絶対音感ていうのはなにかというと、これはあの人は絶対に音感がいいとか、悪いとか相対音感は鈍い人にくらべりゃ相対的にいいとか、そいじゃ絶対に音感ない人と相対的にない人はどっちがマシかっていうとポイントになってでないことなんて解らないというか、、、?
なんでこんなわけ解らないことゴチャゴチャ述べ立てたかといいますと!よく大手の幼児教室なんかに問い合わせますとうちは絶対音感教育してます。とか教室担当のお姉さんなんかが言いますが、そいじゃ具体的にどーなのか?って伺ってもとにかく絶対音感です。とか言いまして絶対音感てなんなのよ?といっても絶対音感です。としか返事なくて、、なんのことだ?秘密主義なのか?って思いますが、おそらくは彼女もしくは彼はマニュアルどおりに返答しているので、絶対音感がなんのことかは正確にゃ把握はしてやしないのです。
多くの幼児及び児童教室でいう、絶対音感訓練というのは正確には固定ド唱法でやっているくらいの意味あいなのです。本気になって訓練で絶対音感身につけようとしたら週に1回通ってくるだけじゃまず無理です。
ここではピアノを基準とさせてもらいますが、絶対音感というのは音高が手がかりとなる音なしに、88鍵のどの音に相当するかわかることです。なにも楽音じゃなくても救急車のサイレンでも掃除機の音でもピアノのどのキーに当たるか解っちゃうアレです。この技能は人によっては大変不便なものだ。とかかえってうっとうしいものだ。とかも言われますが、私には解りません。私は絶対音感ありませんから。ただ、絶対音感あれば、さぞ聴音の試験が有利で聴音視唱の授業で楽できただろうとは思います。それに採譜するのに私はいちいちピアノで音確かめますが、絶対音感あれば5線紙だけで簡単に採譜出来てラクでかつかっこよくていいな。と思います。それに私のしつこい慢性病みたいに苦手な暗譜だって絶対音感があれば随分迅速に出来るんじゃないかと思うのです。個人的には絶対音感のある人を私は5人ばかり知っています。私が今まで生きてきたなかでの全知り合いの中での5人です。正確に把握している人数ですから、学校や音楽教室の講師してた頃の関係者で私が知らなかっただけで、絶対音感保持者が他にもいたのかもしれません。でもそれくらいの小人数の人しかこの技能は持ってないんです。幼児教室に2,3年通った子全部に身につく技能とはとても思えません。通常訓練適齢期は3歳から5歳といわれます。
それに対して相対音感というのは基音を手がかりにして音高がわかることです。こっちの音感のある人は私は多人数知っています。なにをかくそううちの生徒はほとんどみんな持ってます。私自身はかなり音感鈍い方で高校の聴音の授業でそれはそれは苦労いたしました。これは天性の音感のなさに加えて14歳になるまで音感訓練を受けずに過ごしたためです。けれど14歳からの音感訓練によって18歳の大学入試の聴音試験はまともに合格点取ること出来ました。6歳になるまで!!という超キビシイ年齢制限つきの絶対音感訓練に比べて、相対的に音を聴き取る訓練はそれは若い方が有利に決まってるでしょうが、何時始めても効果は期待できるのです。
絶対音感保持者に比べて相対音感保持者が不利と思われる点は、相対音感はモトになる音から次に来る音を判断する為、例えばある音から完全5度低い音がCではないのにドに聴こえてしまうことがおうおうにしてあるのです。つまり音高をちゃんと感覚的に移動ドにして聴きとっているのです。具体的に言うとレより完全5度低い音はソですよね。このソがドに聴こえるのです。ト長調の場合ソは移動ドではドになりますから、音を聴いてて中途からちゃんと移動ド唱法で捉らえているのです。
これはほっとくとかえって音感の混乱につながりますから、調性感を調整しなきゃなりません。でもこの調性感の調整こそ厄介な問題で(語呂あわせはとってもいいのですが)調性を論理的に把握させることに努めますが、この調性を観念的に理解することは個人差が大きくて、このへんの理解が6,7歳の子でもすんなり受け入れてしまう生徒もいれば、慢性的に把握不能なまま成長してしまい、そしてまたそういったタイプの子に限って相対音感は抜群によくてええっーーっ、っていいたくなるような複雑な曲を聴くだけでピアノで弾いてたりするのです。
