The secret of his mind

「秘密」の裏側

    [前編]

 本谷圭吾は、嫌なヤツだ。

 ルックスは良いし、頭も良い。大学の入学式で挨拶していたから、きっと彼が主席で合格したのだろう。おまけに

家は大病院を経営していて、彼は将来、なにもせずにその病院の院長の座に座ることが約束されているのだ。

 でも、それだけだったら、オレは彼をこんなに嫌うことはなかっただろう。

 同期生とはいえ、ろくに言葉を交わしたこともない彼に嫌悪の感情を持つようになったのは、彼の目に気づいてからだ。

 彼は、友達と談笑し合っている時でも、目だけは笑っていなかったんだ。口が笑っていても、目だけは冷やや

かなまま……適当に周囲に合わせているのだ。彼の周りの人間は、それに気づいていないみたいだったけど。

 オレはことあるごとに本谷の様子をうかがうようになっていた。

 そしてどんなときも彼の目は笑っていないことがわかった。

 それ以来、オレは彼のことが嫌いになったのだ。

 京都の夏は暑い。

 雪国生まれのオレには、盆地のこの暑さはかなり酷だ。

 しかも今日はスーツを着こんでいるので、より一層暑い。

 今日は八月の半ば。大学はすでに夏休みに入っているのだが、オレは学会の手伝いに借り出され、この暑い

中、紺色のスーツを着て歩き回らなければならなかった。三日間あった学会は今日でようやく終わり、先ほどま

で木屋町の飲み屋で打ち上げをしていた。その打ち上げも終わり、目の回るような忙しさからようやく解放された

のは、時計が23時を過ぎた頃だった。

 オレの家はここから電車で30分くらいかかるところにある。そろそろ終電が気になる時間だ。

 みんなと別れて道を急いでいたそのとき。

「ふにゃぁ」

「?」

 どこからか、猫の声が聞こえた。

 たくさんの人が行き交う繁華街で、なぜだか鮮明にその声はオレに伝わった。

(どこから聞こえるんだろう?)

 きょろきょろと辺りを見まわしてみる。

 どうやらその声は、この通りから続く細い路地の向うから聞こえてくるようだった。

 人通りのない路地へ入ってみると、猫の声が大きくなった。

「いた………」

 10メートルほど行ったところにダンボール箱があり、その中に生まれたばかりのような子猫が入っていた。その

子猫は必死に目を開けてこちらを見上げ、弱弱しく鳴いた。

「…おまえがオレのこと呼んだのか?」

 そっと子猫を抱き上げる。あったかい。子猫は小さな頬をシーナの胸にすりつけた。

「……でもなぁ…うちは動物、飼えないんだよ。どうしようかな」

 一度見つけてしまった子猫を置いて帰るなんてこと、できない。誰かに頼もうにも、この辺りに住んでいる知り

合いはいなかった。

「どうしよう」

 もう一度つぶやいて、シーナは猫を抱いたまましゃがみこんだ。

 空からぽつぽつと雨が降り出したので、ネコを背広の胸の中に入れる。

 そのまま途方にくれていると、背後で、どさっと何かをおく音がした。

(なんか、ぼーっとしてたな)

 ネコに会ってからどのくらいたったのかわからない。

 どうやら打ち上げで飲んだアルコールが回ってきているようで、なんだか意識がぼんやりとしている。雨は相変

わらず降りつづけていたが、あまり気にはならなかった。

 くしゅん、とくしゃみをして顔を上げる。と。

「―――――――――――――――」

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 そこに立っていたのは、本谷圭吾だった。

 彼は黒のベストに黒のズボン。それに蝶ネクタイなんかして、カジノのディーラーみたいな格好をしていた。

「椎名さん…………?」

 彼がオレの名前を呼ぶ。間違いなく、本谷圭吾だ。

 本谷も驚いているみたいで、目を丸くしながら俺に訊いた。

「こんなところで何してるんですか?」

「本谷こそ…その格好………」

 オレは本谷の頭からつま先までを見まわしながら言った。

 彼はぎくっとしたように顔をこわばらせた。それから小さなため息をつき、彼の背後にあったドアを指差した。

「バイトの制服です。ここ、俺のバイト先なんで」

「バイト?」

「俺、生活費稼がなきゃいけないから、けっこう切実なんですよ」

「――――――――――――――」

(なんで大病院の跡取り息子が、バイトなんてしてるんだろう?)

