そのまままっすぐ帰るというのもなんだったので、食堂でコーヒーを飲んでいくことにした。

 大学の構内にはいくつか食堂や喫茶室がある。俺はいちばん近くにあった食堂に入り、自販機のコーヒーのボタンを押した。

 そのままぼんやりとコーヒーができあがるのを待っていると、ふいに後ろから声をかけられた。

「・・・ひとりでコーヒー?さみしいのね」

 高くて、よく通る澄んだ声。

(この声・・・・・・・・・?)

 聞き覚えのある声だった。

 振り返ると、細身の女が笑みを浮かべて立っていた。

 あごより少し長いくらいの髪、気の強そうな瞳と通った鼻筋は充分に美人といえる顔だ。ノースリーブにジーンズという飾り気のない服装だったが、それが彼女のスタイルの良さを引き立てている。

 彼女は人なつこい微笑みを浮かべて、ゆっくりと本谷の前に歩み出た。

「・・・・・・姿・・・子・・・?」

「ひさしぶり」

 その瞬間、彼女はぴょん、と本谷に飛びついた。

「元気だったぁ!?会いたかったわよー!」

「ちょ・・・っ・・・ちょっと待てって・・・!」

 急に体重をあずけられてよろけながら、なんとか彼女を抱きとめる。

「姿子!なんでこんなとこにいるんだよ!?」

「うふふー。どうしてでしょう?」

 にっと笑って見上げる姿子と視線を合わせて、笑いあう。

 彼女は鈴木姿子(しなこ)。

 俺の2歳年上のいとこだ。

 彼女は東京の看護系の大学を卒業し、最近、大阪に出てきて、看護婦をしているのだ。

「あたしもコーヒー飲も」

 そういって姿子もコーヒーのカップを手に持ち、二人で近くのベンチに移動した。

 二人で並んでベンチに座り、顔を見合わせてまた笑う。

「夏休み以来だね。ダイゴローくんを預かったとき」

「あー、あの時はサンキュ」

 この夏、シーナとキャンプに行っている間、姿子にダイゴローを預かってもらっていたのだ。

「かわいいよね、あの子。今度会わせてよ」

「またな」

「約束だからね」

 にこっと笑って姿子が首をかしげた。

「で、どう?大阪の病院は」

「んー?快適だよ。お父さんの影響もないしね。それがすごく楽」

 本谷の家系は医者の一族なのだ。俺の実家も大きな病院を経営している。俺は院長をしている親父との折り合いが悪くて、その目が届かない関西の大学に勘当同然で進学して、ようやく自由になった。姿子も本谷の家は嫌っていたのだが、娘ということで関東以外への進学が許されず、仕方なく東京にいたのだ。そして東京で就職したものの、本谷一族の重荷に耐えきれなくなり、親の反対を吹っ切って大阪へと引っ越してきたのだ。

「やっと最近仕事にも慣れて、落ちついてきたから、啓吾の顔でも見に来てやろうと思って」

「よくわかったな、俺の居場所」

「啓吾のことはなんとなくわかるのよ。テレパシー」

 いいながら、姿子は人差し指で俺のこめかみのあたりをとんとん、とたたいた。

「啓吾の考えてること、昔からよくわかってたでしょ?あたし」

 そうなのだ。

 姿子はそう言った意味で、俺のいちばんの理解者であり、協力者であった。こっそりこのK大を受験したときも、こちらへくるために父親と大喧嘩したときも、姿子が手助けしてくれた。

「関西にももうなじんだみたいだな」

「うん。サイコーだね。関西弁って面白いし、飽きないわ。患者さんと看護婦さんのやり取り聞いてると、漫才みたいで笑っちゃう。なんか、ほのぼのしてるよね」

 細い足をすっとのばして、姿子が笑う。ころん、とピンク色のミュールが地面に転がった。

「東京にいるときは、悪い病院じゃなかったんだけど、「あの本谷のお嬢様」って感じで妙に気使われてて、息ぐるしかったんだ。あらためて、本谷の家の権力を思い知らされたって感じ」

「――――――あぁ」

 それは自分も感じていた。痛いほどに。

 家の中でも、外でも、父親は「院長」であり、本谷家の「家長」だった。あの男が「父親」だったことは、記憶にある限り、一度もない。あいつはただ俺に医者となり、本谷家の後をつぐことだけを要求した。そのための、優秀な成績も。そして俺は、その状況が苦しくて、ただひたすらにこの家を出たいと願っていた。

