* * *

 

 

 

「・・・それじゃあお願いします」

 聞き慣れた日渡部長の声がして、ガラガラッとドアの閉まる音がした。しばらくしーんとして、それからゆっくりと誰かが側に歩いてくる気配があった。その人はオレの顔に乗っていた何かをそっと持ち上げ、また戻した。

「冷たっ・・・・・・・・・」

 ひやりとしたその感触にびっくりして目を開けると、間近に薫の顔があった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 保健室を背景に、薫の色素の薄い瞳が心配そうに細まる。

「・・・・・・気分は・・・どうですか?僕がわかります?」

「・・・・・・薫・・・・・・・・・」

 名前を呼ぶと、薫は少しだけ表情を和らげた。

「よかった・・・・・・頭も打ってるから、あまり動かないでくださいね」

 さっきの冷たい感触は、濡れたタオルだったらしい。頬に手をあてると、ひんやりしたタオルがあたった。寝ているのは保健室のベッド。部屋の中には薫だけ。

(そういえばこの人、一応保健の先生だったっけ・・・・・・)

 ぼんやりしていた意識がだんだんはっきりしてきた。

「・・・少し腫れていたんで冷やしてるんです。驚かせてしまったみたいですね。すみません」

 優しく薫がタオルを元の位置に戻し、オレの髪を梳いた。

「大丈夫だとは思いますが、打ったのは頭ですし、念のため病院へ行って検査してもらいましょう?後で光が車を出してくれるので」

 ―――――――――光。

 その名前を聞いた瞬間、オレは昼休みのあの光景を思い出した。

 人気のない植物園の奥でキスして抱き合ってた薫と光の姿を。

「・・・・・・さわるなよっ」

 ぱんっと薫の手を払う。

 体を起こしてみると、頭も顔も身体も、あちこちがズキズキ痛くって、余計にオレはいらついた。

「いって〜・・・・・・畜生っ!」

「・・・麟くん・・・安静に・・・・・・」

「うるさいな!」

 オレの様子を見ようとのびてきた薫の手をたたいて、オレはきょとんとしている薫をにらみつけた。

「さわるなよ!!」

「・・・・・・・・・麟くん・・・・・・・・・・・・」

 どうして?という瞳で薫がオレを見つめる。綺麗な顔が曇るのを見ていたくなくて、オレは薫から顔を背けた。

「あれ・・・・・・なかったことにしていい?」

「あれって・・・?」

「薫と付き合うって言ったこと」

「え!?」

 薫の手がオレの肩をつかむ。「痛い!」と怒ると、すぐにぱっと手を離したけど。

「・・・どうして・・・・・・ですか・・・?」

「―――――――――――」

 そっぽを向いたまま答えないでいると、ぽたん、とベッドに水滴が落ちた。

(!?)

 ぽた、ぽた、と次々に落ちてくる雫。

「薫・・・・・・・・・・・・」

 それは薫の涙だった。

 薫はわずかにうつむいて、ぽろぽろと涙をこぼしていた。

「ちょっ・・・・・・なんで泣くんだよ!?」

 そんなふうに泣かれると困る。

(どうしようっ)

 薫はさらにうつむいて、白衣の袖でぐいっと涙を拭った。子どもみたいなその仕草に、罪悪感が増す。

「・・・・・・僕・・・・・・麟くんに何かしたんですか・・・・・・?」

「薫・・・・・・・・・」

「何が気に入らないですか・・・・・・?言ってください!僕、直しますから・・・・・・」

「――――――――――・・・・・・」

 大人のくせに、こんなふうに泣くヤツなんて初めてだ。

 だけど薫がするとこういう泣き方も似合っていて、おかしくなかった。

「・・・・・・・・・オレ・・・見ちゃったんだ・・・・・・」

「?」

 何を?というように薫が顔を上げ、涙をまた拭った。

「今日の・・・昼休み。薫、光と植物園にいただろ?」

「―――――――――!」

 薫の表情が変わった。

 涙が止まり、表情が凍り付く。

「・・・・・・見た・・・・・・・・・んですか・・・・・・・・・?」

 かすれた声で喘ぐみたいに薫が問う。オレは薫から視線をそらして、こくんとうなずいた。

「見たよ。薫、光と抱き合って・・・・・・・・・キス・・・してた」

「―――――――――――」

 かくん、と薫がへたりこんだ。糸の切られた操り人形みたいにうつむいて。

「・・・・・・光とは・・・・・・・・・なんでもないんです・・・」

「なんでもないのに・・・キス・・・っ・・・するのか?」

 あんなに長い間、二人で抱き合っておいて。

「―――――じゃあ、オレとのこともなんでもないんだ?何回もキスしたけど、関係ないんだ?」

「違います!」

 バッと薫がオレを見上げる。捨てられた子犬みたいなすがる瞳に、また罪悪感がわく。なのにオレの口は止まらない。

「信じられないよ!薫がそんなに軽いヤツだなんて知らなかった!しかも、光とは・・・兄弟のくせにっ」

「本当に光とはなんでもないんですっ!信じてください!」

「・・・・・・でも、キスしてた」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 薫は切なそうにオレをじっと見て、それからうつむいた。

