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「常葉さん!魚!魚!」 バシャバシャッと勢いよくあがる水しぶき。 円は太ももまで水につかり、手にすくった水を空へ放った。 キラキラと太陽の光を反射して、水しぶきは弧を描く。 「魚、とれないかなぁ」 Tシャツにハーフパンツ姿の円は、足の間をくぐりぬけていく魚の群れに何度も手を突っ込んでいる。 (馬鹿ネコがいる………) まるで金魚鉢の魚を狙っているネコみたいだ。 俺はテラスのデッキチェアーから立ち上がり、手すりから身を乗り出した。 「日焼けするぞ。いいのか、アイドルが」 「夏だから日焼けしてる方がいいですよ。それより常葉さんも泳ごう!」 「疲れるからいい」 「オヤジっ」 海にいる円が、手すりにあった俺の腕を思いきり引っ張った。 「―――――――――っ!!」 不意の出来事にバランスを崩され、俺は頭から海に突っ込んだ。 バシャアンッ!! 盛大にあがる水しぶき。 (うわっ) 立てる深さのところだから溺れはしなかったが、鼻と口から塩辛い海水が入ってきて、げほごほとむせる。 「大丈夫?」 「……誰のせいだと思ってるんだっ」 お返しに、円の両肩をつかんで海に突っ込む。あははは、と子供みたいな笑い声を上げて、円は足をばたつかせた。 「しょっぱい!」 「のどと目が痛いだろ」 「うん」 海水でぬれた髪をかきあげていると、円が俺に抱きついてきた。 「…見られるぞ」 「誰もいない」 「今はいなくても、いつ人が通りかかるかわからないだろ」 「浜から離れてるから大丈夫」 ぎゅうっ、と円の両腕に力がこもる。 南の島の円は、今までにないくらい甘えたがりになっていた。昨日の夕方にヴィラにきてから、ずっと俺とべたべたしている。まるで新婚夫婦のように。 (周りにいるのが新婚ばっかりだからな…) 周囲にいくつか点在しているヴィラに宿泊しているのは、どれも新婚旅行らしいカップルばかりなのだ。いつも寄り添って見つめあい、二人の世界を繰り広げている。おかげで、俺たちがこうして騒いでいても気にもとめないから助かるのだけど。 (円も新婚気分だな) 濡れた服を通して、密着した肌の熱が伝わってくる。俺の前髪から落ちた雫が、円の髪に吸い込まれていく。それを拭おうと円の髪をなでると、円はくすぐったそうに笑い、俺の髪に手を伸ばした。 「常葉さんのほうが濡れてますよ」 見上げてほそまったネコの瞳。 誘われるように唇を重ねる。 「ん……………」 円の両手が俺の首に回る。 昔の円は俺の舌が唇に触れただけでびくついていたのだけれど、今は向こうから舌を絡めてくる。 (変われば変わるもんだ) 仕込んだのは俺だけど。 長いキスをした後、わずかに唇を離して円がつぶやいた。 「ずっと…オフだったらいいのに…」 「だったらずっとここにいたらいいだろ。俺は帰るけど」 「駄目!常葉さんと一緒じゃないと意味ないです」 円の口調や瞳から、そんなことは読み取れていた。けれど。 「…四六時中おまえと一緒だったら疲れる」 少しいじめてやろう、と、素っ気なく答える。 「――――――!」 途端に円は不安そうな表情で俺の肩をつかんだ。思ったとおりの反応を楽しみながら、俺はわざと冷たく続けた。 「ベタベタしてきてうっとうしいったらないからな」 「…うっとうしい…ですか………」 しゅーん、と円は完全に肩を落としてしまった。 「ごめんなさい…このオフも、俺、勝手に常葉さんのところ来ちゃって……迷惑でしたよね…」 「なら出てくか?」 「!」 肩をつかんだ手に力がこもる。円は俺を見上げ、それからうなだれた。 (これ以上つつくと泣きそうだな) 漆黒の円の目がぐらぐらとゆれている。 (こいつはホントに感情に素直だなー) だから、見ているのもからかうのも面白い。でも、泣かれてしまうと罪悪感があるから、このあたりでやめてやろう。 「円。上向け」 「?」 素直に上向いた顔にキスをして、にやりと笑う。 「ま、あと一日くらいなんだから、いればいいけど?おまえは大人しくしてたら、無害だからな」 「!」 途端に円の表情が明るくなる。 「ホント?常葉さん、ホントに?」 