人間の素質才能の組み合わせというのは人の数だけ全部違う個性があって、弱点補強対策というのは自分の弱み欠点を自覚して努力し、長所強みを生かして補いましょう。あたりが最も妥当なのですが!!そればっか言っててもなんの解決にもなりません。それなので私は論理理解が弱いもしくは興味を覚えない生徒の場合は指感覚で覚えてもらうことにしました。全調のスケールをしつこく弾かせて調性感の整理に努めたのです。
私の知り合いの絶対音感所有者の人は絶対音感は天性のもので後天的に身につくもんじゃない。と言っておりました。何故なら私は音感訓練というものを幼少のみぎり受けたことがない。にもかかわらず絶対音感があるこれは生まれつきだからだ。というのが彼女の見解です。また私は絶対音感は天性のもので、更に言えば絶対音感は必要ない。必要なのは相対音感だと言い切っているピアノ指導者の意見もある記事で拝見いたしました。私の生徒でも絶対音感のあった生徒はふたりいました。このふたりも私の音感訓練で絶対音感が身についたわけではありません。ピアノの88鍵の音全部が最初っから悩に書き込まれていたのでは??というのが私の感想です。
でも後天的に絶対音感を身につけるのは全く不可能かというと、そんなわけでもなく後天性絶対音感書き込み法は存在するらしいというか、するのです。このへんの歯切れが悪いのは私が、一時は興味持ったものの絶対音感訓練は結局断念してしまったからです。したがって実践的後天性絶対音感訓練データはうちはないのです。
(2002年5月31日)続きはまた明日!
絶対音感を後天的に刷り込んでしまうタイムリミットは6歳の誕生日までというのが相場です。それ以降に身につけさせることが出来たという例もあるらしいのですが、21世紀の今現在では3歳児にしてすでに刷り込み不能の事例の方が圧倒的に多い事実に鑑みて期待しちゃいけません。
私が絶対音感訓練を断念したワケはいくつかあります。それを整理すると。
1.新入会の生徒の年齢が6歳以上の場合が多い。
2.保護者家庭の協力を得るのが難しい。
3.3,4歳の子供でもすでに相対音感がついていた。
4.絶対音感の訓練は私の嗜好に合わない。
まず1.につきましては、私の意見としては6歳がタイムリミットという説を信じます。就学年齢になると子供は変わるのです。それまでの混沌ごちゃごちゃ状態を脱して、落ち着き、集中力が備わってきます。文部科学省(だったよね!)の定めた就学年齢というのはやはり根拠のあることなのです。レッスンの雰囲気としてこんなに小さいのにエライなとか、ちょっとかわいそうかな、という感覚がまず私の方からなくなります。まだ遠い未来ながらも立派な社会人となる1歩を踏み出したという感じです。子供の小学校入学というのは祝福すべきことなのです。でもそれと同時に別の感覚も確実にどこかに置き去られていくのです。漠然とした音というものを絶対的な高低で捉える能力というのもお終いで、もうこの年齢になると漠然としたものながらも前後の繋がり、それまでの経験からくる推理そして出題者の心理まで読んで判断する能力が備わってきます。
人によっては絶対音感の身につく時期はマザータングを習得する時期と一緒で思春期以前までとする説もあるようですが、仮に何割がたかの子がその可能性があったとしても学童期に絶対音感訓練をエンエンと続けることは弊害の方が大きいと思うのです。
