wiating for the summer …

    夏待ち

                                       

 その電話は、丑三つ時にかかってきた。

 プルルル、プルルル、とけたたましくなっているのは、シーナの携帯の音だ。

「ん………?」

 寝ぼけた声をたてて、俺の腕枕からシーナが身を起こす。

「電話。シーナの携帯みたいだけど?」

「うん。出る……」

 シーナは目をこすりながら、ベッドサイドのテーブルの上、充電器に立ったままの携帯に手をのばした。

 俺とシーナが同居していることは、世間には内緒だ。だから、この部屋に電話を引かなかった。電話が鳴っても

どちらへの電話なのかわからず、ぼろが出るかもしれなかったからだ。その代わり、お互いに携帯電話を持ってい

るから、不自由ではない。着信音を変えているから、音を聞けばどちらの携帯がなっているのかも、すぐわかる。

 明かりを消した部屋の中で、シーナの背中だけが濃い影になってみえる。俺はベッドに寝転んだまま、その姿を見

つめていた。

 俺のいちばん大切なひとの、その背中を。

「まさかっ………!!

 急にシーナが叫び声を上げた。

(どうしたんだ?)

 電話の相手に聞こえないように小声で問うと、シーナは綺麗な顔をしかめながら俺を見た。

「はい…いつなんですか?ついさっき?……いえ…はい…はい、わかりました」

 悲痛な面持ちのまま、シーナはしゃべっている。彼の手は携帯をぎゅっとにぎりしめたまま、少し震えていた。

 どうしたんだろう?

