The Secret

「秘密」         

〔中編〕      

     

 俺の部屋は、バイト先から歩いて15分くらいのところにある。

 家賃が安い分、かなり古いのだが、造りはしっかりした単身者用のマンションだ。

 キィィィィ、と音を立てながらドアを開けて、椎名さんを中に入れる。椎名さんは胸にしっかりと猫を抱いたまま、ものめずらしそうに部屋を見まわしていた。

 俺の部屋は2Kだ。7畳間がひとつと6畳間がひとつにキッチンが2畳。玄関を入ってすぐ左側にはユニットバスがある。7畳間と6畳間の間はふすまで仕切られていたのだが、大家さんの許可をもらって、ふすまは取っ払ってしまってあるので、けっこう広い。その部屋の中に、ベッドとパソコンデスク兼勉強机と本棚やチェストが置いてある。

「もっと豪華な家かと思ってました?」

 意地悪な声で聞くと、どうやら図星だったらしく、椎名さんは顔を赤くした。

「……………ごめん…………」

「別にいいですよ。大病院の息子が全員優雅に暮らしてるわけじゃないんです」

「本谷、バイトもしてるし……………社会勉強とか……?」

「まさか!…さっきも言ったとおり、いろいろと事情があるんですよ」

 椎名さんにタオルを手渡しながら言うと、椎名さんは、困ったような、照れたような笑みを返してくれた。

「うわさとか他人の話を信じちゃいけないね。本谷は大病院の跡取で、ものすごく豪華な家に住んでて、毎日遊びまわってるってきいてたから……ちょっとびっくりした」

「――――――そんなに豪快なうわさが流れてるんですか…怖いなぁ。でも、それを本人に言っちゃう椎名さんもすごいですよ」

 からかい口調で言うと、椎名さんはまた真っ赤になって口元に手を当てた。

「ごめん……………」

 彼はうつむいて、細い声で謝る。そんな仕草がなんだかかわいらしい。かわいらしい、なんて、男に対しての誉め言葉ではないけれど、椎名さんにはその言葉がぴったりだった。悪い意味ではなく「かわいい」。

「いいんですよ」

 大学の他のヤツらには知られたくないけど、椎名さんには、本当の俺を知ってもらいたかったから。周囲には隠してたバイトだって、椎名さんにだったら知られても全然気にならなかった。

「さ、上がってください」

「ありがとう」

 にこっと笑う椎名さん。「かわいい」。

 部屋の中のチェストからタオルを取り出す。

「椎名さん、ネコ、貸してください」

「タオルでふくのか?なら、オレが…………」

「あなたは自分をふいてください。それから着替えて。そのままじゃ、スーツしわになりますよ。濡れてるし」

 なかばムリヤリ椎名さんの腕からネコを奪い取り、タオルを押し付ける。

「着替えは俺ので我慢してください。ハンガー、今だしますから」

「別にこのままでいいよ」

「椎名さんはうちに泊まり、決定なんです。家主に従ってくださいね。ほら、着替えて着替えて」

 着替え一式を手渡されると、観念したように椎名さんはユニットバスへと消えていった。俺の腕の中の猫が、不安そうに鳴き出す。椎名さんに抱かれていたときは、気持ちよさそうに眠っていたのに。