続いて2.ですが、ここからが具体的な訓練法です。絶対音感は和音を聴き取らせて、聴き取れる和音を増やしていって終にはピアノの全音高を前に聴いた音からの高低じゃなく絶対的に聴き取れるようになる。という仕組みなのです。なんだ簡単じゃないか。とお思いになるでしょう。でも仕組みはこれだけでもこれこそ週1回やるだけじゃ出来るようにならないのです。のんびりしてると6歳のタイムリミットなんてあっという間にきてしまうのです。従って毎日3回ずつ通って来てもらうか、おうちの人との綿密な連絡を取りながら毎日欠かさずドミソ、ドファラの聴き取りを家で決行してもらうか方法はふたつにひとつしかないのです。普通はうちの人に毎日ピアノで和音を弾いてもらうしかないのですが、勿論全然ピアノ弾けない親御さんでも、ドミソ、ドファラから始まる和音を弾いてもらうことは技術的には可能ですが、綿密な打ちあわせと報告が必要になるのです。いつかテレビCMでやってた幼児教室風景ですが、先生がド、ミ、ソと1音づつ区切って言ってから和音をジャーンと弾くのは和音聴音としてはなんら差し支えないのですが、絶対音感の訓練としては×。ドミソを区切って弾いてては子供が相対的に音を聴き取とろうとしてしまいます。和音は短く弾いて丸ごと聴き取らせなければならないのです。そして、和音を弾くのに長〜く鍵盤に指のせておくのもダメ、倍音が響いてきて弾いた和音以外の音が聴こえてきてしまいます。これを毎日やってもらって報告してもらいます。
私はひとりふたりのお母さんに、こういった家での練習が可能かどうか打診してみたことはありますが、お返事はそれで確実に絶対音感が身につくのでしょうか?という質問がありました。ここではい、お任せ下さい。と言えればいいんですがこればっかりはやってみなきゃ解らないのです。中途で相対音感の方が身についてきたり、相対的に音を聴き取ろうという姿勢が見えてきたらもうそこでこの訓練はお終いなのです。このことをお伝えしたところ、それならいいです。ということでした。
3.については、今の子というのはほんの何10年前の子供に比べると圧倒的に耳がいいのです。少し話はそれますが戦中派くらいの方たちが幼児期というのは白紙もしくはゼロの状態だから、というような意味のことを述べられておりますが、この音の聴き取りに関しては現在はもう3歳児にして白紙とかゼロの状態ではないのです。だいたい私は見かけよりは人間が素直で年長者のいうことには大抵は従うのですが、この見解だけはもう時代が違うといわざるおえないのです。
さすがに私は2歳児はみたことはないのですが、3歳児とはいえそれまで生きてきた歴史というものを持っています。胎生期いれればプラス9ヶ月ちょっと生きてきたのです。私は聴音の先生と合唱の先生両方から聞いた説で。そもそも音感が悪いのは1番は母親の責任で次にうちにある楽器が調律してないのが悪くて音楽の先生はが悪いのはその次あたりだというのがありました。現代に限ってはもうそんなことありません。小さい子や赤ちゃんの耳に入ってくる音楽が母親の唄う子守り歌だけなんて環境はよくよくの過疎の村だってありはしません。生まれ落ちたその日からどころか、受胎したその瞬間から音楽は世の中に満ちているのです。妊娠したっていうんでマタニティーコンサートに出かける妊婦だっていっぱいいます。(ただし、私は胎児が本当に音楽聴いてるんだかどうかの研究報告にはそう詳しいわけじゃありません。)
なんでこんなこと長々と書くかっていうと最近の子はもう3歳児にしていつのまにか音楽を相対的に聴くという学習をすでにしているのです。そして相対音感が先に身についていると後天的に絶対音感を書き込んでいくことは避けた方がいいのです。中には絶対音感が部分的についていてそれに、相対音感を付けたしていくという事例だってあるみたいですが、その逆は混乱招くだけだと私は信じてます