「いろいろ事情があるんです」

 オレの内心を察したかのように、彼は答えた。そう言われてしまうと、オレもうなずくしかなかった。

「それよりも椎名さん、なんでこんな裏道なんかにいたんですか?それにスーツだし…」

「学会の手伝いをしてて、打ち上げがこの近くの店であったんだ。そこでみんなと別れて帰ろうと思ったときに…………」

 スーツの中に手を入れて、温めていたネコを本谷に見せた。

「ネコ……」

 子猫を見て、本谷はまた目を丸くした。

「どうしたんですか?このネコ…」

「捨てられてたんだ……この路地に。たまたま声が聞こえて行ってみたら、そこのゴミ捨て場にこいつがいて………

雨降ってるし、このまま放っといたら死んじゃうなぁって思ったら、ね」

「つれて帰ったらいいじゃないですか」

「うち、動物飼えないんだ。マンションの下に管理人さんが住んでるから、けっこうきびしくってさ。でも、だからって

こいつを放ってはおけないし、どうしようかなぁって思ってたんだ」

 ふなぁ、と子猫が鳴くので、頭をなでてやる。

 本谷はしばらく無言でそこに立っていた。

 くしゅん、とまたくしゃみが出た。

 なんとなく寒い。夏なのに。

「カゼひいたんじゃないですか?一体いつくらいからここにいるんですか?」

 あぁ、そうか。そうかもしれないなぁ。

「さぁ…打ち上げは12時前には終わったけど」

 そう答えると、本谷は急に顔を険しくさせて怒鳴った。

「12時前からいたんですか!?今はもう2時ですよ!!あぁもう、こっちきてください!」

 ぐいっと腕を引っ張られてよろけてしまった。そのままずるずるとバーの裏口の屋根の下まで引きずられた。

(乱暴だなぁ)

 ちょっとむっとして本谷を見上げる。余談だけど、本谷はオレより数センチ背が高い。

「椎名さんっ」

 妙に切迫した声で本谷がオレの名前を呼ぶ。

「え?」

「熱、ありますよ、椎名さん!!

 本谷は眉間にしわを寄せながら、オレの額に手をあてた。でも、オレは熱なんかないよ。だって。

「どちらかといえば、寒いかな」

「ずっと雨に濡れてたんだから、当たり前です!これから熱が高くなっていくんですよっ。医学生のくせに、そんな

こと言ってないでくださいよ!」

 そっか。そういえばカゼのひきはじめってこんな感じだったっけ。

「さすが入学生代表、だね」

 頭の回転がいいね。

「いつの話してるんですか…」

 一年半前の話だよ。入学式で、本谷が壇上で挨拶をした。あの時以来、オレの頭の中には「本谷圭吾」っていう

人間が住みついたんだ。頭がよくって金持ちで顔もよくって。ねたましい対象として、きみ

はオレの中にいるんだ。

 本谷はオレの熱をはかっていた手をおろした。

「家っ!椎名さん、家どこですか!?俺、これでバイトあがりだから送りますよ」

「いいよ。それに、もう電車ないから帰れないし……こんな時間じゃタクシーもつかまらないだろうし……」

「――――――どうする気だったんですか…?」

「うーん………」

 そういえばそうだ。

 猫もいるし、どうしようかなぁ。

 オレの家はここから電車で30分くらいかかる。でももう終電は行っちゃったし、歩いたらどれくらいかかるのか

考えたくもない距離だし、雨降ってるし……

 考え込んでいたら、しびれをきらしたように本谷が俺の両肩に手をおいた。

「椎名さん、ここでちょっと待っててくださいね!ネコと一緒に。俺、着替えてすぐ戻ってきますから!」

「……………………?」

(は?)

「俺の家、ここから近いんです。今日は泊まっていってください!」

「でも、ネコ………」

「うちに一緒につれていきます。うちは壁厚いから、ネコがいてもばれないです」

「……………」

 悪いよ、と言おうと思ったのだけど、その前に本谷は店の中へと走っていってしまった。

 オレはドアに背をつけて持たれながらため息をついた。

(何で本谷の家に行かなきゃいけないんだろう)

 別に仲が良いわけではないのに。

 同じ大学の同期ではあるけど、ほとんど言葉を交わしたこともないし。

 腕の中の猫が小さく鳴いてオレを見上げる。その頭をそっとなでながら、オレは二つめのため息をついた。

(緊張する)

 仲が良いわけではないけれど、なんとなく気になって目で追っていた相手の家に行く。どうしたら

いいんだろう。何を話したらいいんだろう。

 頬になんとなく熱を感じた。本谷の言う通り、カゼをひきかけているのかもしれない。それとも、アルコールが

回ってきているのだろうか。

(ネコがいてよかった)

 本谷と部屋に二人きりになるよりも、誰かがもうひとり(いっぴき)いてくれるほうが気が楽だ。

 この猫のせいで、本谷の家に行かなきゃいけなくなったわけだけど。

To be continued … 

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モドル