フンデルトワッサーの自由な精神

文: 高安正樹 (有限会社スペースキッズ代表)

自然との共存、そして・・・
建築の常識をくつがえす建築

文:高安正樹/SPACEKIDS

1928年、オーストリアのウィーンに生まれた画家、
フリーデンスライヒ・フンデルトワッサーの作品に
私が初めて目を引き付けられたのは、
絵画ではなく、その建築を紹介したガーデニング雑誌だった。

 一見、中庭に見える写真は、実は一面の草屋根で、
ところどころに樹木の苗木も植えられた屋根は
テラスの庭とスロープでつながり、
さまざまな色タイルで縁取られた多くの窓が
壁面についている。

 現代ヨーロッパに誕生した、
この「中世の城のような集合住宅」の
写真を見た瞬間、私はなぜか「激しく未来的」な印象を受けた。
「いわゆる未来都市」にお決まりの、
規格化されたユニットの並ぶ建物とは似ても似つかない、
不揃いでいびつなフンデルトヴァッサーの建物にこそ
「未来」を感じたのはなぜだろうか。

 それは多分、「未来は文明の進歩によって支えられる」
という現代人に染み付いた観念にとらわれない、
フンデルトヴァッサーという「一人の自由な精神」が
正直に表れていたからだろうと思う。

 未来への幻影からも自由な魂こそが、未来を拓く!」、
とでも言えようか。

 言葉にすれば難しいことを、
一人の生活者として具体的な形で提案したのが
フンデルトヴァッサーだ。


全身で自分の人生を生きた「実践の人

フンデルトヴァッサーほど、作品と生き方がクロスオーバーした作家は
珍しいだろう。

アタマの中だけで、空想の世界だけで理想を描いて終わるほど、
彼の意思は弱いものではなかった。

絵を描くだけでなく、服や靴を手作りし、自分が理想とする家を建て、
終いにはニュージーランドの広大な自然の中に運河を引き、
アトリエや生活の拠点を構えた。
そして、この自然のための国旗までデザインした。
晩年の彼のこうした生き方は、
「私は王です。豊かです。」という彼の言葉をまさに体現している。

フンデルトヴァッサーに多くの人が共感するのは、
こうした彼の「全身で自分の人生を生きる姿勢」への共感だろうと私は思う。
たとえ他者と違っていても動じることの無い、
ゆるぎない自信と人生観に支えられていなければ、
自分の人生に王として君臨することなどできない。

彼は72年の生涯にわたって「自然から受けるインスピレーション」を、
常に創作のエネルギーに変換していった。
「自然には、みせかけだけのものは何一つないのです」と言う彼の言葉は、
彼自信をも鼓舞する言葉だったに違いない。
目に見えるカタチの奥にあるエネルギー(生命)を
最後まで信じることができたからこそ、
彼は現実に生きる王でいられたのだと思う。

フンデルトヴァッサーと日本

フンデルトヴァッサー」とは、ドイツ語で「百の水」を意味する。
そこで、彼は好んで「百水」という漢字をサインしている。
しかし、彼は単なる日本趣味だけから
日本への関心を高めたのではないと思う。
彼の自然観は本質的なところで、
東洋的な「ものの見方」と結びついている。

ピエール・レスターニの著書
「フンデルトヴァッサー 5枚の皮膚を持った画家王」によれば、
彼は衣服、家、社会、そして地球(大気)と、
自分を取り巻くものの全てを皮膚感覚でとらえていたようである。
また、フンデルトヴァッサーがこだわり続けた
「渦巻き」のモチーフも、
中心から外へと拡がる途切れることのない
一本の線で描かれている。
彼のこうした創作態度に、
「タオ(道教)的な匂い」を感じるのは私だけだろうか。

ともあれ、
フンデルトヴァッサーというオーストリア生まれの自由人と
「日本」は、
因縁浅からぬことを知るだけでも、
新たな興味が湧いてくるのではないだろうか。

(本ページでは、キーワード検索の都合上、一部の表記を「ヴァッサー」ではなく「ワッサー」にしています)

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