 俺はベッドから降りて、シーナのそばに歩み寄った。

「はい……明日の朝に、すぐそちらへ戻ります。はい…いえ、こちらこそ、ご迷惑をおかけしてすみません……失礼

します」

 シーナが電話の「切」ボタンを押したのを確認してから、俺は口を開いた。

「どうしたんだよ、シーナ?」

「………本谷………………」

 シーナの震えた声。

 彼は携帯を持ったまま、その場にぺたんと座り込んだ。

「本谷………ばぁちゃんが、死んだ」




 シーナの実家は、新潟のある山村だ。

 彼の生い立ちはけっこう複雑で、俺の知ってる限りの情報だけでも、十分に小説が書けそうなくらいだ。

 まず、シーナは幼い頃に事故にあって、そのときに両親を失っている。本人も半死半生の怪我を負い、学校

を一年ダブった。彼が入院している間、シーナの親権をどうするかで、父方と母方の親族たちがもめたらしい。

最初は、亡くなったシーナの両親の保険金の扱いでもめて、そのうちシーナの治療費でその保険金が半分以

上消えることがわかり、今度はシーナの養育費のことでもめた。ここでさらに問題をややこしくしているのが、

シーナの母親が養女だったっていうことなのだけど…いろいろなことがあったらしいが、結局、シーナの父方の

祖父母がシーナを引きとって育てることとなった。シーナはこのあたりのいきさつをあまり話したがらない。

 シーナを育てた祖父母というのは、とても優しくていい人たちだったそうだ。彼らのことを話すときのシーナの表

情の柔らかさがそれを物語っている。幼くして両親をなくしたシーナを、彼らは暖かく、時に厳しく育ててくれたそう

だ。実の両親がいないさみしさは、いつもついて回っていたようだけど。

 シーナは高校を卒業するまでは祖父母と共に新潟で暮らしていたが、大学進学をきっかけに、京都で独り暮しを

はじめた。ちょうどその年に、祖父が亡くなったということを聞いている。そして昨夜、故郷の新潟で独り暮らしていた

祖母も、シーナをおいて逝ってしまった。




 新潟へ向かう電車の中で、シーナはずっと黙ったままだった。

 梅雨空が送り出す雨粒を、じっと見つめている。

 昨夜、電話を切った後、朝まで休んでおこうとベッドに入ったものの、シーナが眠っていなかったことを知っている。

同じダブルベッドに背中合わせに横になっていたから、シーナの背中が小刻みに震えていたのに気づいていた。

幸いなことに、いまだ親族との別れを経験したことがない俺は、そんなシーナになんと言葉をかけていいのかわから

なかった。

 そして夜が明けて、独りで新潟へ戻ろうとしたシーナに、俺は無理矢理くっついてきた。あまりのショックでシーナが

朦朧としているのがわかったからだ。こんな状態で外に出したら、車にでもひかれかねない。

 シーナのだんまりは、そんな俺の行動に怒っているせいかもしれない。

 そういえば、彼と初めて会った頃は、よくこんな風に冷たくされたものだ。




 シーナと俺は、大学の同期生として出会った。

 京都の名門大学の医学部生として。

 最初はただの学生同士だった俺たちは、紆余曲折を経て、いつのまにか恋人同士になっていた。出会った頃に

は予想もできなかった展開だ。いつのまにやら「クラスメート」が「大切なともだち」になり、そして「愛しい人」になっ

ていたのだ。俺だけではなく、シーナも同じように思ってくれていたことが、俺の人生最大の幸せだった。

 シーナと俺とが親密に付き合うようになってから2年。

 だけど、シーナはあまり自分のことを語らないので、彼の生い立ちは謎だらけだ。

 それを少しでも解き明かすために、俺はシーナについて新潟にきたかったのかもしれない。




 シーナの故郷は、電車を降りてからバスで30分ほど行ったところにあった。

 都会のように家と家が密集しているのではなく、のどかな田園風景の中に、ぽつり、ぽつり、と民家がある。その

家々も、ひとつひとつがかなり広そうな造りだ。のんびりとしていて、のどかそうな、山沿いの町だ。

 シーナは相変わらず無言だったが、バスからこの町に降り立ったとき、なんともいえない感慨深げな表情で周囲

を見まわした。

「綺麗なとこだな」

「…田舎って言っても別にいいよ。何にもないだろ」

 確かに、田んぼと川と家と山があるだけで、コンビニや商店みたいなものすら見つからない。この村の人はどこで

買い物をしているのだろう?と不思議になってしまった。

「こっち。本谷のことは、大学の友達が手伝いに来てくれたって説明するから…」

 口裏を合わせろ、と。

 俺たちは男同士だから、なかなか世間に大手を振って「恋人同士です!」とは宣言できない。特にシーナは、

二人の関係を知られることが怖いようだ。前々からそういう節はあった。

「わかってる」

 俺が答えると、シーナは小さくうなずいて、歩き出した。




 それからの2日間は、まるで映画を見ているように事が流れていった。

 俺たちが着いたとき、シーナの家にはすでにご近所の人が集まっていて、葬儀の準備を進めてくれていた。シー

ナは母方の親族との交流を断っていたから、亡くなった祖母が最後の親族だった。そのため、人手が足りなく、つい

ていった俺は、葬儀のために部屋のふすまを取り払う作業やら、何十人分もの食事を運ぶ係やら、もっぱら肉体労

