「秘密」の裏側
[中編]
本谷の家は、木屋町から歩いて15分くらいのところにあるマンションだった。
大病院の息子だから、どんな立派なところに住んでいるのだろうと思っていたのに、ここは、築20年は経っていそうな古いマンションだった。壁はすすけてるし、エレベーターはないし、玄関のドアはきしんでるし、部屋の中の壁や床も、なんとなく年季を感じさせるものだった。
本谷は意外と几帳面らしい。突然の訪問だったのに、部屋はきちんと片付けられていた。キッチンの奥にかなり広い部屋が一間あって、パソコンやベッドや本棚なんかが並べられていた。
「もっと豪華な家かと思ってました?」
猫を抱いたままぼーっと部屋の中を見まわしていたら、背後から笑みを含んだ声で本谷が言った。
考えを見透かされてしまって、顔が赤くなる。
「…………ごめん……………」
「別にいいですよ」
くすくすと本谷が笑う。
「大病院の息子が全員優雅に暮らしてるわけじゃないんです」
「本谷、バイトもしてるし………………社会勉強、とか……?」
「まさか!」
オレの言葉にぱっと本谷が振り向く。そして、今まで見たことも無いようないたずらっぽい笑顔でオレに微笑みかけた。
「いろいろ事情があるんですよ」
(うわ…………)
思わず、どきん、としてしまった。
こんなこどもっぽい表情をしている本谷なんて、知らない。
大学にいるときの本谷は、いつも冷静で、どこかつまらなそうな顔をしているのに。
目の前にいる彼は、くるくると表情をよく動かし、小さな子どものように笑っている。
(いつもこんな風に笑ってたらいいのに)
そうしたら、オレも本谷のことを嫌いになんてならなかった。むしろ………
「……うわさとか他人の話を信じちゃいけないね」
それに、自分の「偏見」も。
「本谷は大病院の跡取りで、ものすごい豪華な家に住んでて、毎日遊びまわってるってきいてたから………ちょっとびっくりした」
「―――そんな豪快なうわさが流れてるんですか……怖いなぁ。でも、それを本人に言っちゃう椎名さんもすごいですよ」
「!」
そういえばそうだ。
「ごめん…………」
あぁ、さっきから顔が熱い。
「いいんですよ。さ、上がってください」
「ありがとう」
本谷はオレの先に立って部屋の中に入り、チェストからタオルを出した。
「ネコ、貸してください」
「あ、タオルでふくのか?なら、オレが……………」
「あなたは自分をふいてください」
本谷は俺の腕から猫を抱き上げると、新しくタオルを出して猫の代わりにオレの腕にもたせた。
「椎名さん、着替えないと。そのままじゃスーツしわになりますよ。濡れてるし」
確かに、小雨とはいえかなり長い間雨に打たれていたから、スーツのジャケットは水を含んで重くなっていた。
「着替えは俺ので我慢してください。ハンガー、今だしますから、スーツはそこにかけてください」
「別にこのままでいいよ」
「駄目です!」
今度はオレの腕にTシャツとジャージが渡された。
「椎名さんはうちに泊まり、決定なんです。家主に従ってくださいね。ほら、着替えて着替えて」
そう言われてしまうと、もう従うしかない。目の前で着替えるのもなんだったので、玄関を入ってすぐ横にあったユニットバスに入って着替えた。ジャケットを脱いだシャツもびしょびしょになっていた。そんなに長い間外にいたつもりではなかったのだけど…
しめたドアの向うから、にゃぁにゃぁと猫の鳴き声が聞こえてきた。
「ネコ、鳴いてる?」
着替えを終えてキッチンに戻ると、本谷の腕から猫を受け取って抱きしめた。子猫はふみゃぁ、と鳴いて、オレの胸に顔をすりつけた。温かくて、かわいいなぁ。
そんな子猫を、本谷はまた見たこともないような柔らかい表情で見つめていた。
「―――――――――――――――……」
思わず見とれてしまった。
本谷は顔の造りはかなり良いんだし、いつもこんな風にやさしそうな表情をしていたら、同性にも異性にももっともっともてるんだろうになぁ。もったいない。
子猫は必死にオレの指に吸い付いていた。ざらざらした舌の感触がくすぐったい。
「お腹すいてるのかな……」
「あ、牛乳あるから温めてみます。それから椎名さん、ネコ抱いたままでいいんで体温計で熱はかってください。そこに出しときましたから」
体温計?
