Tempest テンペスト


10


 

 陽路のライブハウスは、陽路の家のある駅からさらに二駅向こうへ行ったところにあった。

 暗くなり始めた空の下、駅前の細い路地を入りしばらく行くと、映画館の扉のようなドアのついたお店があった。陽路は迷いのない足取りでそのドアへ向かうと、勢いよくそれを開けた。

「!」

 その途端、音の洪水が僕を襲った。

 ドン、ドン、と響く重低音。

 悲鳴のような叫びをあげるギター。

 大勢が足を踏み鳴らす地響きのような揺れ。

 薄暗い店内は、陽路が支えていたドアが閉まった途端、真っ暗になった。

「足元気ぃつけて」

 陽路が僕の右腕をそっとひいた。

「よぉヒロ」

「あー、ヒロじゃん。今日出るの?」

 暗闇の中から、いろいろな声が話し掛けてくる。それに笑ったり片手を挙げたりして答えながら、陽路は奥へと歩を進めた。

 暗闇を少し行くとその奥に新しく扉があった。それを開けた瞬間、今まで響いていた全ての音が、まるで物体に変化したように僕の全身を打った。

(痛っ……)

 音の波動に負けそうになり、僕は一瞬身をすくめた。それに気づいて陽路が僕の耳元に顔を寄せる。

「まゆ、こういうとこ初めて?」

「えっ!?」

 周囲の音にかき消されて、陽路の声が上手く聞き取れなかった。

「こういうの、初めてなん!?」

 今度は唇が触れそうなくらい耳のそばで陽路が言った。

(!)

 陽路の息がくすぐったくて、笑いながら僕は陽路にうなずいて見せた。

 このフロアは、入ったところと違い、薄暗いけれど人の姿がちゃんと見えた。正方形に近い、やや横長のフロアの広さは、学校の集会室くらい……人が100人入ったらぎゅうぎゅうになるくらいのスペースだった。その奥には、人とドラムセットといろいろなアンプではちきれそうになっているステージがあった。

 薄暗くてはっきりとはわからないけれど、フロアにはかなりの人がいた。

 観客達はステージのほうへ両手を差し出し、ジャンプをするように揺れている。そして、壁際のやや暗い辺りにも、壁に寄りかかったり座り込んだりしている人の姿があった。

「こっちおいで」

 人の波の中、陽路は僕の腕を引いて、ゆっくりとフロアを進む。フロアのすみに階段があり、その下にいた人に何かを話して、陽路は階段を登った。僕も足元を確認しながら後に続く。

 階段の上には、体育館のギャラリーに似た空間があった。ステージに面した方向に手すりがあり、それにそって、二人がけのテーブルが三つあった。陽路はその一番奥に僕を案内すると、一度下へ降り、何かの入ったグラスを手に戻ってきた。

「はい」

 テーブルの上に置かれたのは、オレンジ色の綺麗な飲み物だった。

「これ飲んでステージ見とって。俺、裏行って準備してこなあかんねん。ドリンクは下へ行ったらいくらでも飲めるし」

 ほな、と陽路は闇の中へ消えていった。

 僕は少し心細かったけれど、ステージを見ることにした。

(ライブハウスの音ってすごい)

 高音も低音も、すべてが競い合うように響いてくる。全身に伝わる揺れ、震える肌に、音が波動だということを実感させられる。最初は鼓膜に突き刺さる音に驚いたけれど、少しずつそれにも慣れてきた。

(こういう音楽もあるんだ)

 目を閉じると、あっというまに音が僕を包み、ぐるぐると僕の内をかき混ぜる。渦のようなその流れに身を任せると、ふっと精神がどこかへ飛んでいきそうな気持ちになった。やや無理矢理な感のある、音との一体感。だけど、嫌じゃない。自分の意思に反して、ぐちゃぐちゃに揺さぶられていると、腕のことも忘れて音の世界に引きずり込まれ、音楽の中に入れるから。