働に動員された。シーナは喪主となるため、いろいろと忙しく動き回っていた。若いシーナを補うように、ご近所の

人々がいろいろと世話を焼いてくれていた。まるで家族のように。それが俺にはかなりセンセーショナルな出来事

だった。俺の地元じゃ、こんなふうに他人のためを考えてくれる奴なんていないから。

 静かで哀しい通夜と葬儀が終わり、シーナの祖母は小さな白い骨になった。それをきっかけに葬儀であわただし

くしていたシーナの家からも人が去り、静かになった。

 誰もいなくなった部屋を掃除していた俺のところに、シーナがやってきた。真っ黒の礼服に身を包んだ彼は、色の

白さが際立ち、やつれた雰囲気も手伝って、こんなときにこんなことを思うのは不謹慎なのだけれど、いつもよりいっ

そう綺麗だった。

「つかれただろ。少し休んどけよ」

「…大丈夫」

 シーナは少し苦しげに微笑む。そういえば、シーナは祖母が死んだという報せを受けてから、一度も泣いていな

かった。ああ違う。あの夜、きっとシーナは泣いていた。でも、俺に悟られないように、必死に声を殺していたっけ。

「…ありがと。本谷についてきてもらってよかった。すごく助かったよ…ありがとう」

 言いながら、シーナは、こつん、と俺の肩に額をおしあてた。

「いっぱい働いてもらったのに悪いんだけど……もう少しだけ、付き合ってくれないか…?」

「別にいいけど…」

 俺のことよりもシーナの体のほうが心配だ。この2日間、ろくに食事をしていなかったはずだから。夜もゆっくり休め

ていないみたいだったし。

 そう言うと、シーナは弱弱しく笑った。

「心配ないよ。明日、京都に戻ったらゆっくり寝るから」

 ついてきて、とシーナは言った。

 そして彼が俺を連れてきたのは、先ほど納骨を済ませた椎名家の墓だった。

 椎名家の墓は山の中腹にあり、とても見晴らしが良い。もともとシーナの故郷の町は標高が高いのだが、さらに

高いところにある墓標からは日本海まで見えそうである。

 シーナは墓に背を向けて、その風景を見下ろしていた。

 俺は彼の数歩後ろから、そんな背中を眺めていた。

「――――――――いいトコだな。緑が気持ちいい」

「うん――――――――昔は嫌いだったけど、今はすごくいとおしいよ」

 さぁっと涼しい風が吹く。

 京都よりも冷たい風。だけど、確実に夏に向かっている、やわらかな風だ。こちらに来るときに雨を降らせていた雲

は、もうどこかへ行ってしまったらしい。そろそろ梅雨も終わる。

「…実はね、本谷。ばぁちゃんは、オレと本谷のこと……知ってたんだ」

「―――――――――――――は?」

 思いもしなかった告白に、目が点になってしまった。

「知ってたって…………オレとおまえが、こういう関係だってことを、か?」

 男同士で恋愛をしているような関係だということを。

「うん………ちょっと前に、電話で話したんだ。好きな人がいるけれど、その人は、男なんだって」

 俺たちの関係を人に知られることを誰よりも恐怖していたはずのシーナが、実母ともいえる祖母に、

真実を伝えていたなんて―――――――――――――

「オレ、どうしても黙っていられなかったんだ。いつかは話さなきゃいけないことだって思ってたし。それに、ばぁちゃん

は、母親よりも…なんていうか、長く生きてる分、いろんなことを理解してくれるかなって思って。それにさ、ずっと育て

てくれたばぁちゃんに、どうしても本谷のこと知ってもらいたくて…………」

「シーナ……………」

 彼は俺に背中を向けたまま、続ける。

「2週間くらい前かな、ようやく決心がついて、電話したんだ。ばぁちゃんはやっぱり驚いて…ちょっと時間が欲しい

って言った。それで、その電話から2日後に、ばぁちゃんが電話くれて……この夏、本谷を連れて帰っておいでって

いったんだ」

「俺を一緒に……?」

「そう。いいよ、って言ったんだ、ばぁちゃん。突然のことで混乱はしているけど、反対はしない、って。とりあえず、

夏に本谷を見せて欲しいって言われたんだ」

「聞いてないぞ、そんなこと」

「……ごめん。今度は本谷に言い出せなくなってたんだ。でも、夏までには絶対話して、一緒にここに戻ろうって思っ

てたんだよ。これは本当。ばぁちゃんに本谷を会わせたかったのと同じくらい、本谷にもばぁちゃんに会って欲しかっ

たから……」

「―――――――そっか……」

「………でも、ちょっと間に合わなかったみたいだ」

 シーナがうつむいた。

「ついこの間電話で話したばっかりなのに、今はもういない。なんてあっけないんだろう?苦しまないでくれた

っていうのは救いかもしれないけど、でも…でも…………」

 語尾が震えた。

 俺は腕を伸ばして背後からシーナを抱きしめた。

「……っ……………」

 シーナは泣いてはいなかった。涙をこらえるように唇をかんでいた。

「…シーナ。今更かもしれないけど、おまえのばぁちゃんに、俺を紹介してくれよ」

「本谷…………」

 驚きの表情で俺を見上げるシーナの瞳。綺麗な、綺麗な、彼の内面を写すかのようなこの瞳。彼をこんな風に育て

上げた祖母に、俺も会いたかったよ。

 シーナはすこし微笑うと、墓のほうに向き直り、声を震わせながら言った。

「紹介するよ、ばぁちゃん。この人が本谷………オレの、大切な人、だよ」

 シーナの瞳からは、今にも涙がこぼれおちそうだった。それを気にせず、彼は俺を見て微笑んだ。俺は彼にうなず