「ネコ、鳴いてる?」

 ひょこっ、とユニットバスから椎名さんが顔を出した。もう着替えが終わっている。速い。

 椎名さんに渡した着替えは、Tシャツとジャージだ。俺よりもやせていて少しだけ背の低い椎名さんには、ちょっと大きすぎたみたいだった。

「おいで」

 椎名さんの腕の中に戻った子猫は、再び安心しきった表情になり、椎名さんの指に吸い付いた。

「こいつ、椎名さんのことを母親だと思ってるのかも」

「お腹すいてるのかな……」

「牛乳あるから、温めてみます。椎名さん、ネコ抱いたままでいいんで、そこの体温計で熱はかってください」

「熱?熱なんてないよ」

「いーえ、あります!体、熱くないですか?俺が触った感じじゃ、微熱か、それよりもう少し上かくらいだと思います。ずっと雨に濡れてたんですから、用心しないと」

「うん」

 椎名さんはテーブルの横にぺたんと座ると、おとなしく体温計をわきの下に差し込んだ。

「ねぇ、本谷」

「なんですか?」

 キッチンで鍋に牛乳を注ぎながら応える。

「なんでオレに敬語つかってんの?」

「―――――――あぁ、いや、学校のヤツから椎名さん1個年上だってきいてたから、つい」

 たまたま同期生がそんな話をしているのを聞いたことがあったのだ。

「大学まできて先輩後輩はないだろ?」

 くすくすと椎名さんの笑い声が聞こえる。 

「オレ、本谷とは一応同期になるんだし。それにオレ、1個下のヤツらとずっと一緒だったから、年上って気がしないよ」

「え?ずっとって……………?」

「―――――オレ、大学は現役で合格してるってこと。ま、『いろいろ事情があるんだよ』」

 椎名さんは、俺がバイトしているわけを椎名さんに説明したときと同じ言葉でしめくくった。なんとなく俺はそれ以上訊けなくなってしまった。薄暗い路地裏では、椎名さんは俺のバイトについて言及しなかったから。あのときの俺は、バイトをしていることを知られるのはかまわなかったけど、なぜバイトをしているのかについてはあんまり深く突っ込んで訊いて欲しくなかったから。

「…シーナって呼んでよ。学校のヤツはだいたいそう呼ぶから。敬語もいらない。タメ口がいいよ」

「は…はい……じゃなくて、了解」

 「シーナ」…………なんか、緊張するなぁ。ずっと話してみたかった人…いわば憧れの人だったわけだから、その人とタメ口で話せるなんて………でも、うれしい、かも。

「牛乳、あったまりましたよ」

「敬語」

「あっ、えと、『あったまったよ、シーナ』」

「OK」

 顔を見合わせて、くすくすと笑い合う。椎名さんの笑顔は、すごく優しそうで、なごむなぁ。

 カーペットの上に猫をおろし、その前に温めた牛乳の皿を置く。猫は皿に鼻をくっつけて匂いをかいだ。飲めるかな?と思ったけど、意外に猫はしっかりと牛乳をなめだした。

「しっかりしてるなぁ」

「動物は強いね」

 目でを細めて椎名さんは子猫を見つめた。

「椎名さん……シーナの熱は?」

「あ、そうだった」

 ごそごそとTシャツの中から体温計を出してシーナは熱を見て、首をかしげた。

「どうしたんですか?」

「この体温計、こわれてる?」

「――――――貸してくださいっ!」

 シーナの手から体温計を奪い取って目盛りを見ると―――――――

(38度7分………っ!?)

 なんてこった。

 ぼんやりと俺を見ているシーナの額に手を当てる。熱い。路地裏で触ったときよりもずっとずっと熱くなっていた。

「寝てくださいっ!!熱、上がってますよ!カゼ、こじらせたら大変ですっ」

「敬語じゃなくていいって言ったのに……」

 あぁそうだった………って、今はそんなことよりも。

「いいから、寝て!」

「オレ、床でいいよ。泊めてもらうんだし……」

「病人を床で寝かせられるかよっ!うだうだ言ってないで、はやく!」

「でも………」

「――――――――――もうっ」

「っ!!!」

 いつまでもぐずっているシーナにしびれが切れた。

 俺は無理矢理シーナを抱き上げた。思ったよりもずっと軽かったので、楽に持ち上げることができた。

「何す………」

「暴れると落ちるよ」

「―――――――――――――――」

 ベッドにシーナを横たえて、布団をかける。眼鏡は外してベッドの横にある本棚の上においた。

 薬…飲ませても大丈夫だろうか。胃に何か入れてからじゃないとまずいだろうか。とりあえず、額を冷やしておいたほうがいいだろう。

 ユニットバスに行って洗面器に水を入れ、タオルをぬらしてシーナの額にそっと置く。

「…きもちいい」

「眠れよ。ネコは俺が見とくから」

「――――――――――――――――」

 シーナは額に乗ったタオルの下からじっと俺を見た。眼鏡のなくなったシーナの顔は、よりいっそうやさしげで、綺麗だった。レンズで隠されていた目は、思っていたよりも大きくて、眼鏡を外すとシーナは童顔になることに気づいた。

