2006年に開催された、日本での2つのフンデルトヴァッサー展覧会

●2006年4月11日〜5月21日
京都国立近代美術館

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●2006年6月10日〜11月12日
メルシャン軽井沢美術館

http://www.mercian.co.jp/musee/exhibition/index.html
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 ドイツで行われた回顧展や、作家の生涯をテーマにしたミュージカルの公演など、その没後(2000年没)もヨーロッパでは話題に事欠かないフンデルトヴァッサー。日本でも2006年に2つの展覧会が開かれ、話題になった。
 「人と自然−ある芸術家の理想と挑戦」と題して4月から京都国立近代美術館で開かれた「フンデルトヴァッサー展」、そして、メルシャン軽井沢美術館で開かれた”巡回展”がそれである。
 当初10月29日までの予定だったメルシャン美術館の展示は、人気のため11月中旬まで会期が延長された。
 フンデルトヴァッサーについては、多くの書籍やポスターなどの印刷物があるが、彼の使う複雑で多様な色などは、やはり間近に作品(実物)に接してはじめてわかるものだと思った。
 ことに、1970年初期の一連の版画作品の深い色合いなどは、「瞑想的」ともいえるほどの、精神的な深さを感じさせる迫力に満ちていた。日本では、「ド派手で、けばけばしい色使いをする奇妙な画家」のように誤解されているフンデルトヴァッサーの、面目躍如といえた。
 近年、展覧会の主催者は「営業的に採算がとれる、人の呼べる企画」を求める傾向がますます強くなっているように思う。そういった意味で、過去に百貨店で行われた「フンデルトヴァッサー展」のパッケージ企画は、手軽に人の呼べる企画だった思う。今回の2つの展覧会も基本的にそのくり返しだった。こうしたパッケージ企画のくり返しがいけないとはいわないが、私には少なからず不満がある。なぜなら、フンデルトヴァッサーのアートは「単に回顧して楽しむだけの」のアートではないと考えるからだ。
 彼の生前の建築デザインは、いまもなお”進行”している。であれば、アーティストであると同時に、人と自然の共生を提案した「アクティビスト」でもあったフンデルトヴァッサーをきちんと捉えるには、もっと、”現在の問題”として、作家の提案を考えるべきだと思う。
 以前、このサイトでも書いたように、彼のデザインした大阪市のゴミと下水処理施設は、税金のムダ使いとしてメディアで取り上げられた。上記2つの美術館での展示にあたって、企画・主催者は、そうした世間からの風当たりに対して、どのような意見を持っているのだろうか? 展示を観た限り、何の回答もメッセージもなかったように思う。回答が無いばかりか、あえてこうした問題を避けているようにさえ感じられた(京都国立近代美術館の広報スタッフの態度などから)。せっかく多くの注目が集まる大規模な展覧会であったのに、これは非常に残念なことであった。
 最後に、メルシャン軽井沢美術館にはこの夏に初めて訪れたのだが、浅間山麓の森の中にひっそりとある美術館で、「人と自然のありかた」をテーマにしたフンデルトヴァッサーの作品を鑑賞するのには、まさに的を得た展示空間だったことを付け加えておく。

2006年10月 高安正樹 (有)スペースキッズ


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