「・・・・・・麟くんは、僕が光とキスするのは・・・・・・いやですか?」

「当たり前だろ!?オレ、薫のこと好きだから・・・他のヤツとあんなことして欲しくない」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 しゅーん、と薫は肩を落とした。

「ごめんなさい・・・・・・もう、光とも誰ともああいうことはしません・・・・・・」

「ホントに?」

「はい。誓います」

 一生懸命な薫の顔。

 それを見て、オレの逆立ってた気分もようやくおさまってきた。

  あんまり薫をいじめるのも嫌だし。光とのことが本当に何もないなら、これから二度とキスなんてしないなら、それでいい。

「うん・・・じゃあ信じる」

「!」

 ぱぁっと笑顔になって薫がオレに抱きついた。

「良かった・・・・・・麟くんに嫌われたら、僕、生きていけないです」

 薫の白衣からは、いつも二人で会ってる美術室の匂いがした。

 オレはよしよしと薫の頭をなでた。こうしてるとどっちが年上なんだかわからなくなってしまう。

「な、病院行くの、どうしても光の車じゃなきゃ駄目?」

「僕は車じゃなくて二輪で・・・・・・車の運転は自信ないんですよ。その点、光は車で通勤してるから安心なんです」

「え、薫って二輪の免許持ってるんだ!・・・・・・痛っ」

 大声をだしたら頭がズキンとした。

「麟くん!」

 あわてて薫がオレの頭を抱きかかえた。

「どのあたりですか?」

 そっと薫の手がオレの頭をなでる。それから、さっきまでタオルで冷やしていた頬や額も。

(気持ちいい・・・・・・・・・)

 薫になでられていると、落ちついてきて、痛みが遠のいていくように感じた。

(『お母さん』って感じだなー)

 優しくって暖かくって。

「大丈夫。マシになったよ」

「そうですか」

 ほっとしたように薫が微笑み、オレをまたベッドへ横たえさせた。

「もう少ししたら試合の後かたづけが終わりますから、そしたら病院、行きましょうね」

「・・・・・・光じゃなくて、薫とふたりっきりならいいのに」

「・・・僕も麟くんとふたりっきりがいいです。こんなことなら、光の車を借りて練習しておくんでした」

「薫の二輪、今度見せて。オレ、乗りたいな」

「後ろでよければどうぞ」

 うれしそうに微笑む薫。

 光とのキスはショックだったけど、やっぱり薫が好きだ。なんであいつとキスなんかしてたのは気になるけど、今は「もうしない」っていった薫の言葉を信じよう。

(もしかしたらあれは光が無理矢理したのかもしれないし)

 そうだったら薫に罪はないし。

 そう思うと、今までより一層光が憎らしくなってきた。

(あいつってつくづく天敵だなー)

 バスケの練習中は怒られるし、にらまれるし。数学の授業中には難しい問題あてられるし、薫とキスするし――――――

(薫の優しいところが光にも遺伝してたらよかったのに)

 似ていなさすぎて変な兄弟。

 見たことない長男の人は、どっちに似てるんだろう。

「なぁ薫ー、光の上のお兄さんってどんな人?」

「紫(ゆかり)ですか?紫はすごくしっかりしていて、頭の回転が速い人です」

「薫と光、どっちに似てる?」

「光です」

 じゃあ、会いたくない。

 光みたいなヤツはひとりで十分だ。

 それから、オレはむすっとした光の運転で大きな総合病院へ運ばれ、全身の検査をされた。怪我をしてから時間がたったせいか、その頃には身体の痛みも頭の痛みもおさまっていた。検査の結果も問題なし。明日からでも普通にバスケはできるそうだ。そして、「頑丈だな」とどこか棘のある口調で光につぶやかれ、ちょっとむっとしつつも安心して帰路についたのだった。

 

 

 

-TO NEXT-

 

モドル