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夏休みに入って大学が休みになると、先生は笹目さんとコンサートの旅に出かけていった。その旅は夏期休暇中、ずっと続くらしい。大学の夏休みは小学校より1ヶ月も長くって、僕は生まれて初めて夏休みを恨んだ。
先生は時折、荷物をとりに帰ってきていたみたいなのだけど、そんな日に限って僕はお父さんたちと旅行に行っていたり、学校の集中講義に行っていたりですれ違っていた。
9月。
僕は学校が始まったけれど、先生はまだ帰ってこない。
(会いたいな………)
放課後、教室に残って机に突っ伏していると、同じクラスの東堂(とうどう)が声をかけてきた。
「なーに落ち込んでんだよ、まゆぅ」
「ん………別に?」
「そっかぁ?なぁ、ピアノ弾きに行こうぜ」
ピアノを弾いたら気が晴れるかもしれない。
僕は東堂の誘いに乗ることにした。
僕の通っている私立翔央大付属小学校は、芸術系の教育が強い学校だ。
幼稚園から大学院まである一貫教育で、音楽科、文学科、絵画学科を有する。歴史も古く、数多くの芸術家たちを輩出していることもあり、その筋ではかなり有名な学校だ。
とはいえ、中等部までは普通科のみで、高校からさまざまな芸術コースが出てくる。だから、小等部から中等部へ上がるのはエスカレーター式だけど、中等部から高等部に行くには、内部生でも受験をしなきゃいけない。
僕は知らなかったのだけど、先生も、この大学の学生なのだそうだ。
幼稚園と小等部と中等部は、高校、大学と別の敷地にあるので知らなかったのだ。
普通科しかないとはいえ、将来、芸術家を目指す子どもたちが集まっている翔央の校舎には、あちこちに防音室や美術室などがある。東堂と僕は高校ではピアノ科に進む予定であり、よくこうやってふたりでピアノの練習をしていた。
ずらっとならんだピアノ練習室から空いている部屋を探して入る。
「久しぶりに連弾しよーぜ!」
二人で椅子を並べて座ると、ふと、家の温室でのレッスンを思い出した。先生と最後にこうやって並んで座っていたのは、いったいいつだったろう。
(会いたいな……)
本当は、「いつだったか」なんてわかっているけど、会っていない日数を数えるとどんどん悲しくなるから、思わないようにしている。
「なに弾く?」
「メリークリスマス ミスターロレンス!」
「夏の終わりなのに?」
「いーじゃんっ」
くすくすと東堂と笑いあって、頭の中からその楽譜を探す。この曲はよくふたりで弾くから、暗譜しているのだ。
暑いので開け放した窓から二人で弾くメリークリスマス ミスターロレンスが流れる。不思議なリズム、不思議な曲調。かなしくなるくらい綺麗な曲だ。
(この曲、先生だったらどう弾くんだろう………)
きっと先生なら、もっともっとピアノを歌わせて、震わせて、弾くんだろうな……
一度弾き終えて、ポジションを代えてまた弾いて、それからはお互いのレパートリーなんかを弾きあって。気づいたら日が暮れる時間になっていた。時計を見たら、夜の7時近くになっていた。
「時間忘れちゃった」
「楽しかった?」
のぞきこむように聞いてきた東堂に笑ってうなずくと、東堂もにぱっと笑った。
「よかったぁ。まゆ、最近元気なかったから」
「――――――!……そう?」
「そうそう。で、ま、こゆこと」
カバンを肩に下げながら、東堂は笑った。
(心配かけてたんだ……)
「ごめん…………」
「なんで?ごめんじゃないだろー?オレも楽しかったわけだしさッ」
にかっと笑う東堂につられて、僕も微笑んだ。
幼等部時代からの親友は、こうやってさりげなく僕を気遣ってくれてる。
「…ありがと」
そういうと、東堂はまたにこっと笑って僕のカバンをこちらに差し出した。
「そろそろかえろッか」
机の引出しの中の、カレンダーの丸印は、先生が帰ってくる日。
壁にかけたカレンダーに丸をつけると、先生が帰ってくるのが待ち遠しいってことをお父さんやお母さんに知られちゃうから、こっそりとかくしてあるカレンダーに丸をつけた。
(あと9日…………)
遠いなぁ。
今ごろ、先生はどこにいるんだろう。
イタリア?それともオーストリア?
