あるよく晴れた夏の牧場にて

[前編]

「ねぇ本谷、アウトドアって好き?」

 夏期休暇に入って一ヶ月たったある日、遊びに来た俺の家でレポートを書きながら、シーナがぽつんと言った。

「アウトドア?・・・まぁ、嫌いじゃないけど・・・でもなんで?」

 あまりに突拍子もない話題だったので、俺はちょっと驚いてしまった。今やってる医学概論のレポートから、どうやったらアウトドアの話題になるんだろう??

「うーん・・・あのさ」

 シーナは眼鏡の奥にあるきれいな目をあげて「キャンプに行かない?」と言った。

「キャンプ?」

「そう」

 にゃあ〜とダイゴローが甘えてシーナの膝に乗る。うらやましいぞ。ちょっと猫になりたい気分だ。

「本谷、オレが来年安達教授のゼミにいこうって思ってるの、知ってるだろ?」

 安達教授は神経内科の先生だ。まだ講義を受け持ってもらったことはないけれど、学内でたまに顔を合わせることがあるので、かろうじて顔と名前は一致している。シーナは前からこの教授のもとに行くことを決めていた。

「でね、教授のゼミの旅行があるんだけど、急にキャンセルが二人出ちゃったんだって。それで、ゼミの先輩からゆうべ連絡があって、よかったら誰か友達ひとり連れて参加しないかっていわれて」

「でも、キャンプってそんなに頭数、重要だったけ?」

「夜はテントじゃなくてバンガローみたいなのを借りてるらしいんだ。それと晩御飯用のバーベキューがセットになってて、それが人数分あるから」

「ふーん」

 くるり、と指の上でペンを回して頬杖をつく。

「駄目?」

 ちょっと悲しそうに首をかしげるシーナ。

(かわいいなぁ)

 思わずにやついてしまう。

「オレ、せっかくだから本谷と行きたかったんだけど・・・」

 それは直球の殺し文句だ。

 そんなふうに言われたら、嫌だなんていえるはずがない。

「いいよ、行く行く。どうせひまなんだし」

「よかった!」

 にこにこっとシーナが笑顔になる。

「じゃあ、明日出発だから。朝8時にJR京都駅の西口集合だって」

「―――――――はぁ!?明日!?」

 

 

 

 俺、本谷啓吾(ほんたにけいご)は京都のK大学医学部の二回生だ。生まれついた家が医者一族だったために、半ば強制的に医学部に入れられた。せめてもの反発として、自宅から遠い関西の大学に進学している。まだ医者らしい勉強はあまりしてないけれど、まぁ毎日適当に過ごしていたし、卒業するまでこうやって適当に過ぎていくんだろうと思っていた。だけど、俺は椎名光流(しいなみつる)という人に出会って変わった。

 椎名光流ことシーナは、同じ医学部の二回生だった。同期生として顔と名前は知っていたし、幾度か言葉を交わしたことはあったけれど、特に親しいというわけではなかった。だけど、何故か気になる存在であった。

 彼は細いフレームの眼鏡をかけていて、少し神経質そうなイメージだけど、本当はとても綺麗な人だ。色白で、すべすべそうな肌をしていて、雪国出身だと聞き、妙に納得してしまった。髪は少しくせのある柔らかな焦げ茶色。背は俺よりも少し低くて華奢な感じ。彼と話してみたい、と思いつつも、なかなか機会がなく、チャンスが訪れても話しかけられず、とまるで中学生の初恋のような状態のまま二回生の前期になっていた。

 そんな彼と親しくなったのは、つい一ヶ月前のことだった。

 俺のバイト先の路地裏で、ダイゴローを拾ったシーナと出会って、シーナとダイゴローを家に連れていくことになって。自分の家で猫を飼えないシーナの代わりに俺がダイゴローを飼うことになり、シーナはダイゴローの様子を見にちょくちょく家に遊びに来るようになっていた。そして、いまでは一緒にレポートをやったり遊びにいったりもするようになっていた。

 会えば会うほどシーナのいろんな面が見られて、俺は彼のことがもっともっと知りたくなる。貪欲なほどに。

 そう。俺はシーナが好きだ。

 友達という意味で、というよりも、ひとりの人間として・・・つまり、言ってしまえば抱きたいってことなんだけど。

 だけど、シーナのそばにずっといたいから、この想いを告げることはできない。友達のポジションを失うわけにはいかないから。男が男から好きだと言われたって、シーナには気持ち悪いだけだろうし。

(でもなぁ)

 ときどき、理性の限界を感じてしまう。

 例えばこんな時。

「本谷!すごい綺麗だねぇ!」

 きらきらと目を輝かせながら、ぐいっとシーナが俺の腕を引っ張る。普段のシーナは滅多にこんなことはしない。見渡す限り緑の草原が、開放的にさせてるんだろうか?

