* * *

 

(どうしよ)

 薫の顔を見た途端、心臓がドキッと跳ねた。保健室でのキス以来の再会だったから。

「授業はどうしたんですか?」

「あ・・・えと、教科書忘れて取りに戻ったらチャイムなっちゃって・・・・・・」

 薫はオレの抱えている教科書を見て、にっこり笑った。

「数学と音楽の教科書?・・・・・・小山先生、かわいそ」

「あっ・・・、これはっ・・・・・・・・・」

「別に責めてるわけじゃないです。僕も昔はよく内職してましたから」

 薫は首を少し傾げてくすくす笑った。ちょっと長めの髪がさらりとゆれる。

「どうせ内職するなら、美術室でどうぞ。今は授業はないし、お茶もいれますよ?」

「え?」

「今から行っても音楽は遅刻でしょう?なら、サボって」

 にこにこっと笑って薫はオレの背を押した。二人で並ぶと、薫のほうがちょっとだけ背が高かった。見た目が華奢っぽいから、てっきりオレよりも背が低いって思ってたから驚いた。まぁ、あの光と兄弟なんだから、背は高くて当たり前かって気もするけど。

「先生なのに、生徒サボらせてていいんですか?」

「ダメです。・・・だからこれは内緒。窓際には立たないでくださいね。一号棟の廊下から見えちゃいますから」

 いたずら中の子どもみたいな顔で笑い、薫はオレに湯気の上がったカップを手渡した。

「机、そのあたりのものを適当に使ってください」

 言われるがままに椅子に座り、数学の教科書を広げた。横に置いたカップから、紅茶の香りが立ち上っている。

 昼前の授業中、ぽかぽかした光をあびながら、授業をサボって美術室でお茶なんかいれてもらって。

「・・・ヘンなの」

 つぶやくと、薫が笑った。

 とりあえずやるものはやってしまおう、とオレは数学セットを広げ、今日あたる予定の問題を解きはじめた。薫は少し離れたところで、出してあったイーゼルの前に座り、何かを描いている。

(ホントに美術教師なんだなー)

 オレは美術を選択してなかったから、薫が絵を描いているところなんて見たことなかったのだ。

(どんな絵描いてるんだろ)

 興味がわいて、そっと薫の背後に回った。

「うわ、すっげー巧い!」

 キャンバスに広がっていたのは、どこまでも続く緑の草原と蒼い空。ところどころに何か生き物がいる気配。見ていると、草が風にしなる音が聞こえてきそうだった。

「オレ、絵って苦手だからソンケーするなぁ」

 しみじみそう言うと、薫はわずかに顔を赤くして振り向いた。

「麟くんは運動神経抜群でしょう?僕はそっち関係は全然駄目だから・・・」

 照れて、謙遜しつつも、薫はうつむき加減に「でも嬉しい」とつぶやいた。

(わっ)

 伏し目の薫にちょっと色気を感じてしまったぞ。オレは。

(まさかオレもホモっ気あり!?)

 17年間の人生、好きになったのは現実でもアイドルでもみんな女の子だったはずなんだけど!

 邪心を打ち消すために薫から離れようかとも思ったけれど、もう少しこの絵を見ていたかったので、半歩後ろに下がり、床にどかっと座った。薫はオレのほうを向いてにこにこしている。

(なんか、この人、犬みたい)

 人なつこい態度も、まっすぐに見つめてくる目も。この人にしっぽがあったら、きっと今頃、思いっきり振ってるだろう。

(ものすごく毛並みのいいゴールデンレトリバーって感じ?)

 髪の色が似てるから、なんて、安易な連想だけど。

 そういえば、聞いてみたいことがあったんだった。

「・・・・・・あの・・・薫センセ?」

「はい」

 ちょこん、と薫が居住まいを正す。この人はオレよりずっと年上のくせに、なんだか動作がかわいらしいぞ。

「なんで先生、オレのこと知ってたんですか?・・・・・・オレ、青嵐にきたの高等部からだし、先生の授業もとってないのに」

「麟くんのことは何でもわかるんです。愛の力で」

「は・・・・・・・・・!?」

 思わず絶句したオレを見て、くすり、と薫は微笑んだ。

「・・・だったらいいんですけどね。実は光から聞いたんです」

「光・・・先生?」

 カタン、と椅子をひいて薫は窓際へと歩み寄った。

「・・・・・・ここの窓から、体育館とグラウンドが見えるんですよ」

 薫の視線の先を追うと、確かにそのふたつがよく見えた。オレも、部活や体育の時に校舎を見上げると、美術室や音楽室の窓が見えるのは知っていた。

「僕はたいてい一日中この部屋にいるから、よくここから外をながめてたんです。そして、いつも全身を使って、一生懸命動き回っている元気な男の子を見つけました」

 窓の外を眺めている薫の目が、ふっと細まった。

「さっきもいったとおり、僕は運動音痴で、だからその子の元気さがうらやましいなぁって思いました。それ以来、気づくと僕はその子の姿を探すようになっていて・・・・・・」