き返して、その言葉を継いだ。

「はじめまして、ずっとお会いしたかったです。本谷と申します――――――――」





 新潟から京都に戻ってくると、そこはもう夏のようだった。

 北国から帰ってきたせいもあるが、この旅の間に梅雨前線がどこかへ行ってしまったせいもあるようだ。京都駅

からマンションにたどり着く間に、シーナも俺も汗だくになっていた。

「あれ?」

 ドアに鍵を差し込もうとしたシーナが、手を止めた。

「どうした?」

「不在通知…荷物が着たみたいだ。管理人さんに預けてあるって」

 ドアの隙間に挟まれていた紙切れを広げながらシーナが言う。

「俺、取りに行ってくるよ。シーナは先に部屋に入って休んでろよ」

 ひょい、とシーナの手から不在通知を抜き取り、もときた道を引き返す。このマンションには、日中の間だけ、

1階に管理人がおり、宅配便を預かってくれているのだ。

 1階の入り口脇の小窓をノックすると、中から初老の管理人が出てきた。俺の顔を見るとすぐに用件を察した

らしく、再び奥に戻り、ダンボールの箱を手に戻ってきた。

「旅行にでも行ってはったん?」

「はい、ちょっと」

 受け取りのサインをして、管理人室を辞する。そして、なにげなく荷物の差出人を見たとき――――

「―――――――え………?」




「ばぁちゃんから、小包……?」

 こもりっぱなしだった部屋の空気を入れ替えるために窓を開けていたシーナは、ベランダから俺のところに

飛んできた。

 管理人室に預けられていた荷物の差出人は、つい先日亡くなったはずのシーナの祖母だったのである。荷

物がここに着いたのは、シーナと俺が新潟へ向かって旅立った日だ。おそらくこの荷物は祖母が亡くなった日か、

その前日くらいに発送したものなのだろう。

「なんだろう?開けてみろよ」

「――――――――――――――」

 複雑そうな表情で荷解きをしたシーナは、やがて中から紺色の布地を引きずり出した。

「……浴衣だ……………!」

 箱の中身は、おそろいの浴衣が2着。それから1通の手紙だった。




「前略

 この前、あなたから電話をもらって以来、ばぁちゃんはあなたのことばっかり考えています。ばぁちゃんは昔の

人間だから、男のおまえが男性に恋をするというのが、信じられなかった。電話ではこっちに連れておいでと言っ

たものの、正直、どうしていいのかわからなかったんだよ。でも、大切なのは、おまえが幸せかどうかなんだよね。

おまえの子どもを見られなくなってしまうのが少し残念だけど……おまえの幸せそうな顔が見られれば、それでよし、

だね。おじいちゃんの葬儀以来、一度もこっちに帰ってきてないし、本谷さんをつれて、夏にはこっちに戻っておいで。

あなたの選んだ人を、ばぁちゃんも見てみたいと思います。きっと素敵な人なんだろうね。

 京都はもうきっと暑いのでしょうね。7月の祇園祭に間に合うように、浴衣を縫いました。おまえの分はもうできて

いたのだけど、本谷さんのことを聞いてから、慌ててもう一着、縫ったんだよ。生地を買いに行く時間が無かったから、

おまえのとおそろいだけど、いいでしょう?大きさがあうといいのだけど…

 では、夏休みを楽しみにしています。

                                                           草々      」




「ばぁちゃんっ…………」

 ぎゅっとシーナが浴衣を抱きしめる。落ち着いた色合いの、2着の浴衣。

 ぱたぱたっ、とフローリングに水滴が落ちた。

「シーナ…………」

 祖母の死を知って以来、彼が、俺の前ではじめて泣いていた。

「オレ……まだまだ時間があるって思ってたんだよっ………ばぁちゃんに本谷を会わせて……大学卒業したら、ちゃ

んと医者になって…ばぁちゃんに今までもらったもの、全部倍返ししようって……金とかだけじゃなくって…気持ちも、

全部………」

 それ以上は嗚咽で言葉にならない。

「シーナ」

 俺は肩を震わせて泣くシーナをそっと抱きしめた。泣いているせいで、その身体はとても熱かった。

「今年の夏は、これ着て祭行こう」

「…うん……………」

「俺、浴衣の着方知らないから、教えてくれよ」

「うん………うん………………」

 シーナの腕が俺の背に回った。俺はより一層力をこめて、シーナの身体を抱いた。

 開け放した窓から、夏の匂いをのせた風が流れてくる。少し生暖かくて、角の取れた風。

「……風が………………」

 ぽつりとシーナがつぶやいた。

「ん?寒いか?」

「違う。…………今、新潟とおんなじ匂いがした…………」

 俺の胸から顔を上げて、シーナは言う。

「ばぁちゃんの匂いだ」

「…………そりゃ、きっと、浴衣の匂いだろ…シーナのばぁちゃんが一生懸命縫ってくれたんだから」

「……そっか………………」

 シーナはいとおしげに目を細めて、浴衣に頬を寄せた。

「関西は、お祭がたくさんあるから、いっぱい着れるね、浴衣」

「そうだな」

 また、やわらかな風が吹いてくる。

 その風を頬に受けて、シーナは微笑んだ。

「…早く、夏が来るといいね…」

                                                                          ** end **

モドル