「うーん……」

「なに?」

「――――――――話してみないとわからないもんだなと思って」

「?」

「本谷は頭も良いし、金持ちだし、将来は大病院の院長になることが決まってるし……すごい恵まれてて…………嫌なヤツ、だと思ってたんだ。大学にいるとき、あんまり同期のヤツと仲良くしないのも、優越感があるからだと思ってた」

「そんな風に見えた?俺、普通に付き合ってたつもりだったんだけど」

「目が笑ってなかったよ、本谷。誰といても。仲良さそうにしゃべってても、目だけが笑ってなかったから……誰といても、楽しそうじゃなさそうだった」

「――――――――――――――――」

 心臓を、がつんと殴られたみたいだった。

 確かに俺は、周囲の人間と付き合うとき、距離を置いていたのだ。俺のそばに寄ってくるヤツは、俺が「大病院の息子だから」とか「金持ちでコネを持ってるから」とか、利益目当てのヤツらが多かったから。でも、その場その場で調子を合わせていたので、まさかシーナに内心を見ぬかれているとは思わなかった。なんだか恥ずかしい。

「…なんでそんなこと気づいたんですか……?」

 そう問うと、急にシーナは赤くなった。

「……オレ、本谷のことがうらやましいっていうか…ちょっと腹立ってて。入学生代表だったってことは、主席ってことだろ。そのうえ家は金持ちで。でも、いつだったかな…ものすごい恵まれてるくせに、なんだか不満そうにしてるのに気づいて。それ以来、なんとなく本谷に目がいくようになっちゃったんだ。それで、気づいた」

 プラスの感情からではないけれど、彼が俺をずっと見ていた―――――

 なんだかうれしい。おもわず、にへ、っと笑ってしまった。シーナも照れくさそうに微笑み返した。

「でも、今日の本谷は、ちゃんと笑ってる。大学にいるときと全然違うよ。どっちが本当の本谷?」

「さぁ……」

「―――――今の本谷のほうがいいよ。ずっといい。いっつもそんなふうに笑ったらいいのに」

 そういってシーナが微笑む。

「たのしそうだよ」

 今の俺が楽しそうに見えるのだとしたら、しあわせだからだ。

 シーナが俺を見ていたこと、そして俺の内面まで見とおしていたこと、他人のうわさよりも自分の目で見て感じた「俺」を見てくれていること、なによりも、「椎名光流」が俺のベッドの中にいることが、しあわせで仕方がないからだ。

(しあわせ?)

 自分で思いついて、一瞬で頭に血が上った。

(しあわせだなんて)

 顔が赤くなっていくのを感じる。自分の気持ちを自覚して、思わず、口元を手で覆った。

 こういう感情は、知っている。相手がそばにいるとドキドキして、その人が俺を見るとうれしくて、彼が微笑んでくれるためならなんでもしたいって思って―――――

(好き、なんだ)

 俺は、シーナのことが、好きなんだ。たぶん、恋愛感情として。

 今まで何人かの女と付き合ってきたし、それなりにいろんなことはしてきたが、今のこの気持ちは、そのどれとも違う。格別だ。まるで初めての恋みたいに胸が熱い……

 そう気づいてしまえば、思い当たることはたくさんある。いつだってシーナを見ていたし、見つけられたし、彼に関する話は聞き逃さなかったし、彼と目が合うとうれしかったし、今日、彼を自分の家に招けたことが無性にうれしかったし………それは、すべて、恋愛感情から来るものだったのだ。

(中学生かよ、俺は)