「なんで?熱なんかないよ」
「いーえ、あります!体、熱くないですか?俺が触った感じじゃ、微熱か、それよりもう少し上かくらいだと思います」
そうかなぁ。
とりあえずは家主にしたがって、部屋のテーブルの上においてあった体温計をわきにはさんだ。
あらためて部屋の中を見まわしてみると、どうやらここはもともと二間だったものを、しきりをはずして一間にしているようだということがわかった。部屋の一番奥がベッド。その横には本棚とパソコン。手前にきて、テーブルとチェスト。あまり無駄なものがないせいか、すごくすっきりしている。
「ところでさ、本谷」
ぼんやりと部屋を眺めながら呼びかける。
「なんですか?」
「何でオレに敬語つかってんの?」
さっきからひっかかってたんだ。なんでだろう?って。オレと本谷は同期なのに。
「―――あー…学校のヤツから椎名さん、1個年上だって聞いてたから、つい」
本谷はなんだか申し訳なさそうにそう言った。
(あぁそれでか)
オレが19歳で大学一回生になったことは、別にかくしてるわけじゃないからいいのに。
「大学まできて先輩後輩はないだろ。オレと本谷は同期になるんだし。それにオレ、1個下のヤツらとずっと一緒だったから、年上って気がしないよ」
「え………?ずっとって…?」
「オレは大学は現役で合格してるってこと。ま、『いろいろ事情があるんだよ』」
さっき本谷がバイトをしている理由をオレに説明したときにいった言葉を使わせてもらった。
オレは、自分が1歳年上だって事をかくしてはいないけど、なぜそうなのかっていうことを望んで説明したことはない。たいていの人は病気だとか留年だとか、適当に自分の中で理由づけをしてくれるから、あえて真実を話したくはなかった。
本谷はなにかいいたげな、困った表情で、温めた牛乳を運んできた。でも、彼はそれ以上なにも聞かなかった。
本谷になら本当のことを話しても良かったのにな。
オレも彼の秘密を知ったわけだから。
本谷がオレの過去について問いただしてくれないのが、なんとなくがっかりした。なんでだろう。
「シーナって呼んでよ」
「椎名さん」では仰々しすぎるから。
「学校のヤツはだいたいそう呼ぶから。敬語もいらない。タメ口がいいよ」
そう言うと、本谷はうれしそうに笑った。
知らなかった。彼がこんな風によく笑うヤツだったなんて。
最初は彼の家に来るのが嫌だったけど、今となっては、来て良かったな、と思い出していた。
「牛乳あったまりましたよ」
「敬語」
「あっ、えっと、あったまったよ、シーナ」
「OK」
本谷と顔を見合わせてくすくす笑う。
猫をカーペットの上におろし、牛乳の皿を置くと、猫は勢い良く牛乳を飲み始めた。こんなに小さいのに、その生命力はすごい。一生懸命「生きよう」としているのがわかる。
「椎名さん…じゃなくて、シーナ、熱は?」
「あ、そうだった」
体温計を忘れていた。ごそごそとTシャツのなかから体温計を出して目盛りを読む。
(え?)