「『大人しくしてれば』な」 「うん、する!します!」 先ほどまでとは打って変わって満面の笑みになった円は、「やったー」と叫びながら俺に飛びついた。 「ッ………!」 咄嗟のことで、円の全体重を受け止めきれなくて、俺は海に尻餅をつく。また盛大にあがる水しぶき。円はそんなことはお構いなしに俺の首にしがみついた。 「じゃあ、明日までいっぱいベタベタしましょう!」 「………おまえ……もうさっきの条件忘れてるな………?」 「え?なんでしたっけ?」 とぼける円。 確信犯の笑顔。 ネコの瞳が転んだ三日月みたいに細くなる。 (あー……もう、いい……………) ここに来てからの円のテンションはただでさえ通常以上に上がり気味なのだ。これ以上こいつに振り回されたら、疲れて倒れそうだ。 どうせあと1日。 こいつに付き合ってやってもいいだろう。 次に会うのはいつになるのかわからないんだから。
翌日の夕方、俺よりも先に日本へ帰る円を、水上飛行機乗り場まで送っていった。 日本人にばれないようにサングラスと帽子をかぶった円は、小さな子どもみたいに俺の腕をつかみ、飛行機をじっと見つめていた。 「…乗らないのか?」 「……………………」 しばらくの沈黙。 そして、円は顔を上げ、背伸びをして俺の肩に頬を寄せた。 「……今度は2ヶ月なんて空けないで会いたいです」 「仕事が忙しいんだろ」 「時間見つけていきますから、常葉さん、家にいてくださいね。電話しますから、留守電にしたり、電話線抜いたりしないでくださいね……?」 「おまえなぁ……いっつも家にいるわけにはいかないだろ?それに電話も」 「―――――――――」 円はちょっと不服そうに唇を尖らせたものの、すぐに笑顔を作り、俺から離れた。 「じゃあ、また日本で」 サングラスと帽子で表情はほとんど見えなかったが、口元は微笑みの形で、円は手を振った。 そして、早足に飛行機へと乗り込んで行った。 (やれやれ) 俺は、小さくなっていく飛行機を眺めながら小さく息を吐いた。 (やっと静かな夏休みが帰ってきた) 日が傾きだした砂浜を散歩しながらヴィラに戻ると、旅行用に借りてきた携帯電話が鳴っていた。慌ててとると、電話の主は東京にいるマネージャーだった。 「はいはい、依田さん?」 「常葉さん、出かけてたんですかー?何度かお電話したんですよ」 「あーごめん。偶然こっちで円に会ってさぁ、いま、飛行機のとこまで見送り行ってたんだ」 「そうそう、円クンもそっち行ってたんですってね。会ったんですね」 会ったというか、押しかけられたというか。 「そういえば、円クン、急に夏休み申請したみたいで、周りの人、けっこうあせったみたいですよー」 (は?) 「急に?」 「そうらしいです。写真集撮りに行った先でいきなり『1週間くらいここで夏休みしたい!』って言い出したとか。普段わがまま言わない子なのに、めずらしいですよねー」 (は?) 「いきなりには無理だって言ってもきかなかったらしくて、結局、事務所が折れて3日だけオフにしたんですって」 急に夏休みとった? でも、あいつは「偶然、この撮影のあとオフをとってるから」っていってた―――――― (あいつ――――――) 自然と笑いがこみ上げてくる。 (うそついてたのか) たぶん、俺を見つけたから、ここでオフが欲しいと言い出したのだ。俺には平然と、いかにも前からの予定でした、と言うように応えていたけど。 「どうしたんですかー?常葉さんっ」 笑いつづける俺に、依田さんが戸惑っている。でも俺は、なかなか笑いを止める気にはなれなかった。 (なかなかやるもんだな) うそをついているだなんて気づかなかった。いつも「おまえはまだ俳優なんてレベルじゃない」っていじめているけれど、少し格上げしてやってもいいかもしれない。 「常葉さんー、なにかあったんですかぁ?」 依田さんの不安そうな声に、俺は笑いながら答えた。 「いや、別に、しばらくはちゃんと電話に出てやろうかと思って」 「えー?」 留守電にもせず、電話線も抜かず、ちゃんと電話に出てやろう。 俺をだませた、ほんのご褒美として。
end...
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