prelude9    

 

 

 明日の朝の飛行機で、先生はドイツへ行ってしまう。

 急に決まったドイツ行きのために、昨日、先生は打ち合わせから戻ると、僕とはほとんど顔を合わさず、部屋で準備をしていた。

 今日は今日で打ち合わせが残っているらしく、朝から先生は出かけてしまった。

 僕は学校にいる間もなんだか気分が落ち込んでしまって、東堂が心配して声をかけてきた。

「ふーん、日下さん、また海外に行っちゃうんだぁ」

 放課後、防音のレッスン室のわきにあるベンチでジュースを飲みながら、東堂が言った。

「うん・・・今度は年明けまで帰れないかもしれないって」

「じゃあまゆの誕生日もお祝いしてもらえないんだ」

「うん・・・・・・・・・・・・」

 僕の誕生日は12月25日。先生に誕生日を伝えてはいないけれど、できることなら一緒にいたかった。ううん、お父さんやお母さんや他の誰よりも、本当は先生にいてほしかった。

「でもさぁ、何でまゆの先生って大学行ってるんだろ?日下さんってあちこちのコンクール出て賞とってるし、コンサートとかにもすごく出てるし、別に学歴なんてなくたってって思うけど」

「・・・そういえばそうだ」

 確かに先生はもうちゃんとしたピアニストとして活躍しているわけだから、学歴があまり重要とは思えない。祥央は確かに音楽の名門校だけど、そういう学歴がほしいのなら、海外の有名な学校を卒業したほうがいいはずだ。

(なんでだろう?)

「ま、そのおかげで祥央祭でまゆの先生のピアノ聞けて嬉しかったけどなッ」

 飲み終えたカップをぐしゃっとつぶして、東堂はゴミ箱にカップを投げ入れた。

「ナイッシュー」

 

 

 学校から家に帰ってくると、珍しく先生がリビングにいた。

「お帰り」

「あ・・・ただいまです・・・!」

 無意識に気をつけの姿勢になってしまう。

 とりあえず肩から提げていたカバンをおろして、先生の向かいの椅子に座った。

 僕が帰ってきた音を察知して、奥から佐紀さんが出てきた。

「お帰りなさいませ。お夕飯の準備、できてますよ」

「あ、はい!」

 先生と二人でダイニングへ行くと、テーブルの上に煮物のお皿が湯気を立ててのっていた。

「日下さんがしばらく日本を離れられるから、今日は和食ですよ」

 佐紀さんがお味噌汁とご飯を運んできて、僕と先生の前に置いた。そしてそのまま佐紀さんは部屋を出ていった。佐紀さんの仕事はここまでで、もう時間なので帰るのだ。晩御飯の後かたづけはいつも僕がしてる。

(先生と二人でご飯って久しぶり・・・・・・)

 なんだか緊張してしまう。先生の前でご飯を食べるのがはずかしくって、二人でご飯の時はどうしても小食になってしまう。先生は箸の持ち方も食べ方も綺麗だから、余計にそう思う。

「先生って旅行中はどんなご飯食べてるんですか?」

「付き合いでフルコースってこともあるけど、だいたいは適当にファーストフードみたいなのだな」

「えっ?そうなんですか。なんだかもったいないですね」

「いまのほうがずいぶましな食生活をしてるよ」

 先生は苦笑しながら僕を見た。思いもかけない優しい目だったので、どきん、と頬が熱くなった。

「笹目とうまいもの食べてもつまらないしな。まだ真雪がいたら、ちゃんとしたところで食べるんだがな」

「え?」

「真雪はおいしそうに食べるから、一緒に食事すると、自分の食べてるものまでうまいような気になる」

「そうですか?」

 そんなこといわれると、より緊張してしまう。

「今後の勉強にもなるし、真雪をつれていけたらいいんだがな」

「行きたいですっ!」

 間髪入れずに叫ぶと、また先生が苦笑した。

「小学生は毎日学校だろうが。ちゃんと勉強しないと後が大変だぞ」

「・・・・・・でも・・・・・・行きたいですもん・・・・・・・・・」

「今度の春か夏休みに、短めのやつがあったら連れていってやるよ。もちろん、叔父さんと叔母さんのOKがでたらの話だけどな」

「はい・・・・・・!絶対ですよ!」

「短い期間のだけだぞ?長いのには連れていかないからな?」

「はい!約束!」

「あぁ、約束」

 先生が笑う。

(やったぁ!)

 嬉しい!今度のツアーは一緒にいられるかもしれない。

(でも・・・・・・)

 明日から先生がいなくなってしまう事実は変わらないんだよね・・・・・・

 すごく嬉しいのだけど、すごく悲しい。

 なんだか僕はとても複雑な気分になってしまった。

to be continued …

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 モドル