The Secret

「秘密」         

〔前編〕           

                 

 椎名光流は綺麗な人だ。

 色白で、華奢で、ちょっと女顔で…いや、細面で少し神経質そうな雰囲気で…だけどそれはどうやら繊細さの裏返しのようで。

 柔らかそうな髪は俺みたいに染めたのではなく、自然なこげ茶色をしていて、すこしくせがあって。その髪が風にふわふわゆれていると、手を伸ばして思わず触れてみたくなる。

 彼は視力がかなり悪いらしく、いつも細いフレームの眼鏡をかけている。その眼鏡のせいで神経質そうに見えるのかもしれない。だけど、よくよく見ると、レンズの奥の瞳は、彼の内面の強さをあらわすように澄んだ光を持っている。

 頭脳明晰、眉目秀麗。どちらかといえばおとなしい人だけど、なぜか人目を引かれる。

 大学の医学部に入学し、彼と同期生となってからはや1年と数ヶ月。

 俺は、椎名光流という人が、気になって仕方がなかった。

 

 

 

 8月に入ってからというもの、京都は毎日、地獄のような暑さが続いていた。

 大学は夏季休暇に入ったものの、バイトはまだまだ続く。

(あー、かったるい)

 本谷は厨房のゴミ袋をまとめながら、ため息をついた。

 本谷がバイトをしているのは、京都の木屋町にあるバーだ。飲み屋とは違って騒ぐ客がいないのでバーをバイト先に選んだ。このバーはどちらかというと年輩な客が集まるので、大学の知り合いが来ることがないのもねらいだった。時給も悪くない。ただ、仕事が終わるのが深夜の2時くらいというのがつらかった。大学の講義が一限からある日なんて、講義室の椅子に座るなり爆睡してしまう。生活費を稼ぐには、仕方のないことなのだけど。

「本谷ー、ゴミ出してきてー」

 厨房からバイト仲間が顔を出し、黒い大きなゴミ袋を差し出した。これが本日最後の仕事だ。

(はぁ、やれやれ)

 やっと帰って眠れる。

 大学に行かなくてよい分、楽なことは楽なのだが、やっぱりつらい。それに、盆地の暑さにやられてかるく夏バテ気味なのだ。

 バーの裏口のドアを開けると、いつのまにやら小雨が降っていた。

(これで暑さがましになってくれるといいんだけど) 

 薄暗くって細い路地の一角のゴミ置き場にゴミ袋を置いて、本谷は大きく伸びをした。そのとき。

「くしゅんっ」

 誰かのくしゃみが聞こえて、反射的にそちらを見た。

「―――――――――――――――――っ!」

 くしゃみをした本人と目が合う。

 その人は、本谷から数メートル離れた場所に立っていた。

 路地の中、闇に溶けそうな紺のスーツで身を包んだその人は、俺の姿を認めると、目をまん丸にした。

 細いふちの眼鏡。茶色っぽい髪。大学で何度も会ったことのある顔……

(まさか)

「椎名さん…………?」

「本谷………………?」

 聞き覚えのある声。大学にいる間中、いつもいつも耳を澄ませて彼の声を聞いていたのだから、間違うはずがない。

 椎名光流。

 色白なその人は、薄暗い路地の中にいてもひとめでわかるくらい、綺麗な人だった。






「こんなところで何してるんですか?」

「本谷こそ…その格好………」

 椎名さんは俺の頭からつま先までを見まわして、そう言った。

 俺はバイト先の制服姿…黒のベストに白いシャツ、黒のズボンにタイ、という出で立ちだった。

「バイトの制服です。ここ、俺のバイト先なんで」

 さきほど自分が出てきた裏口を指差しながら俺は答えた。

「バイト?」

「俺、生活費稼がなきゃいけないから、けっこう切実なんですよ」

「――――――――――――――」

(あぁ、ヘンな顔してる)

 椎名さんは思いきりまゆをひそめ、首をかしげている。

 それもそうだろう。俺は大学では大病院の跡取り息子ということになっているのだから。もちろんそれは嘘ではない。ただ、父親と大喧嘩して、仕送りを止められているのも事実なのだ。