なんでこんなに熱が高いんだろう?こわれてるんだろうか、この体温計…
「これ、こわれてる?」
「…貸してください」
本谷に体温計を渡す。彼は目盛りを見てぎょっとしたような顔をし、オレの額に手をあてた。
「めちゃめちゃ熱あるじゃないですか!寝てください!熱、上がってますよ」
「敬語じゃなくていいって言ったのに」
「いいからっ」
本谷は奥のベッドのほうへ行くと、ばたばたと布団を整えた。
「オレ、床でいいよ。泊めてもらうんだし」
家主を床で寝かせるわけにはいかないし。
そう言うと、本谷はキッとオレをにらみつけた。
「病人を床で寝かせられるかよっ!うだうだ言ってないで、はやく!」
敬語じゃなくていいとは言ったけど、そこまで言葉が悪くなるのもなんだかなぁ。両極端だ。
そんなことを思っていると、本谷が怖い顔のままオレのほうまで歩いてきて、いきなりオレを抱き上げた。
「っ!!!!!」
(うわっ)
いわゆる「お姫さま抱っこ」という状態で、オレはベッドまで運ばれてしまった。あまりのことに、呆然としてしまう。いくら本谷より背が低いとはいえ、男のオレはそう軽いわけじゃないのに。なにより、恥ずかしい。
本谷はオレをベッドに下ろすと、そっとオレのめがねを取って横の本棚に置いた。それからユニットバスに行って洗面器を持ってきて、ベッドの横に座った。ちゃぷん、と音がしたのでそちらを見ると、本谷がタオルを洗面器に浸す音だった。そのタオルは、オレの額に置かれた。冷たくて、きもちいい。
目を閉じてタオルの涼感を感じていると、本谷が優しい声で言った。
「眠れよ。ネコは俺が見とくから」
「――――――――――」
不思議だった。
何でこの人はオレにこんなに優しくするんだろう。
ろくに話したこともないヤツを、かいがいしく看病なんかして。
目を開けると、穏やかで、少しだけ心配そうな本谷の目と目が合った。
「…話してみないとわからないもんだな」
「え?」
今目の前にいる彼が、きっと本当の彼なんだろう。本谷のことをいつも目で追っていたから、なんとなくわかる。大学にいるとき息苦しそうにしていた彼は、今はとてものびのびとしてる。でも、なんで彼は外では感情を殺しているんだろう?
本当のきみは、こんなにも親しみやすいヤツなのに。
「オレ、本谷のことがうらやましいって言うか…ちょっと腹立ってて。入学生代表だったってことは、首席ってことだろ。そのうえ家は金持ちで。でも、いつだったかな…ものすごい恵まれてるくせに、なんだか不満そうにしてるのに気づいて」
ヘンだな。オレ、なんでこんなことをしゃべってるんだろう?やっぱり熱があるんだろうか?それとも、酒のせい?
「でも、今の本谷はちゃんと笑ってる。大学にいるときと全然違うよ。今のほうが、ずっといい。いっつもそんな風に笑ってたらいいのに」
そうしたら、本谷をねたんだり悪口を言ったりする人はきっといなくなるのに。オレも、きみのことを好きになれるのに―――――――
(違う)
オレは、きっともうすでに彼に好感を抱き始めてる。だって、もっともっと本当の彼を知りたいと思っているんだから……
「なぅ」
牛乳を飲み終えて、子猫がベッドのわきまで歩いてきた。
「えらいな、おまえ。ひとりでここまでこれたんだ」
本谷が子猫を抱き上げてベッドの上にのせてくれる。子猫はそのまま布団の中へもぐっていった。
「一緒に寝るのか?」
腹の辺りに子猫の高い体温を感じて、なんとなく微笑んでしまった。
「シーナもそろそろ寝ないと」
オレの額のタオルを取り替えて、本谷も微笑んだ。
「これ以上熱が上がったら大変だし」
「うん……ありがとう、本谷」
タオルの冷たさが心地よい。
布団の中の子猫の感触も、すぐそばに感じる本谷の存在も、なにもかもがぐるぐるとまわって、ひとつになって、オレを優しく包んでいく。
こんなに落ち着いた気持ちになるのは久しぶりだった。
やすらぎ。
嫌っていた人が、本当はものすごくいいヤツで、オレのことを心配してそばにいてくれる。
今まで他人がそばにいることをこんなに心地よく思うことはなかった。不思議だ。
(猫をひろって良かった)
そう思いながら、オレはまったりと夢の世界に落ちていった。
To be continued …
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