Tempest テンペスト






「うっわっ!何このスケジュールっ!!」

 お昼休み、購買で買ったサンドイッチをくわえたまま、東堂が後ろに倒れた。いいお天気だったから、外の芝生の上でお弁当を食べていたので、東堂は大の字になって寝ころんでいる。僕はそんな東堂の手からプリントをとり、目を走らせた。

「・・・うわ、ほんとだ、すごいハードスケジュール・・・・・・」

 それは、運営委員会の会議スケジュール表だった。ほぼ毎日、放課後に会議の予定が入っている。それも、4月中いっぱい。

 運営委員というのは、毎月、高等部の各クラスから数名代表を決めて行われるミニコンサートの運営をする委員だ。東堂は今日の午前中の委員選出で、ジャンケンに負けて運営委員になったのだ。

「こんなの・・・いつピアノの練習しろっていうんだよ〜・・・」

「授業終わったらすぐに会議で・・・6時まで・・・・・・ピアノレッスン室は6時半までだから、30分しかピアノひけないね・・・」

「あー、人の演奏の準備して、自分の勉強できなくなるなんてっ」

「確かにきついね・・・・・・でも、ほら、5月以降は会議、週に一回くらいに減ってるし!今月さえがんばればなんとかなるよ!」

「あー・・・・・・・・・」

 空を仰いだまま、東堂はため息をついた。

「まゆとも連弾できなくなるなー」

「レッスン室で待ってるから、会議終わったら練習しよ」

「30分だけだろー。あー、もう最悪っ!なんでジャンケン負けたんだろーっ」

 

 

 

 

 その放課後、早速東堂は会議にかり出されていった。僕はひとりでピアノレッスン室へ向かう。

 ピアノレッスン室は、教室とは別の棟になっている。この棟は建物全体が器楽演奏用の造りになっている。防音が完全にされていて、他の部屋を気にすることなく練習ができるようになっていた。1階は室内楽用の大演奏室がひとつ、カルテットサイズの練習室が6つ、そして各部屋にピアノが一代ずつおかれた個人レッスン室が20ある。4階建ての各階にこういった練習室があるのだけれど、僕は1階の角の練習室を選んだ。ここなら窓の外から東堂の姿を見つけやすいからだ。

 レッスン室のドアを閉めて、ピアノの前に向かう。だけどすぐに立ち上がって、僕は窓を少し開けた。窓を開けると、春の風と一緒に様々な音が飛び込んでくる。天気がいいせいか、窓を開けて練習している人が多いらしい。ピアノ、弦、管、歌・・・さまざまな音が、思い思いに響いている。

(先生、どうしてるかなぁ・・・・・・)

 かばんの中の、手帳に書いた先生の番号を思い出す。電話してみようかと思ったけれど、先生に会ってしまったら、東堂を待っていられなくなってしまいそうだったからやめた。

(家に帰ったら会えるんだもん)

 これから1ヶ月。

 先生は家にいてくれるっていっていたんだから。

 うれしくてついにやけた顔を引っ張っていると、「まゆー」と声がかかった。

(東堂?)

 ぱっとそちらを向くと、にこにこ笑った長身の影がのんびりとこちらへ歩いてきた。

「・・・陽路?」

「おう」

 彼はにこにこと笑って窓の外へ来た。

「何?ここ、練習室?」

「知らなかったっけ?」

「あるってのは聞いててんけど、場所はしらんかった。へぇー、けっこう広いやん」

 窓から中をのぞき込む。

「まゆは練習?」

「うん、東堂が・・・友達が委員会だから、それ待ってる」

「じゃ、それまでひまやな」

「?」

 陽路は部屋の中にいるせいで彼よりも背の高くなった僕を見上げ、にっと笑うと、窓枠を乗り越えて練習室へ入ってきた。背の高い陽路は器用に足を曲げて、軽々と窓枠を乗り越えた。

