* * *

 

 クリスマスの出来事以降、僕はどうしたらいいのかわからなくなっていた。

 大好きだった先生に「愛してる」っていってもらえて、セックスまでして、何をいまさらっていう感じなのだけど、僕は先生にどんな顔をして会ったらいいのかわからなくなってしまったのだ。

 リビングやレッスン室で先生とすれ違うたび、胸はドキンとするし、顔は熱くなるし、先生の顔をまっすぐに見れなくなるし……

 先生は年末からお正月にかけては仕事でうちにいなかったので、大丈夫だったのだけど…

(今まではこんなことなかったのに…)

 先生が家に帰ってきて「どうしよう」って思うだなんて。

 昨日の夜、先生はコンサート先から家に帰ってきた。

 うれしくなかったといえばうそになるけれど、僕は先生に会うのがなんだか恥ずかしくて、部屋にこもったままだった。今朝は先生はまだ寝ていたので顔を合わせないですんだけれど…同じ家に住んでいるのだから、いつかは絶対に出会ってしまう。

(先生に会いたいのに……)

 でも、会ったら、きっと僕は変な子になってしまう。

 緊張して、どきどきして、どうしていいのかわからなくなる。

(今までは平気だったのに…………)

 自室のベッドの上でひざを抱え、そこに顔をうずめる。

(なんで、先生に好きっていってもらえたのに、緊張するんだろう……?)

 …本当は少しだけわかってる。

 先生に嫌われるのが怖いから、先生の前に出られない。

 せっかく好きになってもらえたのに、何か失敗をして嫌われてしまったら、立ち直れないってわかってるから。

 今まではたとえ先生が僕のことを嫌っていたとしても、僕は先生が好きで、そばにいることができた。でも、今は先生が僕のことを好きでいてくれてる。そんな幸せの絶頂にいるからこそ、そこから転げ落ちるのが怖くなってしまったのだ。

(どうしよう………)

 はぁ、とため息をついた瞬間、こんこん、と部屋のドアがノックされた。そして、聞こえてきた声は――――――

「真雪」

(先生っ)

 ドキッ。

 心臓が飛び跳ねた。

「あっ…はい!」

 慌ててドアに駆け寄り、そっとノブを回す。見上げると、先生の切れ長な目と目が合った。

「…………………っ」

 顔がかぁっと熱くなる。それを隠したくて僕はうつむいた。

「いま大丈夫か」

「は…はいっ…………」

 久しぶりに聞く先生の声。

 うれしいのに、顔があげられない。

「出かけないか?」

「――――――――え?」

「初詣。まだ行ってないんだろ」

 そう。今年は新年にお父さんたちが仕事だったから、まだ行ってなかったのだ。

「叔父さんがおまえと遊んでやってくれって。冬休みの間中、ぼーっとして暇そうだからって」

「!」

 失礼な。

 ぼーっとしてたんじゃなくて、ずっと先生のこと考えてただけです。

「俺もここ何年か初詣でなんて行ってないし、ちょうどいい。行くか?」

「―――――――――――……」

 どうしよう?

 ちょっと考えてから僕はうなずいた。

「…行きます」

 緊張するけれど、家の中で二人きりで会うより、外で会うほうがましかもしれないから。

「準備しておいで」

 くしゃっと先生の大きな手が僕の頭をなでた。

(ふわっ)

 駄目だ。顔から火が出そう。

 ぎゅっとこぶしを握ってうつむいたままの僕を置いて先生は去っていった。

 先生の部屋のドアがしまってから、ようやく僕は顔を上げた。

「……疲れた…………」

 全身に力が入っていたみたいだ。

 とん、とドアに寄りかかり、そのままずるずると座り込む。

「ちょっと話すだけでこんなに緊張するのに、出かけられるのかな………」

 ちょっと心配になる。

 と、がちゃりと先生の部屋のドアが開いた。

 出てきたのは、黒いコートを着た先生。

 先生は廊下に座り込んでいる僕を不思議そうに見つめた。

「…行かないのか?」

「あっ、いえっ…すぐ行きます!!」

 ばねの人形みたいに僕は立ちあがり、あわてて部屋の中に駆け込んだ。

 

 

 

 

 先生ときたのは、家から歩いて10分くらいの小さな神社。

 毎年、お父さんとお母さんと一緒に初詣でにくるところ。

 年末年始は人でいっぱいになるのだけど、三が日を過ぎた今日は、閑散としていた。

 先生と並び、ぱんぱん、とかしわ手を打ってお参りをする。

(今年もよい年になりますように)

 それから、先生とずっと一緒にいられますように。

 先生は何をお参りしてるのかな?