 自分の気持ちに気づかず、踊っていたようなものだ。

「本谷も顔、赤いよ。本谷も熱あるんじゃ……」

「俺は違います!大丈夫です!」

「そう………?」

 布団から手を出して、シーナが俺の額に触れた。

 ドキッとしてしまう。自分の気持ちに気づいてしまったら、シーナをなんだか妙に意識してしまう。

「ホントだ。熱くないね」

「心配しないでシーナは寝ててください」

「…敬語、なおらないね」

 そういえば。

「今までずっと敬語だったから、なかなかなおせないんだよ。気をつける」

 ふふ、とシーナが微笑む。そんなシーナはえらく綺麗で、かわいかった。ドキドキしてしまう。

「なぅ」

 牛乳を飲み終わった子猫が、いつのまにか俺の横まで歩いてきていた。

「えらいな、おまえ。ひとりでここまでこれたんだ。目、見えてるの?」

 シーナは俺の額に当てていた手を、子猫のほうに差し出した。子猫はその手に頬をすりよせた。俺は子猫を抱き上げて、椎名の枕元に移動させてやった。子猫はもそもそと布団にもぐっていく。

「一緒に寝るのか?」

 シーナはちょっとうれしそうに笑った。母親のような目をして子猫を見ている。

(優しい人なんだな)

 予想していた通り、本当に綺麗な人だ。外見も、中身も。

「シーナもそろそろ眠らないと。これ以上、熱が上がったら大変だし」

「うん……ありがとう、本谷」

 微笑んで、シーナは目を閉じた。やがて、小さな寝息が聞こえ出す。

「にぁ」

 布団の中からネコが顔を出した。

「こら、起こすなよ」

 ずるずるとネコを布団から引っ張り出して、抱き上げる。シーナにばかり気を取られていて気づかなかったが、よく見ると、綺麗な猫だった。グレーの毛並みはいい色で柔らかいし、ブルーの瞳は理知的で、賢そうな顔をしている。

 俺はその子猫を抱きしめた。柔らかくて、小さくて、暖かい。本当は、目の前に眠っている人を抱きしめたかったのだけど。

「なぅ」

 子猫は俺の顔に顔をすりよせ、ざらざらした舌で俺の頬をなめた。

「おまえのおかげだよ。シーナと、知り合えた」

 この子猫が路地裏へシーナを呼ばなかったら、俺とシーナがこんなふうに話す機会なんてきっとなかっただろう。俺はシーナのことが「好き」だという気持ちにも気づけないまま、悶々とシーナを目で追う学生生活を送っていたに違いない。

 シーナは男だけど、俺は恋愛感情を持つ禁忌というものを感じなかった。どうやら自分は、自分で思うよりも柔軟な考えの持ち主だったらしい。男に性欲を感じたって、別に後ろめたくない。

(でも……)

 シーナはどうなんだろう。

 ………彼は、普通の男だ。

 簡単に部屋についてきて、こんなふうに無防備に眠れるのも、男同士だからだ。まさか俺がシーナに特別な感情を持ってるだなんて気づくはずがない。気づかれてしまったら、どうなるんだろう。軽蔑されるだろうか。嫌悪されるだろうか。とりあえず、二度とシーナに近寄れなくなるんだろうな。

 はぁ、とため息をついてしまう。

(自覚した途端に我慢しなきゃいけない気持ち、か)

 せっかくシーナを好きになったのに、それを伝えることができないなんて。

 シーナの額のタオルを取り替えながら、またため息をつく。

 できるならば、これからずっとそばにいたいから、この気持ちは気づかれてはいけない。そうしたら、ずっと友達でいられるはずだ。嫌われるよりも、自分の気持ちを抑えておくほうがましだ。

「…なぁ、シーナ」

 今日はいろんなことがあった。

 シーナにはじめて触れることができた。タメ口でしゃべれるようになった。自分の恋愛感情に気づいた。バイトのことをはじめて誰かにしゃべった。部屋にはじめて人をあげた。

「どうしようかなぁ…これから」

 俺は猫をひざに乗せながら、天を仰いだ。

                

to be continued…  

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