「俺と遊ぼー」

 陽路は部屋の隅に予備の椅子を見つけると、それを引っ張ってきて僕の横に座った。

「連弾やろーや。連弾」

 ピアノの上に置いてあった、誰かの忘れ物の楽譜をめくりながら弾んだ声で陽路がいう。うきうきと楽しそうにしている陽路を見ていると、僕までつられて微笑んでしまった。

「何かいい曲ある?」

「うーん、クラッシックばっかりやなぁ」

「クラッシック、嫌い?」

「別に嫌いじゃないけど、授業で嫌っていうほど弾いてるやんか。放課後ぐらい違う曲がええかなぁって」

 言いながら、陽路が指を鍵盤の上で走らせる。節々の大きなしっかりした手だ。

「今の曲、何?」

「"What's It Gonna Be"。Mr.BIGの曲。いまうちのバンドでやってんねん」

「バンド・・・・・・・・・?」

「そ。俺、こっちきてからバンド始めてん。もうライブもやってんねんで」

「ピアノ弾いてるの?」

「ほんまはそうしたいんやけど、ステージ狭くって置けへんから、キーボード」

「・・・・・・でも、普通のピアノに影響あるんじゃない・・・?」

「影響?」

「クラッシック以外の音楽に耳が慣れると、クラッシックが弾けなくなるって・・・」

「誰が言うたん?」

「先生・・・・・・・・・」

 この「先生」は学校の先生のこと。学校の先生方はみんな、クラッシック以外の音楽は「害」だというから。

「そんなん考え方の違いやろ。俺は逆に解釈が広がってええと思うけど。まゆはどう思うん?」

 切れ長な瞳が僕を見つめる。僕は少し考えてから、ゆっくりと答えた。

「・・・いいと思う」

 うん。クラッシック以外の音楽を弾くのは、たぶん悪くない。だって。

「僕の先生もいろいろ弾いてるし」

 今度の先生は、僕の好きな人のほう。

 先生は、ジャズも弾くし、ポピュラー音楽も弾く。クラッシックではない仕事も受けているし、僕のレッスンの合間にたまに弾いてくれた曲も洋楽だったり映画の曲だったりした。

「先生?まゆの先生って誰?俺の知ってる人?」

「あ、僕、一緒に住んでる従兄弟に教えてもらってて・・・・・・日下昭生っていう・・・・・・」

「知ってる!日下昭生!ここの大学におるってのは聞いてたけど、まゆの従兄弟だったんや。まゆ、あの人のレッスン受けてるなんてええなぁ」

 先生をほめられると、僕も嬉しい。自然と顔がほころんでしまう。

 そうこうしているうちに、いつのまにか6時を過ぎていたようだった。

 ふいにバタバタバタと足音が近づいてきて、勢いよくドアが開いた。

「まゆっ、ごめん、遅くなって!」

 現れたのは、息を切らせた東堂。

「委員会、長引いちゃって・・・・・・」

 言いながら東堂は僕の横に視線を移し、陽路を見つめた。

「?」

 誰だろう?という目に、陽路がにっこり笑って答える。

「俺、まゆと同じクラスの北見陽路。太陽の陽に道路の路でヒロ。そのうち体育とかでクラス合同になったらよく会うようになると思うんでヨロシク」

 一息でそう言うと、陽路は立ち上がって僕の肩をたたいた。

「友達来たし、俺、行くわ。また明日なー」

 にこにこっと笑って、陽路は、入ってきたのと同じく窓枠を越えて出ていった。

「誰?あれ?」

 東堂がさっきまで陽路が座っていた椅子に腰を下ろす。

「陽路。席が隣なんだ。関西からきたんだって」

「関西・・・あー、なんかそういうウワサ聞いた。関西からめちゃくちゃうまい奴が来たらしいって。あいつのことかなぁ」

 そういえば長い間ピアノの前に座っていたけれど、僕も陽路もほとんどピアノにさわらず、しゃべってばかりだった。授業でもまだピアノの実技はなかったし、陽路のピアノがどんなものなのかまだ知らなかった。

「・・・まいっか、時間少ないし、なんか弾こーぜ、まゆ」

「うん」

 僕は東堂がかばんから出した楽譜をめくりながら、陽路のピアノを聞いてみたいな、と思っていた。

 

 

 お父さんとお母さんにおやすみを言うと、僕は自分の部屋ではなく、先生の部屋へ向かう。それが最近の日課だ。先生は夜遅くまで起きて楽譜をよんでいたり、ピアノを弾いていたりする。僕はその音を聞きながら先生のベッドで眠る。

「今日は夜更かししてるな」

 めずらしく、日付が変わってもベッドに入らない僕に先生が笑う。

「なんだか眠くないんです」

 ピアノの前に座っている先生の首に後ろから腕を回す。

「子守歌弾いてください。そしたら眠れるかもしれないです」

「・・・・・・・・・何がいいんだ?」

 優しい先生の言葉に顔がほころぶ。

「ええと・・・・・・・・・ゴールドベルグがいいです」

「ゴールドベルグ?」

 曲名を聞いて先生が苦笑いを浮かべる。

 ゴールドベルグ変奏曲は、全ての曲を演奏すると1時間近くかかる長い曲なのだ。バッハが不眠症に悩む人の隣の部屋で弾いていたというこの曲は、主題が変化しながら静かに続いていく。

「全部聞きたいです」

「・・・寝ないつもりか?」

「全部聞いたら寝ます」

「じゃあ、グールドのゴールドベルグだな」

「・・・・・・!駄目です!すぐ終わっちゃう」

 グールドというピアニストは、ゴールドベルグをとても速く弾いたのだ。CDでしか聞いたことないけれど、彼のピアノは飛ぶように「子守歌」を奏でていた。先生のピアノを長く聞いていたいからこの曲を選んだのに、そんなに早く終わってしまうのはもったいない。

 慌てた僕の様子を先生は面白そうに眺めていた。そして僕の頭をなでると、

「ベッドに入って聞くのなら、子守歌のテンポで弾いてやる」

 と、僕の背を押した。

 僕は渋々ベッドに入る。先生の匂いがいっぱいのベッド。布団を肩までかけて、ピアノの前の先生を見つめる。先生はそれを確認してからピアノと向かい合った。

「・・・じゃあ、アリアから」

 低い先生の声とピアノの音が重なる。

 流れ出すゆるやかなメロディー。

 眠らせようとするゆったりとしたリズムに乗るもんかと思いつつも、気づけば僕は眠っていた。

 先生のピアノは心地よすぎて、ずるい。

 

 

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