Tempest テンペスト






 春の強い風が桜の花びらを散らせた快晴の日が、翔央大付属高等学校の入学式だった。クラスメイトはほとんどが中等部から一緒の人ばかりだけれど、全体の一割くらいは、知らない顔が増えている。外部からの「難関」と呼ばれる試験をクリアして入学してきた彼らは、実力重視となる高等部の強力なライバルたちだ。そう思うと、新しい教室に座る背もぴしっとのばしてしまう。高等部の教室は、中等部と造りはかわらないけれど、机や椅子が大きくて、すこし不思議な気持ちだ。ここでこれから三年間すごしていくのだ。高等部からはそれぞれの専攻によりクラス分けがされているので、いまこの教室の中にいるのは、みんな、ピアニストを目指す人たちばかり。

 入学式後のオリエンテーションのために、新入生はクラス分けに従って教室へ移動していた。オリエンテーションが始まるまでの少しの時間、高揚した気持ちで僕は教室を眺めていた。

「まゆ、まゆ、まゆーっ」

 廊下側の後ろから三番目の僕の席へ、隣のクラスから東堂がやってきた。音楽科ピアノ専攻は生徒が多いので、二クラスあるのだ。僕が一組で、東堂が二組。三組以降は作曲科やその他の楽器のクラスになる。

 高等部のえんじのタイ、薄茶のブレザーを着た東堂は、足早に僕のところへやってくると、にこっと笑った。

「今日の帰りさぁ、まゆんち寄ってっていい?」

「うん、いいよ。ちょうど先生も帰ってきてるはずだし」

「えっ………日下さん…………」

 一瞬、東堂は口ごもり、少しだけ赤くなった。

「どうしたの?」

「あっ、いや、別にっ!…日下さん帰ってくるんだぁ。じゃ、オレ行ったら邪魔?」

「なんで?」

「いやー…そっかそっか、いや、なんでもない!じゃ、帰り、一緒に帰ろーな!」

 そう言うと、東堂は手を振って教室を出ていった。

(ヘンな東堂)

 ふふっと笑うと、隣の席からも笑い声が聞こえた。

「?」

 そちらへ顔を向けると、人なつこそうに細まった切れ長の瞳と目があった。中等部ではみたことのない顔だから、おそらく外部生なのだろう。同じクラスにいるのだから同い年のはずだけれど、なんだかとても大人っぽく見える人だった。

(ちょっと先生に似てる)

 先生はこんなふうににこにこと笑わないけれど。

「きみ、『まゆ』っていうんや。かわいい名前やなぁ」

 聞き慣れない関西弁に目を丸くしてしまう。それに気づくと、彼はまたにこーっと笑った。見ているだけで、ついこちらも微笑み返してしまうような笑顔。

「この学校、関西の奴少ないみたいやなぁ。翔央やったら、俺は引っ越ししてでも通いたいって思うんやけど」

「関東圏の人も、家が遠い人は引っ越ししたり一人暮らししたりしてるみたいですよ」

「あー、敬語。俺ら同いやろ?敬語無し。な、『まゆ』?」

 にこにことよく笑う彼の顔を見ていると、なんだかずっと昔からの友達のような気持ちになった。

「七瀬真雪。親しい人は「まゆ」って呼ぶ」

「俺は北見陽路(ヒロ)。太陽の陽に道路の路で陽路。大阪出身。陽路って呼んでな。よろしく!」

 差し出された手を握ると、どの指先も固くなっていた。ピアニストの指だ。

「七瀬真雪ってきみやったんや。俺、君と会ったことあるよ」

「え?」

「覚えてないやろなぁ。俺も、顔見てもわからんかった。ほら、5年前の学生音楽コンクールで、君が優勝したやろ?あれの第二位が俺」

「そうだったんだ…!」

「ここで隣同士の席になったんも、なんかの縁やな。新ためてよろしくな」

 にこにこ笑いあっていると、チャイムが鳴り、先生が入ってきた。

 こうして、僕の高校生活が始まった。

 

 

 

 

 学校が終わった後、約束通り東堂と家へ帰ると、先生はまだ帰ってきていなかった。

「日下さんのピアノ聞きたかったなー」

 と、東堂は残念そうにしていた。

 夕方になって、東堂が帰り、お父さんとお母さんとで晩御飯を食べ終えるころ、先生は帰ってきた。

 ドアの開く音と、近づいてくる足音で、僕は先生が帰ってきたことに気づいた。ぱた、ぱた、と足音は静かにリビングに近づき、やがて、長身の先生の姿がドアからのぞいた。

「ただいま帰りました」

 一言かけると、先生はすぐに自室へ向かった。

「お帰りなさい!」

 ぴょん、と席を立ち、僕は部屋へ向かう先生の後を追う。本当はすぐに先生に飛びつきたかったのだけれど、お父さんとお母さんがいたから我慢した。その分、先生の部屋に入り、ドアが閉まった瞬間、思いきり先生に抱きついた。

「お帰りなさい…先生」

「…ただいま」

 リビングの時とは違う、優しい声。そして、キス。軽く触れてから、僕の下唇を柔らかく先生の唇がはさみ、離れる。

「高校入学おめでとう、まゆ」

「はい!」

「どうだ?高校は」

「楽しそうです。僕の席の隣り、関西から来た人で、すごく面白いんですよ」

「関西……」

 ふっと先生の表情が変わったような気がして、僕は先生の顔をのぞき込んだ。けれどすぐに先生は笑顔になり、僕の髪をなでた。

「これからしばらくオフなんだ。大学へは行くが、仕事はない。集中してまゆのピアノみてやれるよ」

「ほんとですか!?」

 僕は思わずその場で飛び上がりそうになった。

「どのくらいですか?」

「一ヶ月くらいだな。ゴールデンウィークあけまでは確実にオフだ」

 うれしい。

 先生はいつも仕事が忙しくて、10日間続けて家にいることすらめずらしいのだ。それが、今度は1ヶ月も一緒にいられるなんて。

「…なんだか、学校行くの、嫌になっちゃいます」

「高等部は大学のすぐ横だろう?放課後、空いているときがあったらおいで」

「でも、連絡はどうやって……」

「笹目に携帯を持たされた」

 そう言って、先生は足下のかばんから折り畳みの携帯電話を取り出した。

「いい加減、連絡とれるようにしてくれってな」

 笹目さんは、先生のマネージャーさんだ。先生のお仕事のスケジュールを組み、準備をしたり付き人をしたりしている。すごく大きな体の優しい人だ。僕もいっぱいお世話になっている、大好きな人なのだ。

「あとで番号教えてくださいね」

「あとで……?」

「今は…」

 言いながら、再び先生に抱きつく。

「もうちょっと…こうしてたいです………」

 本当に久しぶりだから。

 先生は苦笑して、僕の頭をなでた。

「高校生になったっていうのに、全然育たないな」

 だって、先生にこんなふうに甘えられるようになったのは、つい最近のことだから。だからいつも、もっともっと触れたいって思ってしまう。

 春。大好きな人の腕に抱きしめられ、僕はしあわせの中にいた。

 

  ススム →

メニューにモドル