「ガッコ、楽しい?」

 姿子が猫のような瞳でのぞき込んでくる。

「・・・まぁまぁ、かな」

「カノジョは?できた?」

「えっ――――――・・・・・・」

 そこでシーナの顔が浮かび、つい、言葉に詰まってしまった。それを見逃さず、姿子がにやりと笑って俺の腕に抱きついた。

「できたんだぁ、彼女!ねぇねぇ、どんなコ?あたし、会いたいな。啓吾って面食いだから、きっとカワイイんだろうな」

「―――――・・・・・・いないよ!」

「じゃ、片思い中?珍しい」

 なーんだ、という感じで姿子の腕が離れる。

「同じ学校のコ?年上?年下?」

 かくしても姿子には気づかれてしまうので、大人しく話すことにする。

「・・・・・・・・・いっこ年上」

「へぇー、じゃ、あたしのひとつ下か」

 ふんふん、と姿子がうなずく。

「で、どんな人?」

「えっと・・・・・・」

 どうせばれやしない、と腹をくくって、俺はシーナのことを話し出した。正直に言って、あの人のことを誰かに話したいって気がなかったわけじゃないから。ひとりで抱え込んで悶々としているよりは、誰かに聞いてもらえるほうがましだから。―――――――もちろん、シーナが男だと言うことはいえなかったけど。

 

 

 

 シーナは安達教授のゼミ生として、よく研究室に入り浸るようになっていた。本当は、ゼミに分かれるのは来年、三回生になってからなのだが、個人的にそうやっていろんなゼミに参加している一、二回生も少なくない。シーナは安達教授のことをとても気に入っていて、一回生の頃から教授の研究室に顔を出していたらしい。橘はそこのゼミ生だから、その立場を利用してシーナを落とそうとしている。でも、当のシーナは全くその気はなさそうだ。橘のことは、いい先輩として慕っているだけで、恋愛感情なんて皆無・・・・・・のはず、だ。ざまぁみろ。

 シーナは最近、ゼミの上級生の発表の手伝いをしているらしく、講義が終わるとすぐに図書館や研究室に飛んでいってしまう。なので、俺はほとんどシーナと遊ぶことができなくって、がっかりしていた。夏休みがあけて本格的に講義が始まってしまうと、シーナとはさらにすれ違うようになり、なかなか会うことができなくなった。

(ま、橘と遊んでるわけじゃないからいいけどさぁ)

 発表を手伝っているのは二つ上の四回生。橘は六回生で、国家試験を目前に控えているために、さすがに時間の自由が利かなくなっているらしい。だから、とりあえずは安心だ。

 大学の講義もたいして忙しくないし、バイト以外はこれといってやることがなかったので、姿子とよく遊ぶようになった。京都を案内してよ、という姿子の要望にこたえて、名所旧跡をあちこち行脚してまわった。そうしてみると、京都に来て2年たっても、来ていない場所っていうのが結構あるんだなぁってことに気づいた。

 時は10月の半ば。

 まだ紅葉には早いけれど、さすが京都というべきか、見所は多い。

(紅葉の季節になったらシーナと来よう)

 いいなぁと思った場所は、しっかり脳にインプットしておく。姿子とのデートは、シーナとのデートの下見みたいなものだ。姿子がいろいろガイドブックなんかを調べて引っ張っていくので、おかげでいろんな場所を知ることができた。

「ねぇねぇ啓吾。その後、片思いのカノジョはどう?」

 三条大橋わきのスターバックスでカフェラテを飲みながら、姿子がいう。

「全然。忙しいらしくって、最近はしゃべる機会もあんまりない」

「かーわいそー!」

 きゃははっと笑って、姿子は俺の頭をなでる。

「昔っから告白されまくって、カノジョが切れたことなかったくせにねー。さみしいんじゃない?」

「姿子こそどうなんだよ。姿子も男切れたことないくせに」

「いまはいないよ。関西人にはもてないのかしらね?あたし」

 だから啓吾なんかと遊んでるのよ、と姿子は笑った。

 姿子は美人だ。

 性格はいいし(ちょっときつめだけど)、男なんてすぐできるだろう。

(そしたらどうやってひまつぶそうかな)

 願わくば、それまでにシーナの仕事が終わってますように。

 

TO NEXT......     

 

 

モドル