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突然、女湯に緊張が走った。何が起きたのか、祖母は慌ててボクの手を引っ張って脱衣場へあがった。みんな急いで着物を着ていた。「番頭さんに怒られたで…」祖母は着物を着ると、締め切られた廊下の雨戸をこじ開けた。縁の下に脱いだ下駄を履くと二人で逃げた。仲間の老婆たちも「あれ、こうわいさ」「こうわいなあ」とつぶやきながら逃げた。ボクは恐ろしい鬼のようなものが追いかけてくる恐怖に怯えていた。
そこへいくと共同浴場は大威張りで入れる。共同浴場は平湯館の池の向こう側にあった。ボクは帰りにはその池に寄った。池のふちがえぐれたところがあり、その辺を足でドンと踏むと、メダカのような小魚が飛び散るのが面白かった。毎日それをやった。池の窪みと小魚はボクの網膜に焼きついた。
ある日、高山から来た湯治客が、親戚のおばあさんから「しんちゃんに」と言って、かんかん棒を預かってきてくれた。かんかん棒というのはきな粉飴を棒状に延ばした駄菓子である。新聞紙に包んで、いま思えば30本くらいはあったろうか。祖母が言った。「そんなら女中さんに分けてやらにゃ」。
「えっ?」ボクは耳を疑った。どうしてボクのかんかん棒を女中さんに上げなければならないんだ?
「寝小便して、いつも迷惑かけとるでな」と祖母は言った。でも、ボクは納得いかなかった。せっかくもらった菓子を人にくれてしまうという祖母の気持ちが、なんとしても理解できなかった。幼少のころはおとなしい性格だったボクは、一言も異議は言わなかった。言わなかった分、納得いかない気持ちが残ったかも知れない。
長じて作家・梅崎春生の書いたものを読んでいたら、子どもは母や肉親と一心同体で育つが、あるとき肉親といえども自分と違う考え方をする別の人間であることに気がつく。誰にでもその記憶はあるはずだ。それが自我を自覚する節目だ…といった意味のことが書かれていた。「ああ、あのかんかん棒だ!」と、ボクは思った。大切な自我の節目が駄菓子を惜しむ気持ちとは情けない。
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