「いろいろ事情があるんです」

 そう言うと、椎名さんは怪訝そうな顔をしつつもうなずいた。

「それよりも椎名さん、なんでこんな裏道なんかにいたんですか?それにスーツだし…」

「学会の手伝いをしてて、打ち上げがこの近くの店であったんだ。そこでみんなと別れて帰ろうと思ったときに…………」

 椎名さんはそこで言葉を切ってうつむいた。そして、スーツの胸に抱いていた「モノ」を俺に見せた。

「ネコ……」

 椎名さんの腕の中には、グレーの小さな子猫がいた。まだ目が開いたばかりくらいの、片手のひらに納まってしまいそうな猫だった。

「どうしたんですか?このネコ…」

「捨てられてたんだ……この路地に。たまたま声が聞こえて行ってみたら、そこのゴミ捨て場にこいつがいて………雨降ってるし、このまま放っといたら死んじゃうなぁって思ったら、ね」

「つれて帰ったらいいじゃないですか」

「うち、動物飼えないんだ。マンションの下に管理人さんが住んでるから、けっこうきびしくってさ。でも、だからってこいつを放ってはおけないし、どうしようかなぁって思ってたんだ」

 ふなぁ、と弱々しく子猫が鳴いた。よしよし、と椎名さんが子猫の鼻の頭をなでる。

 よくよく見ると、椎名さんの髪やスーツはかなり濡れていた。子猫が濡れないようにかばっていたようだが、自分自身を雨からかばおうとは思っていなかったようだ。

 そんなことを思っているうちに、また椎名さんが小さなくしゃみをした。

「カゼひいたんじゃないですか?一体いつくらいからここにいるんですか?」

「さぁ…打ち上げは12時前には終わったけど」

「12時前からいたんですか!?今はもう2時ですよ!!あぁもう、こっちきてください!」

 店の裏口まで椎名さんの腕を引っ張っていく。彼と知り合ってから、はじめて彼に触れた。なんとなく、顔が熱くなる。椎名さんの腕も熱い。…………え?

(熱い)

「椎名さんっ」

「え?」

 きょとん、と俺を見上げる椎名さんの額に手を当てる。やっぱり熱い。

「熱、ありますよ、椎名さん!!」

 雨に濡れた彼の額はかなり熱かった。しかし本人は猫をなでながら、「そうかな?」なんて首をかしげている。

「どちらかといえば、寒いかな」

「ずっと雨に濡れてたんだから、当たり前です!これから熱が高くなっていくんですよっ。医学生のくせに、そんなこと言ってないでくださいよ!」

「さすが入学生代表、だね」

「いつの話してるんですか…」

 確かに俺は入学式に入学生代表で挨拶はしたけれど、それは一年以上前の話だ。たまたま入学試験のときは俺がトップだったというだけで。今は椎名さんのほうが成績は上だ。……あぁ、いまはそんなことはどうでもいい。

「家っ!椎名さん、家どこですか!?俺、これでバイトあがりだから送りますよ」

「いいよ。それに、もう電車ないから帰れないし……こんな時間じゃタクシーもつかまらないだろうし……」

「――――――どうする気だったんですか…?」

「うーん………」

 真剣な表情で悩み出した椎名さんに、思わずため息をついてしまう。学部でトップクラスの頭脳を持っているはずの椎名さんが、こんなに天然な人だとは思わなかった。いや、これも熱のせいなんだろうか?それとも酔っ払っているんだろうか?

(あ―――――――――もうっ)

「椎名さん、ここでちょっと待っててくださいね!ネコと一緒に。俺、着替えてすぐ戻ってきますから!」

「……………………?」

「俺の家、ここから近いんです。今日は泊まっていってください!」

「でも、ネコ………」

「うちに一緒につれていきます。うちは管理人とかいないから、ネコがいてもばれないです」

「……………」

 椎名さんがなにか言おうと口を開く前に、俺は店の奥に着替えに走り出した。きっと椎名さんは断りの言葉を言おうとしていたに違いない。だけど、これは俺にとってまたとないチャンスだ。椎名さんとゆっくりと話せることなんて、いまをおいてはないだろう。それに、あんなにぼんやりとしている椎名さんをこのまま放っておけるはずがない。

(ネコをひろった椎名さんを、今度は俺がひろったってわけか………)

 あわてて着替えながらも、つい、笑みがこぼれてしまった。

to be continued…  

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モドル