 ちらりと薄目をあけて横を見ると、先生はもうお参りを終えてしまっていた。

「寒いなー」

 お参りの帰り道、先生が空を見上げながらつぶやく。

「大阪は寒くなかったんですか?」

 年末年始、先生は関西にいたのだ。

「あまり変わらない」

 さらりと答えて、先生は軽く微笑った。

 僕はようやく緊張がとけて、先生と話せるようになっていた。家を出た直後は、どうしたらいいのかわからなくって何もしゃべれなかったのだけど、先生が優しくしてくれるうちに、なんとか先生の目を見て話せるようになった。

 そう。

 先生はやさしかった。

 笑ってくれるし、気を使ってくれるし、声のトーンもやさしい。

(何でだろう?)

 うれしいけれど、ドキドキする。

「…このまままっすぐ帰ったら、散歩には短すぎるな……」

 ぽつり、と先生がつぶやいて腕時計を見た。

「かといってどこかに出かけるっていう時間でもないし…」

「なら、公園行きましょう!」

 もうちょっと先生とこうしていたかった。

 

 

 

 

 公園は、時期のせいか、寒さのせいか、誰もいなかった。

 先生と僕は自販機で温かい飲み物を買い、ならんでベンチに座った。

「…おいし…」

 熱々の紅茶を飲んでつぶやくと、息が真っ白だった。

「誰もいませんね」

「そうだな」

「…………」

 沈黙。

 どうしよう。

 さっきまではいい雰囲気だったのに。

「…………」

 胸がドキドキいいだす。

 一度黙ってしまうと、次の言葉が出なくなってしまった。

(どうしよう………)

 何か話さなきゃ。

 何か話さなきゃ。

「あのっ…………」

「?」

「う……………」

 先生の目が僕のほうを向くだけで、頭の中が真っ白になってしまう。

「あの…なんでもないです…………」

「?」

 怪訝そうな顔をする先生。

「どうしたんだ?」

「…なんでもないです……っ」

「……顔が赤いぞ」

 そっと先生の手が僕の額に触れる。

「熱はないが………」

「大丈夫ですっ!」

「カゼひくなよ」

 くすくすと先生が笑う。

「今日は変だな、真雪」

(変…?)

 どうしよう。先生にわかるほど動揺してるんだ。嫌われてしまったらどうしよう……

「――――――――――……」

 その瞬間、先生が僕にキスをした。

「…………?」

 唇にそっと触れる、やさしいキス。

 目を丸くして先生を見上げると、先生は見たことないくらい優しい瞳で僕を見ていた。

「昨夜、家に戻ったとき、出迎えにきてくれなくて少しさみしかったぞ」

「え…………?」

「いつもなら、犬みたいに真っ先に飛んでくる奴が顔も見せないんだからな」

「……………………」

 ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。

「身体の調子でも悪いのかと思ったけど、大丈夫みたいでよかった」

「先生っ………」

 ぽろっと涙が出た。

 一度出てしまうと、次から次へと涙がこぼれてくる。

「どうした?まゆ」

 親しい人だけが使う呼び方で先生が僕の名前を呼んでくれる。

 見たことないくらい優しい顔で僕を見てくれる。気遣ってくれる。

 そういうすべてが、僕の中の不安を消してくれる。

(うれしい…………)

 緊張なんか吹っ飛んでしまうくらい、うれしい。

「真雪…………」

 心配そうに僕を見つめる先生に、僕は泣きながら笑って見せた。

「…会いたかった…です……」

「…………そうか」

 先生はふっと口元を緩め、僕を抱き寄せた。

 暖かなコートが頬にあたる。

「さみしかったです………」

「俺も真雪と離れているのは……つまらなかったな」

 よしよし、と先生の手が僕の髪をすく。

「会いたかったよ」

「ほんとに………?」

「あぁ」

 先生が僕に会いたかったって………

 うれしくて、えへへ、と笑う。

 泣き笑いの変な顔になってただろうけど、先生はおだやかに微笑んで頭をなでてくれた。

(そっか………)

 嫌われたら、とか、失敗したら、なんて怖がってるよりも、先生を信じて笑っていたらいいんだ。そして、先生が少しでも僕のことを好きになってくれるように、がんばればいいんだ。僕が先生を好きな気持ちは、前も今も変わらないんだから。そして、一番大切なのは、その気持ちなのだから――――――――

(先生は忙しいから、会えるときにちゃんと会っておかないともったいないし)

 緊張してるひまなんてないんだ。

 ぐいっと涙をぬぐって笑顔を作る。

「ごめんなさい」

「いや、いいよ」

 頬に残った涙を先生の指がこする。

「これから冬休みの間はずっとひまなんだ」

「はい」

「…一緒にいられるな」

「……はい!」

 うなずいた僕に、先生はもう一度キスをした。

 

 

 

ドル