 ここは岡山県の蒜山(ひるぜん)にあるオートキャンプ場。

 K大学安達ゼミ御一行の今夜の寝床だ。

 ゼミ旅行は予想以上の参加者数だった。現役のゼミ生から、シーナのように安達教授の研究室に遊びにいっている一、二回生、OB、OGまでが参加して、総勢32名である。

 オートキャンプ場には食事などを作るかまどを中心にして、小グループ用のバンガローが放射状に点在している。今晩はこのバンガローに分かれて寝ることになるのだそうだ。

 キャンプ場のすぐ横は牧場になっていて、遠くのほうに牛がぽつりぽつりと座っていた。

 標高が高いせいでかなり涼しい。地獄のような京都の夏から解放されるのは久しぶりだ。

「ゼミ旅行っていっても、みんな勝手に過ごしてるんだな」

 京都駅を朝9時に出発して、蒜山に着いたのが昼前。ドライブインで昼食をすませて、オートキャンプ場に荷物をおくと、学生も教授もみんなそれぞれに散っていった。安達ゼミはよくここにキャンプに来るらしく、先輩方は勝手知ったる、という感じで読書や牛見物などに出かけていった。

(ま、シーナと二人きりになれたし、これはこれでいいかな)

「あっちに川があるみたいだよ。行ってみない?」

 シーナに誘われて川まで歩く。砂利道を数分歩くと、すぐに細い川が現れた。川のすぐ側まで降りると、人の影を察知したのか、さっと魚が逃げる気配がした。

「綺麗な水だね。つめたくって気持ちいいよ」

 シーナが白い指を水につけて笑う。

(く〜っ、抱きしめたいっ)

 お願いだから、二人きりの時にそんなにかわいく微笑まないでほしいっ。

 必死に顔はポーカーフェイスをしているけれど、心の中では天使と悪魔が大決戦だ。

 なんとか悪魔を落ちつかせて、川の側にあった石に座っていると、シーナも同じように隣りに座った。

 さらさらと水の流れる音。

 聞いているだけでなんとなく落ちつく気がする。

 しばらく二人でぼんやりと川の流れを眺めていた。

「・・・・・・・・・ごめん」

「え?」

「いきなりこんなキャンプに誘っちゃって・・・迷惑だったんじゃない?」

 視線を川に向けたまま、ぽつりとシーナが言った。

「なんで?」

「うん・・・・・・」

「俺は来てよかったって思ってるけど。気持ちいーし、久しぶりにリラックスって感じ」

「そっか。よかった」

 ようやくシーナがこちらを向いて微笑んだ。

「オレも本谷とどこか行きたいなーって思ってたから楽しいよ」

(うわ、殺し文句)

 なんだか今日のシーナは俺を挑発してるとしか思えない・・・・・・なんて、都合がよすぎるだろうか。

「そういえばダイゴロー、どうしたの?」

「あー、一泊二日だから家に置いておいてもいいかなって思ってたんだけど、心配だし、一応あずけてきた」

「・・・・・・彼女のとこ・・・?」

「は?・・・・・・俺、今、付き合ってるヤツいないって」

(俺が好きなのは目の前のあなたなんだけど)

 言ってしまって楽になりたい。あージレンマ。

「ふーん・・・じゃ、女友達?」

「何で女ばっかりなんだよ?」

「だって本谷って女友達多いし。ね?」

「・・・・・・まぁ、そんなとこ」

 ダイゴローをあずけた先は、女友達といえば女友達なのだけど、あれが女というかといえば――――――

「ふーん」

 ぷい、とシーナが視線を川のほうに戻した。

 そのまま、また沈黙。

(何でシーナ怒ってるんだろう??)

 女友達へのヤキモチとか?なんていう解釈は都合がよすぎるか。

 ちらっと横を見る。シーナはまだ頬杖をついて川のほうを向いていた。

 何か話しかけようと思ったとき、背後から、よく通る声がシーナの名前を呼んだ。それも、下の名前で「光流」と。

(誰だよっ、シーナを名前で呼ぶヤツはっ)

 大学での友人たちはみんなシーナか椎名さんって呼んでるんだぞっ。俺だってシーナとしか呼んでないのにっ。

 きっと振り返ると、そこには長身の男がいた。

 横長な楕円の黒い縁のめがねに切れ長な目。口元に微笑をたたえたその男は、もう一度「光流」とシーナを呼んだ。

「橘さん!」

 ぴょこんっとバネの人形のようにシーナが立ち上がり、満面の笑みでその男に駆け寄った。

(なんだなんだ、その笑顔っ)

 こんなに嬉しそうな顔をしているシーナ、初めて見た。いくらシーナの新しい面が見たいとはいえ、俺以外のヤツに笑いかけてるシーナなんてうれしくない。

「こんなところにいたのか、光流。姿が見えなかったから心配したぞ」

 いいながら、そいつはぽんぽんとシーナの頭を軽くたたいた。

(ゆるさんっ!!)

 何だその扱いはっ!!シーナはガキじゃないんだから、真っ昼間にどこかいってたってかまわないだろうがっ。っていうか、シーナにさわるなっ!!

 俺の内心を知ってか知らずか、シーナは嬉しそうな顔でそいつを俺に紹介した。

「橘さん、本谷です。オレと同期の・・・・・・本谷、この人は橘さん。ゼミの先輩なんだ」

「よろしく、橘です」

 すっとそいつが手を差し出す。

(男と握手なんかしたくねーっ)

 と思いつつ、とりあえず握手を受けた。

 ヤツはすぐに視線をシーナに戻し、「教授が用あるって呼んでたよ」とシーナの肩を押した。シーナはそのままそいつに連れられて行ってしまった。去り際に、橘は俺のほうをちらりと見て、にっと笑った・・・・・・気がした。

(なんだぁあいつ!!)

 いけすかない!!いけすかないぞっ!!!

 そして、シーナは晩飯の時間まで、俺の前に姿を現さなかったのだ。

to be continued …