現代俳句アンソロジー
,,,,,,,,,,ed by suzuki shigeo

入り口
(@なハイクを求めて、随時更新中です)
『無形を視る秀句』 『新・無形を視る秀句』
『海の見える俳句』 『Midnight Owl(梟俳句)』
選は批評、という考えがある。当初、このアンソロジーは、わたしが感動した
作品を採り上げ、感動した俳句について語りたいと思った作品のリストの積り
で並べていたものである。(ひと昔前なら、筆写していたものだ)だが、WEB上
に掲載する以上、これを採り上げるならあれも、あれを入れるならこれもと収
集しているうちに、いつしか教科書的配慮をすることになり、俳句史上よく取り
沙汰される作品や人口に膾炙した俳句なども収める結果となってしまったが、
いまではこの形もまたわるくないと自負するようになった。俳句表現史としての
鳥瞰図的役割を担ってくれたらいいと思うことにしたからである。ただその一方
で、このアンソロジーを編んだ者として、わたしの志向する俳句を知って欲しい
という思いがある。わたしの意中の俳句とこれから執筆予定の作品を太字で
示した所以である。 ,ただし、2003/8/9現在、太字表示の箇所は作業中です)
by鈴木
目 次
(年代順)
(五十音順)はこちらから
目 次
(五十音順)
ら
高浜虚子(1874-1959)
遠山に日の当りたる枯野かな
桐一葉日当りながら落ちにけり
金亀子擲つ闇の深さかな
年を以て巨人としたり歩み去る
大空に又わき出でし小鳥かな
蛇逃げて我を見し眼の草に残る
白牡丹といふといへども紅ほのか
大空に伸び傾ける冬木かな
流れ行く大根の葉の早さかな
石ころも露けきものの一つかな
春の浜大いなる輪が画いてある
襟巻の狐の顔は別にあり
凍蝶の己が魂追うて飛ぶ
大空に羽根の白妙とどまれり
この庭の遅日の石のいつまでも
たとふれば独楽のはじける如くなり
旗のごとなびく冬日をふとみたり
秋風や心の中の幾山河
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
初蝶を夢の如くに見失ふ
手鞠唄かなしきことをうつくしく
大寒の埃の如く人死ぬる
水打てば夏蝶そこに生まれけり
秋風や心激して口吃る
北風に人細り行き曲り消え
大根を水くしやくしやにして洗ふ
天地の間にほろと時雨かな
句を玉と暖めてをる炬燵かな
我生の今日の昼寝も一大事
爛々と昼の星見え菌生え
彼一語我一語秋深みかも
去年今年貫く棒の如きもの
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
一切を抛擲し去り大昼寝
蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな
箒木に影といふものありにけり
河東碧梧桐 (1873-1937)
赤い椿白い椿と落ちにけり
空をはさむ蟹死にをるや雲の峰
から松は淋しき木なり赤蜻蛉
この道の富士になりゆく芒かな
曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ
正岡子規(1867-1903)
あたゝかな雨が降るなり枯葎
行く秋をすつくと鹿の立ちにけり
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
砂の如き雲流れ行く朝の秋
いくたびも雪の深さを尋ねけり
この頃の蕣藍に定まりぬ
鶏頭の十四五本もありぬべし
をととひのへちまの水も取らざき
夏山の大木倒す谺かな
初冬の竹緑なり詩仙堂
夏目漱石 (1867-1916)
叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉
永き日や欠伸うつして別れ行く
凩や海に夕日を吹き落す
秋の川真白な石を拾ひけり
わが影の吹かれて長き枯野かな
腸に春滴るや粥の味
秋風や屠られに行く牛の尻
芥川龍之介 (1892-1927)
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
木がらしや東京の日のありどころ
癆咳の顔美しや冬帽子
木がらしや目刺にのこる海の色
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
元日や手を洗ひをる夕ごころ
兎も片耳垂るる大暑かな
青蛙おのれもペンキぬりたてか
胸中の凩咳となりにけり
松瀬青々 (1869-1937)