 ・・・だんだん話が読めてきたぞ。

「たまたま光が美術教室にきたときに、彼からその子の名前を聞きました。偶然、光が顧問をやっているバスケ部の部員だったので、いろいろと詳しく・・・・・・」

「・・・それが、オレだった・・・・・・?」

「はい」

 ビンゴ。予想通り。

「・・・たぶん、初めてきみの姿を見たときに・・・・・・一目惚れ・・・してしまったんだと思います」

「―――――――っ!」

 しまった、話はそういう方向へ流れるのか。

 なんとか恋愛話から遠ざかろう、と必死に違う話題を探す。

「えっと・・・あ、そうそう、この前の怪我、なんともなかったんですよ!薫センセに手当してもらったやつ!絶対折れた!とか思ってたんですけど、レギュラー落ちもしないですんだし、もしかしたら先生のおまじないが効いたのかも」

「おまじない?」

「『痛いの痛いの飛んで行け〜』」

「―――あぁ」

 薫はこぶしを口元にあてた。

「心込めましたから。効いて良かったです」

 窓からの光を背に、にっこりと薫は微笑んだ。身体の輪郭が、光にとけて、柔らかなラインを描いている。まるで金色のオーラに包まれているみたいだ。

 ついつい見とれてしまっていると、薫がゆっくりとこちらへ歩いてきた。

(や、やばい)

「薫先生って光先生と兄弟だけど、あんまり似てないですよねっ。髪の色も違うし、性格も違うしっ・・・」

 美術教室に漂うやばいムードをなんとかしようとあがいてみたけど、駄目だった。

 薫は白衣の裾が汚れるのも気にせず、オレの前にかがみ込むと、そっとオレにキスをした。

(ふぎゃぁ〜っ)

 心の中で絶叫してみたものの、薫をはねのける気にはならなかった。

(・・・あれ?オレ・・・・・・嫌じゃないかも・・・・・・・・・)

 ふれ合ったところが気持ちよくて。オレの肩にそっと添えられた、薫の細くて長い指も、柔らかな唇も、オレの頬にかかった薫の髪も。

(もしかして、オレって、男OKの人!?)

 このキスで自覚してしまった。いや、開発されたのか?

 そうこうしているうちに、薫の唇がそっとオレから離れた。それにちょっとがっかりしてしまっているオレがいて。

 薫はオレの前にぺたんと座って、あの犬のような瞳でオレをじっと見つめた。

「・・・麟くん」

 優しいトーンの声。

 部活中、たまにきては怒鳴る光の地底に響くような声とは大違い。外見的にも性格的にも、薫が天使だとすると、光は確実に悪魔だ。

 薫の目を見ていると、薫の感情が伝わってくる。「目は口ほどにものをいう」ってことわざを実感してしまった。薫の薄茶の目は、ものすごく愛おしそうにオレのことを見ていた。誰かにこんな目で見つめられたことなんてなかったから、心臓がドキドキしてきた。

「あの・・・オレ・・・・・・オレは・・・薫先生のこと・・・・・・全然、知らないんですよ・・・?」

「麟くんが知りたいといってくださるのなら、いくらでもお話しします。知ってください」

「オレ・・・男と付き合ったことないから・・・・・・ちゃんとできないかもしれないない・・・し」

「テクニックなんて関係ありません。きみがいてくれるなら」

「それに・・・・・・オレ自身・・・先生のことどう思ってるのか・・・まだわかんないし・・・」

 あぁ、何言ってんだろ、オレ。顔も耳も手も、身体中が熱い。

 そんなオレの前で、薫はぱん、と両手を合わせた。

「じゃあ、お試し期間にしましょう。それで麟くんがもし僕のことを好きになってくれたら、お買いあげ、ということで」

「――――――『お買い上げ』って…」

 自分を商品みたいにいう薫がおかしくて、つい吹き出してしまった。そんなオレを見て、薫も笑った。

 オレ、薫のこと好きになるかもしれない。

 ――――――――もしかしたら、もう好きなのかもしれない。

 だから、オレは薫の申し出を受けることにした。

「キス、してもいい?先生」

「どうぞ」

 うーん。

 思い返してみると、オレ、自分からキスしたことなんてなかったなぁ。ある意味ファーストキス?

 授業中の美術室。

 イーゼルの前でこっそりと交わしたキスは、今まで体験したどんなものよりも甘い感触をしていた。

 

 

-TO NEXT-

 

モドル