてとろけるような感覚。そういうものを、いつまでも感じていたい。そして、これからもこんなふうに、先生と一緒にいたい。キスをして、抱きしめあって、いっしょのベッドで眠りたい。いつまでも……

 

 

「…おまえら、いつまで部屋にこもっている気だぁ?」

 笹目さんからそんな電話がかかってきたのは、30分前。

 遮光カーテンの閉まった薄暗い部屋にいた僕は、今が何時なのか、笹目さんと別れてからどのくらいたっているのか、まったくわからなかった。

 笹目さんの電話でたたき起こされた僕は、少し前から起きていた先生といっしょに服を着替えた。カーテンを開けてみると、明るい光がさぁっと射し込んできた。外はいいお天気で、太陽の光からすると、たぶん午前中……だと思う。久しぶりの日の光が目にまぶしかった。

 廊下に出て、斜め向かいの笹目さんの部屋のドアをノックする。すぐに中から笹目さんが顔を出し、あきれたように僕と先生をながめた。

「おまえらなぁ…いつまで部屋にこもってるんだ?せっかく北海道にいるってのにもったいない」

 確かにそうだ。

「おまえたちが部屋から出てこないから、俺は勝手に観光したけどな」

「そうなんですか」

「ご丁寧に部屋のドアに『Do not Disturb』のフダも出てたしなー。邪魔するなって言われたら、仕方ないし、独りであちこち回ってきた」

 そんなの、いつ出したのか僕は知らない。

 きっと、僕が寝ている間に先生が出しておいたんだろう。

「でもな、さすがに今日は出てきてもらわないと困るから、電話したってわけ。邪魔して悪かったなー、まゆ」

「え?」

「『日下といっしょにいたかったのに』って顔に書いてあるぞ?」

 笹目さんはかがんで僕に目線を合わせ、にやにやと笑った。

「笹目」

 そんな僕と笹目さんの間に腕をはさんで、先生が笹目さんを静かににらむ。笹目さんは僕を見て小さく肩をすくめた。

「急に嫉妬深くなったな、こいつ」

「笹目」

「あーはいはい、じゃ、事務連絡をさっさとやってしまうぞ。ここのチェックアウトは11時。そろそろにもつまとめておけよ。飛行機は4時20分。あんまり時間がないけど、空港の近くなら観光できるかな」

「飛行機………?」

 ずっと部屋の中にいたせいで、時間の感覚が怪しい。

(コンサートがあったのが24日で…)

 その夜から先生と一緒にいて、今日が帰る日だとすると………

「え…今日、27日…ですか!?」

「そうだよ」

(じゃあ、僕、3日も先生の部屋にいたんだ……!)

「おまえたち、よくそんなに部屋にこもってられたなぁ」

 やれやれ、というように笹目さんがため息をつく。

「観光地に来て、朝飯も昼飯も晩飯も独りで食べるのはかなりさみしかったぞー?」

(気づかなかった……)

 ベッドで起きたり眠ったりを繰り返していたので、おなかがすいた感じはなかった。備え付けの冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターは何度か飲んだけど。何も食べずに3日もすごしたことなんて、初めてだ。

(不思議…………)

 薄暗い部屋の中で、先生に抱きしめられているだけで、僕はおなかいっぱいだった。暖かくて、しあわせで、空腹を感じる隙間がなかった。

 ちらっと先生のほうを見上げると、ちょうど先生もこちらを見た。

 視線を合わせて、わずかに微笑みあう。

 そんな僕たちを見て、笹目さんは天井を仰いだ。

「あー、もー、二人の世界を展開するのはとりあえずそのくらいにして、今日の昼飯はうまいもの食べに行こうぜ」

 

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ………

 規則的なエンジン音と、小さな揺れ。

 飛行機のゆったりとしたシートに身を預け、僕は眠っていた。

「―――――――――――」

 小さく身動きをしたときにずれた毛布を、隣に座っていた先生がそっと直してくれた気配。僕はまだ眠っているふりをしながら、そっと先生の肩にもたれた。暖かくてちょっと硬い先生の二の腕に額を寄せる。

「……すっかりできあがったな、おまえら」

 笹目さんの声。

 笹目さんは先生の向こうに座っているから、少し声が遠い。飛行機の中だから、声を潜めているのかもしれない。

「あのまゆがあそこまで爆発するとはなぁ」

 ……恥ずかしい。

 笹目さんには泣きついてすがりついて、散々な姿を見せてしまったのだ。

 かぁっと顔が熱くなる。

「おまえがはっきりしないから悪いんだぞ。だからまゆが思いつめて…」

「わかってるよ」

 先生の目がこちらを向いた気配。

 僕はあわてて毛布に顔を埋める。

「もう逃げるのはやめた。逃げても逃げられるものじゃないってわかったしな」

「まゆは見た目によらず頑固だからな」

 ……それってほめられてるんだろうか?

「まゆのこと、本気なんだな?」

「―――――――あぁ」

(――――――――っ……)

 うれしい。

 毛布のかげで僕はにやけてしまった。

 しばらくの間が合った後、いつになく真剣な笹目さんの声が聞こえた。

「…まぁ、いざってときの覚悟はしとくんだな」

(―――――――覚悟?)

 覚悟って、何の覚悟だろう…?

「……わかってる」

 先生は低い声で答え、それでふたりの会話は途切れた。

 戻ってくる機械の音。

 しばらくの間、僕はいろいろなことを考えていたのだけど、いつのまにか、再び眠りの底へと落ちていった。

 先生のぬくもりを感じながら眠るしあわせにひたって。

 いつまでもこんな日が続くことを信じながら――――――――――

 

 

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end...

 

モドル