日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり
夕立は貧しき町を洗ひ去る
女房のふところ恋ひし春の暮
桃の花を満面に見る女かな
暁や北斗を浸す春の潮
我が骨のゆるぶ音する蒲団かな
俎や青菜で拭ふ烏賊の墨
山に花海には鯛のふゞくかな
村上鬼城(1865-1938)
生きかはり死にかはりして打つ田かな
川底に蝌蚪の大国ありにけり
ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな
念力のゆるめば死ぬる大暑かな
水すまし水に跳て水鉄の如し
秋の暮水のやうなる酒二合
月さして一ト間の家でありにけり
冬の日や前に塞がる己が影
鷹のつらきびしく老いて哀れなり
冬蜂の死に所なく歩きけり
えにしだの夕べは白き別れかな
かつこうや何処までゆかば人に逢はむ
寒雷や肋骨のごと障子ある
向日葵の大き一つは日に反く
鈴木花蓑(1881-1942)
大いなる春日の翼垂れてあり
内田慕情 (1881-1946)
腔のおとカオと仆れしラガー起つ
飛板を蹠かむとき風満ちぬ
太陽と正し鼻梁と陰隆く
渡辺水巴(1882-1946)
冬山やどこまで登る郵便夫
天渺々笑ひたくなりし花野かな
白日は我が霊なりし落葉かな
さざ波は立春の譜をひろげたり
てのひらに落花とまらぬ月夜かな
かたまつて薄き光の菫かな
月光にぶつかつて行く山路かな
一筋の秋風なりし蚊遣香
飯田蛇笏(1885-1962)
鈴おとのかすかにひびく日傘かな
くれなゐのこころの闇の冬日かな
炉ほとりの甕に澄む日や十二月
古き世の火の色うごく野焼かな
竈火赫とただ秋風の妻を見る
芋の露連山影を正しうす
たましひのしづかにうつる菊見かな
山国の虚空日わたる冬至かな
雪晴れてわが冬帽の蒼さかな
死病得て爪うつくしき火桶かな
落葉ふんでひと道念を全うす
流燈や一つにはかにさかのぼる
極寒の塵もとどめず岩ぶすま
死骸や秋風かよふ鼻の穴
たましひのたとへば秋のほたる哉
ひたひたと寒九の水や廚甕
をりとりてはらりとおもきすすきかな
わらんべの溺るるばかり初湯かな
秋たつや川瀬にまじる風の音
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
死火山の膚つめたくて草いちご
大つぶの寒卵おく襤褸の上
雪山を匐ひまわりゐる谺かな
秋鶏が見てゐる陶の卵かな
夏雲群るるこの峡中に死ぬるかな
夏真昼死は半眼に人をみる
高浪にかくるる秋のつばめかな
冬滝のきけば相つぐこだまかな
冷やかに人住める地の起伏あり
いわし雲大いなる瀬をさかのぼる
戦死報秋の日くれてきたりけり
降る雪や玉のごとくにランプ拭く
春めきてものの果てなる空の色
炎天を槍のごとくに涼気すぐ
冬川に出て何を見る人の妻
薔薇園一夫多妻の場を思ふ
大揚羽娑婆天国を翔けめぐる
いち早く日暮るる蝉の鳴きにけり
誰彼もあらず一天自尊の秋
前田普羅 (1884-1954)
春更けて諸鳥啼くや雲の上
春尽きて山みな甲斐に走りけり
春雪の暫く降るや海の上
雪解川名山けづる響かな
人殺す我かも知らず飛ぶ蛍
新涼や豆腐驚く唐辛子
立山のかぶさる町や水を打つ
茅枯れてみづがき山は蒼天に入る
霜つよし蓮華とひらく八ヶ嶽
駒ケ岳凍てて巌を落しけり
奧白根かの世の雪をかがやかす
秋風の吹きくる方に帰るなり
原石鼎(1886-1951)
頂上や殊に野菊の吹かれ居り
風呂の戸にせまりて谷の朧かな
谷杉の紺折り畳む霞かな
高々と蝶こゆる谷の深さかな
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月
山の色釣り上げし鮎に動くかな
蔓踏んで一山の露動きけり
かなしさはひともしごろの雪山家
病める母の障子の外の枯野かな
秋風や模様のちがふ皿二つ
けさ秋の一帆生みぬ中の海
短日の梢微塵にくれにけり
秋蝶の驚きやすきつばさかな
雪に来て見事な鳥のだまり居る
春の水岸へ岸へと夕かな
晴天や白き五弁の梨の花
林原耒井(1887-1975)
片隅で椿が梅を感じてゐる
松村蒼石 (1887-1982)
たわたわと薄氷に乗る鴨の脚
明易くひそひそと田へ人の寄る
声のなき雁人をおほひ去る
大橋裸木 (1890-1933)
陽へ病む
杉田久女(1890-1946)
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
朝顔や濁り初めたる |