 陽路のくれた飲み物に口をつける。

「!」

 甘味と苦味のまざったその味は、アルコールのものだった。

 飲もうかどうか悩んだけれど、音の洪水に引きずられるように、僕はぐいっとグラスを傾けた。喉から食道へと移動する、アルコールの熱い感触がどこか心地よかった。

「おいしい…かも」

 ふふっと独りで笑う。

 久しぶりに明るい気持ちだった。

 薄暗いのをいいことに、机に半分突っ伏すようにステージを見ていると、やがて、陽路のいるバンドの順番になった。陽路はステージの向かって右側に置かれたキーボードの前に立つと、ちらっとこちらを見上げて片手をあげた。長身の陽路の姿は、ステージによく映えていた。

 陽路たちのバンドの曲は、知らない曲だったけれど、聞いていて気持ちよかった。

 その演奏が終わってしばらくすると、陽路が両手にグラスを持って二階へ帰ってきた。

「おつかれさま」

「どうやった?」

「うん、すっごい良かった」

「せやろ〜」

 それから、お酒を飲みながら次々と現れるバンドの演奏を聞くうちに、僕は眠ってしまっていたようだった。

 

 

 

「……まゆ、まゆ!」

 耳元で聞こえる陽路の声にぼんやりと目を開ける。

 目を開けたはずなのに辺りが暗くて、あれ?と思う。

「まゆ、大丈夫か?」

 どん、と目の前に陽路の顔が現れた。心配そうな陽路になにか言おうと思ったけれど、うまく口が動かない。

「あー、まゆ、酒弱かってんなぁ…飲ませすぎたかなぁ…」

 体中を押しつぶしそうな音の洪水の合間に、陽路のつぶやきが聞こえてきた。

「とりあえず、うち帰るで。立てるか?」

 わきの下に陽路の腕が入り、僕の体を支えた。僕はほとんど陽路に押されるようにライブハウスを出た。足元がふわふわして、雲の上を歩いているような感じだ。目が覚めているはずなのに、頭の中に霧がかかったようにぼんやりしていて、うまく考えがまとまらない。そのまま、僕は陽路が捕まえたタクシーに乗って、陽路の部屋まで引きずられて帰った。ほとんど抱きかかえるように靴を脱がせてもらい、「よいしょっ」と陽路のベッドに寝かされて、ようやく少し状況が把握できた。明かりのついていない暗い天井を見て、目を閉じ、ゆっくりと呼吸する。体中が熱い。

(…酔っ払ってるんだ、僕………)

「何時………?帰らなきゃ…………」

 つぶやいた声が思い切りかすれていて驚く。

 ベッドから起き上がろうとしたけれど、力が入らなくて、右腕一本では起き上がれなかった。全身の力が抜けているような気がする。頭の中がふわふわしていて、とても気分が良かった。

「明日は休みなんやし、今日は泊まっていき」

 ベッドの端に座った陽路が僕の前髪をそっとはじいた。

「でも……先生、待ってるし………」

「家の電話教えてくれたら、連絡しとくで」

「でも…………」

「そんなに酔ったら、帰るのは無理やって」

「酔ってないよ…………」

「酔ってるって」

 苦笑いする陽路の声。そして―――――――

「…………………?」

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 近すぎるほど間近に見える陽路の顔。

 彼の閉じたまぶた。それをふちどるまつげのひとつひとつまでが見えた。

「……ほら、やっぱり酔っ払っとる」

 少しだけ陽路の顔が離れ、また近づいた。

 唇に柔らかな熱い感触。

(……………キス…………!?)

 ようやく僕は、自分が陽路にキスされていることに気づいた。

「や………」

 慌てて起き上がろうとしたけれど、いつのまにか右腕を陽路に押さえられていて、身動きが取れなかった。

「駄目……………」

 顔をそむけて、なんとか陽路から逃げる。

 陽路の腕が僕の右腕を解放したので、僕は必死に体を起こし、ベッドの背もたれに身を寄せた。今更ながら、鼓動が激しくなる。

(なんで……?なんで陽路が僕にキス………?)