8月に一回だけ来た絵葉書は、スイスからだった。アルプスの山の写真の裏に、これからの予定が書いてあるだけの、事務連絡みたいな手紙だったけど、「僕」宛にきていたから、すごくうれしかった。あんまりうれしくって、その夜は一緒に寝た。でも、そうするとしわくちゃになってしまうかもしれないと気づいたから、枕元に置くことにした。
先生の字……楽譜に書きこみをするときよりもすこしラフな文字。住所の部分は書きなれた風の筆記体で、まだ筆記体を習っていない僕にはうまく解読できない。でも、TO MAYUKIとかいてあるのだけはちゃんとわかった。
(早く会いたいな)
早く。
早く。
いつのまにか、先生の葉書を握りしめたまま眠ってしまっていた。
目を覚ますともう朝になっていてびっくりした。
時計を見ると9時を過ぎていた。一瞬、遅刻だ!と思ったけれど、今日は土曜日で学校が休みなのを思いだし、ほっと息をついた。
「葉書……折り目がついちゃった」
よほどしっかり握りしめていたのか、葉書は曲がってしまっていた。自分でやったこととはいえ、ショックだ。しわを伸ばして、上に重たい辞書を何冊も乗せておいた。
そしてふとベッドサイドに目をやると――――――――
「?」
そこには、見覚えのないものがあった。
ちょこんと座っている明るいブラウンの毛並みのテディベア。目が覚めたときは気づかなかった。
「???」
わけがわからなくって、とりあえず抱き上げてみる。ふわふわの肌触りの良い毛並み。ちょうど僕の腕にすっぽり収まる大きさだった。
「いつのまに……?」
というよりも、誰が。
「―――――――――――!!」
(そうだ!)
その瞬間、僕はくまを抱えて駆け出していた。まずは僕の部屋の斜め向かいの部屋へ。そしてそこが空っぽなのを確かめてから、リビングへ駆け込んだ。そこではお父さんとお母さんがコーヒーを飲んでいて、必死の形相な僕を不思議そうに眺めていた。
「先生はっ……!?」
「え………?」
「先生!帰ってきたんでしょう!?」
僕はテディと手をつないだまま、きょろきょろとリビングを見回した。だけど、探している長身の姿は見つからなかった。
「まゆ、落ち着きなさい」
お父さんが僕の腕を引いて椅子に座らせた。お母さんは困ったわねぇという顔をしている。
「先生は……?」
「帰ってきたよ」
「じゃあ、どこにいるの?」
「今朝早くに荷物を取りに来て、すぐにまた出ていってしまったよ。たぶん今ごろは飛行機に乗ってるんじゃないかな」
「そんな…………」
全身に入っていた力がへなへなと抜けていく。にぎりしめていたくまが、ころんとフローリングに転がった。お母さんがそれを拾い、僕のひざの上に乗せてくれた。
「昭生くんのお土産ね。かわいいテディベア」
「―――――――――――――――」
テディベアよりも、一目でいいから先生に会いたかった。起こしてくれたらよかったのに。起きたらよかったのに。先生が僕の枕元にいたのに、なんで気づけなかったんだろう……
「…まゆはすっかり昭生くんになついてしまったな」
お父さんが僕の頭をなでる。
「先生…次はいつ帰ってくるって……?」
「もうしばらくは帰れないって言ってたよ」
「そう…………………」
高揚していた気持ちが、すっかりどん底まで沈んでしまった。そんな僕をお父さんとお母さんが心配そうに見守っている。そこへ家のお手伝いをしてくれている佐紀(さき)さんがやってきて、お迎えがきましたよ、と告げた。
「今日からお母さんたちも海外に行くのだけど……まゆ、大丈夫?」
「…平気。仕事、行ってらっしゃい」
「………そう…………?」
後ろ髪を引かれるように、お父さんとお母さんは演奏旅行に出かけて行った。二人は今日からアメリカに行って1ヶ月ほど帰ってこないことになっていた。
「まゆさん」
二人を見送ってきた佐紀さんが戻ってきて、困ったように微笑んだ。
「日下さん、時間がない中で、まゆさんの寝顔だけは見ていかれたんですよ。まるでお父様みたいに」
「――――――――――」
寝顔だけだなんて。僕は先生に会いたかったのに。
ぷいっとそっぽを向いた僕を見て、佐紀さんは微笑んだままだった。佐紀さんはきっとなんで僕が怒ってるのかも気づいてる。僕が生まれる前からこのおうちで働いていて、お父さんやお母さんよりも長い間一緒にいる、実のおばあちゃんみたいな人だから。僕がすねている原因なんて、すぐにわかってしまうんだ。だからこそ、僕は佐紀さんには甘えてしまう。
「いつまでもそんな怖い顔をしていたら、眉間のしわが消えなくなってしまいますよ」
「いいもん。そしたら先生とおそろいだもん」
「まぁ」
くすくすと佐紀さんは笑い、出ていった。
残された僕は先生がおいていったくまを抱いて、そのふわふわの毛に顔をうずめた。
「先生の…馬鹿」
こんなに先生に会いたいのは、なんでだろう?
先生の声を聞きたい。先生のそばにいたい。
「痛い………」
先生のことを思うと、心臓がどくんっとする。なんだか苦しくって、いてもたってもいられなくなる。
これっていったいなんなんだろう?
僕は僕の感情っていうのを持て余していた。
思わず涙が出そうになったけど、佐紀さんがホットミルクを入れて持って部屋に入ってきたので、どうにかこらえることができた。
to be
continued …
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