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だ。机などというものは子だくさんな貧乏人の家にはあるはずもなかった。裸電球を階段の上にぶら下げて、階段を机にした。兄弟が一緒に宿題となると、上の明るいところは兄たちに取られてしまう。ボクはいつも下の方の、薄暗いところで勉強をした。
自分の机や自分の空間というものは特になかったが、ランドセルやクレヨンなどを積み上げておく場所は、おのずから決められていた。親兄弟の間で暗黙の了解はあった。しかし、当然私物の管理はきちんとできなかった。きょうは図画の時間があるというのに、持って行くクレヨンがない。朝の時間に追われながら、クレヨン、クレヨンと泣き叫んだのは何年生のことだったろうか。
そんなとき親は絶対に買ってはくれなかった。どんなに子どもが困っても、「この前買ったのはどうしたんや」と平気だった。しつけのつもりだったのか、お金に厳しかったのか、ボクにはいまも分からない。
娘が高校受験を迎えたときに、ボクは自分の子どものころの話をした。
…夜更けまで勉強していると、はらが減ってなあ。夕飯のときだって、ろくな食べものがない時代だからな。妹たちが寝静まったころ、お母さんがジャガイモを半分か、小さいのをひとつ、内緒で持ってきてくれると、ものすごく嬉しかった。なめるように少しずつ食べたよ。冬は寒かった。コタツで勉強していると、背中がしんしんと寒い。それでいてコタツのぬくもりで眠くなる。寒くてもコタツを出て勉強したもんさ。
「コタツを出て、階段で勉強したの?」と娘は言った。「それならあたしも頑張れるかも知れない。お腹がすいて、寒くって、なにくそって頑張れるんじゃないの」
娘は6畳の個室を与えられていた。スチールの学習机と本棚。専用のコタツ。どっしりとした窓のカーテン。
娘は言った。「あたしは寝ようと思えば暖かいお布団がある。いつでもラジオで深夜放送を聴くこともできるの。それなのに起きて勉強するって、すごっく大変なのよ」
それもそうだな、とボクは思った。ボクらは貧しいけれど、いい時代を生きたのかも知れない。
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