 考えなきゃと思うのに、頭が上手く動かなくてもどかしかった。

 陽路は困ったなぁというように笑みを浮かべて僕のほうへ身を乗り出した。

「あんな、まゆ、俺と付きあわへん?」

「…え?」

「最初に会ったときからええなーって思っててん。付き合ってるやついないんやったら付き合お」

「え……!?」

 状況把握に手間取る僕に、陽路はいたずらっぽく笑った。そして、再びキス。

「だめっ……!」

「なんで?」

「だって…男同士だよ!?」

「俺は別にかまへんけど。まゆは男やとあかん?」

「えっ…?」

「俺な、付き合うとき、別に男だとか女だとか気にせぇへんねん。やから、まゆがOKやったら俺もOK」

「……………………」

「ええと思わへん?音楽家同士やし」

「だ…駄目っ…………!!」

 ようやく頭が回りだした。

「帰るから!」

 ベッドから降りた僕は、足に力が入らなくてその場にへたりこんだ。

「ほら。かなり酒まわっとるんやから、気をつけな」

 陽路も床に移動してきて僕に視線を合わせた。

「かわいーなぁ、まゆ」

「……………っ…」

「ええやん、付き合お」

「駄目だってば…」

「そんなこというなら、このまま襲うで」

(え?)

 逃げなきゃ、と思うよりも早く、僕は陽路に抱えられ、ベッドに転がされていた。身をよじっても、体の上に乗った陽路はびくともしない。

「なんでこんな………」

「めっちゃいい音楽聞いて、音楽とひとつになると気持ちええやろ?それと同じ。まゆは俺にとって極上の音楽や。だから、ひとつになってみたいって思うのはしゃあないやろ?」

(そんな!)

「付き合うって言わんかったら、無理矢理でも襲うで」

「………じゃあ…………もし、付き合うって言ったら…………」

「早速、初エッチや」

「――――――ええっ…」

 陽路の長い指が、ぽん、と僕のシャツのボタンをひとつ外した。そこから陽路の手が僕の胸に触れる。

(―――――――違う…!)

 これは、僕の好きな人のものじゃない。

「駄目だってば!僕、好きな人いるから!」

「そうなん?同じ学校の奴?女?」

「違う…けど…」

「違うってどっちが?」

「両方…」

 つい答えてしまい、しまったと後悔する。

 陽路は僕にまたがったまま「うーん」と首をひねり、それからぽん、と手を打った。

「あ、もしかして、男前のピアノの先生か?」

「!」

(駄目っ)

 隠さなきゃ、と思うのに、一気に顔が熱くなった。部屋に明かりがついていなくてもそれに気づいたらしく、陽路はにやにやと笑った。

「なんや、まゆも男OKなんや。じゃ浮気でもええで。セックスフレンドでもええし」

「……僕は………」

 目を閉じるとすぐに先生の顔が浮かんだ。

「僕は、先生じゃないと嫌だから」

「ふーん、一途なんや」

 よいしょ、と陽路が僕の上から退く。

「ほな今日は帰したる。けど、気が向いたらいつでもエッチしよな」

「しないよ!僕は、陽路とは友達でいたいから…!」

 ベッドから降りて僕は自分の荷物を探した。

 陽路が部屋の明かりをつける。

「タクシーひろったるし、家まで乗って帰り。まだ酒残ってるやろうから危ないで」

「大丈夫」

「あかんて」

 結局僕は、制服をかばんに突っ込むと、陽路のひろってくれたタクシーに乗って家まで帰った。「また来週、学校でな」

 タクシーを見送る陽路の言葉。僕はなんとかそれに笑顔を返した。

 来週から、どんな顔をして陽路と会ったらいいんだろうと思いながら。

 

 

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