2.の方の話しに戻るのですがそれじゃお母さんが先生だったら?という場合はどうでしょう。実は私も絶対音感の訓練がどんなものか毎日手近にいた3歳児で試してみたことはあるのです。つまり私の子供です。私は子持ちなのです。うちの子的には大変な訓練でした。私の子供は男の子で3歳児にして体育会系で野球をしたがりサッカーしたがりバレーボールをしたがり、自転車に乗って走り回りたがり、かけっこしたがりでそれにつきあったあとドミソ、ドファラやるとお腹すいたのテレビみたいのと文句ばかり言っておとなしく聴音してくれません。(おかげでその頃は私は痩せていました。)そして半年たたずに私は自分の子にたいしても断念しました。面倒にもなってもいたんですが、うちの子はレドシラソがソファミレドに聴こえるようになっていたのです。つまりもう相対音感の方が身についてたんです。どーりでガラガラヘビの歌をうまく唄う筈だわよ。と思って私は絶対音感の訓練の練習をやめました。私の息子にして私が聴かせたドミソ、ドファラよりうちでかけてたCDやテープそしてテレビで聴いたガラガラヘビやちびまるこちゃんの歌を唄うことでより効果的な相対音感の訓練をしていたのです。
その何年か後にも3歳4歳の生徒の入会はあったのですが、3歳の子でももう相対音感が出来始めていました。
続いて4.の検証ですが、私の嗜好に合わないという部分ですがこの場面に限りましては私ゃフリーランスなんだからヤなことやらなくったって勝手でしょという意味にはどーかとらないで下さい。就学以前の子にピアノを習わせる動機や目的は様々でしょうが、現代は子供も進歩しましたが親の方だって進歩しています。ピアノが週1回通うだけで10年後にはコンチェルトまで弾けるようになるとは思ってません。それどころかピアノというのはとてつもなく厄介な習い事で泣かせて練習させたところで目にみえて上達するような甘いもんじゃないことくらい大方の親御さんは知っています。小さい頃から音楽に親しんで本当に学校の勉強やクラブ活動が忙しくなる前に、音符が読めてピアノ小品のひとつやふたつ弾けるようになって欲しい。くらいが絶対多数の希望です。私考えるに保護者の第1の希望小さい頃から音楽に親しませるという事に絶対音感の練習というのは一致しないのです。
後天性絶対音感書き込み法というのはどう考えてもあまり音楽的とはいえないのです。絶対音感のためにはハ長調以外の曲は与えてはいけないのです。従って全調メソード使うのは適切じゃありません。その間調性を教えてもいけません。移調奏のレッスンなんてのはもっての他です。まあいい、これくらいなら驚異的能力絶対音感のためなら大事の前の小事なんですけれど、ここまではまだいい、しかたないでもテレビのみんなのうたにあわせてだんご3きょうだいも唄っちゃいけないんです。ピアノの上手なおねえさんが弾いていたエリーゼのためにのさわりのとこを聴き覚えで弾くのもダメ。ポケモンの歌、千とちひろの歌をみんなと一緒に唄うのもやめましょう。CDやテープがあれば聴きたくなるから出来るだけ買わないようにして、カーラジオはニュースや本日の株式取引かなんかのとこに合わせて音楽がかかったら切るか、切り替えるかする。
つまり音楽を聴く、唄う、聴いて覚えた曲を楽器で弾いてみる。というのは全部相対音感のための訓練で絶対音感の訓練のためには好ましからぬ事態なのです。これじゃあ小さい頃から音楽に親しむというより音楽廃絶運動に加担しているような気分になってきそうです。そして聴かせるのはドミソ、ドファラ、シレソを何回もしつこく聴かせる。
私だって今現在ピアノが弾けるのは、泣きながら練習してきた歴史というものがあるから弾けるのです。厳格にピアノのお稽古させたいという方針の家庭で泣かせても、遊びを少し犠牲にしても練習させて上手になってほしい。というのはいいんです。ピアノというのはその練習の質量に比例して必ず上手になりますから。ピアノは努力を裏切らないものです。でもこれが絶対音感となるとそこまで本人、教師、家族さらには幼稚園の先生あたりまでまきこんだりして頑張っても
身につくもんでもないのが悲惨なんですよ。そこが私の趣味嗜好にはあわないのです。
更に小さいながらも音楽が大好きで、テレビできいた歌を一生懸命覚えたり、幼稚園で習った歌をピアノで弾いてみたりしている子には、そのまま相対音感を良くするレッスンした方がより音楽的だと思うんですよね。